佐木隆三『死刑囚 永山則夫』(講談社文庫)


発行:1997.8.25



 警察庁広域重要指定108号事件にされた本事件は、19歳の少年が起こした連続強盗殺人事件である。
 永山則夫(19)は横須賀市の在日米軍基地内の住宅からピストルを盗取。1968年10月11日、東京都港区の東京プリンスホテルで、巡回中の警備員(27)を射殺。その3日後に京都・八坂神社境内で、警備員(69)を射殺した。さらに、同月26日には北海道函館市内で、タクシー運転手(31)を射殺して売上金約7000円を奪い、11月5日には名古屋市内で、タクシー運転手(22)を撃ち殺し、売上金7000余円を奪った。翌69年4月7日、東京・千駄ケ谷のビルへ盗みに入ったところを警備員に見つかり、発砲して逃走したが、間もなく逮捕。
 裁判で永山の弁護士は、「逮捕時年齢こそ19歳だったが、生まれてからの劣悪な生活環境、幼少時に親に捨てられた過去、学校にほとんど通っていないことなどを考えると、精神年齢は18歳未満の未熟なものであった。故に、18歳未満は死刑を適用しないという少年法の精神に乗っ取るべきである」と訴えた。著書『無知の涙』がベストセラー。読者で米在中の女性と獄中結婚。1981年の東京高裁で無期懲役判決になるも、検察側が量刑違反を理由に戦後初の上告。1983年7月、最高裁で高裁差し戻し判決。1987年、差し戻し控訴審で死刑判決、1990年4月、最高裁で死刑確定。裁判中も小説等を書き続け、1983年、「木橋」で新日本文学賞受賞。しかし、唯我独尊の性格が災いしたか、女性とは離婚。徐々に支援者も離れていった。
 1997年08月01日死刑執行、享年48。その日、東京拘置所内では悲鳴が聞こえたという。同年5月に起きた「酒鬼薔薇事件」を法務省側が強く意識し、執行順位の早い確定者がいたにも関わらず、犯行当時少年だった永山を処刑したという意見が根強い。

 本書は佐木隆三が永山則夫を題材として書いたノンフィクション・ノベルである。事件を起こすところから、最高裁で死刑判決が確定するまでが書かれている。
 これを読む限りでは、永山則夫という男は実に頭が良い誇大妄想狂というイメージを受ける。『無知の涙』も『木橋』も読んでいないので分からないが、文学的才能の方も相当の物なのだろう。しかし、本人の才能と犯罪は別。“殺人”という行為が悪い行為であることは、周囲の人間環境に影響されない、生物が持つ本能と思う。よって、これだけの事件を起こせば死刑になるのは当たり前である。

 永山の死刑執行の後、色々な新聞を読んでいたけれども、「死刑が執行されて残念だ」という声ばかり(東スポは違っていたけれど)。どうもみんな、“人権”という言葉を拡大解釈しているような気がしてならない。犯罪に対する応報という概念は、そんなに残酷な事なのだろうか。「残念」と声を挙げる人たちは、遺族の心を考えたことがあるのだろうか。

 永山則夫の著書は以下。
 『無知の涙』(合同出版,1971):永山の獄中日記
 『愛かー無か』(合同出版,1973):永山の獄中日記
 『人民を忘れたカナリヤ』(辺境社,1971)
 『動揺記I』(辺境社,1971)
 『反ー寺山修司論』(JCA出版,1974):寺山修司が書いた『永山則夫の犯罪』に対する批判本
 『木橋』(立風書房,1984):「木橋」(第19回新日本文学賞受賞作)「土堤」「なぜか、アバシリ」「螺旋」を収録
 『ソオ連の旅芸人』(言葉社,1985)
 『捨て子ごっこ』(河出書房新社,1987):「捨て子ごっこ」「破流」を収録
 『なぜか、海』(河出書房新社,1989):「なぜか、海」「残雪」を収録
 『異水』(河出書房新社,1990):長編小説
 『永山則夫の獄中読書日記』(朝日新聞社,1990)
 『日本』(冒険社,1997)
 『華』全4巻(河出書房新社,1987):遺作長編、未完
 『文章学ノート』(朝日新聞社,1998)
 『死刑確定直前獄中日記』(河出書房新社,1998)


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