自閉症裁判の初のリーディングケースとして位置付けられる浅草女子短大生(レッサーパンダ帽)殺人事件は、なぜ、単なる「凶悪通り魔」殺人事件として処理されてしまったのか? 被害者に向き合わない加害者支援運動が無効なように、検察と一体となった報道や「責任能力」論議を垂れ流すだけのマスコミと厳罰を処して事足れりとする司法は、本質的に同じ間違いを犯している。ほんとうの意味での再犯防止につながる「障害」への理解がなければ、再びこのような悲劇はくり返されるからである。――四年に及び徹底取材を経て、司法・教育・福祉・司法精神医学が問わずにきた重要課題を明らかにする問題作。(帯より引用)
【目次】
プロローグ レッサーパンダ帽の男が浅草に
第一章 加害者・被害者 逮捕まで
第二章 報道 隠されたこと
第三章 裁判(一) 初公判での「沈黙」
第四章 被害者(一) 家族のアルバム、その突然の空白
第五章 裁判(二) 「障害」はどう受けとめられたのか
第六章 裁判(三) 「自閉症」をめぐる攻防
第七章 加害者(一) 「なぜ顔を上げないのか」と男は問い詰められた
第八章 加害者(二) 放浪の果て
第九章 被害者(二) 「思い出も、声も忘れたくないのに……」
第十章 加害者(三) 「教え子の事件」が連れてきた場所
第十一章 裁判(四) 消された目撃証言
第十二章 裁判(五) 「殺して自分のものにする」と言ったのは誰か
第十三章 裁判(六) 彼らはどのように裁かれてきたのか
第十四章 被害者(三) 「この国を腐らせているのはマスコミのあなたたちではないか」
第十五章 加害者(四) 責任と贖罪
第十六章 裁判(七) それぞれの判決
エピローグ 最期のレクイエム
あとがき
浅草女子短大生(レッサーパンダ帽)殺人事件裁判記録
本事件は、2001年4月に起きた浅草女子短大生殺人事件、通称レッサーパンダ事件と呼ばれた殺人事件の全記録である。事件概要は以下。
元建設作業員Y(28)は2001年4月30日、わいせつ目的で東京都台東区の路上を徘徊していた。午前10時半頃、女子短大生(19)に背後から近づいたが、振り返った短大生の顔を見て「バカにされた」と思い込み、持っていた包丁で背中や腹部を刺して殺害した。犯行後、かぶっていたレッサーパンダのぬいぐるみの帽子や包丁を近くの公園に捨てて、逃走した。
Yには自閉症などの広汎性発達障害と軽い知的障害があり、犯行当時の精神状態が裁判の焦点となったが、2004年11月26日、東京地裁は軽度の知的障害はあるものの完全責任能力を認め、求刑通り一審無期懲役判決。被告は控訴するものの、2005年4月1日に取り下げ、確定。
ひとことで言ってしまえば、本書は事件のルポルタージュ。事件の全容を調べ、裁判の記録を取り、被害者遺族や加害者の家族、さらに弁護側からも話を聞き、通常の報道では語られない事件の「全貌」に迫っていく。ただ一つ、通常の事件と違うところは、本事件の犯人が「自閉症」という障害を持っていたことである。
正直言って、犯人の男が自閉症としてどのような障害を持っていたのか、どのような過去があったのか、医学的にどう判断すべきだったのか、という点についてはあまり興味をもたなかった。著者が主張したかった点はそこだったのだろうが、私は退屈でしかなかった。それは、私やその周りにそのような障害を持つ人物がいないため、自らの問題として受け止めることができなかったからだろう。言い訳にはなるだろうが、自分の身に降りかからないと、人は問題に立ち向かうことをせず、避けて通ってしまう。だからこそ、著者が訴えたかった問題が、今の世の中にも残っていることはわかっているのだが。
私が本書で共感をもった部分は、被害者の伯父が著者に語った第一声である。
「なんの目的で、私らに会いたいのか。なにを聞きたいのか。私らになにか聞いて、それをあなたが書いて、世の中が少しはよくなるのか。よくなったためしはあるのか。人の行くところ行くところ付け回して、不幸をさぐって、それを面白おかしく書いて。それがマスコミの仕事かもしれないが、人を散々不快な思いにさせ、しかも書くことは嘘。こっちがどれほど不愉快きわまりない思いをしているか、少しは考えたことがあるのか。世の中をどんどん腐らせているのは、あなたらマスコミではないか」
今のマスコミ報道を見ていると、本当に納得してしまう言葉である。そういいながら、事件を追いかけ、記事を追いかけている自分がいるから、情けないことも事実ではあるが。著者がこの叔父と高校の同期というのは、偶然と言うものは恐ろしい。
そしてもう一つ、衝撃的な言葉があった。実際に取材を受け、伯父が著者に話した言葉である。
「電話でも少しは話したけれども、なんでこんな事件が起きてしまったのか、こんなことを二度と起こさないようにするにはどうするか、それを考えたいんだ、あなたはそう言ってたよな。東京の姉にも言ったんだけれども、Mちゃん(被害者)は地雷を踏んでしまったんだと私は思う。これは事故ではないし、まして運命でもないし、運命だったとも思いたくない。地雷さえそこになければ防げたことだった。私はそう思っている。本物の地雷がそこにあったら、どうする」
「地雷だったら、撤去する。撤去して抹消するよな」
(「しかし相手は生きた人間なんだけど」との著者の言葉に対し)
「いや、地雷だ。私はそう思う。東京という砂漠のあちこちに地雷があって、Mちゃんは運悪くその一つを踏んでしまった。義兄は冷静な人だから、私らは、と言ったら語弊があるだろうから、私は、というけれど、地雷は撤去して抹消するのが世の中のためだ、私はそう思う」
