西村望『水の縄』(徳間文庫)




 徳島県の山村に生まれた蛋谷(ひきや)保広と杉生昌一は共に少年院や鑑別所の入退院を繰り返していた。刑期をおえたばかりの杉生は家出娘と共謀、娘の同級生を次々と誘拐、売春宿に売り、指名手配をうける。同級生のもとに逃げるが、その同級生の通報であっけなく逮捕。一方、真面目に生活しようとした蛋谷も強姦・強盗をかさね、これまた逮捕。2人にかけられた縄は本物ではあったが、結局は虚しい水の縄だったと著者は訴える。(粗筋紹介より引用)
 1978年10月、立風書房より書き下ろし刊行。1982年12月、徳間書店にて文庫化。

 水の縄は「今昔物語集 巻二十七、本朝付霊鬼、第五」より採られており、最後のある登場人物の独白で「法律みたいなものは、水で編んだ縄と同じで、世間はかけたつもりかもしらんが、縄はすぐ溶けてしもうて、実際にはなんの役にもたちはせんのじゃ。(中略)手錠をかけられた杉生がぬっと立っている。場所は徳島駅前らしい。こいつらの縄じゃてどうせ水じゃ。いまにほどけてじきに出て来よるわ」と語れている。確かに法律は水の縄と同じかもしれない。蛋谷にしろ杉生にしろ、鑑別所や少年刑務所を行ったり来たりしている。そして帰ってきても全く変わらず、罪を重ねていく。
 蛋谷保広は当然仮名だが、彼が起こした「徳島上那賀母子強盗殺人事件」は以下である。事件の詳細は小説を基にしているので、誤りがあるかもしれない。その時は指摘していただければ幸いである。

 1975年末に姫路少年刑務所を出たM(23)は徳島県上那賀町の実家に帰って道路工事人夫となったが、仕事のきつさと比較して給料の安さに辟易していた。1976年3月9日、給料をもらって徳島に行って女に使い、仕事をさぼって2日で給料が無くなった。11日、家に帰ってくると誰も居らず、食事も何も残っていなかったことに腹を立て、タンスから妹の就職支度金を含む7万2千円を奪って再び徳島に戻り東京へ行くつもりだったが、すぐ女に使って金が無くなった。そこでMは人を殺してでも金を奪おうと決意。夫が亡くなって簡易保険が下りた女性の事を思い出し、町に戻った。雑貨店で出刃包丁を購入後、金のありそうな三軒に忍び込もうとしたが、一軒目は客が来ていて断念し、もう一軒は犬が鳴き出したので逃げた。結局当初目的の家に行き、農業の女性(当時46)宅に侵入。女性と、女性の夫の法事後体調がすぐれずに家に残っていた次女(当時19)を包丁で続けて殺害。二人を屍姦後、保険金30万円を含む32万7千円を盗んで逃走した。別室にいた80歳過ぎの女性の夫の父は寝ていたため、手をかけなかった。翌日起きた父が二人の遺体を見つけ、隣家に駆け込んだ。
 Mは徳島に行き、友人を誘って酒と女に散財し、金が無くなった。15日深夜、盗み損ねた家から今度こそ金を奪おうとタクシーで町に戻ってきたが、山の中でMは金を払わず正体を現したため、タクシー運転手(当時44)は車を電柱にぶつけ、その隙に逃げ出して1時間後に駐在所へ駈け込んだ。16日午前2時半ごろ、Mは郵便局に押し入って制服を盗んだ。そして隣家に住む女性に近くにあった車の持ち主を尋ね、その家に行き、主人を脅して奪った。主人は隙を見て逃げ出したが、Mは主人の家にいた男の子(当時6)を人質に奪って逃走したが通報で駆け付けた警察に囲まれ、車の中に立てこもった。午前9時、交渉中の所轄署長が隙を見てMに飛びかかり、さらに別の刑事たちもMを押さえて逮捕、男の子を救い出した。
 1978年6月29日、徳島地裁で求刑死刑に対し無期懲役判決。事件当時若かったことを理由に罪一等減じられた。しかし1980年7月22日、高松高裁で一審破棄、死刑判決。8月11日、Mは上告を取り下げ、死刑が確定した。1988年6月16日、執行。35歳没。

