三好徹『海の沈黙』(集英社文庫)




 横浜の野毛山で堀本美知子の絞殺体が発見された。容疑者として小学校の同級生だった林楊生が逮捕され、彼は犯行を認めたが動機は彼の自供でも明らかにされなかった。国籍の異なる若者の苦悩に満ちた反省と、彼女をめぐる人間模様がと解き明かされていく。社会派推理の第一人者が描いた異色サスペンス。(粗筋紹介より引用)
 1962年、三一書房より単行本刊行。1977年8月、集英社文庫化。

 Wikipediaの「小松川事件」の事件を基にした創作のところに本作が載っていた。そんな小説あったっけと思って調べたら、岩崎稔、大川正彦、中野敏男他『継続する植民地主義 ジェンダー/民族/人種/階級』(青弓社)にその旨が載っていた。ではどんな小説なのか、と気になって読んでみた。

 中国籍、17歳の林楊生は、昼間は工員として働き、夜は学校に通っていた。父親の徳生は酒浸りの毎日。日本人の母親は二年前に奇病に取り付かれ、声帯が役に立たない。妹が一人いる。ある日、九千円が入った月給袋をジャンパーの内ポケットに入れた林は、ジャズ喫茶の前に来た。彼にとって二百円は、夕食四回分だった。入るかどうか悩んでいるとき、中学校の一年間だけ同級生だった、堀本美知子が通りかかった。美知子に誘われ、林は中に入る。コーヒー代を払おうとしたら、ポケットの給料袋がないことに気づく。怪しい男を見つけたが、人込みの中で見失った。富裕な家庭に育つ美知子は一万円くらいなら立て替えると申し出たが断り、警察に盗難の届け出をするも、真面目に取り合ってもらえないまま、事務的に処理されて終わった。
 次の日、前借しようと課長のところへ行ったら、タクシーで書類を支店に急いで持って行ってくれと千円札とともに頼まれる。差額を懐に入れようとバスで行こうとしたら謂れのない疑惑をかけられ、バス停にいた人たちに殴られる。当然書類は間に合わず、工場を首になった。
 美知子はその日、自宅で下宿している親類の大学生と初めての体験をした。
 その夜、ジャズ喫茶の前で林と美知子は再び出会う。美知子は林に、今日は男を一時間千円で買ったと告げる。二人は別れ、林は学校へ向かったが、電車に乗ろうとした直前でドアが閉まり、車掌に振り払われてしまい、乗り遅れた。そして次の電車がなかなか来ない。歩き始めた林は、道に女たちが立っているのを見つける。女たちは通行人に声をかけては、また脇に戻っていた。しかし林が通っても誰も声をかけない。電車賃しかもっていない俺には声をかけないのか、と怒りの芽が噴き出してきた。道の外れに来た時、一人の女が買ってくれと林に声をかける。ところがそれは、中学校の同級生だった加代だった。ところがお金がないことを告げると、加代は組んできた腕を振りほどき、スタスタと立ち去って行った。
 ジャズ喫茶の前に引き返した林は中に入り、美知子を見つける。そして林は美知子に、俺を買ってほしいと告げた。美知子は一時間五百円なら、と答える。さらに美知子は、自分が許可するまで口をきくなと告げた。二人は、野毛山の中腹にある公園に来た。横浜の夜景を見たいといった美知子は、ボードレールの「異邦人」を唄うように口ずさむ。林の体内に激しく叫び声を挙げるものがあり、筋肉に無言の意思で命令した。林の腕は、美知子の首を絞めた。そして美知子は動かなくなった。
 次の日の朝、港の仕事にありつこうと寝ていた公園の大樹の根元から出てきた風太郎と呼ばれる労務者は、美知子の死体を見つけ、下半身を剥ぎ取った。そして自らの下半身を露出しかけたが、音がしたので慌てて逃げだし、そのまま交番に駆け込んだ。そして、公園で女が死んでいると告げた。自らが下着を剥いだとは言わなかった。
 被害者の身許はすぐに分かったが、犯人のものとみられる証拠はなかった。警察は財布がなくなっていることと解剖でその日に初めての男性経験があったということが分かったため、強盗強姦殺人で捜査を始める。警察は発見者が犯人ではないかと疑い、留置。しかし発見者が否認。そのうちに湘南タイムスの井川記者が、「発見者の容疑深まる」というスクープ記事を出した。一方警察は、ジャズ喫茶で美知子を誰かが連れ出したことまでは突き止めたが、その先がわからなかった。
 ある日、湘南タイムスに、発見者が犯人だという記事は間違っているという電話が入った。最初は悪戯かと思ったが、次の日も同じ電話がかかってくる。井川は警察に、社会部の直通電話にはテープレコーダーが取り付けてあり、そのテープを提供するから電話の逆探知を行ってほしいと依頼し、警察は了承する。電話はその後も数回かかってくるが、時間が短くて逆探知は成功しない。ついに警察は、かかってきた電話をニュースに流した。その日の夕方、捜査から帰ってきたある刑事がその声を聴き、ある男を思い出す。それはジャズ喫茶でスリにあったと盗難届を出した男の声だった。
 ついに林楊生は逮捕された。林は美知子を殺したこと、その後、落ちていた財布を見つけたので持って行ったことまではすらすらと話した。しかし、なぜ彼女を殺したのか、自分でもわからないと告げた。また、下着になんか手をかけてすらいないと告げる。取り調べの刑事たちは激怒し、あの手この手で何日もかけて尋問を続けた。そしてある日、とうとう林は警察のいう通り、強姦したことも認めた。
 林は弁護士に、美知子を殺したこと、財布を取ったことはその通りだが、彼女の体に手すら触れなかったと告げる。裁判でも林は同じように告げ、弁護士もその点だけは調書が間違っていると訴えた。しかし地裁は林に、死刑を言い渡した。
 その日から林は、誰にも何もしゃべらなくなった。そして控訴(小説中では上告)せず、刑は一審で確定した。
 事件後三年目の夏、林はM刑務所へ移された。通常は鉄道だが、特別措置が取られ、自動車で移されたのだ。林はそれまでも、それからも一言も言葉を口に出さなかった。
 秋が過ぎ、冬が過ぎ、林にとって二十一回目の夏を迎えた日、M刑務所に執行命令書が届いた。林は首に縄をかけられた。林は何も声を出さない。しかし体が落ちる瞬間、唇から声が漏れた。しかし何を言っているのかわからないまま、林は絶命した。
 ちょうどその日、刑務所に湘南タイムスの井川がやってきた。井川は所長に、発見者が下着を剥がしたことを2日前に認めた、そして下宿していた大学生が美知子とその日に関係を持ったと認めたと伝えた。もしこれが事実なら、執行された林に事実誤認があったことになる。所長は本省に電話をかけ、そして所内にその噂が広がった。しかし本省は、その事実誤認を否定した。


