死刑確定囚(2014年)



※2014年に確定した、もしくは最高裁判決があった死刑確定囚を載せている。
※一審、控訴審、上告審の日付は、いずれも判決日である。
※事実誤認等がある場合、ご指摘していただけると幸いである。
※事件概要では、死刑確定囚を「被告」表記、その他の人名は出さないことにした(一部共犯を除く)。
※事件当時年齢は、一部推定である。
※没年齢は、新聞に掲載されたものから引用している。

氏 名
小川和弘
事件当時年齢
 46歳
犯行日時
 2008年10月1日
罪 状
 殺人、殺人未遂、現住建造物等放火
事件名
 大阪個室ビデオ店放火事件
事件概要
 大阪府東大阪市の無職小川和弘被告は2008年10月1日午前1時半頃、大阪市浪速区の雑居ビル1Fにある個室ビデオ店に、3日前に知り合った露天商の男性と入店。知人とは別の18号室でDVDを観賞後の午前2時55分頃、室内にあったティッシュペーパーにライターで火をつけ、持っていた知人男性のキャリーバッグ内にある新聞紙や下着などに放火した。店の天井や壁などに燃え移らせ、239.1平方メートルを全焼させた。客の男性15名(25~62歳)が一酸化炭素中毒により死亡した。客や上層階の住民、管理人など32~77歳の男女10名が一酸化炭素中毒などで病院に搬送されたが、1人は意識不明の重体で、約10日後に死亡。また2人が重傷を負った。重傷者の中には、小川被告と一緒に来た知人男性も含まれる。出火当時、店内には個室内に客23人、受付中の客2人、店員3人がいた。
 小川被告が放火した18号室は、南北に長い個室エリアの中央部分にあった。18号室より奥にいた被害者12人のうち、10人が個室内で死亡。仮眠中だったと見られる。残り3人は廊下で死亡した。逃げる途中だったと思われる。そのうち1人は、廊下の突き当たりにおり、暗闇で道を間違えたと見られる。また、18号室より手前だった被害者3人のうち、2人が個室内で死亡。1人が廊下で死亡していた。犠牲者の大半は、料金の安さからホテル代わりに利用していた。
 小川被告は事件直後、店員に「すみません」「補償もします。弁護士もつけます」と謝罪。さらに現場に駆けつけた警察官にも「すみません」と繰り返し、「死にたかった」「自殺未遂したことがある(と腹の傷跡を見せる)」などと話した(ただし、「自分の部屋が燃えた」とは話すも、具体的に火をつけたとは話していない)。小川被告は任意同行された。小川被告は警察署で当初否定するも、のちに自供。大阪府警捜査1課浪速署捜査本部は午後、小川被告を逮捕した。
 最終的に起訴された対象は殺人16人、殺人未遂7人(うち重軽傷4人)である。

 小川被告は大手電機メーカーの下請け工場で働いていたが1993年に離婚。長男を引き取っていたが、長男は数年前に家を出たままになっている。2001年に希望退職。その後はほとんど就職もせず、退職金や同居する母の金で、競馬やパチンコ、遊興に明け暮れていた。2004年秋、母親の死亡に伴い遺産や実家の売却などで現金計約5,000万円を得たにもかかわらず、借金100万円の返却、1,500万円のマンション購入を除く3,500万円をわずか2年間でギャンブルや遊興費に使い果たしていた。2007年には約600万の借金があったが、自宅マンション売却などで全額返却。しかし小川被告は2007年2月から鬱病や心臓病でたびたび入院し、運転代行の仕事を辞めた11月からは仕事をしていない。2018年5~6月からは生活保護を受給していた。事件当時、約300万円の借金があった。
付 記
 個室ビデオ店が入っていたビルは地上7階建て、床面積計1394.6平方メートル。1階にあった個室ビデオ店はほとんど窓がないため、消防法上の「避難上または消火活動上有効な開口部を有しない階(無窓階)」に該当していた。無窓階は地下階と同様、防災上の観点から設備面でより厳しい規制がかかるが、同店は非常ベルや自動火災報知機などを規定通りに設置しており、同法上の違反はなかった。しかし、同店は個室が並ぶエリアへの出入り口がひとつしかなく、廊下は約40mに渡る迷路のような状態であった。また改装前の1Fにあった排煙用の2つの窓は、客が料金を支払わずに逃げるのを防止する目的で、ビデオ店の経営者が石膏ボードでふさいでいた。また、ティッシュなどの消耗品や使用済みバスタオルを置くスペースがなかったため、個室エリア中央付近の通路に棚を据え付けて保管。個室から回収したごみ袋もこの場所に一時的に集めていた。市消防局が「避難時の障害物になる」と口頭注意したが、店側は改善していなかった。また出火当時の廊下は真っ暗で、非常用照明設備に不備があった可能性も指摘されている。ただし消防局によると、2008年5月に立ち入り検査した際、消火器や自動火災報知設備など消防法で定める防火設備は設置され、設備の点検・報告のミスや防火戸の不備など軽微な違反しか確認していない。また建築基準法で複数の出入り口の設置が義務付けられるのは、建物の2階より上の部分だけで、1階だった同店は適用外。スプリンクラーも、同店は設置が必要となる店舗面積以下で、窓については設置を義務付ける規定はない。
 ビルの元所有者で、防火管理者でもあり、ビル6Fに住んでいた男性管理人は、出火後に鳴った火災報知器を、過去にもあったタバコの煙による誤作動と思いこんで切ったことが明らかになっている。このときにはすでに店内全体に火が燃え広がっており、客の死亡との因果関係はなかったという。消防法は設備の維持・管理や訓練の実施を求めているが、出火時の具体的な対応は定めていないため、法違反は問われていない。
 総務省消防庁は2003年2月の通知でホテルや旅館のほかに、マッサージやレンタルルームなどのような(1)不特定多数者が継続的に宿泊(2)ベッド、長椅子など宿泊設備の設置(3)深夜営業――など「副次的目的で宿泊サービスを提供している施設」にも厳しい防火管理を求めたのに、大阪市消防局はこの個室ビデオ店に対し、店独自の防火管理者を置くよう指導していなかったことが判明している。市消防局は立ち入り検査の際、継続的に宿泊施設として利用されている実態をつかめず、一般事務所と同じ扱いにしていた。
 大阪府警浪速署捜査本部は2009年9月30日、ビデオ店の経営者や入居先のビル所有者について、業務上過失致死傷容疑での立件を断念し、捜査を終結したと発表した。排煙設備の不備など法令違反はあったものの、放火によって火勢は一気に広がっており、経営者らが重大な結果回避義務を怠ったとまでは言えないと判断した。府警によると、(1)窓など排煙設備がない(2)非常用照明の不備(3)壁の決められた部分に燃えにくい壁紙を使っていない-の建築基準法違反が見つかった。しかし、出火から2分程度の短時間で、店の入り口付近まで燃え広がっていたことが判明。3点の不備がなかったとしても被害は防げなかったと判断した。
一 審
 2009年12月2日 大阪地裁 秋山敬裁判長 死刑判決
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控訴審
 2011年7月26日 大阪高裁 的場純男裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2014年3月6日 最高裁第一小法廷 横田尤孝裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 大阪拘置所
裁判焦点
