福田洋『贋札 妄執のニセ五千円札事件』(講談社)




 富永博昭は印刷会社・博進社の社長。若干27歳で、大分駅近くに四階建ての博進ビルを建設したのは1978年のことだった。3年前に結婚した妻の律子は再婚で、娘美佐もいた。野心的な富永は約1億円を掛け、ビルと工場に投入したのだ。月々のローンは120万円近くにもなったが、会社の年間売り上げや賃貸収入からやっていける見通しがあった。しかし、不況の波が押し寄せてきた。印刷会社自体は黒字であり、ビルも一室を除いて全部埋まったが、利益を超えた借金が富永の肩にのしかかってきた。さらに不況は続き、売り上げが落ちてきた。1981年8月14日、富永は友人である中古車センター杉産業の社長である杉晃治から、ニセ一万円札が出回る和−一〇八号事件の記事を見せられる。富永は、借金の苦境から逃れるため、ニセ五千円札を作ることを決意し、従業員である滝川勝敏に計画を打ち明けた。夜中に何かやっていることに気付いた律子は、最初こそ反対するものの、銀行オンライン事件で犯人が愛人のために犯罪に手を染めたニュースを見、自らも応援するようになる。
 研究を重ね、ついにニセ五千円札が完成した。富永は杉に相談し、杉は競馬で大穴を当てることによって換金することを提案した。
 12月15日、富永と杉は園田競馬場でニセ五千円札を使って馬券を購入するも当てることはできず、しかもニセ五千円札とばれてしまった。警察はリ−一八号事件に指定した。しかし富永達まで捜査の手は伸びなかった。
 翌年、富永は再びニセ五千円札を作ることを決めた。今度は独力で600枚を刷り上げた。富永は2月23日に大阪へ行き、4日間で10万円ほどを稼いだが、呆気なくニセ札と見破られた。
 大分に戻った富永は、博進ビルの3Fに住む暴力団員の白石に以前から持ちかけられていた相談を引き受けることとした。それは、模造銃を改造したライフルを作ることだった。
 警察の捜査は難航し、迷宮入りするかに見えた。ところは1982年9月5日、大分市の埋め立て地にあった大量の麻袋の一つからニセ五千円札を発見。最初はおもちゃだと思ったが、翌日上司に相談して警察に通報。リ−一八号事件のニセ札と一致した。見つかったニセ札は、完成品、半製品など合計10億2000万円分。史上初めてのことだった。
 大分県警は、レンタカーから簡単に富永まで辿り着いた。博進社は3月に倒産し、富永は律子と離婚。しかも8月21日に大分市で起こった暴力団組員同士の乱闘事件で逮捕された白石の兄の自宅から改造ライフル銃が9月3日に発見され、改造者である富永を銃刀法違反で県警捜査二課が追っていたのだ。引っ越し先である富永の自宅からは大量の証拠が発見された。7日、捜査本部は、富永と、元従業員でありニセ札を捨てた実行犯である守谷和之の逮捕状を取り、所在の追求を始めた。
 富永と守谷は、守谷のガールフレンドがいる宮崎に逃亡。しかし逃げることに疲れ果て、大分に戻り自首した。
 1983年11月28日、大分地裁は富永に懲役10年、杉に懲役4年、律子に懲役3年執行猶予4年、滝川に懲役2年執行猶予3年の判決を言い渡した。守谷は保護観察処分が決まっていた。


 1981年に発生したリ−一八号事件を小説化し、1985年7月に発表した作品である。本事件を扱ったノンフィクションとしては、読売新聞社から『ドキュメント5000円札偽造事件』として、1983年5月に刊行されている。
 事件は主犯である富永を中心に描かれている。そのせいか、富永が悲劇の主人公っぽくなっているのだが、よくよく見れば単に背伸びをしすぎて事業に失敗しただけに過ぎない。ニセ札としてはなかなかの出来だったらしいが、店頭で呆気なくニセ札と見破られるなど、過去の事件と比べればそれほど話題にはならなかったと思われる。
 殺人事件のような派手な事件ではないためか、展開そのものも地味であり、ノンフィクション・ノベルとしてはそれほど面白味がない。あとがき等が全くないため、作者の言葉は何一つ聞こえてこない。いったい何故作者がこの題材を選んだのか、聞いてみたいところである。


【「事実は小説の元なり」に戻る】