 読み終わって考えてみたのだが、いったい何を言いたかった小説なのかがわからない。
 前半部分は林楊生と堀本美知子のやり取りが中心。社会の底辺で鬱屈している林と、富裕な家庭に生まれながらどこか孤独な美知子との対比と共通点を描いている。しかし、なぜ林が美知子を殺すに至ったのかがわからない。「異邦人」は二人に突き刺さるものがあったのだろうが、それが死につながるものなのかが、私にはどうしてもつかみ取れなかった。
 それからは警察の捜査と林の取り調べ、そして林の裁判と続く。半ば自滅に近いような犯人自身からの電話。それは社会の底辺にいた人物の、社会から認められたい欲求からの行動だったのだろうか。その動機については何も語られていない。そして取り調べにおける警察と犯人の「事実認定」の乖離。強盗強姦目的だったと詰め寄る警察と、事実を何もかも話しているのにわかってもらえない林。それは林という人物の人生そのものであったのかもしれない。やりたいこと、求めたいことが認められず、国籍を隠さなければ就職すらできない林楊生。それは警察という場所、そして裁判という「真実を明らかにする場所」でも、自らの真実すら聞いてもらえない、わかってもらえないことを証明していたのかもしれない。
 後半は死刑判決が出た後の林とその周辺である。林は裁判所で死刑判決を言い渡された後、一切何も話さなくなった。控訴せず刑が確定し、そして舞台は三年後、M刑務所へ移る。具体的に書いていないがこれは「仙台送り」と呼ばれ、当時の東京拘置所は死刑執行の設備がなかったことから、執行の時は仙台刑務所へ送られていた。林は十六号館房に収容され、壁を背にしたまま無言の行を続け、自分以外の誰も受け入れようとしない姿勢を続けていた。教誨師や所長が話しかけても、それは同様だった。そして一年後、執行命令書が届く。何もしゃべらない林に、看守たちは首をひねる。そして死刑執行という行為に、様々な思いをぶつける。所長の妻は、子供が「浅右衛門の子ども」と罵られたと話し、今の仕事をやめてほしいと訴える。そして執行当日。看守たちの様々な思いが渦巻く中、林は何も語らず執行される。ところが記者が訪れ、強姦の事実がなかったことを伝え、刑務所内は動揺する。しかし法務省はそんな事実はないと伝え、裁判や死刑制度はこれからも続く。
 この辺りを読むと、死刑という刑に携わる刑務所の中の人々の思いを訴えたかったのかと言いたくなる。林の死刑執行を通し、死刑という刑の矛盾や虚しさを覚えつつ、執行に携わらなければならない悲哀も感じる(もっともそこに、被害者や遺族などの思い、社会秩序などは全く考慮されていないが)。そして林は、何も話さないことで自分の世界だけを守り通そうとしていたのかもしれない。
 先も書いたが、全体を通して読んでみても、作者が何を言いたかったのかがわからない。社会や警察・裁判、それに死刑などに対する矛盾点を、林楊生という人物を通して浮き彫りにしたかったのか。それとも林楊生いう人物そのものを矛盾にあふれた社会の中で浮き彫りにしたかったのか。どことなくちぐはぐで、どことなくもやもやしたまま読み終わってしまったというのが正直なところである。