 小川被告は逮捕当時に「たばこに火をつけた」「寝ていた」と供述するも、すぐに「生きていくのが嫌になり、火を付けた」と容疑を認めていた。10月4日の弁護士との接見では、放火の動機と当時の行動について「自分としては1人で死ぬつもりだった。でも、煙で苦しくて、我慢できなくなり部屋から出てしまった」と明かしていた。
 しかし小川被告が接見した弁護士に対し「夢の中のような状態だった。火を付けてから少しの間、記憶がない」などと心理的に不安定な状態だったことを話していたこと、さらに事件の半日前、奈良県内の宗教施設で幻覚作用をもたらすお茶を飲んでいたことも判明したため、大阪地検は刑事責任能力の有無を見極めるため、専門医に依頼して10月14日から簡易精神鑑定を実施。心理テストや問診などで、数日かけて小川容疑者の犯行当時の精神状態を分析した。「犯行当時、善悪を判断し、自分の意思に従って行動する能力があった」との鑑定を踏まえ、地検は小川容疑者に刑事責任能力があったと判断。大阪地検は10月22日、殺人と殺人未遂、現住建造物等放火の罪で小川和弘被告を起訴した。地検は物証などから放火の立証は十分可能と判断。殺人罪の適用についても、▽個室は狭く、ソファベッドなど多くの可燃物があった▽店内は実質的に窓がなく、通路も狭いなど脱出困難だった▽深夜で客が就寝していることを予想できたなどの客観的事実から明確な殺意があったと判断した。起訴内容は、他の個室にいた男性客23人のうち、16人を一酸化炭素中毒などで殺害、残り7人中4人に重軽傷を負わせた、としている。ほかにも店員や近隣住民ら5人が負傷したが、殺意が立証できる対象は、個室内にいた客23人(うち死傷者20人)であるとした。地検によると、被害者数23人、死亡16人は、起訴された放火事件では過去最多という。
 小川被告は起訴数日前から、「火を付けた記憶はない。キャリーバッグを持って入った記憶もない」と供述を変え、犯行を否認するようになった。

 公判前整理手続きの結果、主な争点は▽火災原因は小川被告の放火か▽火を付けたとして、小川被告に客への殺意があるか▽逮捕直後の自白に任意性があるのか▽事件当時、責任能力があったか――とされた。
 2009年9月14日の初公判で、小川被告は「放火はしていません」と無罪を主張。弁護側も「殺意を持ったことはなく、放火行為もない」などと述べた。
 冒頭陳述で検察側は火災直後、小川被告がいた部屋のキャリーバッグから火の手が上がっていたとする客の目撃があったと指摘。「壁の焼損などから、小川被告がいた部屋が出火元なのは明らか。失火ではここまで燃え広がらない。店内の構造を熟知しており、火災発生も周囲に知らせず逃げた」と主張した。 一方、弁護側は「小川被告が利用していた部屋が火元ではない。もっとも焼損が激しいのは9号室であり、それは警察の実況見分調書に記されている。犯人は9号室の使用者である可能性が高い。自白は警察官の強要によるもの」と反論した。
 検察側は、「小川被告が使っていた18号室が火元と推察される」とした大阪市消防局の検証結果を明らかにした。同市消防局は、燃焼状況などから火元の可能性がある場所を9号室を含む4か所に絞り込み、男性客の目撃証言をもとに18号室と特定したことを明かした。
 17日の第2回公判で店員が証人出廷し、「小川被告の部屋でバッグから約80cmの炎が立ち上るのを見た。他の部屋では炎も煙も見なかった」と証言した。また現場の焼損状況を鑑定した大阪府警科学捜査研究所の研究員も出廷し、「一番よく燃えているのは別の部屋だが、炎の流れをさかのぼると、小川被告の部屋から燃え広がったと考えられる」と述べた。
 18日の第3回公判で火災の第1発見者とされる男性客が証人出廷し、「廊下が焦げ臭かったので周囲を見渡すと、個室のドアが開いて小川被告が出ていった。部屋をのぞくとバッグが燃えていた」と証言した。9号室の客の男性も出廷し、「ドアのすき間から黒い煙が入ってきたので開けると、火が入ってきたので逃げた」と述べた。
 10月1日の第6回公判では、起訴前日の2008年10月21日に撮影し、検察の取り調べに小川被告が否認する状況を録画したDVDが上映された。双方が証拠申請したものだが、弁護側は「自白に任意性がないことを示す証拠」、検察側は「自白は任意になされたものだ」と主張しており、同じ証拠を巡り立証趣旨が対立している。
 9日の第7回公判で、秋山敬裁判長は、小川被告が放火を認めた供述調書など14通について、「任意性がある」として証拠採用した。
 15日の論告求刑で検察側は、「焼損状況や証言から被告の部屋が火元なのは明らかで、失火も考えられない」と指摘。逮捕直後の自白は任意だったとした上で「自白によるまでもなく、火事になれば客の避難が困難になると認識しながら、自殺するために火を付けたことは優に認められる」とした。そして「起訴された放火事件では戦後最大の被害。動機は身勝手で、無責任な通り魔的無差別殺人が社会に与えた影響は大きい。突如強制的に人生に幕を下ろされた被害者の無念さは計り知れない」とした。
 同日の最終弁論で弁護側は「被告の部屋を火元とする大阪府警科学捜査研究所職員や目撃者の証言は信用できない。出火元が別の部屋で、その使用者が真犯人である可能性がある。自殺する気持ちはなく、犯行の動機がない」などと反論した。
 小川被告は最終意見陳述で、涙声で「本当に火をつけていない」と繰り返し、「やっているなら認めて死刑になる。自分だけ助かろうとは思っていない。言い逃れしているわけではない」と述べた。また、遺族3人が論告求刑に先立ち、悲痛な思いを陳述し、論告で検察側が犠牲者全員の経歴や遺族の心情を述べたことについて、「同じ人間として、聞いていてつらかった」と話した。
 秋山裁判長は判決理由で秋山敬裁判長は、証言や現場検証の結果を基に「火元は被告がいた部屋で、失火は考えられない」と小川被告の放火を認定。「狭くて避難しにくい店舗の構造や、ほかに客がいたことを理解しており、放火すれば死者が出ると認識していた」と殺意も認めた。焦点となった供述調書についても秋山裁判長は「厳しい刑から逃れたいと思って否認に転じたとみられ、供述調書は信用できる」と弁護側の主張を退けた。その上で「自殺目的の動機は身勝手極まりなく、何の落ち度もない16人を殺害した残虐な犯行だ。放火を否認するなど、結果に真摯に向き合う態度に欠けている。最大限の非難に値し、生命をもって罪を償うべきだ」と述べた。

 2010年11月30日の控訴審初公判で、弁護側は、炎の流れなどから火元を特定し小川被告の放火を認めた一審判決について「焼け方が一番激しかった別の部屋が火元」と反論。同被告の部屋から火が出ているのを見たとされる店員の証言も「目撃した位置の供述が変遷しており、信用性を欠く」と述べ、一審同様無罪を主張した。検察側は「主張は一審の繰り返し。判決は正当で誤りはない」として控訴棄却を求めた。
 2011年4月26日の公判で弁護側は「放火を認めた自白は取調官の誘導があり、信用性はない」と改めて無罪を主張。検察側は「現場から収集された客観証拠と自白は整合し、一審判決に誤りはない」と控訴棄却を求めて結審した。
