今枝仁『なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか』
〜『光市母子殺害事件』弁護団を解任された“泣き虫弁護士”の闘争手記〜
(扶桑社)


発行:2008.4.10




 不気味な、モンスターのような凶悪犯――。

 それが、光市母子殺害事件の被告弁護団に参加する以前に、「被告少年」に対して初めて抱いた僕の印象だった。テレビの画面を通して繰り返し流されていた、押送時の、警察車両の下から垣間見えるスローモーションのサンダル履きの姿。実体が見えないことも手伝って、事件報道に触れた多くの人が感じたのと同じように、「得体の知れない、邪悪で危険な人物」というネガティブなイメージが膨張していった。非行の限りを尽くし、人間性を失い、行き着くところまで行った上での最悪の凶行。悪の中の悪を実践した、まさに、人間の皮を被った「悪魔」――そういう印象だった。
(中略)
 僕がF君と最初に接見したのは、2006年の冬を迎えようとする年末、事件発生から既に7年以上の歳月が過ぎていた。
 広島拘置所の接見室。透明のアクリル板を間に挟んで無機質なパイプ椅子に腰掛けた青年は、調書を通してすでに知っていた実年齢を疑うくらい、あどけない表情と、まだ幾分幼さの残る声で、最初の挨拶を交わしたのを覚えている。
 目を背けたくなるような冷酷で残忍な重大犯罪を犯した犯人像とはよほど結びつかない……目の前のF君の姿に、最初は戸惑った。世に言われている、そして自分が抱いていた被告人のイメージと目の前に佇むF君の姿とのギャップの大きさに、本人を見て驚かない人はまずいないだろう。
 接見を繰り返すうち、F君は徐々に、そして訥々といろいろなことを僕に話してくれるようになった。
(中略)
 こういった経緯を含め、本書を出版する一番の目的は、光市母子殺害事件などの問題を通じ、刑事司法の中でその一翼を担うべき刑事弁護とはいったいどのようなものであり、いかに困難を伴った活動であるかを明らかにし、その趣旨や意義を正しく理解した上で評価、批判するべきだということを社会に訴えることにある。偏った報道が社会に与える予断の危険性は、国民が刑事司法に参加する裁判員制度によってリスクが増大することが予想される。そのリスクの被害を被るのは、被告人であり、弁護人であり、さらにはそのような歪んだ制度を抱えることになる国民全般だ。
 我が国では重罪によって逮捕される者は、長期間の身柄拘束の末に起訴されるのが通例であるが、大事件については概して、警察情報を流すマスコミの宣伝が先行し、一般市民は被告人とされた者に「強い予断」を抱いた状態の中で裁判が開始される。
(中略)
 さらにこの本が、光市母子殺害事件のご遺族や関係者の方々が、この事件の原因や真相、F君という人物を理解する上で、少しでもお役に立てば幸いである。客観的には、僕の立場はあくまでも被告人の言い分を前提にした、弁護人の目から見た片面的なものかもしれない。だが、立体物を複眼視し、いろいろな角度から光を当てないとその実像が浮かび上がらないのと同様に、被告人が述べ、弁護人が主張した「事件の真相」を詳しく明かすことは、これに批判的な検討を加えることも含め、各自の「自分が考える真相」に近づく上で有意義と信じている。
(後略)

(「序章」より一部引用)


【目 次】
序章 F君との約束
第1章 光市母子殺害事件[前編]〜解任劇の舞台裏〜
第2章 光市母子殺害事件[中編]〜「大弁護団」内部での対立
第3章 心療内科病棟の中で過ごした青春時代
第4章 夜の街から、司法の世界へ
第5章 「被害者とともに泣く検察」
第6章 「ノキ弁」からスタートした刑事弁護人
第7章 光市母子殺害事件[後編]〜元弁護人から見た光市事件の真相〜
第8章 橋下徹弁護士による「懲戒請求」扇動問題
第9章 刑事弁護の神髄
終章 「まだ、最高裁がある」
光市母子殺害事件◎事件発生から現在までの流れ


