和多田進『ドキュメント帝銀事件』(ちくま文庫)

発行:1986.7.26



 昭和23年1月26日、戦後の混乱期におきた集団毒殺事件―帝銀事件は、世間を震憾させた。犯人とされた平沢貞通は無実を訴えつづけながら獄中で死を迎えた。ここに一貫して事件の真相を追い続けてきた著者が、いくつかの関連し合った事件を解きほぐし、冷静に分析しながら真犯人像へと迫る。戦後最も話題を呼んだ犯罪を徹底的に追跡した衝撃の記録。(粗筋紹介より引用)

【目次】
第1部 追跡・帝銀事件
 I 「単独同一犯説」を疑う
 II 清水虎之助の「不在実説」を疑う
 III 「虎の絵」の謎
第2部 毒の告発
 I
 II
 III


 帝銀事件は犯人とされた平沢貞通の死刑が最高裁で確定し、そして1987年5月10日に平沢が肺炎で死亡したことで、表向きには全ての決着が付いたことになっている。しかし、平沢無罪説は逮捕当初から叫ばれており、現在でも再審請求を提出している状況である。また、様々な人物が帝銀事件の「真相」を追い続け、様々な著書が今でも出版されて続けている。本書もそんな一冊である。
 本書では「彼」が謎の歯科医「奥山庄助」(仮名)を訪れたところから始まる。そして帝銀事件や2つの未遂事件が平沢の単独犯行であるという判決に疑問を抱き、調書などから推理する。
 その後、帝銀事件で平沢が有罪とされた根拠の一つである所持金134,000円について、平沢が「清水虎之助からもらった」と供述したその清水が実在の人物であったことを立証する。
 続き、平沢が描いたとされる「虎の絵」の謎を追い、事件全体の構図を推理する。
 第2部では、帝銀事件で使われた毒の謎に迫る。

 帝銀事件では素人の平沢に毒などを取り扱うことができないというのが、無罪説の有力な根拠の一つになっている。逆に平沢の所持金について納得のいく説明ができなかったことが、有罪の大きな根拠となっている。本書ではその2つの点を中心に解決すべく、「帝銀事件研究会」と呼ばれてもおかしくないような、事件に興味のあるものたちが情報交換をする機会を幾度か持った、と冒頭にある。文庫版あとがきで、稲葉康夫氏とその夫人、そして芹沢雅子氏の名前を挙げ、感謝の意を表している。少なくとも冒頭に挙げた疑問点については謎に迫るべく様々な立証を試みているが、動機についてほとんど語られていなかった点については残念なことか。
 内容としてはコンパクトにまとまっている。“ドキュメント”というタイトルがあっているかどうかはちょっと疑問だが、帝銀事件の推理ものを読むにはオススメしてもよい一冊だろう。

 この本の原型となった轍寅次郎『追跡・帝銀事件』(晩聲社,1981)は作者和多田進のペンネームであり、出版された晩聲社も和多田が創立したものである。改題は筑摩書房側からの要請らしい。後に新装版として和多田進『ドキュメント帝銀事件』(晩聲社,1994)が出版され、新風舎から2004年に文庫化されている。
 さて、問題はここから。
 冒頭の部分や謎の歯科医の下りなどについて、佐伯省『疑惑α―帝銀事件 不思議な歯医者』などとほとんど同じであることに気付かれた方も多いだろう。実は、冒頭に出てくる「彼」とは、佐伯氏のことである。言ってしまえば、轍寅次郎『追跡・帝銀事件』は共著に近い形のものだったらしい。ところが佐伯氏に断りなく、しかも本名名義で筑摩書房から文庫化してしまった、というのが真相のようである。その辺は、佐伯省の著作を読んで確認してもらいたい。


 和多田進は1945年北海道生まれ。法政大学社会学部卒業後、サイマル出版会、時代出版社、現代史出版会を経て1976年に晩聲社を創立した。著書に『編集現場でルポルタージュを考える』など。

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