 判決で的場純男裁判長は「捜査段階で放火を認めた供述や、被告がいた個室から火が出たとする目撃証言は信用できる。炎が流れた形跡や壁面などの焼損状況からも被告が放火したのは明らかで、ほかの客が死亡する危険があることも分かったはずだ」と述べ、殺意を認定し、無罪の主張を退けた。また、失火の可能性がなく、被告が店の外で「すいません」「補償します」と述べたという証言を踏まえ、「放火は事実誤認」との主張を退けた。供述調書の任意性についても「警察官が机をたたくなどして追及した可能性はあるが、脅迫的とまではいえない」と退けた。量刑を争う控訴審ではなかったが、的場裁判長は事件の重大性を考慮し、職権で量刑を検討した。被告が捜査段階の終盤で否認に転じて公判で放火を全面否定したことなどを挙げ、「個室ビデオ店が避難しにくい構造だったことが、多数の死者を出した原因の1つにあるが、それを承知で放火し、犯罪史上まれにみる大惨事を引き起こした。事件に真摯に向き合う姿勢が欠けており、極刑をもって臨むほかない」と結論付けた。

 2014年2月6日の上告審弁論で、弁護側は「火元は被告がいた個室ではなく、より焼損の激しい別の個室だ。捜査段階の自白は誘導されたもので、任意性も信用性もない」などと改めて無罪を主張。検察側は「炎の流れなどから火元は被告のいた部屋で間違いない。16人が死亡した結果は重大だ」と上告棄却を求めた。
 判決で横田裁判長は、「個室内で過去を振り返り、現在の自分を惨めに思って衝動的に自殺しようとした動機や経緯に酌量の余地はない」と非難。その上で「通路が狭く出入り口が限られ、客が避難しにくい構造を認識しながら安全を顧みることなく放火に及んだ。人命を軽視した極めて危険で悪質な犯行だ。極めて多数の死傷者を出しており、犯行の結果が甚だしく重大。捜査段階終盤から全面的に否認し続けており、真摯な反省の態度はうかがわれない。一、二審の死刑判決を是認せざるをえない」と指摘した。
備 考
 犯行のあった2008年10月1日は、消防法施行令の改正により、カラオケボックスや個室ビデオ店、ネットカフェなどに自動火災報知機の設置が義務づけられた日だった。
 事件後の10月1日、国土交通省と総務省消防庁は全国の自治体などに、類似店舗に対する緊急調査を指示。11月25日の結果報告で、個室ビデオやマンガ喫茶など計8,574店のうち、3分の1以上の計3,085店に非常用照明装置や排煙設備がないなどの建築基準法違反があった。また、計1,028店が消防法に違反し、自動火災報知設備を設置していなかった。両省は違反店舗に是正を求めた。
 2009年4月の消防庁の調査では、全国の個室型店舗8,514施設のうち約4割で、消火器具や誘導灯が未設置など消防法上の違反が見つかっている。
 被害者の1人である俳優の青木孝仁さん(当時36)が出演した映画『火天の城』(田中光敏監督)は、2009年9月12日より全国公開された。試写会には遺族も招待された。
現 在
 2014年3月、大阪地裁に再審請求提出。2015年10月、個室ビデオ店の20分の1の模型を用いた燃焼実験の鑑定結果などを新証拠として提出。実験は火災の専門家の大学教授に依頼。(1)18号室(2)9号室(3)両室--を出火元と想定し、炎の広がり方や焼損状況を比較する実験を行った。その結果、(3)の場合で実際の火災現場に酷似する痕跡が残った。鑑定書は「最初に9号室から何らかの原因で出火した」と推定し、18号室の出火原因について、「テレビなどの発熱で発火した可能性がある」と結論付けた。弁護団は、府警の取り調べに自白の誘導があったとも訴えた。
 2016年3月、大阪地裁は再審請求を棄却。「2カ所からの出火は経験則上も大きな疑問を抱かざるを得ない」とし、「鑑定書は府警の分析を覆す根拠とならない」と指摘した。2018年10月、大阪高裁は即時抗告を棄却した。2019年6月24日、日弁連は再審請求を支援することを決めたと発表した。2019年7月17日付で最高裁第三小法廷(宮崎裕子裁判長)は、特別抗告を棄却する決定を出した。
 2019年11月5日、大阪地裁へ第二次再審請求。出火元に関し燃焼学の専門家に調査を依頼した結果、小川死刑囚が出火当時いた部屋とは別の場所が火元の可能性があるとの意見書が作成された。弁護団は、この意見書が無罪を示す新たな証拠だと主張している。
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氏 名
矢野治
事件当時年齢
 54歳(2003年7月逮捕当時)
犯行日時
 2002年2月21日~2003年1月25日
罪 状
 盗品等有償譲受け、有印私文書偽造・同行使、旅券法違反、殺人、殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反、放火予備、現住建造物放火未遂
事件名
 日医大暴力団組長射殺事件、前橋スナック乱射事件他
事件概要
 2001年8月、東京都内の斎場で指定暴力団住吉会系組幹部2人が稲川会大前田一家系組員2人に射殺された事件が発生した。事件をめぐり、両組織は和解したが、住吉会幸平一家の矢野睦会組員らはこれを無視して大前田一家の幹部をつけ狙った。
 2002年2月21日、住吉会系の組長(当時54)が稲川会系指定暴力団稲川会大前田一家元組長宅を襲撃しようとして発砲したが失敗した。24日夕方、組長は豊島区で男に短銃で撃たれて入院した。
 指定暴力団住吉会系幸平一家矢野睦会会長矢野治被告は、矢野睦会辰力組組長T元被告、知人の元暴力団員A元被告と共謀。2月25日午前9時ごろ、日本医大病院一階の集中治療室の窓から、ベッドで寝ていた組長に拳銃数発を発射、殺害した。組長は暴力団抗争から抜け出そうとしたため、口封じのために殺害したものである。
 矢野被告は2月下旬、埼玉県三郷市の鉄工所でガソリン噴射機を製造し、放火を計画。3月1日に対立する指定暴力団稲川会系指定暴力団稲川会大前田一家元組長(当時55 後に稲川会から絶縁)宅を襲撃し、塀などに銃弾を打ち込み、噴射機で放火しようとしたが、放火前に見つかって未遂に終わった。
 矢野被告は同会幹部山田健一郎被告、同D元被告らと共謀。2002年10月14日午後4時35分ごろ、群馬県白沢村の村道で、ゴルフ場から帰る途中の元組長の乗用車に拳銃を発砲。元組長の右肩に重傷を負わせた。
 さらに矢野治被告らは、元組長の殺害を計画。
 矢野被告の指示を受けた暴力団幹部小日向将人被告は、同幹部山田健一郎被告とともにフルフェースのヘルメットをかぶって、2003年1月25日午後11時25分頃、前橋市三俣町のスナック前にいた元組長の警護役(当時31)を射殺した後、店内で拳銃を乱射し、いずれも客で近くに住む会社員(当時53)、パート職員(当時66)、会社員(当時50)の3人を射殺し、元組長と客の調理師(当時55)の2人に重傷を負わせた。当時店内にはカウンターに客が8名と、カウンターの中に女性経営者がいた。
 事件直後の2003年2月、捜査本部は「自分がやった」などと出頭した住吉会幸平一家矢野睦会系幹部のD元被告を銃砲刀剣類所持等取締法違反容疑で逮捕したが、前橋地検は証拠不十分のため処分保留で釈放していた。
 矢野被告は2003年7月8日、放火未遂事件の容疑で逮捕された。9月1日、日本医大病院での殺人容疑で再逮捕。2004年2月17日、前橋のスナック乱射事件で再逮捕。6月2日、白沢村の殺人未遂事件で再逮捕された。
一 審
 2007年12月10日 東京地裁 朝山芳史裁判長 死刑判決
控訴審
 2009年11月10日 東京高裁 山崎学裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2014年3月14日 最高裁第二小法廷 鬼丸かおる裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 2003年12月19日の初公判で、矢野被告は日本医大病院での殺人容疑をT元被告と共に否認した。A元被告は単独犯行を主張した。
