山口二矢は日比谷公会堂の舞台に駆け上がり、社会党委員長浅沼稲次郎の躰に向かって一直線に突進した……。右翼の黒幕に使嗾されたというのではない自立した十七歳のテロリストと、ただ善良だったというだけではない人生の苦悩を背負った六十一歳の野党政治家が激しく交錯する一瞬を描き切る。(粗筋紹介より引用)
【目 次】
序 章 伝説
第一章 十月の朝
第二章 天使、剣をとる
第三章 巡礼の果て
第四章 死の影
第五章 彼らが見たもの
第六章 残された者たち
第七章 最後の晩餐
終 章 伝説、再び
1960年10月12日午後3時頃、日本・東京都千代田区にある日比谷公会堂において演説中だった日本社会党の委員長である浅沼稲次郎(61)が、17歳の右翼少年山口
この事件があった頃には生まれていなかったため、印象としては単なる暗殺事件というイメージしかなかった。日本社会党だって無害な万年野党というイメージしかなかったので、少年が殺害したという事実しか捉えることができず、そこに安保や右翼というキーワードが入ってくるのは後年のことであった。
こうして一冊の本の形で読むと、加害者である山口、被害者である浅沼の双方の苛立ちと苦悩、そして焦りが浮かび上がってくる。特に山口二矢という少年の純粋さには驚かされる。人はここまで純粋になれるものだろうか。その思いの全てが正しかったとは思わないし、殺人という手段を取ることが正しいとは思わない。それでも、己の信念をもってまっしぐらに目標へ立ち向かう姿を見ると、これが別の方向に向いていればと思わずにいられない。
この本では先に述べたとおり、加害者である山口だけではなく、被害者である浅沼、さらに当時の右翼、日本社会党、社会情勢などの背景についても描写されている。また日教組などの背景についても触れられている。政治が、組織が、故人が抱えていた不満、問題点、矛盾などがある程度ストレートに表に出すことができた時代だったのかもしれない。その一つが安保闘争であり、デモであり、妨害行動だったのだろう。この暗殺事件は、あまりにも悲しい結末の一つではあったが。相手の意見を闇雲に排除する。これがどれだけ恐ろしいことなのかを、家庭や教育の場で語られていなかったことが悲しくて仕方がない。
この作品の取材量は膨大である。主要参考文献でも36冊。読みながらも使うことのできなかった文献、新聞、それに様々な事件関係者に対するインタビュー。事件からすでに10年以上が経っているのに、なぜ沢木耕太郎はここまでの情熱を傾けることができたのだろう。山口は第三撃を与えようとしたとき、刑事が刃を素手で掴んだため、刑事の手がバラバラになることを恐れ、短刀から手を離したという。右翼に伝わるといわれるこの伝説を確認するため、治療に当たった当時の医者にまであたる取材の丁寧さと執念深さには恐れ入ってしまう。
私はこの作品を読み、当時の情勢を全く知らなかったことに驚いた。今更ながら、自分の不見識を恥じ入るばかりである。
ノンフィクションの傑作と言っていいだろうし、お手本といってもいいだろう。この作品で沢木耕太郎は1979年 、第10回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。
日本社会党といえば、戦後日本で長く野党第一党の位置を占めていた政党である。1947年には第一党として片山哲が総理大臣にもなっている。しかし徐々に衰退し、1996年には社会民主党と改称したが、分裂の結果、2010年現在では国会議員10数名という少数政党の位置にまで落ちている。もし山口二矢が自殺することなく生きていたとしたら、今の日本をどう見るのだろうか。1943年に生まれた山口が2010年でも生きていたとしたら、67歳になる。
『文藝春秋』1978年1月号〜3月号に掲載された作品を全面改稿し、倍以上書き足した上、1978年9月に文藝春秋社より単行本として刊行。本作品は1982年9月に文庫化されたものであり、文庫版のあとがきが新たに書き足されている。
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