(中略)
「私は、障害をもつ人たち全員が地雷だなんて言っているのではない。Mちゃんが地雷を踏んでしまった。Mちゃんの踏んだのが地雷だった、そう言っている。地雷を世の中に戻せば、必ず誰かがそれを踏んでしまう。犯人は前科があって、刑務所に何回か入っていた。そういう傾向のあった人間を、なんでそのまま戻したのか。行政と司法の責任だと思う。
学校時代から家を出て、ふらふらとあちこち行っていたという。なんでそのままにしておいたのか。なんで目を光らせて、きちんと対応しなかったのか。学校を出たあと、一人で出歩けない施設におくなり、なんで一度もそうしたことをしなかったのか。これは教育と福祉の責任でもある。だから行政なり福祉なりがきちんと対応していれば、間違いなく防げた」
恐らく、一部の人にとっては受け容れ難い言葉だろう。ただ、多くの人にとっては共感するというのが本当のところではないだろうか。
この叔父は、「障害があるから刑罰に問われないなんて、とんでもない話だと思う」と述べた後、最後にこう言っている。
「佐藤さん、私らの取材で、一番書いてほしいのはこのことなんだ。Mちゃんを私らがどう思っていたかなんていうこと以上に、マスコミのあまりのひどさ、社会の生ぬるさ、処罰の甘さ、このことは是非書いてほしいと思う。ほんとうはこんなことを言っても、話すだけ無駄だっていうことは分かっている。気の毒だ、気持ちは分かる。そう言われて終わり。逆に、なんということを言うやつだ、そう非難されるかもしれない。だったら黙っていた方がいい。黙っているしかない。こういう被害にあった人たちはみんなそう思っていると思う。できることはただひとつ、早く忘れること。騒がないでほしい。何回も言うけれど、それが一番の気持ちだ」
弁護人の一人、大石剛一郎は支援者に配った報告の中でこう書いている。
日本の刑事事件は「疑わしきは被告人の利益に」という原則をあまりにも重んじていないことを、改めて実感しました。検察も裁判所も確実に単純に、社会防衛、秩序維持、危険排除、変人隔離を基調としています。
無罪、有罪を争うなら「疑わしきは被告人の利益に」になるだろうが、包丁を持った人物が殺害を犯せば、途中の心理状態はどうであれ、それは「殺人」でしかない。そういう「危険」は排除すべきと言うのが、大方の意見であろう。被害者遺族からしたら、そして事件に関係のない人から見たら、枝葉末節の部分で争っていると見られても仕方がない。ただし、自閉症の人物を相手にどう取り調べを行うか、どう弁護すべきかという問題は議論されるべき内容なのかもしれない。ただし、「排除」した方が簡単な予防策であることも、事実である。
本書を読んで可哀想に思ったのは、犯人の妹である。札幌市在住の犯人の父親は職を転々とし、どの職場でも役立たず扱いで、稼ぎの大半をパチンコに使っていた。母親が白血病で死後、父親と弟が働きに出るも金は父親が握り、妹は中学卒業後家事に専念。長男である犯人は金品を持ち出しては家出と放浪を繰り返し、函館で強制わいせつ。強盗未遂事件を起こし執行猶予判決。10か月後、熊本で窃盗事件を起こし、懲役刑を受けるとともに執行猶予が取り消され、2年8か月を刑務所の中で過ごす。仮釈放後に家絵をし、1年後には青森で無銭飲食の詐欺罪で有罪判決。一方家族は、弟が名古屋に仕事を見つけて移り住み、自分の生活を守るのが精いっぱい。父親と妹が働きに出るも、父親は役立たず、妹は18歳から働き続けた。妹は4年後に肺腫瘍の摘出手術、その半年後には右大腿部軟部肉腫で外科手術。1年後には腫瘍が脳に転移し、三度の手術を受けるが、仕事を続けなければ手術や入院に必要な費用を用立てしてくれる人は誰もいない状態。そんな妹に金を無心し、家から金を持ち出す犯人。翌年には身体障害者手帳を取得するも、高額の治療費を払った後に戻ってきた金は、父親が使い込んでいた。最後は施設に引き取られるも、末期癌で25歳で死去。あまりにも哀しい人生であった。しかし私が言えるのはそれだけでしかなく、手を差し伸べることすらできない。
犯人の男は、求刑通り無期懲役判決。前科があるといっても内容は微罪(と言うと怒られるかもしれないが)に近く、殺人と言う大それたことをしたのは初めて。しかも、知的障害があることは検察側も認めている。過去の裁判のイメージからしたら、求刑が無期懲役であったことが意外であり、さらに判決が求刑通りであったことも意外であった。そこに「排除」の論理が裁判官の中で働いたかどうか、聞いてみたいところではある。
本書の帯に「鎮魂と怒りの問題提起の書」とある。しかし事態は変わっただろうか。個人的には、自閉症だろうとなんだろうと、より罪を重くする方向に今の裁判歯向かっているような気がする。そして、それが間違っていないと思っている自分もいる。
障害者に、そして弱者に寛容であれ、と言う人がいる。寛容でいられるのは、自分に金銭面・精神面で余裕のある者か、障害者や弱者と接しない位置にある者だろう。ましてやその障害者や弱者が危険人物であれば、どう接するか。人はそれほど、簡単に寛容ではいられない。ましてや寛容であることを強要することは、罪である。
作者の佐藤幹夫は1953年生まれ。國學院大学卒業。批評誌『樹が陣営』主催。フリージャーナリスト。『精神科医を精神分析する』『ハンディキャップ論』などの著書がある。
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