 2004年6月1日の、前橋スナック乱射事件の初公判で、矢野被告は起訴事実を全て否認した。また後に、白沢村襲撃事件でも容疑を否認した。
 2006年11月28日の公判で、山田健一郎被告が証人に立ち、小日向将人被告の証言はでたらめと非難。証言の7、8割は嘘と明言した。矢野被告が犯行を指示したかについては「電話を受けたのは小日向被告なので自分はわからない」と話した。小日向被告は2004年2月に乱射事件への関与を認めた後、事件の全容解明に向けて積極的に供述している。
 12月12日の公判でも、山田被告は殺害が矢野被告の指示だったとする検察側の主張について「それはありません」ときっぱり否定した。またスナックで拳銃を乱射した後、小日向将人被告の携帯電話に「このやろう、女が巻き込まれているんじゃないのか」などとどなり声で電話があったことを明らかにしたが、電話の相手については「わからない」と繰り返した。
 2007年5月23日の論告求刑で、検察側は「被告は犯行を指示した首謀者で刑事責任は最も重いのに、起訴事実を全面否認し反省の情も見られない。もはや人間性は失われ、矯正不能だ」と指摘した。検察側はこの日の論告で、矢野被告について、「一片の反省悔悟の情も認められず、矯正不能」「暴力団特有の論理で一般人の犠牲もいとわない姿勢は反社会性の極み」などと指弾。「何の罪もない父や、その仲間たちの命を容赦もなく奪っていった犯人たちに私たちと同じ社会に存在してほしくない」などとする遺族の言葉も読み上げた。
 9月3日の最終弁論で、弁護側は「共犯者らの供述は虚偽で、有罪とする十分な証拠はない」などと改めて無罪を主張した。
 判決で朝山裁判長は「スナックでの銃乱射は至近距離から撃つなど残虐で、一種の無差別テロの様相を帯びている。実行行為を具体的に指示しており、実行犯と同等以上の責任がある。極刑をもって臨むしかない」「拳銃で弾丸を何発も発射するという残虐な犯行。合計5名もの人命が奪われ、犯行結果も重大。極刑をもって臨むほかない」と述べた。朝山裁判長は、犯行動機は対立していた指定暴力団稲川会系の元組長に対する報復だったと認定。その上で「暴力団特有の論理に基づく反社会的犯行。矢野被告の反社会的人格は根深い」と指摘し、死刑の選択もやむを得ないと判断した。
 朝山裁判長は矢野被告の関与を認めた実行役らの供述について「具体的で信用できる」と判断。いずれの事件も被告の指示で行われたと認定し、弁護側の無罪主張を退けた。その上で、前橋事件について「残虐きわまりない一種の無差別テロ。人生の充実期にあった、暴力団と無関係の3人の無念の情は、察するに余りある」と指摘。「暴力団抗争に多数の一般市民を巻き込んだ社会的影響は極めて大きい」と述べた。日医大事件についても、「制裁と口封じ目的で、酌量の余地はない。ほかの患者らに危害が及ぶ可能性もあった」とした。
 矢野被告は初公判から「身に覚えがない」と一貫して起訴事実を否認。このため、県警の捜査員や小日向被告らの証人出廷が余儀なくされ、矢野被告の公判は他の事件も含めて求刑時69回を数えるまで長期化した。

 控訴審で弁護側は、矢野被告は実行犯との連絡役か調整役に過ぎないとして、一審同様無罪を主張した。また検察側の主張に対し、共謀の証明が不十分と訴えた。
 判決で山崎学裁判長は2002年2月~2003年6月にあった計11の事件について「被告は犯行の実行行為こそ担当していないが、暴力団組織の上下関係を利用し、犯行を具体的に指示した首謀者だ」と認定。「責任は重大で実行犯と同等以上。一般人を含む多数の犠牲者を出しており、社会への影響は極めて大きい。5人の人命が奪われた結果は極めて重く、とりわけ乱射事件で殺害された一般人3人の無念さは筆舌に尽くしがたい」と述べた。住吉会総裁らが昨年9月、スナック乱射事件の責任を認め、遺族らに計9,750万円を支払う内容で和解したことも被告に有利な事情として言及したが、「極刑がやむを得ないとした一審判決は相当」とした。判決に矢野被告は出廷しなかった。

 2013年9月27日に最高裁弁論が開かれたが、矢野治被告は同月に弁護人を解任していた。新任の弁護人は実行犯らとの共謀はないとして、無罪を主張する上告趣意書を陳述するものの、「準備できていない」と続行を求めた。検察側は「事件から10年、上告からも4年が経過している」として迅速な終結を求めた。鬼丸かおる裁判長は、次回に弁護側の弁論を行うことを認めた。
 2014年2月17日の最高裁弁論で、弁護側は「被告が犯行を指示したとする証言は信用できない」などと無罪を主張。検察側は「被告が主導的役割を果たしたことは明白」と上告棄却を訴えた。
 判決で鬼丸裁判長は被告の無罪の主張を退けたうえで、「一般人を巻き込む危険性も意に介さず、冷酷で残虐。結果は重大で、地域社会に与えた影響も計り知れない。実行行為はしていないが組員に指示を与えた首謀者である被告の責任は実行犯以上に重く、死刑の判断を認めざるをえない」と指摘した。
備 考
 2004年10月29日、東京地裁はA被告に懲役16年(求刑懲役18年)を言い渡した。そのまま確定か。
 12月13日、前橋地裁は見張り役として襲撃の手助けをしたとして、殺人未遂ほう助罪に問われた元組員に懲役2年4月(求刑懲役4年)を言い渡した。
 12月27日、前橋地裁は実行犯を車で運び逃走させたとして、犯人隠避などの罪に問われた組員に懲役7年(求刑懲役8年)を言い渡した。
 2005年1月17日、前橋地裁は小日向被告に拳銃1丁と実弾4発を約30万円で譲り渡したとして銃刀法違反の罪に問われた暴力団幹部に懲役2年8月(求刑懲役5年)を言い渡した。
 2月14日、前橋地裁は狙われた元組長の情報を教えたなどとして、殺人未遂ほう助の罪に問われた元組長に懲役3年(求刑懲役5年)を言い渡した。控訴せず確定している。
 4月18日、前橋地裁はスナック乱射事件の見張り役をしたほか、旧大胡町で発砲事件を起こしたなどとして殺人未遂ほう助、銃刀法違反などの罪に問われた元暴力団幹部に懲役11年(求刑懲役13年)を言い渡した。
 4月26日、前橋地裁はスナック付近の見張りなどをしたとして殺人未遂ほう助罪などに問われた元組員に懲役5年(求刑懲役8年)を言い渡した。
 6月6日、前橋地裁はスナック乱射事件で、見張り役をしたとして殺人未遂ほう助の罪に問われた元組員に懲役2年8月(求刑懲役4年6月)を言い渡した。
 2006年6月9日、東京地裁はT被告に無期懲役(求刑同)を言い渡した。控訴するも後に取り下げ、確定。
 6月19日、前橋地裁は旧白沢村での拳銃乱射事件や、スナック乱射事件で拳銃を準備し現場の下見をしたなどとして、殺人予備、銃刀法違反などの罪に問われたD被告に懲役15年(求刑懲役20年)を言い渡した。この幹部は当初スナック乱射事件の実行役として指名されていたが、直前に小日向被告と仲違いして山田被告と交代している。また、事件直後にこの幹部は「自分がやった」として出頭、逮捕されたが、証拠不十分で釈放されていた。被告は即日控訴したが、10月31日付で取り下げ、確定している。
 6月19日、前橋地裁は旧白沢村で元組長に拳銃を発射し、重傷を負わせたとして殺人未遂罪などに問われた暴力団組長に懲役15年(求刑同)を言い渡した。被告は即日控訴している。

