佐木隆三『閃光に向って走れ』(文春文庫)


発行:1982.12.20




 1945年11月12日、福岡県田川郡の二又トンネルにおいて、武装解除の一環として占領軍が行った火薬処理の焼却に失敗し、山全体と多数の民家が吹き飛ばされて死者147人、負傷者149人を出した事故である英彦山爆発事故(二又トンネル爆発事故)について書いた「火の中に消えた」。『オール讀物』1977年3月号掲載。
 日本軍として戦った台湾の高砂族について書いた「見たかもしれない青空」。『オール讀物』1977年11月号掲載。
 1975年6月17日に発生した北九州組員4人連続殺人事件について書いた「狙撃手は何を見たか」。『小説現代』1977年7月号掲載。
 1975年8月23日に発生した寝屋川若夫婦強殺事件について書いた「閃光に向って走れ」。『問題小説』1978年2月号掲載。
 1978年2月、文藝春秋より刊行。1982年12月、文春文庫化。

 犯罪物を集めた短編集。戦中・戦後を扱った前2本は、佐木にとっては異色の題材である。もっともあとがきを読むと、本人はこのような路線の作品を続けていきたいという意向があったようだ。個人的には興味がない分野であり、読んでもそれほど面白さを感じなかったので、これ以上の感想は控える。
 「狙撃手は何を見たか」は先に書いたとおり北九州組員4人連続殺人事件が題材である。作者は後に犯人から手記を受け取り、それをまとめるような形で『曠野へ―死刑囚の手記から』を書いている。本短編はそれに向けての抜粋としか言えないような仕上がりであり、読んでいても内容に膨らみがなく、面白さに欠ける。
 表題作ともなっている「閃光に向って走れ」の題材となった寝屋川若夫婦強殺事件は以下のような事件であった。

 台風6号が接近した1975年8月23日午前3時頃、タクシー運転手W(38)は、以前に客の男性が忘れていった合鍵を持ち、大阪府寝屋川市にある鉄筋4階建てアパートに酒の勢いで忍び込んだが、男性は転勤しており、2年間の約束で新婚夫婦が男性からその部屋を借りていた。Wは起きてきた夫(23)ともみ合い、ナイフで刺した。さらに起きてきた妻(22)も刺した。その後、部屋で休憩を取り、3時間後に退散。妻が110番通報したものの、途中で事切れた。駆けつけた警察は、玄関に鍵がかかっていたため、隣の部屋のベランダを通って窓から入り、二人を見つけた。妻は死亡、夫は重体で病院に運ばれたが、翌日に死亡した。
 部屋の鍵は全て見つかっていたことや、滅多刺しによる残虐な犯行、事件後3時間も部屋に居座っていたことから、当初は妻の知り合いによる恨みではないかと捜査陣は睨んだが、該当者はなく捜査は難航。その後、警察が部屋の持ち主の男性に確認したところ、タクシーで財布等を落とした時、一緒に鍵を落としたことを思い出した。調べた結果、Wが捜査線上に浮上。12月7日、クレジットカードの不正利用による遺失物横領、詐欺容疑で逮捕し、取り調べの結果、1976年1月17日に犯行を自供した。
 詐欺、住居侵入、強盗殺人、遺失物横領、窃盗容疑で起訴。
 Wは1977年9月6日、大阪地裁で求刑通り死刑判決。1978年3月31日、大阪高裁で被告側控訴棄却。1980年11月6日、最高裁で被告側上告棄却、死刑確定。1988年6月16日、死刑執行。当日は先に徳島母子殺害事件の死刑囚が執行されたことからもう執行がないと踏んでいたが、自分も呼ばれたため、「ウソやろ! ……かなわんなあ……」とぼやきながら執行に向かったと言われている。51歳没。

 本作品では、被害者周辺を調べても容疑者が全く浮かび上がらず苦悩する捜査陣が書かれているが、鍵の件に気付いた下りから一気に犯人へ迫る部分は駆け足で物足りない。犯人にしても、鍵を持っていたからいつか盗みに使おうと思ってチャンスを窺い、いざ盗みに入ったら思惑と違っていたので殺しました、というだけの描写に終わっている。やはり殺人に至るまでの犯人像に深く迫ってほしかったというのが本音である。
 この辺の短編群は、『殺人百科』シリーズのテイストで書かれたのであろうが、そちらに比べても今一つ内容への突っ込みが足りなく感じるのは気のせいか。今までだったら裁判を通して判決が出るまでを書いていたのに、本書では逮捕の時点で終わってしまったことが要因と思える。

 正直に言ってしまうと、今ひとつな作品群。あまり取りあげられない事件を題材としていることが救いだろうか。


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