事実は小説よりも奇なり? 小説は現実よりも面白いか? ――十六年前に発生して日本中の話題をさらい、今なお未解決の、かの「三億円事件」をヒント・素材にして、推理作家がさまざまの視点からリアリティーのある五つの「小説・物語」として構成した、異色かつ出色の連作ミステリー集。(粗筋紹介より引用)
・「系図・三億円事件」:『オール読物』昭和44年8月号
・「三億円犯人会見記」:『小説現代』昭和45年3月号
・「三億円犯人の情婦」:『小説現代』昭和45年5月号
・「三億円犯人の挑戦」:『小説現代』昭和45年8月号
・「三億円犯人の秘密」:『週刊読売』昭和45年6月19日号〜7月31日号
1970年10月、講談社より刊行。1984年11月、講談社文庫より刊行。
昭和19年、愛知県の海軍工廠で憲兵の制服を着た二人の男が給料240万円を奪う事件があり、状況は三億円事件とほぼ一緒だった。しかし戦時下で報道は差し止められた。当時の行員からその話を聞いた地方新聞社では事件が本当にあったのか、もう一人の行員を探し出すが、それは脱税で手入れを受けた美容整形医の兄だった。「系図・三億円事件」。三億円事件と似たような事件が戦前にあり、それが現代と結びつくという設定。別に三億円事件でなくてもよかったと思うし、やや強引なところも目立つ。
N県最大の地方新聞紙N日報の記者である田川は、シングルマザーの春日康子と知り合い、新聞の読者投稿欄に娘のかおりが欲しいのを我慢したと書いたくまのぬいぐるみを知らないおじさんが送ってくれたと聞いた。しかもその後、毎月三万円ずつ送ってくれるという。差出人はねずみ小僧をもじった根津次郎吉。しかも筆跡が、三億円事件の犯人らしき人物が農協へ出した脅迫状と似ていた。「三億円犯人会見記」。三億円犯人との単独会見という、新聞記者にとってはあまりにもおいしい話。そのオチはあまりにも哀しい。元新聞記者の佐野洋らしい舞台を扱った、ひねりの効いた作品。
T省官僚の春日井は、美貌の妻・小夜子が高校の同窓会から帰ってきたとき、バッグの中に10万円を見つける。しかし小夜子はおもちゃだといって火をつけ燃やしてしまった。しかも旧姓の預金通帳には、1000万円が入金されていた。春日井は小夜子が浮気をしているのではないかと疑う。「三億円犯人の情婦」。三億円事件をネタに、エリート官僚夫婦の機微をうまく描いている。技巧派佐野洋らしい、ピリリと苦味が聞いた作品。
有名週刊誌の編集長である飯坂清一は、観光会社社長の庇護を受けている女性と付き合っていたが、女性から借りた40万円を競馬ですってしまった。「あの犯人が羨ましい」と思う飯坂の元に、三億円犯人らしき人物から競馬の予想レースを使った暗号が送られてきた。「三億円犯人の挑戦」。暗号にはあまり興味がないし、さらに競馬にも興味はない。なので、その辺をスルーしながら読むと、大して面白くもない。冒頭に「二銭銅貨」を持ち出すのなら、もっと展開を真似たら面白かったと思う。
フリーライターの津岡は、速記者の小出品子より、見習い看護士時代に精神科の重法寺病院に三億円犯人と自称する男が入院していると聞いた。津岡は取材に行くが、既に死亡したと言われた。実は品子は院長の娘であり、自称男の月城は高校時代に自分を強姦した元同級生だった。「三億円犯人の秘密」。三億円事件の犯人は誰か、ということではなく、犯人は奪った金をどう隠したか、どう使ったかという点に焦点を当てた作品。とはいえ、そのテーマをあくまで隠し味に使い、恋愛の要素を加えた腕はさすがである。
作者はあとがきでこう書いているので抜粋する。
三億円事件は、他の事件と違い、発生と同時に全国的に有名となり、人々は未だに忘れていない。何らかの事件を素材、背景に使う場合、どうしても事件の説明をしなければならないが、そのまま経過を描いたのでは新聞記事のように無味乾燥となる。しかし小説風に書き直すのは空々しい。また説明だけに多くの紙数は使いたくない。しかし三億円事件については、経過説明が不要である。「三億円事件」とひとこと書いただけで、読者はわかってくれる。「三億円犯人会見記」「三億円犯人の情婦」「三億円犯人の挑戦」は事件が三億円事件でなくてもよいが、別の事件を考え出した場合、小説の力点がそちらに移るし、事件についても何らかの解決をしなければならない。その点、三億円事件を背景にすれば、これらのことは問題でなくなり、作品にとっても極めて効果的である。
三億円事件をあくまで素材に用い、ひねりを加えた五つの短編を書き上げた。事件そのものをメインテーマに用いるのでなく、事件をヒントに別の物語に移し替えるのでなく、実在の事件そのものを用いて別の物語を作り上げるという手法はなかなか無い。短編の名手、佐野洋ならではの作品集だろう。ただ、テクニックとは別に作品そのものは地味であり、それもまた佐野洋らしいといってしまえばそれまでだが、地に足が付きすぎて退屈に感じる読者がいるかもしれない。そう、結局は退屈しのぎにこそなるものの、テクニックだけの作品なのだ。読者の心に残るような感動はない。もちろん佐野洋は、そのような方向を目指していなかっただろうが。
【参考資料】
佐野洋『小説三億円事件』(講談社文庫)
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