 小日向将人被告は2005年3月28日、前橋地裁で求刑通り死刑判決。2006年3月16日、東京高裁で被告側控訴棄却。2009年7月10日、被告側上告が棄却され、死刑判決が確定した。
 山田健一郎被告は2008年1月21日、前橋地裁で求刑通り死刑判決。2009年9月10日、東京高裁で被告側控訴棄却。2013年6月7日、被告側上告が棄却され、死刑判決が確定した。
その他
 警察庁によると、暴力団の発砲事件に巻き込まれて3人の一般市民が死亡するのは初めて。
 2006年11月22日、被害者男性の遺族3名が指定暴力団住吉会の西口茂男総裁、福田晴瞭・同会会長、矢野治被告、小日向将人被告、山田健一郎被告を相手取り、総額約1億9,760万円の損害賠償を求めて前橋地裁に提訴した。別の遺族は提訴する意思がなく、もう一方の遺族は弁護士紹介の要請があったが、引き受ける弁護士がいなかったという。原告弁護団(石田弘義団長)によると、2004年2月に矢野被告らが逮捕され、不法行為の損害賠償請求権の消滅時効(3年)が迫っているとして提訴に踏み切ったという。
 2007年2月23日、前橋地裁での第1回口頭弁論で、使用者責任を問われた西口総裁と福田晴瞭会長は請求棄却を求める答弁書を提出。小日向将人被告は請求内容を認め、裁判が終了した。答弁書によると、西口総裁と福田会長は「事件があったことは知っているが、詳しい役割分担までは知らない」などとして、傘下組員による事件への責任は負えないとし、全面的に争う構えを示した。一方、小日向被告は答弁書で「本当に申し訳ありませんでした」と謝罪し、裁判所側が「争いがない」と認定。今後は原告側が小日向被告への賠償金などを協議する。
 2007年4月27日、前橋地裁の松丸伸一郎裁判長は矢野治被告、山田健一郎被告に対し、慰謝料など8,219万円の支払いを命じた。このうち慰謝料分は3,000万円で、原告が求めた1億2,000万円から大幅に減額された。刑事裁判で山田被告は発砲を認める法廷供述をしたが、矢野被告は関与を否認している。しかし民事裁判の口頭弁論にこれまで出廷せず、松丸裁判長は原告の主張を全面的に認めたと判断した。原告側は判決を不服として控訴した。
 2007年7月13日、被害者女性の遺族や重傷を負った客、スナックの経営者ら8人が西口茂男総裁、福田晴瞭・同会会長、矢野治被告、小日向将人被告、山田健一郎被告を相手取り、総額1億5,000万円の損害賠償を求めて前橋地裁に提訴した。
 9月11日、遺族3人が総額約1億9,760万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審第1回口頭弁論が東京高裁で開かれ、矢野被告と山田健一郎被告は一審同様代理人を立てず、答弁書も提出しなかったため、即日結審した。
 9月12日、遺族8人が総額約1億5,000万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が前橋地裁で開かれ、西口総裁、福田会長側は、同事件の別の遺族が起こしている裁判と同様、使用者責任を否定する姿勢を見せ、請求棄却を求めた。矢野治被告と山田健一郎被告は答弁書を出さず、即日結審。小日向将人被告は「申し訳ない」などと請求を認める答弁書を提出し、訴訟が終了した。
 10月16日、東京高裁の判決で、宗宮英俊裁判長は、一審前橋地裁判決を変更し、660万円を増額、矢野被告と山田被告に対して計約8,880万円の支払いを命じた。原告側は、殺された男性への慰謝料が、一審判決では交通事故死のケースとほぼ同額しか認められなかったことについて、「銃で殺された男性の慰謝料が、過失による交通事故と同じでいいのか」と主張していた。宗宮裁判長は「慰謝料額はそれぞれの事件ごとの事情を酌んで個別に算定すべきで、交通事故の慰謝料とたまたま符合したとしても直ちに不当とはならない」と退けたが、遺族への慰謝料は増額した。
 10月19日までに、遺族8人が総額約1億5,000万円の損害賠償を求めた訴訟で、「被害弁償が済んだ」として提訴を取り下げた。原告側代理人によると、代理人間の交渉で実行役の被告らが今月、被害弁償額を提示。代理人は金額は公表していないが「被害者の納得のいく額に達したため、和解に応じた」と話している。
 2008年5月30日、最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)は男性被害者の子供3人が慰謝料増額を求めた上告を退ける決定を出した。8,880万円の支払いを命じた二審・東京高裁判決が確定した。
 2008年9月26日、男性客(当時50)の遺族3人と、西口茂男総裁、福田晴瞭会長との和解が前橋地裁で成立した。原告側代理人によると、和解は、下部団体の構成員が事件を起こしたことについて、西口総裁らが自らの責任を認めて再発防止を約束し、計9,750万円を支払うという内容。暴力団犯罪の使用者責任を巡り、指定暴力団トップが自らの責任を明確に認めたのは初めてという。
その後
 矢野治死刑囚は2014年9月7日付で警視庁目白署に別の殺人事件を告白する手紙を送付。同年12月には週刊新潮編集部にも手紙を送った。現役の参議院議員だった友部達夫が100億円近い資金を騙し取り、その一部は政界に流れたといわれる「オレンジ共済事件」のキーマンとして、国会の証人喚問を受けたこともあり、1998年4月に失踪した東京都新宿区の不動産会社社長の男性(失踪当時49)を殺害後、遺体の遺棄を知人の男に指示した。目白署の刑事らは、12月25日に東京拘置所で彼に事情聴取を行ったが、その後捜査は一切行われなかった。
 矢野治死刑囚はさらに2015年5月28日付で、別の殺人事件について関与したことを告白する手紙を渋谷警察署に送った。知り合いの住吉会系のある組の頭(若頭)から、伊勢原駅前にある不動産物件のオーナーで、所有権や再開発をめぐり、頭と紛争になっているため、裁判を起こされる前に殺害してほしいと依頼され了承。矢野死刑囚は、五分の兄弟分だった同じ幸平一家の組の組長(2014年死亡)に、この男の殺しを依頼したと告白した。この男性(失踪当時60)は1996年8月10日、宅配便を装う男に住所がわからないと誘いだされたまま帰らず、行方不明になったものだった。しかし渋谷警察署は一切の捜査を行わなかった。
 週刊新潮編集部は取材を続け、当時死体を埋めた男性と接触し、証言を得た。そして『週刊新潮』2016年2月25日号(2月18日発売)にて、記事を発表。記事が表に出ることが分かった瞬間、警視庁は捜査を始めた。警視庁組織犯罪対策4課と神奈川県警は2016年4月19日、神奈川県伊勢原市の山林で1996年に失踪した男性の捜索を行い、供述通りの場所から遺体を発見した。7月6日~7日、埼玉県ときがわ町の山中を捜索したが、1998年に失踪した男性の遺体は発見できなかった。11月21日~22日、再度捜索するも、発見できなかった。11月29日、埼玉県ときがわ町の山林で下半身とみられる人骨を発見した。30日午後、上半身とみられる人骨を発見した。
 2017年4月10日、警視庁は1998年4月に失踪した東京都内の会社役員の男性殺人容疑で逮捕した。警視庁組織犯罪対策4課は7月4日、1996年8月に失踪した伊勢原市の男性の殺人容疑で矢野死刑囚を再逮捕した。他に住吉会系元組幹部ら3人の男(いずれも既に死亡)が関与していたが、容疑者死亡でいずれも書類送検する。
