佐木隆三『事件百景 陰の隣人としての犯罪者たち』(文春文庫)


発行:1985.10.25




 タイのチェンマイ幼な妻事件、大阪のにせ夜間金庫事件、名古屋の田中角栄私設秘書事件、別府の車ごと海中転落事件など、現実に起きた事件を題材に、犯罪小説の第一人者が、今なぜ犯罪なのかを問う。殺人者の"日常"を描いた画期的なドキュメンタリー小説「殺人百科」に続くクライム・ノベルの野心作。(粗筋紹介より引用)

【目次】
 第一話 チェンマイから来た男
 第二話 黒装束、恨みの角栄節
 第三話 わたしとあなたの偽金庫
 第四話 華麗なる贋作
 第五話 人間模様アラカルト
 第六話 理想のタイプの女たち
 第七話 特攻隊員・ポール
 第八話 三億円のダイビング


○第一話 チェンマイから来た男
 1973年1月8日、タイの北部チェンマイ市で13歳の少女を農家から買って強姦したという人身売買容疑のある、39歳の日本国籍の製陶業者が逮捕された。ただし、この時の容疑は、、パスポート不携帯の密告があったためである。しかし被害者の両親は告訴を拒んでいたため、いったん釈放。男性はバンコクのタイ政府移住局に預けていたパスポートを取り、再びチェンマイ警察署に戻ったところを強姦容疑で逮捕した。男性は13〜17歳のタイ女性7人を、仲介人を通じて、1人1万バーツ(当時1バーツ=約15円)前後で買い、チェンマイ市の自宅に閉じ込めていたが、1人が逃げ出して訴えたことで明らかになった。タイの法律では、例え両親の承諾があっても13歳以下の少女との性行為は強姦とみなされるため、男性は7人を妻ないし養女と主張した(後日、13歳の少女については処女膜が確認された)。男性は観光ビザで訪れ、年間2,3か月程度自宅に泊まる。妻たちはこの期間だけ同居し、普段は実家へ帰っているという。男には他にチェンマイ市周辺の農村に4人の妻がいた。合計11人の妻と2人の養女となる。うち2人の妻には男児が1人ずついた。妻には毎月300バーツ、養女に100バーツを生活費として渡していた。
 しかし、男性には麻薬密輸の容疑があった。1月19日付で日本外務省が旅券返納命令を出す。30日、チェンマイ地検は人身売買他について不起訴処分と決定。2月1日、警察庁から3人が男性を引き取りに来た。強制退去させられ、2月3日午後5時、飛行機がベトナム沖の公海に差し掛かった時、覚せい剤取締法違反容疑で逮捕される。その後の取り調べで、韓国と香港にも現地妻がいることを明らかにした。戦後最大の密輸事件として多くの人物が逮捕された。
 男性は起訴後、保釈金を支払って釈放。1973年12月から週刊誌で「かぎりなき愛の記録-チェンマイ11人の幼な妻」を連載した。1974年6月4日、バンコク市で変装を見破られ、密入国で逮捕。旅券法違反・出入国管理法違反等で懲役1年2月の実刑判決を受けて服役した。覚せい剤密輸事件については、1975年12月4日、懲役5年罰金100万円(求刑懲役8年罰金150万円)が言い渡された。後に控訴、上告するが棄却されている。

○第二話 黒装束、恨みの角栄節
 名古屋市の女性Sは、当時自民党幹事長だった田中角栄の秘書と偽り、クラブのホステスである姉から紹介された名古屋市周辺の中小企業経営者に近づき、政治献金と偽って現金等を騙し取った。田中角栄の声を真似た電話や手紙などでだまし続け、1966年から1974年まで、被害者5人から現金、小切手、約束手形など計4億6000万円を騙し取っている。1975年2月14日、Sは詐欺容疑で逮捕された。被告人の衰弱が激しいことからスピード審理となり、9月29日、名古屋地裁で懲役4年(求刑懲役7年)判決。控訴せず確定した。慢性の潰瘍性大腸炎患者でありほとんど食事をすることができず、1976年1月15日、笠松女子刑務所で心不全で病死。39歳没。

