筑波昭『昭和46年、群馬の春 大久保清の犯罪』(草思社)


発行:1982.11.10



 白いクーペに乗って女を誘い、関係を迫る。そしてちょっとしたことで激昂し、最終的に8人の女性を殺害して埋めた大久保清。生まれから極刑になるまでを書いたドキュメント。


【目次】
 プロローグ――白いクーペ
 第一部 生い立ち(昭和十年一月十七日―昭和四十六年三月一日)
   1 八幡村のボクちゃん
   2 バッチだから
   3 大それたこと
   4 口先がうまく……
   5 立派なテレビ技術者
   6 箒
   7 角帽の電機商
   8 実刑判決
   9 偽名のフィアンセ
  10 車とルパシカ
  11 二度目の実刑
 第二部 犯行(昭和四十六年三月二日―五月十三日)
   1 初乗り
   2 モデルになってくれませんか
   3 会社勤めのように
   4 街を駆け、山を駆け
   5 最後のドライブ
 第三部 追及(昭和四十六年五月十四日―八月二十三日)
   1 民間捜索隊
   2 どうして悪い人間になったのか
   3 父は刑事
   4 三の日と雨
   5 全部で何人?
   6 きみが大久保になるんだね
   7 兄が死ねば
   8 お盆までに
   9 同じ場所
  10 ざんげの値打ち
 エピローグ――極刑
 あとがき

 タイトル通り、大久保清連続殺人事件のドキュメント。『津山三十人殺し』が好評だったことから執筆された第二弾。
 わずか2か月で8人の女性を殺害した大久保清。本書は大久保清の“伝記”と言ってもいいだろう。何しろ生い立ちから死刑執行まで書かれているのだから。主に捜査報告書や獄中手記、自供調書、新聞記事などから構成されており、自らの取材による部分は少ない。その分、客観的な内容と言えるだろうが、世に出ている事柄を継ぎ接ぎしているだけという状況でもあるから、新しい事実などが出ているわけではない。ましてや事件からわずか10年、執行からは6年しか経っていないので、読者の記憶にもまだ新しいことだったに違いない。いくら被害者や関係者を仮名にしたところで、いやな気持になった人は多かったかもしれない。
 とはいえ、こうやって事件を一冊にまとめることは非常に労力のかかることであり、苦労のわりに実入りは少ない。その労力については、お疲れ様でした、と言いたいところである。特に第三部の80日間にわたる追及については、どこまで本当かわからないが、よくぞここまで再現したと言いたい。
 作者は極力リアルな再現を試みたであろう。それでも想像が入る部分があるのは仕方がないところ。その辺のバランスをどう読み取るかは、読者にかかっている。
 ただ、読み物としてはどうだろう。不快になること、請け合いである。大久保清の飽くなき精力について学術的に迫ったわけでもなく、犯罪心理を追求したわけでもない。その分、物足りないと思う人がいるかもしれない。

 出所してから逮捕されるまでの73日間で、クーペを走らせた距離は一日平均170km。誘われた女性は150名(確認されたもの127名)。同乗したのは30名。強姦、和姦は合計10数名。そして殺害人数8名。強姦、殺人、死体遺棄で起訴された大久保清は、昭和46年10月25日に前橋地裁で裁判が始まり、判決まで公判が計7回開かれ、昭和48年2月22日に求刑通り死刑が言い渡された。「被告人の本件各犯行を考察するに、(中略)自らの利益と欲望のためには、何物を犠牲にしても顧みないという、冷酷にして利己的、そして矯正は不可能と見るほかない被告人の性格が、明確に認められたもの」「被告人は、本件犯行につき、悔悛の情を示すところまったくなく」「自己の醜さをおし隠し、その所為を虚偽で固めて、美化しようとする異常なほどの自己顕示性が見られ」などと裁判長に断罪された時、大久保清は心の中でどう思ったのだろう。
 大久保清は控訴せず、死刑判決が確定。昭和51年1月22日、東京拘置所で執行された。41歳没。

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