永瀬隼介『19歳 一家四人惨殺班の告白』(角川文庫)


発行:2004.8.25



 92年、千葉県市川市でひと晩に一家四人が惨殺される事件が発生。現行犯で逮捕されたのは、19歳の少年だった。殺人を「鰻をさばくより簡単」と嘯くこの男は、どのようにして凶行へと走ったのか? 暴力と憎悪に塗り込められた少年の生い立ち、事件までの行動と死刑確定までの道のりを、面会と書簡を通じて丹念に辿る著者。そこで見えた荒涼たる少年の心の闇とは……。人間存在の極北に迫った、衝撃の事件ノンフィクション!(粗筋紹介より引用)

 店員関光彦被告は、知り合いのホステスを自室に泊まらせたことを暴力団員に脅され、200万円を要求されたため、強盗を決意。2月中旬、市川市内でたまたま通りかかった会社経営者の男性(当時42)の長女(当時15)を暴行し、奪っていた身分証明書から経営者一家の住所を知っており、押し入ることにした。
 1992年3月5日16時半頃に押し入り、寝ていた母親(当時83)から現金8万円を奪ったうえ、首をビニール製コードで絞めて殺した。長女が帰宅したところで監禁。長女の目の前で、19時ごろ帰宅した妻(当時36)の背中を包丁で刺して殺した。同21時半すぎ、帰宅した男性から預金通帳などを奪ったうえで刺し殺し、翌6日6時半すぎには泣き出した次女(当時4)を刺殺。長女にも切りつけて背中などに約2週間のけがを負わせた。
 関被告は奪った数十万円に満足せず、午前1時ごろ、監禁していた長女に、男性の会社に「金が必要だから通帳を取りに行く」と電話させたうえ、市川市内の会社に連れだし貯金通帳や印鑑などを会社に残っていた知人から受け取らせていたこともわかった。その際、長女は知人に「雑誌で記事をかいたことで脅されている」と説明。助けは特にもとめなかったという。不審に思った知人は派出所に連絡、午前1時半前後に署員が役員宅に出向いたがその時は電気が消えており、応答もなかったため不在と思って引き揚げた。
 午前9時過ぎ、男性の知人から「社長宅の様子がおかしい」と近くの派出所に届け出があり、署員が現場に駆けつけた。玄関のかぎがかかっていたため、隣室のベランダをつたって窓から入ったところ、4人が別の部屋で死んでおり、部屋の中で関被告と長女が呆然と立ちつくしているのを発見し、関被告を連行。深夜、逮捕状を請求、逮捕した。
 長女は関被告に脅されただけであり、事件とは無関係である。
 関被告はほかに、行きずりの女性を強姦したり、路上ですれ違った車の運転手に傷害を与えたりするなど、1991年10月から一家殺害直後に逮捕されるまでの約5カ月間に計14の犯罪を繰り返した。

 こうやって書いただけでも恐ろしい、むごい事件である。本書は、犯人である関光彦の生い立ちから、犯行に及ぶまでの軌跡、そして裁判中の本人の手紙によって構成されている。
 なぜ彼はこのような事件を引き起こしたのか。その遠因は生い立ちにあった。彼の不幸な生い立ち、特にろくでもない父親に虐げられてきた子供の頃のエピソードは、同情を誘うに充分である。だからといって彼の犯した罪が赦されるというわけではないが。
 彼にはやはり、罪という意識がどこかで欠落していたに違いない。そのことは、彼自身は少年院へ行くものと思いこんでいたことに裏付けられる。少年院を出たら、今度こそ人生をやり直す、そのために勉強を始める。法律の無知、というだけでは考えられないエピソードである。それだけに、死刑を求刑論告されたときの彼の衝撃は大きかったのだろう。そのことは、本書でも手紙という形で記されている。
 本書は、関の生い立ちから事件、そして控訴審が終わり、上告中までの部分が記されている。ただし、それは本書の全身である単行本の話だ。元々本書は2000年9月、『19歳の結末―一家4人惨殺事件』というタイトルで、新潮社から出版された。その時の作者の名義は、祝康成名義であった。
 ノンフィクションライターであった祝康成は、著書を数冊発表した後、2000年に『サイレント・ボーダー』を発表、名前を永瀬隼介と変える。そして2004年8月に角川書店から文庫化された際、新たに第9章が書き下ろされた。第9章では、死刑が確定するまでについて書かれている。
 作者は関のことをモンスターだと言う。しかし、なぜ彼がモンスターなのかを掘り下げる勇気はなかったようだ。いや、理解することなど、誰にも出来なかったのかもしれない。関の内面に迫ろうとしながらも、最後は放棄してしまったかのように見える。いや、放棄せざるを得なかったのだ。理解不能な人物にアプローチする勇気は買うが、とうとう最後まで理解することが出来なかったもどかしさが、本書から伺える。個人的には、もっと色々と突っ込んでほしかったところだが、これが作者の限界だったのだろうか。それとも、関光彦にアプローチする限界だったのだろうか。作者が分かったのはたった一つ。関が反省していない、ということだけだった。

 口ではどうでもいい、死にたいと言いながらも生への欲望が涸れない男として書かれている関光彦。彼は死刑判決から5年後、再審請求を起こした。請求内容は残念ながら分からない。


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