清水一行『一億円の死角』(徳間文庫)




 “販売の神様”といわれる田部井彦太郎は、ダイドー自販を日本一の自動車販売会社に育て、名誉会長となっていたが、彼には大きな心痛があった。長男の圭司が乱発した15億円の手形回収のため宗島連合に渡す資金1億円が消えてしまったからだ。
 そのころ、トラック運転手の小島正吉は、銀座の歩道で1億円の札束を拾った……。
 記憶に新しい<1億円事件>に材をとり、大企業内に渦巻く野望と謀議を描く力作!(粗筋紹介より引用)
 トクマ・ノベルズより1981年12月刊行。1982年11月、文庫化。

 トラック運転手の小島正吉が仕事中、銀座のゴミ捨て場に置いてあった風呂敷包みを新聞束と勘違いして拾ったが、実は一億円だったからびっくりするところより話は始まる。これは1980年に実際にあった「一億円拾得事件」をモデルにしている。

 1980年4月25日、トラック運転手であるOが東京都中央区銀座3丁目の道路脇で現金1億円入りの風呂敷包みを発見。拾得物として警察に届け出た。全国的な騒ぎとなり、Oの元にはマスコミの取材が殺到。結局Oは会社も退職することとなった。また落とし主も現れず、一億円について様々な推理が駆け巡った。
 6か月後の11月9日、旧遺失物法によって1億円はOのものとなり、11日に受け取った。そして一時所得として所得税約3,400万円を納付した。

 実際にあった一億円拾得事件も落とし主は現れず、誰が落としたか色々なところで推理が繰り広げられた。本作品では、ダイドー自動車販売を日本一の自動車販売会社に育て上げた「販売の神様」田部井彦太郎の不肖の息子・圭司が起こした産業廃棄物処理会社の共同経営者に合計15億円の手形を乱発され、その回収のために宗島連合に渡す手はずとなっていた1億円が、手違いによって小島正吉に拾われた、というストーリーとなっている。

 ここで出てくるダイドー自動車販売のモデルはトヨタ自動車販売であることは読めばすぐにわかり、田部井彦太郎のモデルは神谷正太郎である。正太郎にも当然息子がいるのだが、小説通り「50歳をすぎてもなお、常識欠如のお坊ちゃん育ちのまま」だったかどうかはインターネットの検索ではわからなかった。
 他にも田部井の二男・恒夫が元童謡歌手のテレビタレント(内容を見ると女優と書いた方がいいと思うが……)二宮節子と不倫の末心中未遂事件を引き起こしているのだが、検索するとこの女優にもモデルがおり、近藤圭子のことらしい。近藤自身が心中未遂事件の後に引退したことは書かれているが、相手は妻子ある男性としか書かれていない。これが本当のことなのかどうかは、私にはわからない。

 いくら小説とはいえ、自販会社内部のごたごたも含めてここまで赤裸々な内部事情を書いていいのだろうか、と逆に心配になってくる。しかも神谷正太郎が亡くなってから1年後の作品である。今だったら名誉毀損に問われてもおかしくないのではないか。
 逆に言えば、このような暴露ものは読んでいて面白いというのも事実だが。既に余命わずかな田部井彦太郎が金に執着する姿や、1億円(しかも今から35年前)を拾ってマスコミに取りあげられて有頂天になる小島正吉の姿などは、金というものの恐ろしさと、それに振り回される人間たちの滑稽さがよく描かれている。

 本作品はダイドー自動車販売や田部井家の騒動を中心とした経済小説であり、それに時事ネタを足したものである。「事実」に寄りかかりすぎている部分もあるが、面白い作品を提供するという姿勢については評価できる。


【参考資料】
 清水一行『一億円の死角』(徳間文庫)

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