松本清張『日光中宮祠事件』(角川文庫)




 1946年5月4日未明、栃木県日光市中宮祠のH旅館から出火し、七棟が全焼。旅館の焼け跡から主人(46)、妻(42)、三男(11)、次女(8)、三女(5)、妻の実父(72)の死体が見つかる。後頭部に切られた跡があったことから日光警察署が取り調べた結果、主人がヤナギ刃で家族全員を殺害後、自宅に放火し、自らも肉切包丁で喉を突き刺して自殺した一家心中事件として結論付けた。主人が預かっていた小切手が現金化されていた事実も後から見つかるが、警察は主人による横領と断定。捜査を打ち切った。
 9年後の1955年5月、埼玉県久喜署で強盗傷人の容疑で逮捕された男(30)が、強窃盗31件、殺人5件を「自供」。後に取り調べの待遇をよくするための嘘と判明したが、自供時の新聞記事を見た主人の長男(26)が埼玉県警に再捜査を依頼。県警は「自供」の裏付けもあって捜査を続けたが、家の現金が無くなっていたなど、当時の捜査に不審点を見つける。「自供」した男が刑務所仲間から聞いたという供述や小切手の捜査などから、1956年7月30日の暴力団狩りで逮捕されていた川崎市の青果商店員B(30)であることが判明。Bは県警の取り調べで、旅館に泊まって帳簿で盗みを働いている途中で見つかったため、殺害し、現金400円と880円の小切手や背広などを奪い、火をつけたことを認めた。さらに元古物商C(30)が共犯であることを自供。8月21日、北海道の工事現場で働いていたCを逮捕した。
 1957年7月22日、宇都宮地裁で求刑通り一審死刑判決。1959年1月28日、東京高裁で被告側控訴棄却。1960年6月10日に被告側上告が棄却され、死刑が確定した。1974年6月6日、宮城刑務所で死刑執行。ともに48歳没。
 戦後、当時の東京拘置所がGHQの接収により巣鴨プリズンとなったため、新しい東京拘置所は小菅刑務所(東京都葛飾区)の位置に置かれた。この東京拘置所は死刑執行施設がなかったため、収監されていた死刑囚の死刑執行は宮城刑務所に移送した上で行われていた(移送時期は死刑囚によって異なる)。通称「仙台送り」。これは1960年代に東京拘置所に執行施設が設置されるまで続いた。
 PとCは、「仙台送り」されて宮城刑務所で執行された最後の死刑囚と思われる。


 日光市での一家6人殺害事件は、松本清張の短編「日光中宮祠事件」から、そのまま事件名として伝えられるようになっている。短編「日光中宮祠事件」は1958年4月の『週刊朝日別冊 新緑特別読物号』に掲載された。この短編では、警察図書から出版されている『捜査研究』に掲載されていて興味を持ったことから、東京近県の県警本部刑事部長K氏に会うところから始まる。K氏は1955年当時、県警察本部捜査一課長であった。K氏や、実際に捜査に当たった吉田警部(事件当時は警部補)に話を聞くという形で、事件が語られる。
 実際の事件と違うところは、被害者の名前、それから再捜査をK氏に依頼したのが主人の義弟で日光市の住職となっている。この住職は事件当時にも日光署に捜査を依頼する嘆願書を提出したが、退けられたということだ。もちろん警察関係者や事件関係者も架空の名前だろうが、犯人の名前はそのまま実名が使われている。執筆されたのはまだ、地裁で死刑判決が出された段階であり、刑が確定したわけではなかった。今だったら間違いなく訴えられていただろう。
 本書では、当時の日光署長が初動時の捜査の失敗を覆い隠すため、不可解な点も無視し、一家心中を主張し続けたとある。実際もそうだったらしい。清張が言いたいことは警察の捜査の執念とともに、面子などにこだわる捜査官によって真実が覆い隠される恐ろしさであろう。後に『小説帝銀事件』などを執筆する萌芽がここにあったと言える。ただ短編で終わっていることもあり、捜査をなぞる結果になってしまっているのは残念。後の清張であれば、もっといろいろと肉付けしていったであろうが。

 本作品は、1959年12月8日に殿山泰司、冨田浩太郎主演でテレビドラマ化されたとある。人気作家である松本清張作品、さらにドラマ化となると、朴烈根と崔基業が犯人であると強く印象付けられただろう。ところが死刑が確定するのはその後の1960年6月10日である。もし無罪だったらどうしていたんだろう。
 死刑が確定した二人は、なぜか死刑が執行されなかった。執行されたのは確定してから14年後の1974年6月6日である。当時同じ宮城刑務所にいた平沢貞道(帝銀事件で死刑確定)が大きなショックを受け、自らも執行されるだろうと覚悟し、さらに1か月後には心臓発作で倒れたとある。

 なお、最初に事件を「自供」した男は、埼玉県下で若い姉弟を殺害して家に放火して逃げた事件も自供したとある。10年前の婦女暴行殺人で埋めたと自供し、掘ってみたら白骨が出ていた、などと書かれている。これが本当なら当然死刑となっているだろうが(本書でも強盗殺人3件で死刑になるから、悪戯で自供したと書かれている)、それに該当する事件・人物がわからない。さすがにこれは違うと思われる。
 本作品は事実の中に虚実が混じっているので、困る。普通の読者だったら、すべてが事実だと思ってしまうだろう。特に実際に訴えたのが長男であるのに、小説では義弟に変えた理由がわからない。普通に考えれば、長男が訴えた方がよりドラマチックになりそうなものだが。


【参考資料】
 松本清張『日光中宮祠事件』(角川文庫)
 村野薫『日本の大量殺人総覧』(新潮社)
 南富鎭「法と歴史と真実というフィクション : 松本清張「日光中宮祠事件」『小説帝銀事件』『黒い福音』を視座にして」(『翻訳の文化/文化の翻訳』(静岡大学人文社会科学部翻訳文化研究会)Vol.8, pp23-49, 2013.03)
 Wikipedia「日光中宮祠事件」

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