宮川弘『下山事件の真相』上(東洋書房)


発行:1968.8.1




【目 次】
一 追憶
二 敗戦
三 奇縁
四 復讐
五 特捜ノート
六 下山白書
七 SY作業(I)
附録 戦後史略年表


 1949年7月5日、自宅から出勤途中の下山定則国鉄総裁(49)が、三越本店に買い物に入ったまま行方不明になった。翌日午前0時25分、常磐線の綾瀬・北千住間の線路付近で下山総裁の轢殺死体が発見された。轢いたのは0時20分頃に同所を通過した下り貨物列車であると推定された。
 当時、GHQから国鉄職員の大量整理を迫られていたことから、警視庁捜査一課は自殺説を唱えた。慶応大学の中館鑑定も、生体轢断説を支持した。一方、警視庁捜査二課は謀殺説をとり、左翼勢力によって自殺を装われたと推定した。東京大学の古畑鑑定は、死後轢断説を支持した。自殺か他殺か意見が分かれたままだったが、12月に入り、警察は自殺と断定、捜査本部を解散した。


 「三鷹事件」「松川事件」とともに国鉄三大ミステリー事件と呼ばれる「下山事件」。生体轢断か、死後轢断か。自殺か他殺か。未だに結論が出ないまま、様々な「真相」本が出ている現状である。この本もそんな一冊なのだが、何せ副題がすごい。「下山総裁は生きている!」である。
 作者によると、下山定則総裁は実は双子だったそうだ。双子を嫌う母によって弟は養子に出されており、兄である定則総裁も知らなかったとしている。そして轢殺死体として発見されたのは弟の方であり、兄である定則総裁は生きていると断定しているのである。

 昭和24年6月、上京したばかりの少年であった「私」は街頭賭博で腕時計までヤクザに巻き上げられ、路頭に迷っていた。そんなとき、日本橋三越で偶然通りかかった男性に救われた。私はその温情に感涙したが、男性は1週間目に自殺した。その男性が下山国鉄総裁であった。「私」は恩人の恨みを晴らそうと警官になった。4年後、「私」が見定めた事実は、あまりにも衝撃的なものだった。
 それから19年。「私」には三つの悪夢が占めていた。下山、白鳥、菅生事件がそれであった。しかし、私にはそれだけの悪夢だけにとどまらない。幾つかの怪事件のつながりが掛かっていた。松川があり、帝銀が結びつき、八海が隠されていた。始めは確かに小さな芽であった。しかし、それは知らぬ間に意外と根深く広がっていた。気付いたときには、逃げ場を見失うほど追いつめられ、がんじがらめにされていたのだ。

 1章の最初からちょっとだけ抜粋してみたが、なんですか、これは。それは作者のプロフィールを読めばわかる。

 宮川弘。昭和6年5月8日、大分県に生まる。慶応・中央・日大の文、法科を専攻。大阪警視庁、通訳翻訳官に任官。公安課、外事課に勤務し、スパイ情報工作を担当。退官後政界に進出し、その後文筆生活にはいる。主な著書として「スパイFS6工作―菅生スパイ事件の真相」「スパイSM37指令―白鳥事件の謎」「白鳥事件の謎」「菅生スパイ事件」「推理ノート」などの実録スパイものがある。

 いやはや、すごい経歴である。この本の出版が1968年(昭和43年)だから、当時37歳。ええと、本当に可能なんですか、こんな経歴。政界進出って、議員をしていたとかは書いていないし、何をしたのだろう。というか、悩んでばかりいる人が政界に進出できるの? 昭和24年って18歳。そこから4年後には事実を見定めているのに、3大学の二科に渡って専攻できるということも信じられない。

 事件から19年後の2月、函館の強羅駅に着いた「私」が偶然であった老人は、矢加部傳吉と名乗った。老人は元医者で、東大の講師であったが、下山総裁の轢断死体の鑑定で上司と衝突し、こじれて退職した。その後、交通事故の急患を手術中急死させたことで過失致死罪に問われ、有罪判決を受けた。老人が語るには……以下、血液型の遺伝にかかわる話が続き、さらに執念で調査した結果、死体は下山総裁ではなく、双子の弟である立則だとわかった。
 老人の話を聞いた私は再会を約束し、一人旅を続けた。私は真実を希求せんとする大衆の声を聞いた。

 なんですか、この都合よすぎる展開は。これが1章の話。しかも2章からは「私」の一人語りが始まる。神国日本を盲目的に信じ、自分を顧みずに戦後日本の全てを無条件に叩きまくる内容には失笑するしかない。その後は都合よい展開でヤクザと付き合うは、警官になるは、いきなり特捜ノートや「下山白書」が出てくるわ、偶然関係人物に出会うわ、ご都合主義の連続。雑誌に発表された「下山白書」などを挿入することで真実味を増そうとしているが、下山総裁双子説の胡散臭さは消えない。
 この本、実は上巻で終わっており、下巻は発売されていない。なので、上巻に書かれた内容が本当に真実かどうか、結末はどうなるのかはわからないままである。ここによると、この本を出版した東洋書房は、作者の宮川弘自身が興した会社だそうだ。ところが倒産してしまったそうだ。宮川弘は1977年に鎌倉芸林という出版社から『下山事件の真相』第1〜2巻が出ているが、本書と同じ内容とのこと。まあ少なくとも、下山総裁双子説がまともに取り上げられたことはないということだけは間違いない。

 この本は「ノンフィクション・スパイシリーズ」と銘打たれている。宮川弘はこの前に『スパイFS6工作―菅生スパイ事件の真相』『スパイSM37指令―白鳥事件の謎』『菅生スパイ事件』『白鳥事件の謎』『推理ノート―真犯人への挑戦状』を東洋書房から出版している。検索してみると、いずれもトンデモ本扱いされているようだ。なおこの痕の出版予定としては、『下山事件の真相(下)』『実録松川事件』『帝銀事件の謎』『二・二六事件の真相』『ケネディ暗殺の謎★屍体24740号』『八海事件』『大逆事件』がラインナップされている。全部スパイや○○作戦、○○計画、裏の人物などが影にあったと書かれているのだが、この創作意欲だけはすごいものがある。


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