河村啓三『こんな僕でも生きてていいの』(インパクト出版会)


発行:2006.4.10



 コスモ・リサーチ殺人事件を起こし、大阪地裁で死刑判決、現在大阪拘置所在監の確定死刑囚・河村啓三(現姓岡本)の、事件を起こし逮捕されるまでの半生記。「死刑廃止のための大道寺幸子基金」の第1回死刑囚の表現展優秀作品。(著書紹介より引用)

【目次】
 はじめに
 1 西成で生まれ……
 2 不良中高生の群れの中で
 3 夜の世界へ
 4 サラ金業界で働く
 5 五億円強奪という誘惑
 6 尾行
 7 誘拐
 8 監禁
 9 殺害
 10 死体の処理
 11 死体の移動
 12 逃走
 13 逮捕
 大道寺幸子基金について

 「死刑廃止のための大道寺幸子基金」とは、生前に多くの死刑囚や獄中者に面会し、励まし、「生きて償う」ことを共に模索し、死刑囚の母として、社会、国際機関、メディアに対して、日本の死刑制度の実態、死刑囚処遇、死刑囚の人権について語り続けてきた大道寺幸子さんが2004年5月12日亡くなり、死刑廃止、死刑囚の人権保障という意思を生かすために、遺された1000万円を基に創設された基金。毎年6人に、再審請求のための補助金として10万円を渡すとともに、毎年死刑囚の表現展としてあらゆる分野のオリジナルな表現作品を募集し、優秀作品を選定している。本作品は第1回の優秀作品受賞作である。
 本作品の著者、河村啓三が起こした事件は以下である。

<コスモ・リサーチ事件>
 山口組系暴力団幹部河村啓三(31)と投資顧問業末森博也(36)、暴力団員Iは、株の売買でつき合いがあった投資顧問会社「コスモ・リサーチ」の実質的な経営者であるKさん(43)の資金力に目をつけ、金を奪おうと計画。
 1988年1月29日、末森の知人で大阪の投資顧問会社「コスモ・リサーチ」の社員だったWさん(23)を退社直後に車に乗せ、大阪府豊中市にある「コスモ・リサーチ」の実質的な経営者であるKさん(43)の自宅まで案内させ、Kさんを拉致して脅した。Kさんは知人に「株の取引で必要になった」と1億円を用意させ、別の社員に大阪市住吉区内のレストラン駐車場まで車で運ばせた。Kさんがレストランに電話し、社員を帰らせた後、河村らは現金を奪った。その後、河村らはKさんとWさんを絞殺。2月2日、河村とIは東大阪市の貸倉庫内でコンクリート詰めにし、買った箪笥に隠した。1億円は河村、末森が3500万円、Iが3000万円と分けた。
 Kさんは多いときで1000億円を動かす派手な仕手を手がけたため、「30年に1度の相場師」などと呼ばれていた。
 その後、Iは自ら暴力団を興し組長となるが、6月19日に暴力事件を、22日に逮捕監禁事件を起こし、7月4日に逮捕された。
 警察の捜査の手が伸びるのを恐れた河村は、実家が土木建築業を営む知人(死体遺棄容疑で後日逮捕)と7月17日未明と夜、1体ずつユニックで倉庫の中から引きずり出して積み込み、京都府のゴルフ場の造成地まで運び、バックホウで穴を掘って埋めた。しかし倉庫内でユニックを捜査中、1対目はタンスが壊れて腐汁がしみ出し、2体目はコンクリートが途中で割れ、人の形が付いた約100sのコンクリート片は運べず倉庫内に放棄する結果となった。その後、河村は釈放されたIに残りの片づけを依頼するも、Iは生返事ばかりで何もしなかった。
 末森は会社が行き詰まったため、分け前のうちの2000万円相当を末森に株で使いこまれた河村を仲間に引き入れ、8月24、25日、別の証券会社から1億4000万円相当の株券を騙し取り、29日に現金化した。河村はマンションを借り、末森をかくまった。しかし末森は9月1日、詐欺容疑で指名手配された。
 9月3日、貸倉庫から腐臭が漂うと隣の倉庫の持ち主からの通報で警察が調べると、血痕がついたシートやセメントをこねた跡、台座などがあった。倉庫を借りていたIが浮かんだが、I、末森、河村は逃亡した。9月22日、末森が詐欺容疑で逮捕される。29日、暴力容疑で逮捕されたIが逮捕され、殺人、死体遺棄を自供。10月6日、詐欺容疑で河村が逮捕された。10月18日、白骨化した遺体が自供した山林から発見され、翌日3人は強盗殺人、死体遺棄容疑で再逮捕された。
 1995年3月23日、大阪地裁で河村、末森に求刑通り死刑、Iに求刑通り無期懲役判決。Iは控訴せず確定。1999年3月5日、大阪高裁で控訴棄却。2004年9月13日、最高裁で上告棄却、河村と末森の死刑が確定した。河村のみ再審請求中。

