牢破りの男
【問 題】
岡っ引きの銀次と子分の八兵衛は、夕食でも食べようと立ち寄った蕎麦屋の長寿庵で、どこかで見たことのある男を見かけた。入口の近くの空いた席に座りながら、二人でひそひそ話を始めた。
「八兵衛、どこかで見たことがあるんだが……」
「親分、この前の人相書きの男じゃないですか」
それは先月、奉行所から手配のあったスリの三太のことであり、人相書きを見ると確かにそっくりだった。すでに銚子を三本空けて、今は蕎麦を食っている。銀次は近づき、男の肩に十手を当てた。男は一瞬ビクッとなった後、ゆっくりと顔を上げた。
「すまねえが、ちょっと番屋まで来てもらおうか」
「あっしに何の用ですか」
「うるせえ、お前はスリの三太だな。神妙にしろ」
八兵衛は人相書きを突き付けた。
「滅相もありません。あっしは小間物の行商をしている幸吉というものです」
「親分さん、この幸吉はあっしの幼友達で、あやしいものじゃないですよ」
奥から出前持ちの四之助がやってきて口添えをした。しかし人相書きとあまりにも似ている。それに十手を肩に置いた時の反応は、明らかに十手だと知っていたものだった。
「とにかく、番屋まで来てもらおう」
銀次は幸吉を番屋まで連れて行った。四之助も心配そうについてきたが、八兵衛に追っ払われた。
番屋で所持品を調べたが、スリの現場を押さえたわけではないし、不審なものは何もなかった。
「まあいい。明日問い合わせるとして、今日はもう遅いからここに泊まってもらうぜ」
「私は何もしていませんよ」
幸吉は泣きそうな顔で言ったのだが、どうも表情がわざとらしい。
この番屋には頑丈な座敷牢がある。この牢に入れる前に、銀次と八兵衛は幸吉のふんどしまで解いて身体検査をした。器用なスリなら、細い釘一本で牢の錠など外してしまう。所持品はすべて没収し、着物や帯も念入りに調べた。さらに八兵衛は、ちょんまげの中まで調べて、何もないことを確認した。
幸吉を牢に入れ、南京錠をかけた。番屋にはいつも番太郎(警備員)がいるのだが、今日は身内の不幸で留守だった。そのため、八兵衛が代わりに泊まって監視することにした。
しかし翌日。八兵衛の叫び声で銀次は目が覚めた。
「親分、面目ねえ。朝起きたら、座敷牢はもぬけの殻でした」
銀次は八兵衛と一緒に番屋に駆け付けた。座敷牢の格子戸は開けっ放しになっていて、南京錠が外れて床に落ちていた。南京錠に、長さ一寸(約3cm)の鍵が差し込んである。出来合いの鍵を削って作ったものだ。
「八兵衛、何だこの鍵は」
「幸吉の奴、その合鍵を使って、南京錠を外して逃げたんです」
銀次は不思議だった。裸にしてまで身体検査をしたから、こんな合鍵は持っていなかったはずだ。それに幸吉はたまたま銀次に捕まったのだから、前もって合鍵を用意していたとも思えない。
「八兵衛、本物の鍵はどこだ」
「ここに持っています。昨夜は帯に巻き付けて寝ました」
八兵衛は懐から木札の付いた鍵を出した。その鍵は二寸ほどある。そのとき、銀次は座敷牢の隅に蕎麦の空丼と飯粒の付いた竹の皮があるのを見つけた。
「おい、八兵衛。これは何だ」
「昨夜、長寿庵の四之助が差し入れを持って来たんです。蕎麦一杯と、握り飯が二つでした」
「八兵衛、まさか何も調べずに幸吉に渡したんじゃないろうな。蕎麦や握り飯の中に隠していたかもしれない。それに長寿庵はこの近くだからたびたび出前していたはずだ。なんかのために番太郎の隙を見て鍵型を取り、合鍵を作っていてもおかしくない」
「親分、あっしはそこまで間抜けじゃないですぜ。差し入れはあっしが土間で受け取り、幸吉に渡す前に調べました。握り飯はバラバラに崩しましたし、掛けそばも汁の底まで箸でかき回して調べました。もちろん合鍵なんてなかったです」
「じゃあ四之助が牢に近づいてこっそり手渡ししたんだろう」
「とんでもねえ、牢には一歩も近づけないように見張っていました」
「他には誰も来なかったのか」
「誰も来てません」
「おめえは一度も外へ出なかったのか」
「もちろんです」
「寝るときは戸締りをしたのか」
「当然です。外から忍び込むなんて、できなかったはずです」
聞く限りでは、合鍵を渡すことなんてできないはずだ。しかし銀次は、その謎を解いた。
「合鍵を渡したのは、やっぱり四之助だ。八兵衛、長寿庵に行ってしょっ引いてこい」
「へい、合点だ」
しかし長寿庵にはすでに四之助はいなかった。四之助と幸吉、いや、三太はやはりスリの仲間だったのだ。
では四之助は、どうやって幸吉に合鍵を渡すことができたのだろうか。
【解 答】
銀次は八兵衛に、空丼をひっくり返して見せた。そこの裏側には、輪状に突き出した部分があった。
「丼や茶碗なんかには、必ずこの糸底があるんだ。四之助はこの糸底に合鍵を張り付けておいたんだよ。こうすればどれだけ丼の中の蕎麦を探しても見つからない。それに蕎麦が入っているから、わざわざひっくり返すようなことはしない。八兵衛が寝込んだ後、幸吉は合鍵を取り出して逃げたんだ」
【覚 書】
江戸時代だから通用する脱獄トリックで、私は好きなトリックです。藤原宰太郎の推理クイズの中でも上位に入るぐらい好きです。
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