 この事件のモデルとなったのは、先にも書いたが「小松川高校女子生徒殺害事件(小松川事件)」である。概要は以下。

 1958年8月17日、小松川高校定時制二年生Oさん(16)が行方不明となった。家族の届出で小松川警察署が捜査中、8月21日、同署に「家出娘なら小松川高校の屋上で絞殺し、屋上の横穴に捨ててある」と電話があった。検索したところ、絞殺された同女の腐乱死体を発見。24日には被害者宛に奪った櫛を、26日には捜査一課長に被害品の鏡と写真を送り返してきた。しかも再三に渡って新聞社に電話をするなど犯行を誇示し、警察の無能さを笑ってきたが、捜査の結果、朝鮮人工員小松川高校定時制一年生李珍宇(18)を9月1日に逮捕した。李はOさん殺しを自供、さらに4月21日に賄婦Tさん(23)を強姦殺害した事件も自供した。
 生い立ちが不幸であること、頭脳明晰ながら朝鮮人ということで差別されていたことなどから助命嘆願運動が広がったが、当の李が、運動をするぐらいならその資金を両親、兄弟に援助してほしいと訴えた。犯人逮捕時、少年でありながら実名報道されことから、改めて少年法の問題が取り上げられた。逮捕が唐突であったこと、別の人物が逮捕寸前であったことなどから、李無罪説も出ている。
 1959年2月27日、東京地裁で死刑判決。1959年12月28日、東京高裁で被告側控訴棄却。1961年8月17日、最高裁で死刑が確定した。1962年11月26日、仙台刑務所で死刑執行、22歳没。

 実際は朝鮮人だが、小説では中国人である。また小説では一人しか殺害していないが、実際では二人殺害している。実際では除名嘆願運動が広がったが、小説では一切の除名運動がない。
 本書はあくまで小松川事件をモデルとしただけで、少なくとも小松川事件の真相、そして深層に迫ったものではないだろう。だから、『継続する植民地主義 ジェンダー/民族/人種/階級』では「前記の諸作品(注:ここに『海の沈黙』も含まれる)のいずれも、獄中書簡で李珍宇自身が示した戦慄するほどの想像力と直観力には遠く及ばないように思われる」「言い換えれば、この事件とその表象をめぐる植民地主義的構造を、当事者として受け止めているとは思えないということだ」というのは、少なくとも本書においては的外れな意見だろう。
 ちなみに李珍宇が電話をかけたのは読売新聞であったが、三好徹は当時読売新聞社の記者であったことも、本書をモデルとして取り上げた要因の一つであったのかもしれない。

 ただ、本書にはあまりにも杜撰と言いたくなる箇所も多い。先に本来「控訴」と書くべきところを「上告」と書いていることを指摘したが、他にもおかしなところが多い。例えば、刑務所の中の所長室に、許可も出ていないのに勝手に入ることができるのだろうか。執行方法も当時の方法を確認していないのだが、個人がハンドルを回していたのかどうか疑問である。もっと重大なミスもある。例えば、殺害より数時間前に和姦した死体を、司法解剖で強姦と誤るだろうか。小説の中でも「精液がない」と疑問点を挙げているも、下着が脱がされているからか、結局強姦と結論付けられている。しかし、そんな鑑定はありえないと思う。普通だったら抵抗の痕跡が残るだろうし、そもそも精液がなかったといっても、他に体液などの痕跡が残っていないのはおかしい。
 そして最もおかしいのは、林楊生は犯行時点で17歳である。当時の少年法でも、死刑判決を言い渡せるのは事件当時18歳以上からである。なぜそんな単純な誤りを犯したのだろうか。


【参考資料】
 三好徹『海の沈黙』(集英社文庫)
 岩崎稔、大川正彦、中野敏男他『継続する植民地主義 ジェンダー/民族/人種/階級』(青弓社)
 Wikipedia「小松川事件」「三好徹」

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