佐木隆三『偉大なる祖国アメリカ』(角川文庫)




 与那城修、通称サム。彼は、沖縄生まれの混血青年であり、不明の父からアングロ・サクソンの血を享けたことに満足し、アメリカ人であろうとすることに誇りをもつ「逆説的人間」である。
 サムは二十歳の時、憧れの彼の祖国(’’)アメリカへ脱出する直前、小学六年の島の少女を殺害した。未収監に収容されている彼は、合衆国大統領に宛てた陳述のなかで、その行為は、冷淡だった島の人間への復讐であり、渡米前に「だれでもいい、一人殺したかったのです」と述べる。……
 復帰前夜の沖縄の荒涼とした内的風景を、混血青年の犯罪と屈折した心理を通して、独自の手法で鮮やかに捉えた著者の問題の長編小説である。(粗筋紹介より引用)


 『偉大なる祖国アメリカ』は『文芸』1973年5月号に掲載され、1978年9月、河出書房新社より単行本が発売された。1981年1月、角川文庫より発売されている。

 本書で描かれた「絹子ちゃん誘拐殺人事件」の概要は以下。

<絹子ちゃん誘拐殺人事件>
 1969年2月28日、コザ市に住む米琉混血のY(当時20)は北中城村で、下校中の小学5年生の絹子ちゃん(当時11)を誘拐して殺害。トランクに詰めた死体を間借先で凌辱し、基地内に穴を掘って埋めた。当日午後9時過ぎ、捜索願が出される。読谷村で衣類が見つかり、3月13日、捜索した結果、土の中から女児の遺体が発見された。目撃証言からまたしても米兵犯罪かと騒然となったが、犯行に使ったレンタカーから足がつき、数日後に逮捕された。
 Yは戸籍上の父親こそ中学校の教員だったが、米軍基地でメイドとして働いていた母親が白人兵と関係して生まれた子供だった。両親は離婚し、母親はフィリピン系アメリカ人と再婚。しかしYは家族と反発。元校長である祖父の配慮で、関東のミッション系の高校に進むが、家出後、1年ほど精神病院で過ごす。高校卒業後、大学進学をあきらめて沖縄でパート仕事を転々としていた。母親は再婚相手の転勤に伴いハワイへ移り、母親がいつか来るといいと言ったため英語学校に通っていたものの、連絡もないまま不安になり事件を起こしたものだった。
 Yは誘拐、強姦、殺人、死体遺棄で起訴された。弁護側は精神障害で心神耗弱だと主張し精神鑑定を行い、精神医学的な見地からすれば異常だが、犯行の計画性など判別能力は十分に備えており精神病者ではないとの結論だった。検察側は死刑を求刑したが、1971年11月1日、那覇地裁コザ支部は無期懲役判決を言い渡した。検察側は控訴。佐木隆三の依頼で三人が安い料金で私選弁護人を引き受け、1972年8月14日、控訴審初公判が福岡高裁那覇支部で控訴審初公判が開かれたが、弁護側の再鑑定の申請にYは正常であると反発して三人を解雇。その後国選弁護人がつけられ公判が再開。1973年、控訴審は一審判決を支持し、無期懲役が確定した。


 小説内では1969年5月下旬の話になっている。細かいところで実際の事件と異なる部分はあるだろうが、おおむねは実際の事件をトレースしたものとなっている。
 佐木隆三は1971年に沖縄に引っ越し、再婚している。そして沖縄復帰闘争の活動家たちと関わりをもっており、一度は沖縄ゼネストの首謀者と疑われて1972年1月に逮捕され、後に無実とわかって釈放されている。
 佐木隆三は事件発生時こそ沖縄にはいないものの、裁判では深く関わっているのは、上記のとおりである。

 本作品を発表したのは、『復讐するは我にあり』を刊行するより前になる。作者自身によると、この主人公はあくまで創作ということらしい。少なくとも、実行犯のYがアメリカ大統領に送ろうとしてこのような手紙を書いているわけではない。
 解説に再録された当時の時評で、秋山駿はこう書いている。

「アメリカ人であろうとすることによって、この混血青年には周囲のすべてが敵になる。アメリカ人にとっても、また、日本人、島の人間、日本人である混血児にとっても、彼は一つの異物である。人間的であろうとする彼の行為は、ことごとく逆の眼で見られる。祖父も学校も、ただ日本人であれというばかりであって、彼の理解されぬ行為の道は、精神病院や少年院にしか開けていない。こうして、彼の内部に、何とも知れぬ日本人や島の人間への憎悪が堆積してくる……。こういう逆説的な主人公を描くことによって、この小説は、日本人や島の人間の心的状態のある面を、うまく逆照明している」

 沖縄の日本本土復帰前夜、混血の青年があえて自らの祖国はアメリカだと叫ぶ。沖縄が抱えていた矛盾の一つがここにある。事件が起きると、すぐに犯人は米兵ではないかと騒がれる。これは当時、実際に米兵による犯行が騒がれていたからである。これは現在にもつながる米軍基地の問題点である。沖縄とは日本にとって、そしてアメリカにとってどういう位置付けなのか。両国に振り回された歴史の闇の部分を、本書は描こうとしている。
 しかし、中途半端に終わった部分は否めない。本書は主人公の手記しかない。もっと外部の声を当てることにより、主人公の異常さと際立たすことはできなかったのだろうか。

 佐木のその後の取材で、Yは2009年時点で北九州医療刑務所に収監されていることが判明している。


【参考資料】
 佐木隆三『偉大なる祖国アメリカ』(角川文庫)
 佐木隆三『わたしが出会った殺人者たち』(新潮文庫)


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