堀川惠子『裁かれた命 死刑囚から届いた手紙』(講談社文庫)


発行:2015.12.15



 一九六六年、強盗殺人の容疑で逮捕された二二歳の長谷川武は、さしたる弁明もせず、半年後に死刑判決を受けた。独房から長谷川は、死刑を求刑した担当検事に手紙を送る。それは検事の心を激しく揺さぶるものだった。果たして死刑求刑は正しかったのか。人が人を裁くことの意味を問う新潮ドキュメント賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2011年4月、講談社より単行本刊行。2012年、第10回新潮ドキュメント賞受賞。2015年12月、文庫化。

【目次】
 第一章 検事への手紙
 第二章 長谷川武の足跡
 第三章 死刑裁判
 第四章 弁護士への手紙
 第五章 第三の人生
 第六章 文鳥と死刑囚
 第七章 失敗した恩赦
 第八章 母と息子
 第九章 罪と罰
 第十章 母の死
 終 章 裁かれたのは誰か
 そして、私たち
 文庫化によせて
 主要参考書籍



 死刑存置論者としても有名な元最高検察庁検事、土本武司が30年の検事生活の中でたった一度だけ死刑を求刑したのが、本書で書かれている「国分寺主婦殺人事件」である。概要は以下である。

<国分寺主婦殺人事件>
 1966年5月21日、東京都国分寺市で主婦が自宅で短刀で滅多突きにされて殺害され、現金約2,000円が奪われた。学校から帰宅した子供たちが発見。被害者宅に落ちていたスポーツ新聞に、犯人の指紋が残されており、3年前ににのぞきで捕まった犯人と一致。5月25日、強盗殺人容疑で杉並区に住む無職の長谷川武(22)を逮捕した。自宅からは凶器の短刀や、犯行を記録した日記なども見つかった。長谷川はすぐに犯行を自供。さらに半年前に国分寺市近辺や調布市内で民家に侵入し、ナイフで家人を脅して現金を奪った強盗や窃盗事件計3件を犯していたことも自供した。
 1966年11月28日、東京地裁八王子支部で求刑通り死刑判決。1967年5月17日、東京高裁で被告側控訴棄却。1968年4月26日、被告側上告棄却、確定。
 1971年11月9日、執行。28歳没。


 本書は著者の堀川が土本武司への取材が終わって雑談をしているときに、光市母子殺害事件の話となり、差し戻し後の広島高裁で死刑判決を受け、土本は「あれは、ちょっと厳しすぎるんだよね……」と語った。その後も面会を重ねるうち、土本は死刑事件に関わったことがあるかという堀川の質問に対し、立った一度だけ死刑を求刑した事件があると言って語ったのが本事件である。そして死刑を求刑した死刑囚から手紙が何通も届いていることについて話す。一通目は地裁で判決があってから一か月後で年賀状だった。そこには「御指導それに御心配していただき」「幾重にもお大事に」などと書かれていた。土本は戸惑いながらも八か月後に返事を出すと、1967年9月(高裁判決後)に届いた二通目は封書で、その中には「検事さんに今日まで御世話になったお礼を一言申し述べたくて」と書かれていた。長谷川が処刑されるまで9通の手紙が土本の手元に届く。堀川が長谷川がどんな人物だったか調べてみないかと問いかけ、土本も了承。堀川は長谷川武の軌跡をたどることとなった。
 堀川は取材を進めるうちに、長谷川武という人物の実像が、裁判で語られている実像とかけ離れていることを知る。


 読み終わってみたが、正直言ってどこに感銘を受けるべきかわからなかった。確かに裁判ですら迫れなかった犯人の実像というのは考えるところがあるものの、結局、強盗殺人事件を起こしたことには一切変わりがない。平成の基準だったら強盗殺人被害者1名初犯、ということであればほぼ無期懲役判決だろうが、事件が起きた1966年の場合、死刑と無期懲役は半々だったであろう。結局は被告の与える印象が、判決に大きな影響を与えていた可能性はある。ただ本書では、犯罪の実態がほとんど書かれていない。子供が家に帰ったら、血だらけの母親が家で倒れていた。想像するだけでもショックな出来事だろう。この事実を軽視して、簡単に「裁かれた」などというべきではないと思う。もちろん検事である土本は、そのような背景を十分知っていただろうが、著者である堀川もその旨をもっと記載すべきだろう。確かにそれは「44年前の悲劇を掘り起こして遺族にそれをぶつけることは、取材者に許される範囲を超える」(ここでいう「それ」とは、長谷川が遺族にも手紙を送っていたかどうか、あるとすればどんなやり取りがあったか)ことであるが、「裁く者と裁かれる者」に特化し、「裁かれること」について詳しく触れないのは、やはり問題であっただろう。なぜ裁かれたのかについて、もっと記載があるべきだった。
 そのせいか、本書を読んでも感銘を受けるところがないのだ。犯人に同情するところはあっても、だから何、としか思えない。取材事態についての苦労は認めるし、長谷川武という人物によくぞここまで迫ることができたな、全体像を描くことができたな、とは思わせるが、それ以上のものはない。やはり偏りがある、と文句を言いたくなってしまうのである。


 この物語の一部は2010年5月30日、堀川がディレクターを務めたNHKのETV特集「死刑裁判」の現場?ある検事と死刑囚の44年」で取材した内容であり、放送後も継続して取材にあたった作品である。弁護士が遺した裁判記録、行方不明だった長谷川武の弟との出会いなど、テレビ放映の内容からより充実した中身となっている。



 堀川恵子は1969年、広島県生まれ。広島テレビの報道記者を経て、現在はジャーナリスト。『チンチン電車と女学生』(小笠原信之と共著)を皮切りに、ノンフィクション作品を次々と発表。

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