 2018年12月13日、東京地裁で無罪判決(求刑無期懲役)。楡井英夫裁判長は「死刑執行を引き延ばす目的でうその上申書を書いた疑いがあり、2件とも殺人への関与を認定できない」と述べた。検察側は控訴せず、確定。検察側は、一部の遺族が「早期執行」のために控訴を求めない意向を示したことや、殺害の関与を裏付ける新証拠を提出することが難しいことなどを考慮したとみられる。

 2020年1月26日、東京拘置所で死亡。起床時間の7時半になっても布団の中で寝ていたため、職員が同47分に部屋の中に入って布団をめくったところ、矢野死刑囚が首から血を流しているのを発見。8時10分、拘置所の医師が死亡を確認した。自作の刃物状のもので首を切った自殺とみられる。71歳没。
 法務省は2020年10月、死刑囚が拘置所で使える物品を定めた訓令を改正し、鉛筆削りや鉛筆が使えなくなった。法務省は詳細な説明を避けているが、矢野死刑囚が所持していた鉛筆削りの刃の部品を外して(刃は外せないようにネジ山が潰してあった)使って自殺したので、鉛筆削りや鉛筆を使えないようにしたのではないかという推測がある。
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氏 名
小泉毅
事件当時年齢
 46歳
犯行日時
 2008年11月17日~11月18日
罪 状
 殺人、殺人未遂、殺人予備、銃砲刀剣類所持等取締法違反
事件名
 元厚生次官宅連続襲撃事件
事件概要
 さいたま市の無職小泉毅(たけし)被告は元厚生事務次官とその家族を殺害しようと計画。2008年11月17日午後7時頃、宅配業者を装い、さいたま市に住む元厚生事務次官の男性(当時66)方を訪れ、男性と妻(当時61)を包丁(刃渡り約20cm)で刺して殺害した。死因はいずれも心臓損傷による失血だった。夫婦の遺体は18日午前、男性方を訪れた親類によって発見された。
 小泉被告はさらに11月18日午後6時半頃、宅配業者を装い、東京都中野区に住む元厚生事務次官の男性(当時76)方を訪れた。印鑑を持った男性の妻(当時72)の胸などを包丁で刺した。妻はリビングや台所を逃げ回ったが、小泉被告が追いかけてきたため、さらに屋外へ逃げ出した。小泉被告はそのまま逃亡。妻は通りがかりの男性に発見されたが、約3ヶ月の重傷を負った。
 小泉被告はレンタカーで千葉県浦安市まで移動し、元社会保険庁長官の女性とその家族を殺害しようと計画。宅配便を装い、女性の名を書いた送り状を張ったダンボールを準備し、18日午後8時過ぎに女性方近くまで行った。警備の様子はなかったが、家の中で警備しているかもしれないと思い、そのまま帰った。
 埼玉県警と警視庁は、2つの事件に共通点が多いことから、19日に共同捜査本部を設置して連携して捜査を進めた。
 小泉被告は11月22日午後9時20分、レンタカーで警視庁本庁舎北西側の内堀通り沿いに乗り付け、警戒中の機動隊員に「自分が事務次官を殺した」と出頭。小泉被告はすぐに身柄を確保され、麹町署に連行された。出頭の約2時間前、テレビ局のホームページに自首を予告していた。車にあったバッグの中に、血の付いた包丁など刃物10本が見つかったため、警視庁は銃刀法違反容疑で23日、逮捕した。さらに12月4日、2件の殺人と殺人未遂容疑で再逮捕した。都道府県をまたがる2事件を合わせて逮捕するのは異例。
 小泉被告は事件の2年ほど前に東京都内のコンピューター関連会社を辞めさせられた後、インターネットを使った株取引で生計を立てていたが、事件当時数百万円の借金があった。
 小泉被告は元厚生事務次官ら3人を殺傷した動機について、「34年前に保健所で殺された飼い犬の仇討ちであり、私怨から」と述べた。「元次官ら厚生官僚トップとその家族10人前後を殺害する計画だったが、警備が厳しくなって断念した」とも供述している。小泉被告は元厚生次官らの住所を、国会図書館にある職員録より取得していた。小泉被告の自宅からは、複数の厚生労働省の事務次官経験者の名前を書いたメモや、自宅に印の付いた地図が押収されている。
 また元社会保険庁長官の女性を殺害しようとした動機については、「国民審査で罷免されるのが怖いから判事を退任したひきょう者。義憤にかられた」として義憤であると述べた。また小泉被告は逮捕直後から被害者の元次官を「マモノ」と呼び続け、「マモノを殺しても殺人罪ではない。無罪を主張する」と供述している。
 さいたま地検は12月22日、小泉毅被告の刑事責任能力の有無を判断するため、さいたま地裁に約3か月間の鑑定留置を請求し、認められた。
 2009年3月26日、さいたま地検は殺人他の容疑で起訴した。小泉被告の動機について、さいたま地検は「不可解さは残る」としているが、精神鑑定でも刑事責任能力を認める結果を得ており、公判維持は可能と判断した。

 なおペットの処分を規定する動物愛護法を所管するのは環境省で、保健所を設置しているのは、都道府県や政令市などの地方自治体。厚生労働省(旧厚生省)は狂犬病予防法を所管するだけで、犬や猫の処分は保健所の判断に委ねられている。
 また狙われた元社会保険庁長官の女性は2008年9月、任期を2年7ヶ月残して最高裁判事を依願退職している。しかし任期を全うしたとしても、東京地検は「客観的には国民審査の対象にならないタイミング。小泉被告の思い込みだ」としている。
一 審
 2010年3月30日 さいたま地裁 伝田喜久裁判長 死刑判決
控訴審
 2011年12月26日 東京高裁 八木正一裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2014年6月13日 最高裁第二小法廷 山本庸幸裁判長 上告棄却 死刑確定
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 公判前整理手続きで争点は▽東京都中野区で元厚生事務次官の妻を襲った際、犯行を途中でやめて逃走したことが、刑の減軽や免除を定めた刑法43条の「中止未遂」規定に当てはまるか▽警視庁への自首を理由に刑を減軽すべきか――の2点に絞られた。
 2009年11月26日の初公判で、小泉被告は起訴内容を大筋で認めたうえで、「あくまで無罪を主張する。私が殺したのは人間ではなく、心の中の邪悪な魔物。邪悪な魔物が作った狂犬病予防法という法律が毎日たくさんの罪のない犬を殺している」などと声を荒らげた。
 検察側は冒頭陳述で、小泉被告は、飼っていた犬を保健所に殺処分されたと考えたことや、数十万匹の犬や猫が毎年殺処分されていることなどを知り、「厚生省が保健所を所管していると思い、恨むようになった」と指摘。「多数の厚生事務次官経験者を殺害して死刑になって人生を終わらせ、動物の命を粗末にすれば自分に返ってくることを思い知らせようとした」と動機を説明した。
 弁護側は冒頭陳述で、なぜ事件を起こしたのかということと、捜査段階での精神鑑定結果も「重要な争点」と指摘した。
 弁護人は、初公判終了後に開いた記者会見の冒頭、小泉被告から「きちんと報道してほしい」という強い要望があったとして手記を配布した。
 12月14日の第2回公判で、11月18日に襲われた女性とその夫が出廷し、極刑を訴えた。小泉被告を鑑定した精神科医は「事件当時、精神障害はなかった」と証言。動機について「愛犬を処分されたことに収斂させるのは適切でない」と述べた。
 12月15日の第3回公判で、殺害された夫婦の長男と次男が出廷し、極刑を訴えた。
