佐木隆三『誓いて我に告げよ』(角川文庫)




 昭和30年5月12日深夜、静岡県三島市の丸正運送店内で女主人が何者かに絞殺された。同30日、市内のトラック運転手2名と助手1名が逮捕され、内2名は、無期懲役と懲役15年の判決を受けた。その日から、2人の運命は暗転する。無実を訴えつづけながら、模範囚として獄中に耐えた20年。その間、著名な2弁護士による真犯人の“告発”と後援会の活動もむなしく、控訴・棄却、上告・棄却を繰返した。刑期満了と病気加療のため仮釈放の身となった今も、2人の魂は強く真実を訴えかけている。
 本書は、現実に起り、社会の大きな関心を集めた「丸正事件」を取材し、虚構化した問題の長編小説である。汚名を被せられた2人の人物の過去と現在をたどり、その内面の葛藤と痛切な心情を伝える。
 直木賞作家佐木隆三が、真摯な情熱をもって取組んだ、深い感動を誘わずにはいない作品であり、受賞作『復讐するは我にあり』以来の力作である。(粗筋紹介より引用)
 1978年12月、角川書店より単行本刊行。1984年2月、文庫化。


 本書は冤罪の可能性が高いと言われた「丸正事件」を題材にしたノンフィクション・ノベルである。本書の巻末に丸正事件の関係年表があるので、そのうちの一部を抜粋し、ここに示す。

昭和30年

昭和31年 昭和33年 昭和35年 昭和36年 昭和37年 昭和38年 昭和40年 昭和46年 昭和49年 昭和50年 昭和51年 昭和51年 昭和52年

 丸正事件は主犯とされた人物が完全否認、共犯も公判では否認、さらに盗まれたとされたはずの定期預金証書が裁判中に被害者宅から出てくるという信じられない失態があるにもかかわらず、一審は有罪判決。二審からは元裁判員で弁護士の鈴木忠五が弁護人となり、ふたりの無罪を訴えてきたが控訴棄却。上告後、八海事件などの弁護で有名な正木ひろしが弁護人につき、ふたりは被害者の兄夫婦と弟を真犯人であると上告趣意書に記すという異例の展開となった。上告棄却後は二人で『告発―犯人は別にいる』を出版。家族三人を東京地検に強盗殺人罪で告発した。一方の家族側も二人を名誉棄損と誣告罪で告訴。正木と鈴木は固6か月執行猶予1年が言い渡され、控訴も棄却。上告中に正木は死亡、鈴木は上告が棄却されて有罪が確定し、弁護士資格が6か月剥奪された。RとSは再審請求を提出。出所後に地裁で棄却。即時抗告も棄却。特別抗告中にRとSは病死し、再審請求の手続きは終了した。
 当時静岡県警は冤罪が相次いでおり、丸正事件もその一つと言われているが、本事件については再審請求が途中で手続きが終了しており、冤罪は晴れていない。

 本書は全部で四章構成となっている。
 第一章は、カズマサと呼ばれる元トラック運転助手が、懲役15年の刑を満了し、出獄する前夜から出獄後、姉や弁護団と食事をして電車に乗るところまでである。合間で検事調書や日記が差し込まれ、当時の取り調べの状況などがわかるようになっている。
 第二章は、在日韓国人のシロミズと呼ばれる元トラック運転手を、仙台市在住の外科医と衆議院議員が特別面会で訪れ、両者の会話の間に、シロミズの少年時代から来日、結婚、刑務所生活などが書かれている。
 第三章は、先に出所していたカズマサが、宮城刑務所でシロミズに会うところから始まり、シロミズが仮釈放されて出所、そして二人がどう過ごしてきたかが書かれる。
 第四章は、著者がカズマサへインタビューしたときのいきさつ、著者がシロミズの入院先へ訪ねた時のこと、著者が韓国の仁川市に住むシロミズの実兄を訪ねたときの話で終わる。

 事件から時系列に話を進めていくのではなく、出所直前のカズマサやシロミズの話から進めていくことで、理不尽な捜査や裁判を浮き彫りにし、苛立ちと葛藤を前面に押し出している。そしてもう一つ特筆すべきなのは、第三章と第四章である。出所後の二人のとまどい、怒りが行間から伝わってくる。そして真実が明らかにならない虚しさもである。
 ただ、事件そのものを詳しく知ろうとする人には、少々物足りないかもしれない。事件の概要については、あまり触れられていないからだ。そちらについては、鈴木忠五、正木ひろしの著書を読んだ方がいいだろう。
 本書はあくまで小説として、冤罪に巻き込まれて刑務所に収監された人の苦悩と絶望を描いた作品だと思う。本書は昭和53年9月で終わっているのだが、できることならば二人が亡くなった時点で増補版を出してほしかった。


【参考資料】
 佐木隆三『誓いて我に告げよ』(角川文庫)


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