「おじいちゃんのとこ、いってくるわ」ドアの閉まる音がして、淳は家を出ていきました。これが、私たち家族と淳の永遠の別れになってしまいました――。1997年5月に起きた「神戸連続児童殺傷事件」。14歳の少年に我が子を奪われた父が綴る鎮魂の手記。眼を細め見守った息子の成長から、あの忌まわしい事件の渦中の出来事、そして「少年法」改正に至る闘いまでを、被害者遺族が詳細に描く。(粗筋紹介より引用)
【目 次】
誕生と成長
永遠の別れ
変わり果てた姿
捜査
犯人逮捕
少年と人権
不信
報道被害
少年法
供述調査
卒業、そして一周忌
あとがきにかえて
文庫版あとがき
1997年5月27日、神戸市須磨区で24日から行方不明になっていた土師淳君(11)の頭部が同区中学校の正門で発見される。口には犯人から警察への挑戦状とも取れる紙片が入っており、末尾には「酒鬼薔薇(サカキバラ)」と記されていた。同日午後、胴体部分が近くの山で発見。6月4日、「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る犯人から神戸新聞社宛に犯行声明文が届く。マスコミによる情報合戦が繰り広げられたが、6月28日、同区に住む中学三年生の少年(15 事件当時14)が逮捕された。少年は2月10日、小学6年生の女児二人をハンマーで殴り怪我を負わせていた。また3月16日には、小学4年生の女児の腹を刺して重傷を負わせ、同時に別の4年生の山下彩花さんの頭をハンマーで殴り死亡させていたことも自供した。
少年は東京都府中の関東医療少年院に収容後、2004年に仮退院、2005年1月に本退院となった。当時少年だった男性(22)は「一生かけて償います」という謝罪の言葉も遺族側に伝えた。
14歳の少年が、「人を殺したいから」殺した一連の事件。マスメディアは狂喜乱舞しながら一連の事件についてあることないことを喋り捲り、あるいは書きまくった。
本書は5月24日に殺害された土師淳君の父親が書いた、鎮魂の手記である。淳君の誕生から成長、そして忌まわしい事件、警察の捜査、「報道の自由」の名の下に非常識で無分別な取材を続ける様々な報道。そして14歳の少年の逮捕。少年法の壁に阻まれる真実と、何も知らされない現実。そして少年法改正への闘い。作者の苦闘の歴史がここに刻まれている。
少年法の名に阻まれ、泣き寝入りすることが多かった被害者遺族が、わずかな大きさとはいえ声を挙げることができるようになったのは、本事件による影響が大きいだろう。「女子高生コンクリート詰め殺人事件」など、少年による衝撃的な犯罪が起きたことも大きいが、やはり14歳の少年による連続児童殺傷事件は最大のインパクトがあったものと思われる。そして、少年事件の被害者遺族たちが声を挙げることによって、ようやく改正少年法が成立し、2001年4月より施行されることとなった。それでもまだ、少年法の改正に反対する人が多いことも驚きである。その反対する人の中に、少年の権利のみを守ろうとする人がいることは残念である。彼らは権利を守ることのみに執念を燃やすが、その後の結果については何ら責任をとろうとしない。
自分の子供をこのような形で殺され、そして報道によってさらに蹂躙され、それでも順序だって少年法改正に向けて先頭に立ち、活動を続けていった作者には素直に驚嘆する。今まで泣き寝入りすることの多かった被害者遺族が、ようやく声を挙げることを許されるきっかけとなった本である。
本書は1998年9月に新潮社から出版された単行本を文庫化したものである。文庫版の解説は、光市母子殺人事件の被害者遺族である本村洋氏である。この解説も是非とも読んでほしい。改正少年法に関する一級の資料である。
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