何よりも大切にしていた家庭という花園の崩壊に直面しながら、夕美は自分の中に狂ったように舞いつづける1匹の蛾を見つづけていた。男の炎に焼かれていく女の業の哀れさを巧みに描く『火の蛾』。殺人を犯しながら、自分は犯人ではないと自己催眠をかけつづけてきた男が自供するまでの屈折した心理を描く『落角』等々。犯罪者の揺れ動く心の襞を見事に作品化した著者特有のクライム・ストーリー!(粗筋紹介より引用)
1980年3月、立風書房より単行本刊行。1982年8月、文庫化。
香川県丸亀市のキャバレーに勤めていた堂垣栄は、1972年5月ごろ、同じキャバレーの伏木良子とパチンコ屋で会い、そのままモーテルへ行って関係を持つ。関係を続けるうちに堂垣は良子の金に手を付けだした。良子は結婚を迫り、妻子のいた堂垣は良子の持つ株に目を付け、嘘の約束をする。良子の部屋の荷物を片付け、10月31日、良子は善通寺まで来て二人でモーテルに泊まったが、堂垣は別れ話を持ち出した。怒り狂ったよし子はヤクザを呼ぶと叫び部屋を出て行こうとしたが、堂垣は両手で首を絞めて殺害した。翌日、堂垣は良子の死体をトラックに載せてシートを被せ家に持ち帰り、11月4日、遺体を二つ折りにして両足首と首を縛り、重しを付けて満濃池に投げ込んだ。
猛暑の翌年8月11日より、渇水協定により高松市へ満濃池から1万トンの水が送られた。14日、池から屍蝋化した女性の遺体が発見された。遺留品からは身元がわからず、複顔した結果を公開したところ妹より届け出があり、11月9日、指紋より遺体の身元が判明した。
善通寺市内でタクシー運転手をしていた堂垣は、みずから琴平署の捜査本部へ出頭し、良子との関係を話した。その後、もう一度堂垣は出頭し、株券についての言い訳をしている。
1977年、堂垣は三度目の出頭にて長時間調べられた。ポリグラフにかけられたが陰性だった。すでにタクシー運転手を辞め、職を転々としていた堂垣は食堂の集金13万数千円を使い込み、10月11日、業務上横領容疑で逮捕。横領は素直に認めたが殺人を否定する堂垣。10月24日より、「誘い水のナベさん」こと北辺が堂垣を訊問する。ところが北辺は世間話を始め、いつしか堂垣は生まれてからの話をするようになる。26日、堂垣は北辺に犯行を自供した。「
窃盗で前科四犯の臼木治郎(55)は、今回も電気商会の店主と喧嘩をして首になり、妻を初めとする家族から冷たい視線を浴びていた。耐えられなくなった臼木は1963年8月30日、3万円弱を持ち出して枚方市の家を飛び出した。天王寺駅で降りた臼木は映画館で女を誘い、午後八時ならと了解を得た。飛田新地の旅館に部屋を借りた臼木は、女に二千円を払い交わるもあっという間に果て、寝てしまう。翌日、財布の中を見たら、五千円が減っていた。さらに次の日、天王寺で女を見かけた臼木は、もう一度女を誘い、同じ旅館に連れ込む。交わった後、一昨日五千円を抜き取った件を責めるが、女は白を切って帰ろうとした。腹を立てた臼木は自分の小刀を持ち出し、女を刺して殺してしまった。慌てて血だらけの身体を布団で拭い、女の財布を奪って荷物を持ち、旅館を出た。姉がいる京都へ向かったが、深夜なので訪ねられず、宿に泊まった。所持金がほとんどないことに気づき、こうなったのは会社を辞めさせた店主が悪いと思うようになり、店に火をつけることを決意。翌日、放火を実行。残金が無くなり、京都で姉から二千円を借り、旅館に金を払い、荷物を請け出した。大阪に戻り、東入船町の簡易旅館に住む昔馴染みの岡本を尋ねた。岡本は夜が明けたら帳場を紹介しようかと言ってくれたのでその言葉に甘え、それまで食事をしようと紹介された食堂で食事をしていた。すると臼木の前に二人の男が現れた。二人は刑事で、岡本に預けたはずの臼木の鞄を持っていた。そのかばんの中には、女から奪った財布が入っていた。「
1970年9月25日、金曜日の雨の午後五時過ぎ、馬場猛(35)と岩田一番(28)は他の受刑者や二人の看守が雨の中を走り出した隙を狙って木工所の第十作業所に戻り、資材置場から角材を持ち出して4mの土塀に立てかけ、よじ登って脱獄した。しかし見張所の看守が見ていたため、二人は慌てて逃走。表通りで車に乗せてもらい、街中で下ろしてもらった。馬場は強盗殺人事件で無期懲役が確定、岩田も別の強盗殺人事件で無期懲役が確定していた。無人の家の物置に入って雨宿りをしていたが、真夜中になり腹が減ったのでそこを出た。どこかの工事現場の無人の事務所で作業服を奪い、自転車を奪って逃走。キーがささったままのブルーバードを見つけ、乗り込んだ。馬場の運転で走っていたが、途中で警察が検問をしていたため、そのまま突破。パトカーが追う中、山道を走っていたが、助手席の岩田がいきなりドアを開け、車を飛び出した。パトカーが追いかけるのを止めている隙を狙って逃げ続けたものの、ガソリンが切れかかったため、車を降り、山の中に逃げ出した。朝になり、そこがかつて働いたことのある山だと気付く。逃走中、馬場は2年半前の事件を思い出す。1968年1月26日、仕事帰りに情婦の店で酒を飲み、村に帰った。車のローンや生活費など100万円が必要だった馬場は、以農協に入って当直をしていた友人の石川(39)に嘘を言って泊まらせてもらい、寝込んだところを鍬で殺害。金庫を鶴嘴等で開けようとしたか開か無かったので、家に帰った。湯呑に残していた指紋から足が付き、2月9日に逮捕されたのだった。山の中を逃げながら、息子がいる元妻の実家のところへ向かったが、警察の手が山中に迫ってきたことから、もはやこれまで、最後は息子に会いたいと山を下りた。元妻の実家まで行ったが、待ち構えていた刑事たちが馬場を逮捕。馬場の懇願で息子と会うことができ、別れを告げた。脱獄してから十日目だった。「黄落」。
