張江泰之『人殺しの息子と呼ばれて』(角川書店)
発行:2018.7.20
悲しい過去を背負いながら、彼はいかに生きたか。
殺人者の息子に生まれた25年の人生とは?
凄絶ゆえに当時報道も控えられた「北九州連続監禁殺人事件」。
その加害者の長男が「音声加工なし」で事件のありさまや、その後の苦悩の人生を語り、全国的な反響を呼んだ。
彼の人生を支えた後見人への取材などを加え、番組プロデューサーがこのたび完全書籍化。(紹介より引用)
【目次】
序 章 生きている価値
第一章 鬼畜の所業――北九州連続監禁殺人事件
第二章 「消された一家」の記憶
第三章 やっとなんとか人間になれた
第四章 冷遇される子供たち
第五章 消えない記憶と、これからの人生
終 章 俺は逃げない
2017年6月9日にフジテレビ系で放送された金曜プレミアム『追跡! 平成オンナの大事件』のプロデューサー、張江泰之にクレームの電話をかけてきたのは、「北九州連続監禁殺人事件」の主犯松永太と緒方純子の長男であった。事件からずいぶん時間がたってようやく風化しつつあるのに、なぜフジテレビは放送したのか。ネット上で俺は人殺しの息子なのだからろくでもないやつだなどと書かれているが、どうしてくれるのか。人殺しの息子なんだから生きている価値がないとまで言われている。番組の放送によって、子供の人生がどうなるかといったことは考えなかったのか。電話をかけてきた長男は、攻撃的な言葉を口にすることはあったが、理路整然と話し続けてきた。
翌日、張江のスマートフォンに長男は再び電話をかけてきた。長男は北九州市内に住み、サラリーマンとして会社に勤務しているという。二時間ほど話をした後、最後に本名を明かした。
LINEも含めたやり取りが続いて一週間ほど過ぎた日、長男は張江に会ってもいいと言った。
2017年6月29日。張江は日帰りで北九州に行き、空港で長男と会うことになった。話しているうちに、長男は張江とのインタビューなら受けてもいいと答える。羽田空港に戻ってすぐ、長男の妻から電話がかかってきた。張江は、自らがチーフプロデューサーを務める『ザ・ノンフィクション』で放送することを決めた。
「北九州連続監禁殺人事件」。日本の犯罪史のなかでも、一、二を争うぐらいの壮絶な事件である。言いたくはないが、松永太は死刑にしなきゃだめだ、と思わせるぐらい、情状酌量を考える余地が何一つもない凶悪犯である。松永と緒方の間には二人の息子がいた。松永が気に食わないことをすると、実の息子でも平気で電気ショックを食らわせてきた。松永が逮捕された時、長男は9歳、次男は5歳だった。
ここで長男が語る内容は、余りにも壮絶で衝撃的である。24歳の彼がどれだけの苦労を味わってきたのか。あまりにも残酷な状況下で育ち、しかもそれを当たり前だと思わされていた生活。9歳で保護されるも、まともに教育を受けてこなかった地点からのスタート。そこからいかにして生きてきたかは、ぜひ本文を読んでほしい。ここで言えるのは、どんな人でも、人として生きることができる、それだけである。
『人殺しと呼ばれて…』は2017年10月15日、22日の2回にわたり関東ローカルで放送された。多くの視聴者が、彼の生き方に共感した。肯定的な意見は多かった。しかし、否定的な意見もあった。インターネット上では、匿名で彼を叩く意見も多かったが、逆に励ますような意見も多くみられた。評判がよかったことから12月15日、特別版が全国放送された。
子供は親を選べない。ましてや、親が二人とも殺人者となれば、絶望してもおかしくないはずだ。それでも、周りに助けられ、生きていく。人は、生きていけるということを教えてくれる一冊である。
著者の張江泰之は、執筆当時フジテレビ情報制作局情報企画開発センター専任局次長。1990年にNHK入局。報道番組のディレクターとして、『クローズアップ現代』や『NHKスペシャル』を担当。2004年に放送した『NHKスペシャル「調査報告 日本道路公団~借金30兆円・膨張の軌跡~」』で文化庁芸術祭優秀賞受賞など受賞多数。2005年にNHKを退局し、フジテレビ入社。
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