西村寿行『鬼女哀し』(徳間文庫)




 高速道路を驀進する横暴トラックがたて続けに狙撃され、大惨事が続いた。犯行の目的は爆走するトラックへの膺懲か──。犯人の銃撃で重傷を負った警視庁刑事・斗樫宗弘(とがしむねひろ)は最初の事件の被害者が勤めていた山梨急送の周辺を洗うべく甲府に赴いたが……
 今なお過去の革命幻想にすがり、社会との糸を1本1本断って幻の城に閉塞する醜女(おに)──女の性の深遠に鬼女の慟哭がひびく、巨匠の描く長編ハードロマン!(粗筋紹介より引用)
 『アサヒ芸能』1979年8月〜1980年5月連載。1980年10月、徳間書店より単行本を刊行。1983年12月、徳間文庫化。

 大型トラックの運転手たちが高速道路を占拠し、一般車を煽るなどの無謀運転が問題となっていた頃。8月25日、中央自動車道を女性が運転する一般車を追いかける大型トラックの運転手がダムダム弾で殺害され、トラックは分離帯に激突。大型トラック6台、乗用車4台、小型トラック2台が巻き込まれ、死者9人、重軽傷6人の大惨事となった。9月3日、東名高速道路で同様の事件が発生し3人が死亡。偶然後ろを走っていた警視庁刑事・斗樫宗弘は目撃後静岡県警に通報するとともに、近くの山にいた犯人を追いつめるも狙撃され意識不明となる重傷を負う。
 どちらのトラックも山梨急送株式会社の物であり、いわくつきの社長でもあったことから、トラックの運転手の周辺以外にも社長の背後関係や、会社設立で被害を被った弱小運送会社についても取り調べられた。9月8日、中央自動車道でまたも事件が発生。6台が巻き込まれ、計14人が死亡。トラックは別会社の物だった。
 11月23日に退院した斗樫は山梨急送の背後を探るとともに、最初の事件でトラックに追われていた女性が囮ではないかと推測し調べ始める。ある夜、いがみ合いをする男2人を見つけた斗樫は、木片で殴っていた男を止めようとするが男は逃走。殴られていた男は「桜が散って、桜の木が消える。あいつの骸骨が」と途切れ途切れに言った後意識を失い、そのまま死亡した。死んだ貝島武久はあさま山荘事件の翌年に旗揚げされた神奈川武闘宣言の一員であり、武闘革命のために加賀市の銃砲店を仲間4人とともに襲撃したが、預かっていた2頭の猟犬に咬まれて逮捕され、1年半の実刑判決を受けたことがあった。一緒に逮捕されたのは野口康子、大門英二、酒井義之、久恒伊十郎。闘争歴はほとんどなく、マスコミにも「トンマな革命戦士」と揶揄された程度の小物であった。刑期を終えた後、男4人はトラック運転手及び助手として働き、首領の野口康子は郷里の鳥取に帰った。当時の武闘女兵士は、リンチ事件の女首領と同じく、ほとんどがチビでヤセでブスだという。野口康子も典型的なチビでヤセでブスで、ひどく奥目だった。
 甲府署は貝島の名前を発表して家族の名乗り出を待った。すると、市内に住む広田運送株式会社の経営者である老婦人から連絡があった。広田運送は社長である夫が死亡後、運転手である久恒伊十郎が老婦人を口説き、会社を続けた。3人の運転手と経理の女性を呼び寄せて働き、そして5人の運転手を加え、売り上げが増えていった。しかし山梨急送が出現し、得意先は1/3以下に減り、5人の運転手は山梨急送に移った。その後、残り5人全員が姿を消したとのことだった。姿を消したのは野口、大門、酒井、久恒、貝島だった。山梨県警は5人がハイウエイ狙撃事件の犯人と断定する。
 11月26日、秋葉街道を運転する乗用車が市野瀬でダンプと接触。ダンプの運転手が、乗用車に乗っていた男3人に暴行され、さらに運転手を助けようとした同じ村の2人も殴られた。そして男3人女1人が乗った乗用車は分杭峠に逃げた。警察の通報で非常線が張られたが乗用車は降りてこない。翌日、捜査隊は乗用車を発見。夜には4人が野口たちであることもわかった。山に逃げ込んだと思われた4人だったが、4人は市野瀬に戻り、雑貨屋に押し込み、翌日主人に運転させて逃走。その翌日、美和ダムの湖で縛られた主人がいる車が発見された。野口たちは偵察として送っていた5人も呼び寄せ、野口が懇意にしていた塚田という老労務者の山小舎に隠れていた。


