本田靖春『私戦』(講談社文庫)


発行:1982.6.15



 1968年2月20日、静岡県掛川市の元ブローカーで在日韓国人二世の金嬉老(本名権禧老 39)が清水市のキャバレーで借金の返済を迫った暴力団S一派の団員二人をライフルで射殺した。そして45km離れた寸又峡温泉の旅館に押し入り、経営者一家6人と宿泊客10人を人質にとって籠城(途中で3人は脱出)。部屋にダイナマイト数十本を積んで威嚇。21日、報道陣のインタビューに応じ、暴力団S一派の悪を公表することと、清水署の取り調べで差別があったことを謝罪することを要求。取り調べたK巡査はテレビで謝罪を行った。24日、玄関での記者会見中、記者になりすました刑事に取り押さえられる。金は舌を噛み切って自殺しようとしたが、ある警察官がとっさに警察手帳を口に差し込んで未遂に終わった。出血量は体全体の20%という重傷であった。
 1972年、静岡地裁で無期懲役判決(求刑死刑)。1975年に最高裁で無期懲役が確定した。1999年9月に仮釈放。そのまま韓国に帰国した。しかし、釜山市内で放火などの疑いで逮捕される。2000年9月には交際中の女性の夫を殺害しようとした殺人未遂の容疑で逮捕、鑑定留置され精神鑑定を受けた後裁判で有罪が確定、服役した。

 1968年2月、凍てつく寸又峡で展開した金嬉老の<私戦>、13人の人質を楯にライフルとダイナマイトで武装した彼が戦いを挑んだ相手は誰だったのか? <英雄気どりの殺人犯>と片づけたマスコミ報道が捉え得なかった事件の全体像と、差別社会の底辺で呻吟し続けた男の重い過去を交錯させた白熱のノンフィクション!(粗筋紹介より引用)。

 1968年に起きた、金嬉老事件のノンフィクション。「潮」1977年11月号〜78年2月号に掲載。1978年3月、潮出版社より単行本化。1982年6月に講談社より文庫として発売された。
 ライフルとダイナマイトで武装した在日韓国人が籠城するというショッキングな事件であり、記憶に残っている人は多いと思う。しかし、実際にマスコミに取り上げられた姿というのは、単なる殺人者としての姿だったというのは驚きである。私たちがイメージする金嬉老というのは、日本で受けた差別に対する怒りが爆発した結果によって事件を引き起こした戦人である。それはやはりこの本と、そしてこの本を原作にしてドラマ化された「金(キム)の戦争」(ビートたけし主演)の影響が大きいのではないだろうか。
 作者はあとがきでこう書いている。

「私戦」の連載は、不思議としかいいようのない沈黙に包まれて進行した。雑誌に文章を発表すれば、賛否をとりまぜて読者から反響が寄せられるのが普通であるのだが、「私戦」の場合に限ってまったく反応がなく、担当の編集者はとまどいを隠さなかった。

 作者が書いているとおり、我々はまったくと言っていいほど金嬉老の言い分に耳を貸そうとしなかったのだろうか。

 この本の結末で作者は訴えた。

 記者のいう、事件の「最良の形での解決」とは、警察の立場からする結果でしかない。彼の問題意識は、権力と一体化して、金嬉老をひたすら凶悪な人間像に仕立て上げる方向にのみ働いたのであろう。そうでなければ、警察の「信頼」と新聞社の「信頼」を同列におくはずがない。
 金嬉老事件の重大さは、在日朝鮮人の懸命の訴えを、権力とマスコミが呼応して葬り去り、差別と抑圧の構造を最悪の形で温存することに成功した点にある。
 その裁きは、いったい、だれがつけるのか。


 我々はこの本が出版されてから30年経った今でも、解答をつけることができずにいる。



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