来栖宥子『113号事件 勝田清孝の真実』(恒友出版)

発行:1996.8.8



 昭和四七(一九七二)年から一〇年余りの間に東海・関西地方で五人の女性と二人の男性を殺し(判例第一)、その後も警察官から奪った短銃を使って一人の男性を射殺した勝田清孝は、警察庁指定一一三号(判例第二)事件として、昭和五八年名古屋で逮捕。強盗殺人七、殺人一、強盗致傷三、強盗二など三三の罪で起訴された。(なお文中の被害者の名前は全て仮名である)
 昭和六一年、名古屋地検で判例第一、二とも死刑判決。昭和六三年、名古屋高裁で控訴棄却。平成六(一九九四)年、最高裁は上告を棄却し、死刑が確定した。
 元消防士長だった勝田は逮捕後、迷宮入り同然だった女性殺しを進んで自供。裁判では殺人事件の経過などについて、犯行は認めながらも公平な審理を求めたが、ほとんど認められなかった。
 一審判決後の勝田は日を追って人間不信に陥り、獄外との連絡を絶った。マスコミ各社はあらゆる手段で獄中の勝田と接触を試みたがいずれも失敗。勝田をますます遠い存在に追い込む結果となった。
 しかし、そんな勝田の頑固で重い心の扉を叩き続け、人知れず八年間にわたって文通や面会をつづけている、たった一人の女性がいた。それがこの本の著者である。
「勝田の手記発行を新聞で知って読み、勝田の罪告白に心を動かされた。八人も人を殺めることは恐ろしい罪に違いないが、それを自ら告白していることにとてつもない強さと、勝田の魂の清さを見た。手紙を出さないではいられなかった」
 と筆者は語る。この手紙が死刑囚・勝田の心の扉を、薄紙を剥ぐように開いていく交流の契機となった。
 名古屋高裁で控訴が棄却された頃から今日までの八年間で、筆者から送った手紙類は約六〇〇通、勝田から寄せられたのは約四〇〇通、名古屋拘置所に足を運んだ面会は、軽く二〇〇回を超えている。死刑囚として究極の孤独に在る勝田が「たった一人の心友」と呼んで心を開き、素顔を晒し、本音を語るに至までには、著者自身にもまた大変な葛藤があったに違いない。
 本書はクリスチャンで名古屋に住む一人の主婦が、人間不信の極にある死刑囚の胸襟を叩きつづけた「凄惨な戦いの記録」でもある。
 そしてついに著者は、死刑確定後も交流がつづけられるよう、勝田を実母(藤原家)の養子として迎えたのである。
「人間不信に悩む勝田を見る時、私はいつでも逃げられるから、むしろ逃げてはいけない。彼は逃げるに逃げられない。どんなに辛いだろうなぁ、という思いが私をつき動かしていた」
 と著者は言うが、凡庸な「愛」などという言葉では語りつくせない崇高な心情と言えよう。
(恒友出版編集部「はじめに」より
【目次】
 はじめに
 人間不信とマスコミ嫌い
 獄中に揺れる心
 少しずつ心の扉は開かれた
 貴方はたった一人の心の支え
 せめて点訳で役に立ちたい
 死刑廃止運動に思うこと
 懐かしい娑婆のあれこれ
 死刑確定の日に
 おわりに
 巻末資料 勝田事件と裁判の経緯


 10年間で7人を殺害した事件と、警察庁指定113号事件の2つでそれぞれ死刑判決を受けた勝田清孝元死刑囚。1人の人物が2回死刑判決を受けて確定したのはおせんころがし事件他で8人を殺害した栗田源蔵元死刑囚(1959年10月執行)以来。
 10年間で7人を殺害しながら平然と消防士の仕事を続け、家族を持っていたこと。一部の殺人では別の人物が容疑者として挙げられ、その容疑者の家族が崩壊したり、別件で逮捕されたり、勤めていた店がつぶれたりしたこと(これらの全てを勝田のせいにするのは間違っていると思うが……)。特に1977年には殺人事件から6日後に朝日放送テレビ「夫婦でドンピシャ!」に出演したこと、自供では最大22人を殺害した(実際にそのような事実はない)ことなどが報道されたことから、「冷血」「不幸をまき散らす男」などと呼ばれた勝田清孝。マスコミにその実像を誇張、ねつ造して伝えられたことから人間不信に陥っていた勝田と唯一心を通わすことができた人物、それが作者の来栖宥子である。
 作者は特別な人物というわけではない。カトリックを信仰する、普通の主婦である。そこにあるのは、一人と一人の人間の心のふれあいである。

 自分の勝手な思いこみなのだろうが、勝田は古谷惣吉、大久保清などの大量連続殺人事件犯人とは異なっている気がする。勝田からは異常とか狂気とかいうようなイメージが見えてこない。勝田が殺人を犯したのは、単に自らの見栄を張った生活を維持、もしくは拡張するためがゆえに金を必要とした結果だけだと思っている。ただ、殺人を犯しても罪悪感というものには少々乏しかったように見えるが。もし彼が金持ちの家に生まれていたとしても、結局は金を使い果たして窃盗、殺人の道に走っただろうとは思う。結局は欲望に限りがなかったというだけだろうか。
 この本を読むと、勝田という人物の本当の姿が見えてくるのではないだろうか。少なくとも彼からは異常さが見られない。

 この本を読むと、死刑囚といえども人間であることに変わりがないということがわかる。もちろん、勝田が犯した事件については償う必要があったであろう。そして、それに対する刑は、死刑という刑が刑法に存在する限り、死刑以外有り得なかったであろう。それでも勝田が執行されるまで、点字のボランティアに勤しんでいたことは記憶されてもよいと思われる。

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