1974年9月23日の朝、東大阪でタイル工務店を経営する林幸雄(42)の妻・夕美(33)は、仕事に来なかった野本茂(24)の下宿に行ってみると、野本は風邪を引いたと言って横になっていた。夕美は上がりこんで熱を測ろうとした手を取られ、そのまま関係を結ぶ。しかしそこへ幸雄が現れ、野本に首を言い渡し、夕美を連れ帰った。翌日の夜、夕美の妹とその亭主、夕美の弟が幸雄の家に集まり、2歳の子供もいると幸雄を説得し、夕美が手をついて謝ったため、離婚をせず夕美は家に残った。しかし翌日の25日、夕美は野本と会い、ラブホテルで関係を結び、夕美は野本の要求通りに五千円を渡す。26日、野本は林家へ現在の居場所を伝え、幸雄と夕美の弟は野本がいる松原へ行き、慰謝料三百万円を請求する。10月11日、妊娠を疑って産婦人科に行くが、帰り道を野本は待ち伏せていて、そのままホテルに行く。野本は幸雄に保険金をかけ、殺して金を奪おうと計画を持ちかける。しかしその夜、野本と会っていたことが幸雄や兄弟たちにばれる。それでも夕美は家に居て堕胎し、野本との関係も続いていた。偶然、夕美の弟が交通事故に遭い、たまたま保険に入っていたことから、幸雄も保険金の金額を五百万円から、五千万円に挙げた。
そのまま時は過ぎ、正月となった。幸雄は例年通り家族全員で金沢の実家へ行こうとしたが、夕美は一番下の子供を連れ、岐阜の伯父の家に行き、3日に金沢に入ることとした。当然岐阜では、野本と過ごしており、3日は野本と一緒に大阪へ帰った。そのことを幸雄に告げると、幸雄も翌日、大阪に帰ることとした。しかし幸雄は岐阜の伯父の家に電話をかけ、夕美が野本と過ごしていたことを知る。雅夫は大阪に帰り、夕美の妹の亭主のところに行き、夕美と別れることを告げた。幸雄と夕美の妹と亭主、夕美の弟は夕美を責め、夕美は開き直って下の息子と二階で寝てしまった。夜中に起きた夕美は、幸雄がいない事を知ると、そのまま野本の所へ駈け込む。しかし結局、夕美は家に帰った。
そのまま時は過ぎ、夕美と野本との関係も続いたままの六月。夕美は知り合いの菓子商から居抜きで店を買い、小売りを始めていた。6月11日、ついに野本は殺害を決意。夕美が幸雄に睡眠薬を飲ませ、眠ったところを野本が玄関の置石を幸雄の顔にたたきつけた。そして幸雄を風呂に連れ込み、沈めて殺した。野本は逃亡。翌日、夕美は予定通り強盗が入って幸雄を殺したといったが、夕美が盗まれたといったお金が箪笥に残っていたため、警察は夕美を疑いだす。夕方、長女のノートを見つけた刑事は、夕美に最後のページを見せる。そこには、中学へ上がる長女に向けてのメッセージであり、家族のことを想った幸雄の言葉であった。それを見た夕美は号泣し、野本の名前と住所を継げた。「火の蛾」。
本作品集は、いずれも実際にあった事件を小説化したものである……といっても、残念ながら事件が古くて、本当にあったかどうかは確認できない。ただ、「落角」については、「弘法大師の涙雨」みたいな都市伝説として広まっているようだし、小松法正『小松方正の霊界通信』(主婦と生活社,1985)にも載っている話とのことだ。もっとも死体発見の数日後、雨が降って池の水位が戻ったなどの話は本作品では書かれていないので、どれが本当かよくわからない。
「火の蛾」は『死んでもいい』というタイトルで、1992年に映画化されている。監督・脚本が石井隆で、主演は大竹しのぶ、永瀬正敏。ストーリーはある程度代えているようだが……。
「黄落」の犯人は、求刑死刑、判決無期懲役で捕まっていた受刑囚のようだが、こちらも未確認。脱獄ネタの本は読んだことがあるのだが、かなり昔のことなので、既に覚えていない。
4作品の犯人は、いずれも弱い立場、底辺にいる立場の者の犯行である。だからと言って、犯罪に手を染めていいというわけではないことはもちろんである。意のままに沿わぬ人生に苛立ち、思わず手を汚してしまうその姿は、あまりにも哀れであるのだが、残念ながら全く同情できない。もちろん被害者の方から見たら、自分に何の罪もないのに殺されてしまう理不尽さしかない。そんな両者の虚しさが、この作品からにじみ出てくる。
犯罪というものの不条理さ、犯罪者の心の揺れを描いた作品集。その気になれば、もっと筆を費やすことが出来た作品があったかもしれない。個人的には捕まった後の心情も書いてほしかったと思うのだが、どうだろうか。
【参考資料】
西村望『火の蛾』(徳間文庫)
【「事実は小説の元なり」に戻る】