宇治芳雄『水本事件 現代の謀略を追う』(龍溪書店)
発行:1978.2.28
1977年1月6日午後一時過ぎ、千葉県市川市の江戸川で変死体が発見された。外傷などが見当たらないことから覚悟の入水自殺と市川署は判断した。そのため、司法解剖はもちろん、行政解剖、血液検査も行われなかった(この時点ですでに通常の捜査から逸脱している)。死体は腐敗しており、死後1週間から10日と警察医は判断した。同署では指紋を採取しようとしたが、左手が表皮剥離し、右手は黒革手袋をしていたため漂母皮化し、採取用インクがのらず、指紋は採取できなかった。死体はそのまま火葬場へ運ばれた。
翌日、市川署の鑑識課係員二人が火葬場へ出向き、シリコンラバーと呼ばれる特殊な方法で指紋を採取し、死体を火葬にした(これも違法行為)。
1月17日、市川署から水本さんのところに電話が入り、水死体が指紋照合で息子の潔さん(26)と判明したので、はんこを持ってきてほしいと要請があった。父親、母親は市川署に駆けつけた。鑑識主任は衣類の切れ端、腕時計、ネクタイなどの遺留品を示した。確かにそれは潔さんのものだった。ところが死体写真を見ると即座に「これは潔じゃない」と母親は叫んだ。確かに潔さんの身体的特徴と死体写真は全く異なるものであった。後に死体写真を知人や親戚などに見せたが、いずれも潔さんとは違うという答えばかりであった。しかも弁護団の調べにより、歯形がまったく異なっていることが判明した。いったいこれはどういうことなのか。実は水本潔さんは日大生で、革マル派系全学連の活動家であった。そして上智大事件の被告人であり、その事件も学園側の謀略の可能性が高い事件であった。
誰が見ても警察側の謀略であることは明らかである。警察は勝手に死体を火葬し、戸籍を抹消し、重大な証拠物件である歯科医のカルテを消却させている。警察の謀略による事件は過去にも色々あったが、1970年代にもこのような事件があったことに驚きを隠せない。しかも、それが現在にほとんど語られていない事実が恐ろしい。
警察、検察、それに裁判所にしたって、結局は日本という体制を維持するために存在しているわけだから、都合の悪いことはできるだけ隠そうとするのは明らかだが、ここまで露骨な事件も驚き。被告人死亡により上智大事件の裁判は控訴棄却されるところであったが、裁判団が結成され、死体は水本さんではないと争うことになった。この本は判決前に出版されたが、結局東京地裁は、水死体が水本さんであるという検察側の主張を認め、控訴を棄却した。裁判は非公開で行われていた。まさしく密室の謀略である。もっとも、なぜ革マル派とはいえ、重要な地位にはついていない水本さんがこのような謀略に巻き込まれたのか。その答えはもう得られない。
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