読売新聞大阪社会部『誘拐報道』(新潮文庫)


発行:1984.5.25


 兵庫県宝塚市で昭和55年1月、学童誘拐事件が発生した。「被害者の声明の安全」のために取材・報道を自粛する報道協定は、事件の進展とともに否応なく記者たちの行動を束縛していく。追うことのできない犯人の動き、雲をつかむような警察発表、そして突然の事件解決、報道陣は最前線に散るが……。記者たちの四日間を克明に再現し、報道とは何かを等ノンフィクション。

(粗筋紹介より引用)



【目 次】
1 発端
2 記者会見
3 報道協定
4 厚い壁の前で
5 深夜の記者
6 止まった動き
7 前線デスクの苦悩
8 看護婦の推理
9 動き出した犯人
10 前進基地
11 不安
12 父親の抵抗
13 不吉な予感
14 抗議
15 小休止
16 逮捕
17 全面展開
18 混乱
19 意外な事実
20 祝杯
21 除名
   人の生死と新聞記者



 1980年1月23日午後、宝塚市に住む歯科医の男性(38)の長男で、学校帰りの小学1年生の男児(7)が誘拐され、身代金3000万円を要求する脅迫電話があった。翌日、犯人からの電話によって、両親は数度、指定された場所に出かけたが、警察がいるからという理由で犯人は現れなかった。26日午後2時50分頃、西宮市をパトカーで警邏中の警官が、駐車中の不振な車両を発見し、中で寝ていた男を職務質問。トランクを開けさせたら、シートカバーに包まれた男児が発見され、保護。男は逃げようとしたが、二人の警官に取り押さえられ、逮捕された。男は元喫茶店経営の男性(33)だった。男性の子供は、男児と同級生だった。


 本書は、茂樹ちゃん誘拐事件といわれた誘拐事件の報道を追う新聞記者の姿を通したものである。新聞記者は、事件を世間にいち早く報道する義務を持っていると思っているようだ。最近はインターネットの発達で、記事がリアルタイムに発信されるようになったが、それでもまだ特ダネという言葉はまだまだ魅力的なようだ。とくにこの事件が起きた1980年なら、情報発信源はテレビと新聞しかない時代であり、新聞が占める割合はかなり大きかったと思われる。
 しかし、冒頭から事件があったと聞いて生き生きとする次席の姿が描かれるのは、誘拐事件なのに不謹慎すぎると思ってしまうのは当然だと思うがどうだろうか。
 報道協定が結ばれて、警察から満足な情報が出てこないと憤る記者たち。「この範囲なら犯人に察知されない、従って被害者に危険をもたらさないという判断があれば、取材活動をやってもかまわんだろう」と、誘拐された児童の学校へ取材に行く記者たち。誘拐された子供の命と、事件報道との狭間で苦悩する記者の姿が描かれているが、子供やその家族のことを考えると、何を考えているのだろうと思ってしまう。取材をしようとする姿を正当化する彼らの姿が、痛々しい。
 そんな彼らが、身代金受け渡しに指定された喫茶店で地元新聞社の車両が止まっていたという通報に、怒りまくるのだから、目くそ鼻くそを笑うと言ってしまいたくなるものだ。
 犯人逮捕後、子供が保護されている病院へ駆けつける両親の姿をよってたかって写真に収めようとする姿は、はっきり言ってみっともないも。それに気付いていない彼らが情けない。

 犯人逮捕の号外に載っていた写真の撮影時間が午後3時15分。犯人逮捕は午後3時。しかし、報道協定解除されたのは午後3時30分だった。そのため、兵庫県警記者クラブは翌日、読売新聞を除名した。3ヶ月後に復帰することとなる。
 それに対し、色々と言い訳をしたり文句を言ったりする記者たち。結局大事なのは、報道の正確性ではなく、スピードのみ。私たちが知りたいことは事件の真実であるということを、彼らはわかっていない。
 あとがきでは、富山・長野連続誘拐殺人事件や、小百合さん誘拐事件における報道協定のあり方について公開捜査の件について新たな石を投じている……つもりになっている。
 報道の解除を警察の一方的な判断にゆだねていると怒っているが、犯人が逮捕されたら事件は終わりなのか。全容を知らない彼らにそんな判断が付くはずがないだろう。もちろん、事件が解決したら警察には全てを明らかにする必要があるのは当然だが、報道陣が勝手に決めるものではないはずだ。

 私から言わせれば、新聞記者達の勝手な論理を、さも問題がありそうなふうに書き記したのが本書である。自分たちの姿が醜いということに気付いていないことが本当に情けない。

 実はこの作品、東映で映画化されている。犯人が萩原健一、妻に小柳ルミ子。記者たちに丹波哲郎、三波伸介。刑事に伊東四朗。他にも藤谷美和子や宅間伸、平幹二郎、秋吉久美子などの豪華キャストである。

 本書は、1981年4月に新潮社から発売された単行本の文庫化である。


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