佐木隆三『女医絞殺』(小学館文庫 隣りの殺人者4)


発行:2000.6.1




 千葉市内の新興住宅地で女性の絞殺死体が発見された。被害者は千葉大医学部病理学教室の研究生で、知らせを聞いて駆けつけた夫の正とは、前年十月に結婚したばかり。正も付属病院整形外科の研修医である。敷地一五〇坪の豪邸に住む新婚夫婦だったことから世間が注目。当初から夫が疑われ、過熱する報道の中で女性関係も浮上した。 逮捕された青年医師は妻の依頼を受けての絞殺だったと主張。嘱託殺人か、それとも一方的な犯行か。法廷で争われた絞殺の方法を徹底分析し、問題の女性関係も掘り下げて事件の全貌に迫った渾身のドキュメント・ノベル。(粗筋紹介より引用)
 1984年9月、徳間書店より『千葉大女医殺人事件』のタイトルで単行本刊行。1989年9月、徳間文庫化。隣の殺人者シリーズとして小学館文庫から改題されて復刊されるにあたり、被害者を仮名に替えている。

【目次】
第1章 路上殺人
第2章 ダンサー
第3章 緊急逮捕
第4章 冒頭陳述
第5章 トルコ嬢
第6章 嘱託殺人
第7章 生命保険
第8章 ベクトル
第9章 強姦魔S
第10章 論告求刑
第11章 最終弁論
第12章 懲役13年

 1983年1月7日午前4時頃、千葉市の路上で千葉大医学部の女性研究医(25)の死体が発見される。警察は顔見知り、行きずりの両面から捜査を開始し、22日、夫である千葉大附属病院研修医S(25)を逮捕した。二人は大学の同級生で、1年生の7月から付き合い始め、4年生の時からは同棲。卒業後の1982年4月に結納を交わして婚約。10月に帝国ホテルで結婚式を挙げた。Sは女性研究医の婿養子であり、病院を経営している妻の父親から自宅を新築、就職の世話もしてもらっていた。しかし女遊びの癖がついており、1982年6月下旬には千葉しないのトルコ風呂で女姓と親しくなり交際を続け、10月下旬には千葉市内のパブレストランでフィリピン人ダンサーと知り合って付き合っていた。1982年末、出張だと偽り、地方巡業しているダンサーと愛媛県で密会。帰宅後の6日、妻から女性関係、金銭問題で追求され逆上。実家に帰ろうとした妻の首を電気コードで絞めて殺したものだった。我に返ったSは強盗に襲われたように偽装するため、遺体を付近の路上に放置した。
 Sは2月に養子縁組を解消し旧姓のFに戻った。Fは取調中も不可解な言動を続け、1983年4月1日からの初公判では起訴事実を否認。その後は妻から自殺したいと頼まれたので殺したと嘱託殺人を主張。その後の言動も子供じみていた。1984年6月1日、千葉地裁で懲役13年(求刑懲役15年)判決。1987年、12月10日、東京高裁で被告側控訴棄却。
1990年3月15日、最高裁第二小法廷で被告側上告棄却。特別抗告中の3月22日、東京拘置所の独居房で、畳から抜いた糸を首に巻き付け、ペンを差し込んで捻って首を絞めて自殺。判決が確定する前に死亡したため、公訴は棄却された。医師の資格も剥奪されなかった。


 本書は1983年1月7日に発生した千葉大女医殺人事件のノンフィクションである。新婚3か月のエリート夫婦による殺人事件であり、犯人である夫の言動も含め、マスコミの話題になった。
 本書は佐木の多くの作品と同様、主に法廷を傍聴して克明に記録することで、事件を浮かび上がらせる手法を採っている。第1章から第3章までは事件の状況と逮捕までを延べ、第4章以降は千葉地裁における一審のやり取りを記載したものである。
 本書の主眼となるのは、Fがなぜ罪を犯したのか、である。ともに医師国家試験に合格したエリートであり、妻の父親は開業外科医の高額所得者。婿養子となったことで、病院を継ぐことも確実だった。給料の他に生活費の一部を援助してもらい、何不自由なく生活していたのに、なぜ美人の妻を殺害したのか。これについて佐木は「この本を読んでいただければ、自ずから明らかになるはずだ。わたしとしては、読者に判断のの材料を提供できたと思っている」とあとがきで書いているのだが、私にはいまだに不明である。少なくとも女性関係がばれて離婚されれば、己の地位が崩壊することは間違いないだろうから、殺害に至ったことは間違いないだろう。ただ、なぜFは勤労意欲を失い、別の女姓と付き合うようになったのだろう。佐木は小学館文庫版のあとがきで、「医師になるべきでないものが、医師になるために医科大に入った」とFのことを書いている。同級生の回顧談(出典がどこか不明)で、「メカに強くて明るいから、エンジニアになるべきだった」と語られている。やはり医師には向いていなかったのだろうか。
 Fが相当もてたことは間違いない。先の回顧談で、大学3年の時に女を90人以上経験していた、初体験は小学5年で相手は家庭教師だったと語られている。本人談だからどこまで本当か分からないが、真実であってもおかしくない顔写真ではあった。しかし、結婚式で300人近く出席しているのに、Fの友人は2人だけ、というところに、本人の人間関係が表れているような気もする。
 Fは裁判で嘱託殺人を主張するも、話の節々に矛盾が生じ、辻褄合わせに苦労する。結局F本人は、大人になりきれないまま破局まで進んでしまったのだと思う。宮崎勤ではないが、Fも夢の中の住人だったのかも知れない。



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