一橋文哉『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』(新潮文庫)


発行:2007.1.20



 平成12年2月13日、最終時効成立! 江崎グリコ社長誘拐事件に端を発した、一連のグリコ・森永事件。発生から16年、ついに最後の時効がやってきた。捜査線上に浮かんでは消えていった、元警察官、韓国コネクション……そしてキツネ目の男。「かい人21面相」の正体は? 完全犯罪への道のりは? 文庫化にあたり「時効に捧ぐ」を新たに収録。大幅加筆、新事実満載の増補決定版。

(粗筋紹介より引用)



【目 次】
プロローグ――追跡
第一章 敗北
第二章 原点
第三章 怨念
第四章 嘲笑
第五章 疑惑
第六章 報復
第七章 否認
第八章 禁忌
第九章 正体
エピローグ――手紙
資料編(主要年表他)
時効に捧ぐ
あとがき


 1984年3月18日夜、江崎グリコ社長E氏(42)が兵庫県の自宅で入浴中、銃を持った三人組の男に連れ去られた。犯人組は金塊100kgと十億円の身代金を要求。しかしE氏は21日に大阪府茨木市の倉庫から自力で脱出。犯人組は4月10日、江崎グリコ本社などに放火した。4月12日、警視庁は広域重要指定第114号事件に指定した。
 4月22日、犯人組は初めて“かい人21面相”と名乗る挑戦状をマスコミに出した。5月10日には「グリコ製品に青酸ソーダを入れた」との脅迫状が届く。グリコは28日、裏取引に応じるも犯人は現れなかった。6月22日には丸大食品に脅迫状が届く。6月26日には「グリコゆるしたる」の声明文が届く。9月12日には森永製菓に脅迫状。10月中旬、大阪、兵庫などのスーパーで青酸入りの菓子が発見された。11月7日にはハウス食品に脅迫状が届く。11月14日、森永との取引場所に犯人が現れるも、警察の横の連携が取れておらず、犯人を取り逃がした。12月7日には不二家に脅迫状が届いた。1985年2月には東京、名古屋で青酸入りの菓子が発見される。2月27日「森永ゆるしたろ」の終結宣言。8月7日、前滋賀県警本部長が自殺した。8月12日、犯行終結宣言が届き、以後の連絡はなくなった。
 2000年2月、全ての事件について時効が成立した。


 “かい人21面相”の犯人名で有名なグリコ・森永事件。実際の事件期間は1984年3月〜1985年8月の1年半にも及ぶ。誘拐、放火、脅迫など様々な手段を用い、警察や食品業界、マスコミを翻弄。警察側の横の連絡が徹底できていなかったことによって、逮捕寸前の犯人を目の前でみすみす取り逃したこともあった。事件をまねた様々な脅迫事件が多く発生した。
 結局逮捕者を一名も出さず、さらに一人も死者を出さなかったという意味で、色々な意味で日本を揺るがした事件であり、犯罪史上においても特筆されるべき事件の一つである。もっとも死者を一名も出さなかったというのは正確ではない。前滋賀県警本部長が自殺しているからである。
 本書は、そんなグリコ・森永事件、警察的には警察庁広域重要指定第114号事件の事件発生から時効までを書き記した記録である。ただ表面に出てきた事実ばかりではなく、その裏にあった背景、隠された事実、疑惑などをも浮き彫りにした一冊である。
 時効事件、そして脅迫事件という事件の性格上、当然関係者の口は重い。そんな中を、丹念な取材と証言を付き合わせて雪、事件の裏にあった様々な謎、疑惑をあぶり出そうとする作者の執念は、作者の苦労が全く書かれていないからこそかえって凄いものがある。
 被害者側である各業者の裏側。各県警だけではなく、警察庁の中にもあった縄張り争い。事件を追い求めたマスコミ。捜査線上にあがった数々の容疑者。それらは全て、舞台化された事件の楽屋裏で起きていた出来事ばかりである。
 本書には事件の主要年表、さらに“かい人21面相”が出した脅迫状が資料として載っている。
 解説で触れられているが、この本はまさに事件のノーカット版といえる一冊なのである。我々が触れることのなかった、事件の裏側まで丹念に追い求められた、全ての記録ともいえるものである。
 ただ、ここに書かれたことが、本当に全て真実のものかどうかは、読者に検証しようがないことなのだが。

 『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』は1996年7月に新潮社より刊行された。本書は単行本に一部加筆し、さらに「新潮45」に掲載された一話(大幅に加筆訂正)と新たに書き下ろした二話を加えた「時効に捧ぐ」の章を追加し、文庫化したものである。


 著者の一橋文哉は元新聞記者。1995(平成7)年、月刊誌「新潮45」での連載「ドキュメント『かい人21面相』の正体」(第2回雑誌ジャーナリズム賞)でデビュー。1996年に『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』を出版。以後、ノンフィクションを数冊出版している。


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