守大助・阿部泰雄『僕はやってない! 仙台筋弛緩剤点滴混入事件 守大助勾留日記』(明石書店)


発行:2001.6.30



 北陵クリニックで起きた筋弛緩剤点滴混入事件。その中には強引な取り調べや不審点の多い病院の主張が見える。現在も勾留中の容疑者本人の日記を全面公開し、事件の真実を追う。7月11日の第1回公判決定にあわせた緊急出版。(「MARC」データベースより引用)
【目次】
 はじめに
 第一章 守 大助拘留手記
 第二章 守 大助拘留日記
 第三章 筋弛緩剤と北陵クリニック――守大助は冤罪である  安倍 泰雄
  一、守大助の逮捕、起訴
  二、北陵クリニックと守大助
  三、凶器としての筋弛緩剤
  四、クリニックはなぜ内部調査をしないか
  五、警察捜査の不可解さ
  六、五つのケースに事件性があるのか
  七、仙台筋弛緩剤混入「事件」の本質
 特別寄稿   息子の無実を晴らすべく 大助の母
  彼の無実を信じて    大助の恋人
 おわりに


 本書は仙台筋弛緩剤点滴混入事件の犯人として逮捕された守大助の拘留日記、並びに弁護団団長である阿部泰雄による、警察側の捜査の疑問点、並びに北陵クリニック側の行動についての疑問ならびに事件の「真相」を記した一冊である。もちろん、ここでいう「真相」は彼らが訴えているもので、現時点では世間から認められていないももだけれども。事件概要は以下。

 2001年1月6日、宮城県警は、仙台市泉区の病院に腹痛で入院していた女児(11)を昨年10月31日、筋弛緩剤を混入した点滴で殺そうとしたとして当時、病院に勤めていた准看護士、守大助(29)を殺人未遂の疑いで逮捕した。女児は低酸素性脳症とみられ、転院後も意識不明の状態が続いている。
 その後の調べで、1999年7月から2000年11月の間に、少なくとも13名が守から点滴を受け、7人が死亡したことが確認された。ただ立証の関係から、殺人1件、殺人未遂4件につき起訴された。
 守は逮捕当初、病院に対する不満から事件を起こしたと供述したが、9日から全ての容疑を否認。7月11日から始まった仙台地裁公判でも無罪を主張した。
 病院側の管理のずさんさ(後に病院閉鎖)、医療ミス隠しなども発覚。さらに、5人の被害者から採取された血液や投与された点滴パック中の溶液などの物証が、宮城県警から依頼を受けた大阪府警による鑑定で全量が使用され、公判での再鑑定が不可能な状態であることが発覚。
 2004年3月30日、仙台地裁で求刑通り無期懲役判決。2006年3月22日、仙台高裁で控訴棄却。2008年2月25日、最高裁で被告側上告棄却、確定。

 守大助は確かにマスコミから殺人鬼と徹底的に叩かれた。疑惑が膨らむたびに、批難の声は大きくなっていった。しかし、最初こそ守大助は罪を認めたが、その後は徹底して無実を主張している。そして弁護団もそんな守を信じ、弁護活動を続けている。
 ただ、その後の報道を読んでみると、本当に守が犯人か、微妙なところがあるのも事実。そもそも再鑑定に必要なサンプルがすべて消費されていることも問題だし、物証はない、目撃証言もない。最初に自白したのが大きな証拠となっているが、冤罪事件ではよくあることである。裁判ですら、女児以外の4件については「確定しがたい」と述べている。ただし、最初に自白したものの、怖くなって無罪を主張し続けるというケースがあるのも事実なので、こればっかりは何とも言い難い。
 第一章と第二章は、逮捕されてからの守の日記であるが、この取り調べ状況を読むと、無罪の人でも「やりました」と言いたくなってしまうと感じた。一日中、刑事たちから色々と責められては、気が狂いそうになってしまうだろう。警察って怖いなと思うと同時に、取り調べ状況は可視化すべきだと改めて思ってしまった。
 これは弁護側からの一方的な内容になっているため、本当に守が犯人だったかどうかを知りたいのであれば裁判記録を取り寄せ、自ら調べるべきだろう。ただ、本書を読む限りでは、守は無実だと思い込ませるには十分の内容であった。

 北陵クリニックは2001年3月10日に閉鎖されているが、先に記した通り、管理の杜撰さ、医療ミス隠しなどが発覚している。また守が犯行を行ったとされる1999年7月〜2000年11月までの間に不審死が続いていたのに、内部調査を行った形跡すらない。それに1998年時点で13億円の借金があり、閉鎖寸前であったことも明かされている。例え守が犯人であったとしても、クリニックに問題がなかったとは言えないだろう。事実、女児と両親は2001年2月、クリニックを運営していた医療法人などに約1億8200万円の損害賠償を求めて提訴。守の一審判決翌日の2004年3月末、クリニック側が1億円を支払うことなどで和解している。
 後にクリニックの運営者は、本書で守を犯人に仕立てたとする内容について1000万円の損害賠償を求めた。2011年7月5日、仙台地裁は共著者の阿部泰雄弁護団長に100万円の支払いを命じた。謝罪広告掲載の請求は退けた。

 守大助は今も再審請求を続けている。そして母親は息子の無罪を信じ、活動している。阿部も引き続き、支援を行っている。


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