 粗筋だけでもわかるだろうが、野口庸子のモデルは、連合赤軍事件の主犯の一人、永田洋子である。醜女という点については………ノーコメントとするが、革命でしか生きる道を見出せなかったという点はなるほどと思わせるところがある。庸子は男の誰からも相手にされない哀しさを漂わせているとこは、一応坂口弘という夫がいた永田洋子と異なる点ではある。しかし、執拗さ、底意地の悪さ、加虐趣味を全面に押し出す野口庸子という姿は、裁判の判決で「不信感、猜疑心、嫉妬心、敵愾心」「女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味」と断罪された永田を投影した結果だろう。逆に言うと、あまりにも愚か、幼稚である野口の姿こそが、永田の真の姿であるとまで作者は言いたかったのかもしれない。だからこそ作者は、彼女らのことを「革命ごっこ」と突き放したのだろう。逆に言うならば、永田の容姿がもう少し良かったのならば、連合赤軍事件は起きなかったのかも知れない……うん、ありそうな話だ。そのとき、学生運動や左派運動はどのような結末を迎えていただろうか。今の日本とは違った姿を迎えていただろうか。もっとも、一般大衆が参加しようとしない革命など、独善でしかないのだが。
 野口庸子は醜女で知識があるというわけでなく、通常であったら誰からも見向きされない存在だった。劣等感の塊であった彼女は、自らが人を統率する革命運動にこだわっていた。この点も永田洋子に通じるところがある。


 かつて、仲間に愛子という女性がいた。愛子が貝島と寝たことを目撃した野口は、仲間の前で愛子を総括。男にモテる愛子が妬ましかった野口は愛子を殴り、皆にも殴らせた。それだけならよかったが、失神している愛子を立ち木に縛り付けて一夜を過ごさせ、凍死させた。それが過去の事件だった。
 山小舎で野口康子と井形信明が対立。井形は野口が塚田と関係があることを暴露。立場が逆転し、野口は追放するも、山を囲まれたことを知った9人は再び結集。12月6日、再び狙撃事件が発生し、死者8名、重軽傷6名の惨劇となった。同日、塚田を探り当てた斗樫は、塚田の案内で単独で野口たちを追った。そして一人でいた大門を捕まえたとき、塚田に殴られ逆に人質となる。翌日、小便を要求した斗樫を連れ出した野口はその一物に心を奪われ、そのまま関係を持ってしまう。隙を見て斗樫は逃走。そのことを知った塚田は激怒し、正体を現す。そして塚田は全員のリーダーとなり、この窮地を抜け出す策を立てる。それは、近くにある3件の集落を襲って人質を奪うというものだった。

 あまりにも幼稚だった彼女たちに呆れ果てたか、作者は途中から塚田という爆弾を投じる。塚田の正体は中根喜三郎。リグン士官学校を優秀な成績で卒業し、阿片を専門に扱っていた北支特務機関に配属。昭和19年に第三十九師団歩兵第三三三連隊第二大隊に配属され、湖北省で三光作戦に携わる。中根は中隊を率いてゲリラ掃討に狂奔し、一つの村に入ると村人全員を皆殺しにし、女は2,3才の幼女に至るまで強姦し、殺した。その後物資をすべて奪い、火を放って丸裸にした。60村以上を無人地区にしたとして有名になる。敗戦後は中国軍に追われ、逃走し、現地で死亡したものと思われていた。
 塚田の指導の元、残り8人の男たちは3件の家を襲って家族を人質に取り、政府にヘリコプターを用意させて逃亡し、挙げ句の果てに船を乗っ取ってパラダイスを築くこととなる。人質である女たちを輪姦し、政府へ要求した酒と食事で毎日がドンチャン騒ぎ。

 最後の方は西村寿行らしい「暴力と性」の暴走。幾ら日本政府でもここまで弱腰ではないと思いたいのだが。

 それにしても、野口庸子の扱いはあまりにも悲惨だ。謎の老人・塚田と身体の関係を持って溺れるようになり、仲間達からリンチを受ける。その後は塚田の主導によって物事は進み、周りの男たちが人質の女たちと乱痴気騒ぎを繰り返している間、男を求めて悶え、挙げ句の果てに人質の男と関係を結び続けるようになる。物語の終盤にある野口の慟哭は、あまりにも哀しく、あまりにも身勝手である。その姿は作者にとって、そのまま永田洋子に重なるものだったのだろう。
 この物語は永田洋子を道化にした作品ではなく、永田の愚かさを極端な形で表したものだろう。ただしそれでは物語があまりにも進まないため、塚田という爆弾を投入し、さらに斗樫という執念深い刑事を混ぜ合わせることで、ようやく一つの小説として形作られることとなった。それでも破綻していることに変わりはないのだが。

 文庫版の解説は平岡正明。これは必見。「事件を扱った小説様のものがだいぶ書かれたが、一例をのぞいて価値がない」と平岡は断言している。唯一の例外は夢野京太郎「連合赤軍リンチ事件」であり、『世界赤軍』(潮出版社)に1973年に収録されたが絶版であるとのこと。そして平岡は、西村のこの作品を絶賛し、「革命なんて笑わせるな、犯罪者とて死ね、と言ったもの」と断言している。


【参考資料】
 西村寿行『鬼女哀し』(徳間文庫)

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