 ちなみに本書では、蛋谷保広の幼友達で友人だった杉生昌一も主人公となっている。杉生もひどい人物で、小学生のころから喧嘩っ早く、気に入らない教師に椅子をぶつけて大けがをさせて少年院に放り込まれたという過去があるほど。松山少年院で二人は一緒になり、退院後は母校の職員室を荒らして金を奪い大阪に行く。金が無くなった後、杉生がパチンコ屋に住み込み、客の蛋谷が来た時に玉を出すようにしたが、それほどうまくいかないまま、東京に逃亡。二人でレストランに住み込んだが、3日目で蛋谷は金を奪って逃走。1年後、二人は山口の少年院で再会。退院後、杉生は暴力団の盃を受けたが、暴力事件を起こして懲役1年の実刑判決で刑務所暮らし。出所後徳島に戻り、組から祝儀をもらったはいいが、ある店で姫路から駆け落ちした16歳の女と知り合い、関係を持つようになる。杉生は女と徳島を逃げ出し、大阪に行って姉の家に行くが、姉はすでに夫の元を逃げ出していた。杉生は女と共謀し、女の地元の同級生や知り合いを誘い出しては徳島の知り合いの売春宿に売り飛ばしたが、犯行はばれ指名手配を受け逃亡。二人は東京に逃げ、同級生だった友人の家に駆け込む。しかし友人は杉生が指名手配を受けていることを知り、職場の上司と相談の上警察に駆け込んだ。杉生と女は間一髪のところで逃げ出し、事務所に逃げ込んで女事務員を人質に立てこもるも、警察に駆け込まれ、逮捕された。杉生は一審で懲役12年の判決を受けた。

 杉生の犯行が事実かどうかは未調査なのでわからない。もっとも、立風書房から出た西村望の作品はいずれも実話をもとにしたノンフィクション・ノベルだから、創作ということは無いだろう。同じ町の友人が荒れまくり、最後は非道な事件を引き起こす。作者は登場人物の口を借り、法律は水の縄と同じだと嘆く。
 小説としては、最初こそ二人の運命は絡み合っていたが、途中からは別々となり、杉生は逃亡先の東京で蛋谷が強盗殺人事件を起こしたことを知る。同時期に幼馴染みが非道な事件を別々に引き起こしたというのは珍しく、その偶然は確かに書いてみたい題材である。ただそれがうまく書けているかと言われると、ちょっと微妙か。時間が言ったり来たりして、しかも二人の物語が交互に書かれているため、少々読みにくい。“水の縄”という言葉にしても、最後の最後になって出てくるのだが、もう少し物語に絡めることはできなかったのだろうか。印象深い言葉であるだけ、残念である。

 あとがきで、蛋谷は求刑死刑に対し無期懲役判決が、杉生には懲役10年が確定したと書かれている。そして作者はこう書いている。

 二人とも所内でまじめ(・・・)にさえしていたら、十年をめどとした前後くらいの年限で出所を許されることになるのではないか。もしそうなったとする。とすると。二人ながらにまだ三十幾歳という若さを保っている。
 今回、警察が彼らにかけた縄が、はたして真正の縄であったか、それもむなしい水の縄であったか、その裁定は、ひょっとしたら十数年後に本当に出されることになるかもしれない。そうならないことを若い犯罪者二人のために念じつつ、筆を擱く。

 できれば裁判で彼ら二人が何を語ったのかを知りたかった。二人は反省していたのか、それともふてくされていたのか。杉生の彼女は共犯として捕まっただろうが、どうなっただろうか。彼女は妊娠していた。子どもを産んだのか、産まなかったのか。そういうところまで追ってほしいと思う。
 さらに言うならば、蛋谷ことMは控訴審では逆転死刑判決を受けている。彼にとって縄は、永遠にほどけることが無く、そして最後には自らの命を奪うためのものとなってしまったのだ。Mは上告を取り下げ、みずから確定している。いったい何を思って死刑台に昇ったのだろうか。
 この本が出版されたのは、1978年10月である。Mの一審判決は1978年6月29日。当然、控訴したことを知っていなければならないはずである。それを「確定した」と書くのは問題だろう。さらにいうならば、文庫化されたのは1982年12月。既にMの死刑は確定している。せめて文庫版あとがきで、そのことに触れるべきではなかったか。そう考えると、この本がどこまで脚色されているのか、かなり不安になることも事実である。


【参考資料】
 西村望『水の縄』(徳間文庫)

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