 12月16日の第4回公判における被告人質問で、小泉被告は犯行について「飼い犬を殺されたあだ討ちだった」「私怨によって多くの魔物を殺すことを考えていた」などと供述した。元次官宅を襲撃した理由については、「最初は誰を殺したらいいかわからなかったが、中学のころ、保健所が厚生省の管轄だと習った記憶があったから」と述べた。判決の見込みを尋ねられると、「1,000%死刑と思っている」とする一方、「無罪を主張しているので、無罪以外は上訴します」と答えた。弁護側は閉廷前に「小泉被告は妄想性障害の可能性があり、起訴前の鑑定は不十分。責任能力を争う」と精神鑑定を請求。これに対し、小泉被告は「私は心身共に正常。精神鑑定は無意味」と反論した。
 12月18日の第6回公判で、伝田喜久裁判長は、弁護側から請求されていた小泉被告の精神鑑定を却下した。
 2010年1月13日の論告求刑で、検察側は「人生の最期に大きな達成感を得たかった。自己の正当性を訴え、人生に幕を下ろそうとした無差別殺人。前代未聞の凶悪事件で、およそ人間の所業と思えず、命をもって償わせる以外にない」と指摘した。
 2月10日の最終弁論で弁護側は「飼い犬のあだ討ちという動機は理解できない。妄想性障害のため、心神喪失か心神耗弱だった疑いがある」と主張。自首が成立している点などを強調し「死刑の選択には疑問がある」と訴えた。
 小泉被告は最終意見陳述の冒頭で「私は事件当時も今も、心身ともに健康な健常者」と強調。事前に用意したメモを見ながら「官僚は身勝手な理由を付けて動物を虐待する法律を作っており、万死に値する」と、これまでの主張を繰り返した。
 判決で伝田裁判長は主文を後回しにし、判決理由の朗読から始めた。
 争点の一つとなった中止未遂規定については、小泉被告が女性に対し、治療を施さなければ死亡してしまうほどのけがを負わせており、積極的な防止措置をとらなかったことから退けた。争点の一つである責任能力について伝田裁判長は、「計画は周到かつ綿密で、違法性を十分認識したうえで合理的に行動した」などとして完全責任能力を認めた。さらに「長期間下調べをし、襲撃対象者を確実、効率的に殺害するため、念入りに計画を立て、公判でも自己の行為の正当性を主張し続けた」と指摘した。
 「飼い犬のあだ討ち」との動機については、「論理自体は特段の飛躍が見られず、了解は可能」としたが、「愛犬をどれだけかわいがっていたにせよ、重大事件を起こす事を正当化できない」とした。さらに、小泉被告が公判で述べた「殺したのは人ではなく、心の中が邪悪なマモノ(魔物)」などとする無罪主張を、「被告独自の見解で採用できない」と退けた。
 自首した点についても「正当性を訴えるため当初から計画されており、社会不安や捜査の必要性は何ら減少していない」として自首による刑の減軽を認めず、「被害者らを『マモノ』と呼んで冒涜し、今も元次官らに殺意を持っていると表明しており、更生する意欲は全く見せていない。罪質、計画性、悪質性、社会的影響の大きさなどからすれば、死刑の選択はやむを得ない」と結論づけた。

 2011年4月27日の控訴審初公判で、弁護側は一審に続き、心神喪失か耗弱だったと主張し、死刑回避を求め再鑑定を請求した。弁護側は(1)動機(2)平素の行動(3)一審判決後の心境―の被告人質問を請求。安井裁判長は、動機については「一審で取り調べ済み」と退けたが、被告が「こんないいかげんな裁判で私を殺すのですか」「忌避する」「控訴を取り下げる」と発言したため、弁護人と協議して対応を決めるよう促し閉廷した。
 9月7日の第4回公判で八木正一裁判長は、弁護側が請求していた再度の精神鑑定を「必要性がない」として却下した。
 10月28日の第5回公判で弁護側は、「愛犬のあだ討ち」との動機は理解不能で、妄想性障害などの可能性があり、責任能力を認めた一審の判断には誤りがあると主張。そして「利欲目的の犯行ではなく、量刑は不当」と死刑回避を求めて結審した。
 判決で八木裁判長は、八木裁判長は「『34年前にいなくなった愛犬チロのあだ討ち』を動機とする小泉被告の主張には筋道において特段飛躍はなく了解できる」と指摘。完全責任能力があるとした起訴前鑑定を踏まえ「長期間にわたり周到かつ綿密に計画を立て、公判でも病的な妄想の存在を疑われる兆候はない」と述べた。動機については、「被告は行政への不満などから元官僚らの殺害を自己目的化し、司法の場で犯行を誇示しようとした」と指摘。小泉被告が主張した「34年前に殺処分された愛犬の敵討ち」については、「公判で無罪を主張する計画の中で、口実として(動機を)脚色した疑いが強く、重視するのは適切でない」と述べた。さらに「犯行の準備を用意周到に進める中で行為の違法性を認識し、制御する能力も備えていた」と述べ、死刑の量刑判断についても「冷酷かつ残虐で、計画性の高さも際立った犯行。遺族らの処罰感情は峻烈を極め、被告には反省や更生の意欲がうかがえない。被告は被害者らを侮辱する言動に終始しており、極刑は回避できない」などと指摘した。

 当初、控訴審から引き続き務める国選弁護人が最高裁の上告趣意書を提出したが、内容が精神障害や妄想性障害であることから、小泉被告は拒否し、趣意書撤回の意見書を提出。なお小泉被告は過去に6回、裁判所に解任の請求をしており(すべて却下)、面会も拒否していた。動物愛護家の支援者から紹介された弁護士が私選弁護人として就いた。しかし最高裁は国選弁護人を介護せず、上告審では二人の弁護人が併存することとなった。
 2014年4月25日の最高裁弁論で国選弁護人は、「(小泉被告は)事件当時、精神障害に罹患していた。完全責任能力を有していたことに合理的な疑いが残る。動機が愛犬のあだ討ちというのは論理的に飛躍がある」などと述べ、一・二審判決を批判し、精神鑑定のやり直しと極刑回避を求めた。私選弁護人は「膨大な数の犬猫が殺処分になっている過ちに気づき早急な是正を行えば、被告人が再犯を行う可能性はなくなる」と訴え、死刑回避を求めた。検察側は、一、二審の死刑判決について「説得的、合理的で何の問題もない。いずれの点についても十分な審理を尽くした」と訴えた。被告に対しては「強固な殺意に基づく執拗かつ残虐な犯行。犯行後の情状も極めて悪質」と非難した。
 判決で山本庸幸裁判長は、「妄想性障害があり、責任能力はなかった」との弁護側主張を退けて完全責任能力を認めた二審の東京高裁判決を支持。「子供の頃に飼い犬が殺処分に遭った『あだ討ち』として元官僚への憤りを強めて殺害計画を立てており、犯行の動機や経緯は独善的で酌量の余地がない」と指摘。「社会に与えた衝撃も大きく、罰金刑以外の前科がないなど被告のために酌むべき事情を考慮しても、一、二審の判決を是認せざるを得ない」と述べた。
備 考
 殺害された男性は1999年、重傷を負った妻の夫は1990年に厚生次官を退官。1985年前後には上司と部下の関係で、基礎年金制度の創設に尽力している。そのため事件当初、2007年から明らかになった年金記録問題に絡めた厚労行政に不満を持つ者の犯行の可能性があるとして、連続殺傷事件が発覚した11月18日以降、各警察署が歴代厚生労働省(旧厚相)、元次官、社会保険庁長官経験者や厚生労働省現役幹部の自宅などを24時間体制で警備した。通常は現役の副大臣や政務官、事務次官でさえ護衛官(SP)が付かない。小泉被告が再逮捕され、単独犯で明らかになった以後は、警戒レベルが引き下げられ、警戒態勢も段階的に縮小された。