 1999年4月14日午後、山口県光市のアパートの会社員Mさん(23)方で、排水検査を装った市内の男性会社員F(18)がMさんの妻(23)を襲い、抵抗されたため首を手で締めて殺してから陵辱。さらに近くで泣き叫んでいた長女(11カ月)を持っていた紐で首を絞めて殺し、二人の遺体を押入に隠してから財布を盗んだ。山口地裁は2000年3月22日、無期懲役の判決。閉廷後、死刑を求めていたMさんは「司法に絶望した。被告を社会に出して欲しい。自分の手で殺す」と会見の場で話した。検察側は控訴したが2002年3月14日、広島高裁で控訴棄却。2006年6月20日、最高裁は一・二審の無期懲役判決を破棄、広島高裁へ差し戻した。2008年4月22日、広島高裁は一審を破棄し、死刑を言い渡した。現在上告中。
 光市母子殺害事件の差し戻し控訴審で他の20名とともにF被告の弁護団に入るも、安田好弘弁護士らと対立し、結局F被告から弁護人を解任された今枝仁弁護士の手記。本のタイトルや帯の言葉を見る限りでは、光市事件における弁護団の舞台裏を暴露したかのように見えるのだが、「序章」にあるとおり光市事件の“真相”とともに、刑事弁護士とはどういう立場の人間なのかということについて熱く語った一冊になっている。もし光市事件についてのみ興味があるという方については、第1章、第2章、第7章のみを読めばよい。第3章から第6章は筆者が刑事弁護士になるまでの「独特で奇異な自分の成育歴」(文中の言葉より)を記したものである。筆者がなぜF被告を弁護したかを知りたい場合については読んだ方がよいと思うが、事件の「真相」を知りたい、という人には無用のものである。
 本書で筆者は弁護団の活動方針(特にマスコミ対策)や弁護方針(法医学を重視して犯行態様と殺意の有無に重点を置いたこと)に疑義を抱き、対立したあげく弁護人を解任された流れを書いている。これは一方からの視点であり、対立する側がどういう考えでいたのかは書かれていない。そのことは念頭に置くべきだ。それでも作者はできる限り感情的な部分を排除して弁護活動の流れを述べようとしている。「死刑廃止運動のために事件を利用しているのではないか」という点については、誤解が生じても仕方がないような状況にあったことは否定しないが、実際に死刑廃止運動とリンクした行動は起こしていないと述べている。また犯行態様や殺意の有無といった弁護の中身そのものについては否定していない。
 第8章は橋下徹弁護士による「懲戒請求」扇動騒動について書かれている。橋下徹弁護士がテレビのバラエティ番組で「懲戒請求」を煽るような発言そのものはいただけないものと思っている。特に肝心の橋下弁護士が懲戒請求を出さなかったことについては、腰砕けもいいところであった。ただ、それだけの“怒り”を弁護団は受けていたという事実は覚えていてもよいだろう。

 筆者はF被告の言葉を幾つか載せている。もちろん、これが本当の言葉なのか、そしれF被告の本心なのかはわからない。ただ言えることは、たとえF被告の生い立ちに不幸な事情があったとしても、それが刑罰に大きく影響するものであってはならないと思っている。また殺意の有無など証明は不可能だから、首を絞めたという事実だけで「殺人」としての罪を問われるべきである。少なくとも「傷害致死」などという主張は受け容れられるものではないだろう。F被告に同情するのは勝手だが、F被告が何の罪もない二人を殺害した、という事実をもうちょっと考えてほしいと思うし、生きていたって償うことは不可能であることももっと考えてほしい。たとえ精神的に未熟なところがあるからと言って、殺人は許されるものではない。F被告を弁護する側の著書を幾つか読むと、どうしてもその視点が欠けているようにしか見えない。いくら冥福を祈っていると言葉で書いても、どうしても気持ちがこもっていないように見えるのは私だけではないだろう。作者には申し訳ないが。まあ、弁護団内部の対立部分については不謹慎なれど面白く読むことができた。
 ただ、終章の言葉はいただけない。死刑判決を受けて「まだ、最高裁がある」と叫んだのは無実の罪を着せられた被告だ。F被告は無罪ではない。殺人者だ。同じ列に並べてはいけない。こんな事もわからないようでは、弁護士としてはまだまだだろう。

 『年報・死刑廃止』では東京造形大学教授の前田朗が毎年「死刑関係文献案内」を書いている。死刑廃止論者である前田の偏向的な文献案内には呆れるところが多いのだが、この本についてはまったく触れていない。弁護団に批判的なものも含め、他の光市事件関連本については紹介しているにもかかわらずである。この辺の依怙贔屓ぶりにはいつもながら笑ってしまう。
 帯ではこんな言葉が書かれている。
 実際の裁判を「死刑廃止論」に利用し、「復活の儀式」「母胎回帰ストーリー」といった荒唐無稽な主張を展開させ、空前絶後のバッシングに晒された光市事件弁護団を“解任”された男が、事件の真相を衝撃告白。
 売るために刺激的な惹句を帯に着けるのは出版社側の定石だが、これでは中身でいくらF被告を弁護していようと、受け容れられない人がいることは間違いない。作者の意図しない内容の惹句が書かれてしまったことには同情する。

 今枝仁は1970年、山口県生まれ。上智大学法学部卒業後、1996年に東京地方裁判所刑事部事務官に任官。1998年、司法試験合格。2000年、東京地方検察庁検察官に任官。2001年、検事を退官して広島弁護士会に弁護士登録。広島弁護士会刑事弁護センター副委員長、広島被害者支援センター監事等を務める。


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