○第三話 わたしとあなたの偽金庫
 1973年2月25日(日)の午後8時37分ごろ、三和銀行阪急梅田北支店に設置された夜間金庫に投入口開閉不可能の掲示札がかけられ、ちょっと離れた銀行の通用口に別の仮金庫が設置されていた。合計69人、合計2576万680円が入れられたが、午後9時10分、69人目の利用者が現金袋を投入しようとしたところ、投入口につかえてはいらない。押し込んだところ、金庫の下部が崩れ、現金袋がはみ出してきたため、慌ててパトロール中のガードマンに連絡。その後、銀行の方に連絡され、仮金庫が偽物と発覚した。モンタージュ写真が作られたものの犯人は捕まらず、迷宮入りした。

○第四話 華麗なる贋作
 1961年12月7日、日本銀行秋田支店発券課の19歳の行員が千円札の偽札を発見。その後1963年11月4日まで、聖徳太子像の偽千円札総計343枚が発見された。37種類目の偽千円札であったことから、チ三十七号事件と呼ばれる。たまりかねた政府は1963年11月1日、伊藤博文像の新千円札を発行した。事件は迷宮入りし、1973年に時効が成立した。

○第五話 人間模様アラカルト
 横領事件、万引き女性への恐喝事件、1973年11月17日の不倫相手の夫爆殺事件、1973年6月の強姦事件に伴う少年誤認容疑事件を扱っている。

○第六話 理想のタイプの女たち
 1972年の結婚詐欺事件。前後10回、計44万5000円を騙し取った詐欺容疑で7月16日に逮捕。その後、他4人からもだまし取っていたことが判明。11月9日、東京地裁八王子支部で懲役3年2月(求刑懲役4年)の実刑判決を受けた。

○第七話 特攻隊員・ポール
 1972年11月6日、東京発午前7時20分、福岡行きの日本航空三五一便が、アメリカの永住許可権を得ている47歳の日本人にハイジャックされた。1970年のよど号事件、同年8月の全日空機ハイジャック事件(犯人は心神耗弱と判断された)に続く3回目のハイジャック事件だった。要求はキューバへの政治亡命と200万ドルの身代金。当初は流ちょうな英語での要求だったので、乗客である唯一の外国人である日本在住のドイツ人社長が疑われた。ただし犯人は、先月まで運行されていたダグラス社のDC8-62号機と勘違いしており、ハイジャックしたボーイング727-19では飛行距離が短いため、羽田空港で飛行機の交換も追加要求した。10時46分、飛行機が羽田空港に戻った。午後2時37分、人質のうち乗客が飛行機を降り始める。3時4分、警察側は空港リムジンバス3台をDC8の死角に付け、乗客を救い出して逃げ出した。4時4分、犯人と乗員3人がDC8に乗り移ったが、中に潜んでいた刑事7人が犯人を捕まえた。
 なお同日は国鉄の北陸トンネル内での火災事故による死亡事故があり、政府は二つの対策本部を指示することとなった。また、乗客の中には久留米市において化粧品メーカーの慰安会に出演する予定だった江利チエミ、三田明、バンド関係者がいた。日本航空は200万ドル、約6億円強を東京銀行から借りており、7時間の借入金に対する利息は11万6000円だった。
 1974年3月13日、東京地裁は男に懲役20年の判決を言い渡した。動機は一攫千金を狙ったものであり、米国内で逃走に使う予定のパラシュートを持っていた。控訴、上告も棄却され、確定している。

○第八話 三億円のダイビング
 1974年11月17日に起きた荒木虎美3億円保険金殺人事件。大分地裁で公判中までが書かれている。

 『殺人百科』に続き書かれたシリーズであり、1979年5月に徳間書店から単行本で発売された。本書はその文庫版に当たる。
 長編1冊で事件の真相を詳細に迫るのもいいが、事件の概要や犯人の裏側をあぶりだすならこの程度のページで充分であり、その方が色々な内容の物を読むことができて楽しい。『殺人百科』は殺人事件ばかりを扱っているが、本書ではそれ以外の事件が中心であることから、タイトルを変えたのであろう。いずれも1970年代前半に起きた事件を取り扱っており、狂乱物価の状態を映し出した事件も多い。作者があとがきでも言っているが、「犯罪は時代の貌」である。
 このシリーズを書いていたころは、作者の筆が乗っていたころだったと思う。このシリーズはおススメである。


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