佐野洋『檻の中の詩(うた)―ノンフィクション・布川事件』(双葉文庫)


発行:2002.3.20



 昭和42年茨城県で起きた強盗殺人事件(布川事件)は物的証拠が全くなく、目撃証言も極めてあやふやであるにも拘わらず、無期懲役が確定した。二人の青年が獄中で書いた詩や手記をもとに彼らの人間性を浮かび上がらせ、事件の冤罪性を鮮やかに描いた旧版に、仮釈放及び新証拠の発見から第二次再審請求に至る経緯を加筆。(粗筋紹介より引用)

【目 次】
 第一章 待つ二人
 第二章 密室の攻防
 第三章 トンネルの始まり
 第四章 より深い闇
 第五章 目撃証人
 第六章 犯行時刻
 第七章 ある手紙
 第八章 外との交流
 第九章 新しい出発

『小説推理』(双葉社)1993年1〜8月号に連載され、加筆修正後、1993年11月に単行本として発売。1994年11月に文庫化された。本書は文庫版を一部訂正し、第九章を加筆して2002年3月20日に刊行された増補版である。
 布川事件は1967年8月30日、茨城県北相馬郡利根町布川で起きた強盗殺人事件である。別件で逮捕された桜井昌司さん、杉山卓男さんが犯行を「自白」。裁判では無罪を訴えるものの、求刑通り無期懲役判決が1978年に確定
 1983年に再審請求するも、1992年に最高裁で棄却が確定。1996年に仮釈放後の2001年に第二次再審請求を提出。2005年9月21日、水戸地裁土浦支部は再審開始を決定。2008年7月14日、東京地裁は検察側の即時抗告棄却。2009年12月14日、最高裁第二小法廷は検察側の特別抗告を棄却したため、再審開始が決定した。2011年5月24日、水戸地裁土浦支部は強盗殺人事件について、桜井さん、杉山さんに無罪を言い渡した。別件の窃盗事件については、執行猶予付きの有罪判決を言い渡した。

(以下、敬称略)
 佐野洋は1974年5月、杉山卓夫から、自分たちの無実を晴らすために力を貸してほしいという手紙を受け取った。佐野は救援組織と連絡を取り、現地調査や弁護士の話を聞いた結果、桜井、杉山の二人は無実であると確信するとともに、自分の出る幕はないと思う。ところが最高裁は二人の主張を退け、刑が確定。第一次再審請求も棄却されたとき、佐野は本書の執筆を決意する。
 最初の単行本および文庫本は第八章で終わり、二人の仮釈放を訴えて終わっていた。増補版は文庫本から2年後に仮釈放が実現したこと、二人のその後、そして第二次再審請求の主要点を紹介している。

 内容としては、佐野らしい丁寧な調査と鋭い視点で、本事件の検察側の主張や裁判所の決定に疑問を挟んでいる。事件、裁判の進行を時系列で記すとともに疑問点を挟むことで、この事件における矛盾点がより詳細に浮かび上がる形になっている。
 ただし佐野は、裁判の結果に怒りつつも冷静に文章を綴っている。無罪主張を訴える団体、弁護士らが書くノンフィクション等と違う点はそこだ。元新聞記者であり、作家である佐野ならではの作品だろう。

 布川事件は古くから冤罪を指摘されていた事件であり、支援者も多かった。しかし、再審までの道のりは遠かった。事件から再審無罪まで44年というのは、戦後の再審無罪事件では最長である。裁判所からも検察からも、謝罪の言葉はなかった。
 できれば佐野には、無罪となるまでの道のりを書いたさらなる増補版を書いてほしいところであったが、それはかなわぬ夢となってしまった。

 佐野洋は1928年東響生まれ。東京大学心理学科卒業後、読売新聞社に入社。1959年に退社して作家専業となり、『一本の鉛』で長編デビュー。1965年、『華麗なる醜聞』で第18回日本推理作家協会賞受賞。1997年、日本ミステリー文学大賞受賞。2009年、菊池寛賞受賞。短編の名手と知られているが、『推理日記』などの時評も名高い。2013年没。

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