一橋文哉『宮崎勤事件―塗り潰されたシナリオ』(新潮文庫)


発行:2003.9.1



 80年代末の日本を震撼させた連続幼女誘拐殺人事件。「今田勇子」の名で犯行声明まで出した犯人・宮崎勤の狙いは何だったのか。彼は本当に精神を病んでいるのか。事件には、驚くべきストーリーがあった。捜査資料と精神鑑定書の再検討、関係者への粘り強い取材が、裁判でも明らかにされない真相を浮かび上がらせる。事件は終わっていない。今も宮崎勤は自作自演の舞台に立ち続けている。(粗筋紹介より引用)
 2001年6月、新潮社より単行本刊行。2003年9月、文庫化。

【目次】
  第一章 秘密
  第二章 孤立
  第三章 相剋
  第四章 冷血
  第五章 防衛
  第六章 宝物
  第七章 主役
  宅間守と宮崎勤の共通する世界(文庫特別編)
  資料編(知人への手紙、犯行声明、上申書、年表、関連地図など)

 匿名の警察幹部による、「(前略)少なくとも逮捕当時は、どこにでもいるような、孤独で人付き合いの下手な若者の一人でしかなかったよ。あの事件は、そんな"ごくありふれた人間による普通の犯罪"だったんだ」「宮崎のやったことは異常そのものだ。ただ、マスコミの過剰報道で世間が異様な盛り上がりを見せ、『異常者・宮崎』のイメージが実態以上に膨らんでいったことは否めないだろう。(中略)実は、宮崎の犯罪や彼自身のイメージが"作り上げられたもの"、つまり、虚像でしかなかった」「ただ、"ある事情"があって、どうしても真相を解明するための時間を稼がなければならなかった。(中略)我々は当時、宮崎事件を"分かりやすい事件"にするために、さまざまな手段を講じようと精力を注ぎこんでいたんだ。そして、一つの作戦を思いついたんだ」「彼は役者であったということ、つまり、われわれ捜査関係者だけではなく、裁判官や弁護士、そして家族の前でさえも、『犯罪』という名のドラマを演じていたってわけさ」「宮崎被告は自ら、完全犯罪を狙って犯行のシナリオを書き、それに沿って行動していたんだ」などの言葉を基に、宮崎勤周辺への取材や裁判などの資料の再検討を行い、幼女連続殺人事件の犯人である宮崎勤の真相に迫った一冊。

 今更宮崎勤がどういう犯行を犯したかについて書く必要性はないだろう。しかし逮捕から死刑が確定するまで約16年半、一審の精神鑑定では〈1〉極端な性格の偏り〈2〉多重人格性障害を主体とした精神病〈3〉潜在的に統合失調症を発病とする三通りの結果が出たこともあり、その「真相」は未だ闇の中ともいえる。
 そういう経緯もあり、本書は宮崎勤の生い立ちから事件の概要、そして一審の様子までが事件資料も含めて掲載されているので、事件を一から知るにはちょうど手頃な一冊とはなっている。
 ただし、肝心の「塗り潰されたシナリオ」については、著者の推測が多い。宮崎本人のみならず家族や被害者遺族などにも取材は行っていないため、どうしても伝聞部分が多い。嫌な言い方をすれば、思い込みによって書かれた部分が多いのだ。精神医学を学んできたわけではない著者が、宮崎の精神状態について検討を加えたところで、素人の考えで終わってしまう。もっとも、そんな学者たちだって色々で、自分の思い込みや学論などに引っ張られた鑑定も多いだろうが。
 さらにそれだけ検討を重ねてきても、すっきりした結末になっていないところが残念。せめて裁判が終わってから、こういう本を出してほしかった気がする。
 ちなみに文庫特別編として収録された「宅間守と宮崎勤の共通する世界」は蛇足。宅間は死刑になりたくなかった、という推論とは裏腹に、宅間守は一審判決後、弁護側の控訴を自ら取り下げ、死刑が確定している。
 ただ、事件発覚当時におけるマスコミの世論を誘導した報道については、なるほどと思うところも多かった。マスコミに踊らされてはいけない。

 個人的な意見だが、宮崎勤は残酷な方法で4人を殺害したことに疑いは全くないのだから、罪は罪としてサッサと処罰すべきだったと私は思う。少なくとも10年以上も裁判に時間を費やす必要はなかった。宮崎勤事件から、いったいどのような教訓が得られたのだろうか。どのような対策が取られたのだろうか。精神異常者は保護されるようになったのだろうか、いやなってはいない。はっきり言って、何も変わってはいない。喉元を通り過ぎれば、結局は元通りになるのだ。だったら、裁判では事実関係を調べるだけでよかった。異常犯罪者に更生を期待しても無駄。宮崎事件の教訓は、何一つ生かされていない。

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