 本書の内容は、作者が生まれてから事件を犯して逮捕されるまでを書いたもの。河村以外の人物はすべて仮名となっている。タイトルは『こんな僕でも生きてていいの』とあるが、なぜ生きたいかなどは書かれていない。なお河村は毎日冥福を祈り続け、月に一度は教誨師に来てもらっているとのこと。そして今活かされているのも穂と絵の思し召しだと考え、明日、突然仏の命で召されることがあってもいいように、自分ができること、被害者の冥福をただひたすら祈り続け、その家族へ仏の加護があるように祈りたい、と書いている。また、Kさんの父親からはお詫びの手紙の返信をいただいたとも書かれている。その割には再審請求を提出し、命の引き延ばしを図っており、どこまで本心なのかはわからない。一応表紙には、本人が書いたと思われる般若信教が書かれている。
 選考理由を抜粋すると以下である。
 加賀乙彦「河村さんのは自分の犯罪の事をくわしく書いてて、これはなかなか表現力もしっかりしてて良いと思いました。しかし、獄中での生活がもうすこし書かれていたらと惜しまれます」
 川村湊「河村さんの捉え方というのは、自分がなぜそういうふうに犯罪にいたるまでになったのか、それは生育の環境であるとか、家族について友人について結婚していた体験、それを非常に細かくていねいに描いていて、ある意味ではなるほどなと思わせられるところもあります。しかし、ただそういうふうにいうと、彼が自分の生い立ちがこうだからこういう人間になってしまったんだみたいな、ある意味じゃいいわけというか環境や生育に、つまり他者に自分の責任を押し付けることになりかねない、という部分があると思うんですけど、しかしこの文章に関してはそれはないと思います。(中略)とにかく犯罪をとくとくと、まさにリアリズムで書いている。人を殺す場面、死体をどんなふうにというのは、まさに暗黒趣味といいますかハードボイルドのミステリーを読んでいるような気持ちにさせられるところがあって、それはある意味では不快感をもよおすというものでもあるかもしれないのですが、でもそれを書ききることによって彼が自分の犯罪というのをもう一回きちんと見つめなおして、ふたたび自分を見つめなおしている。だから飛躍した言い方をしますと、こういう文章を書いた人をなぜ殺してしまわなければいけないのかというところまで、読む人間を引きずり込む、考えさせることになるんではないかなと思いまして(後略)」
 池田浩士「こいつ人間じゃねえんじゃないか、と思う「国民」があるかもしれません。それを彼はついに書き切ったということがとても大事なことだと思います」
 坂上香「(前略)こんな西成に生まれてこんなふうになって、水商売に入って金融道にはいって、だからこうなったというのは、あまりにも出来すぎたストーリーだな、と一般の人につつかれる可能性があるのかもしれないのですが、どのように彼が転落していくか、どのように罪を犯してしまうのか、いまの死刑囚拘置所にいる彼になってしまったのか、ということがていねいに書かれている」

 書いている通り、河村の転落の仕方は出来すぎたストーリーなのだが、これを読むと最後こそ自分が甘い、などと反省しているものの、やはり生育環境のせいにしている部分があるのは否めない。そして何より、見通しの甘さと楽観主義には恐れ入るぐらい呆れる。特に、事件で得た金のうちの1000万円を月三分の利息で組の相談役に貸しており、これで逃走中の生活費に困らないと考えているのだから呆れた。言い方は悪いが、ちんけな悪党が大それたことをした、そんなイメージの内容になっている。しかし、彼が犯したのは2人を殺害し1億円を奪った強盗殺人、死体遺棄事件である。個人的には、何かを隠した書き方になっている、自分の責任をできるだけ小さくしようとしている、というふうに読める。それはことあるごとに共犯者である末森博也に責任を押し付けようとしていることからも明らか。特に完全犯罪と思い込んでいた事件が表に出たのも、末森や共犯のIが悪いという書き方になっている。裁判でもどちらが主犯か争っていたという。裁判では河村が計画を言いだした主犯格となっているらしい(細かい部分は判決文を読まないとわからない)。本書ではそのことが書かれていない。あくまで末森に誘われたことになっている。河村には河村の言い分が、末森には末森の言い分があるのだろう。それにしても、被害者である社員のWさんのことについて「一番能天気だったのは、被害者の田辺(仮名)さんのようであった」など書いているようでは、被害者の心情など全くわかろうとしていないのであろう。所詮加害者は、被害者がどれだけ恐怖に怯えているのか想像もつかないに違いない。
 文章自体は必死に書いていることが分かるが、文章能力は幼い。まあ、それは仕方がないことだろうが。だが、川村湊の選評にあるような、「ハードボイルドのミステリーを読んでいるような気持ちにさせられる」ようなことは全くない。はっきり言ってこのような人物に殺害された2人が気の毒で仕方が無かった。
 死刑囚が自分を振り返ること自体を悪いとは思わない。事件について書くのもいいだろう。ただ、それは免罪符にはならない。罪は罪である。どのような立派な文章を書いたって、罪が償われるわけではない。川村湊の言う「こういう文章を書いた人をなぜ殺してしまわなければいけないのかというところまで、読む人間を引きずり込む」ようなものとは全く違う。本気でこのようなことを考える人がいるのなら、その人物を軽蔑する。

 はっきり言いますが、つまらない本です。コスモ・リサーチ事件を知りたいというのなら読んでみてもいいかもしれませんが、普通の人なら読後に不快になります。そしてこういう人物が、死刑が確定しても10年以上生き延びていることを不思議に思うでしょう。

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