 小泉被告が被害者らの住所を図書館にある職員録で調べたと供述したことを受け、都立図書館を管轄する都教育委員会は2008年11月26日、中央(港区)、日比谷(千代田区)、多摩(立川市)の3館で旧厚労省職員の住所などが記載されている平成7年版以前の「厚生省名鑑」の閲覧を一時的に禁止すると発表した。他の省庁の職員名簿や著名人の名簿などについてもコピーを禁止するなどの措置を行う。同様の措置は全国の自治体の一部でも実施された。都立図書館では、2009年3月1日より制限付きで閲覧が認められるようになった。
 また厚生労働省のホームページでは事件後の11月19日より幹部名簿約350人分が削除されていたが、12月4日より再掲載された。
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氏 名
松原智浩
事件当時年齢
 39歳
犯行日時
 2010年3月24日~25日
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄
事件名
 長野一家3人強殺事件
事件概要
 建設会社従業員である松原智浩被告は、同社従業員I被告、リフォーム会社従業員伊藤和史被告、愛知県西尾市の廃プラスチック販売業S被告と共謀。2010年3月24日未明、松原被告が勤める建設会社の実質経営者であり、長野市に住む韓国籍の男性(当時62)方2階で、男性の長男(当時30)に睡眠導入罪を混ぜた雑炊を食べさせて眠らせた。同日午前8時50分頃、長男の様子を見に来た長男の内妻(当時26)が昏睡していることに気付いたため、内妻の首をロープで絞めて殺害。その後、寝室で昏睡していた長男を殺害した。9時25分頃、自室のソファで寝ていた男性を絞殺し、現金約416万円を奪った。さらに3人の遺体を運び出し、長野市内でトラックに積み替えた後、25日午前に愛知県西尾市内の資材置場の土中に埋めて遺棄した。その後、男性の車を関西方面に走らせて3人が失踪したように見せかけ、奪った現金は4被告で山分けし、飲食代や他の借金返済に充てた。
 内妻殺害は松原被告とI被告、長男殺害は伊藤被告と松原被告、男性殺害は伊藤被告と松原被告が実行している。睡眠導入剤や死体遺棄場所、トラックなどは報酬目当てで参加したS被告が提供した。
 男性は松原被告、I被告が勤める建設会社ならびに伊藤被告が勤めるリフォーム会社、金融業などを経営。松原被告、伊藤被告は男性方へ住み込みをしていた。S被告は男性の知人だった。
 松原被告は2004年頃、男性宅の内装工事を頼まれたときに金銭トラブルが起きて借金を背負い、男性宅に住み込んで働いていた。I被告は2009年頃まで長野市内で居酒屋を経営していたが、開店資金を男性から借りていた。S被告は男性の会社と取引があり、伊藤被告に誘われた。
 3月末に男性の親族より3人の捜索願が出たことから、長野県警は男性の自宅周辺などを捜査。4月8日、男性が実質経営するリフォーム会社が借りている長野市の貸倉庫周辺で異臭がするとの情報を入手。10日、貸倉庫内から長男の知人男性の他殺死体が見つかった。一方、県警は松原被告らを事情聴取。供述に基づき4月14日夜、資材置場から3人の遺体を発見。15日未明、4被告を死体遺棄容疑で逮捕した。5月6日、強盗殺人容疑で再逮捕した。
 知人男性の遺体については、伊藤被告、H被告が死体遺棄容疑で起訴された。凶器が見つからず、遺体の損傷も激しくて傷の特定も困難なことから、殺人については起訴が見送られた。また長男も殺人容疑で書類送検されている。
一 審
 2011年3月25日 長野地裁 高木順子裁判長 死刑判決
控訴審
 2012年3月22日 東京高裁 井上弘通裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2014年9月2日 最高裁第三小法廷 大橋正春裁判長 上告棄却 死刑確定
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 裁判員裁判。
 2011年3月14日の初公判で、松原被告は「間違いありません」と起訴事実を認めた。
 検察側は冒頭陳述で、動機について松原被告が男性から月1、2万円で働かされていたことや生活面で細かい注意を受けていたことなどに不満を持っていたと指摘。グループ会社を抜け出そうとしたが、「(男性から)多額の手切れ金を要求されると思い、いなくなってほしいと考えるようになった」と主張した。主犯格の伊藤和史被告と共謀し、事件の実行方法を提案するなど受動的な役割ではなかったと主張した。さらに、遺体を埋めて携帯電話や車を処分し、一家の失踪を装うなど計画的であり、食事などの世話をしていた内妻の命まで奪った悪質性を強調した。
 弁護側は、松原被告は元暴力団員であった男性や長男からの恐怖を抱いて生活していたと指摘。「(事件は)金銭が主な目的ではなく、奴隷的拘束から逃れるためだった」と主張。「給料から寮費を引かれ、手取りがほんの数万円という扱いを受けていた。暴力を振るわれることもあった」と述べた。そして最後まで犯行を拒んで共犯者内で従属的な立場だったと主張。最後に裁判員へ向かって「少しでもためらいがあるなら、一生後悔が残る。死刑にすべきではない」と訴えた。
 この事件では、殺害された3人の遺体の写真などを証拠申請したが、公判前整理手続で高木裁判長が「弁護側から反対意見があり、事実に争いはなく、立証の必要性に比して裁判員に過大な負担を与える」と、採用しなかった。
 16日の第3回公判では、共犯であるI被告が出廷。「男性宅に暮らしていた松原さんは、かなり生活に制限があったと思う」と証言した。
 17日の第4回公判における被告人質問で松原被告は長男から「鉄パイプでボコボコにされた」と述べ、仕事を辞めたいとは「恐怖心が先に来るので言えなかった」と話した。さらに松原被告は同年2月下旬、共犯である伊藤和史被告から「『実は長男も人を殺した』と言われた」と明らかにし、会社の誕生パーティーの際に「長男に突然怒られ、『殺すぞ』と言われたので恐怖心が高まった」ことが動機の一つになったと証言した。
 18日の論告で検察側は動機や計画性などを11項目にわたり指摘。動機について「殺害しないと会社を辞められないと思い込み、共犯者への報酬などのために金を奪うという自己中心的で身勝手極まりない」と指摘。松原被告の役割については「現金を奪うことを提案し、現金の保管場所を的確に探すなど、主犯格の伊藤被告と並ぶ不可欠な役割だった」と述べた。内妻殺害は「男性殺害の邪魔になったから殺すとは言語道断だ」と非難した。その上で「長い時間首を絞め続けており、極めて強い殺意があり冷酷非情。(遺体を埋めるなど)完全犯罪をもくろみ、証拠を隠滅するなど悪質だ。死刑をもって臨むべきだ」とした。
 一方、弁護側は、奪った現金は男性が管理しており、長男と内妻殺害については強盗殺人罪ではなく殺人罪が適用されると主張。松原被告が借金返済などで男性から経済的に拘束されていた点に触れ、「動機は交際相手との再婚のために男性から完全に縁を切るためで、金銭の奪取ではない。殺害を直前までためらっており、役割は従属的だった」と指摘。「遺族宛に謝罪の手紙を書くなど反省を深めている。矯正可能性が十分に認められ、生涯、被害者の冥福を祈らせるべきだ」と死刑回避を求めた。また、「永山基準は職業裁判官の基準。この事件ではぜひ市民の良識で判断してほしい。市民感覚と良識で判断すれば、判決は無期懲役になると確信している」と裁判員に語りかけた。
 松原被告は最終意見陳述で「いかなる判決でも死ぬまで反省し続け、罪を償いたい」と述べた。
 高木順子裁判長は主文を後回しにし、結果の重大性や残虐性、事件の性質など永山基準に沿って判決理由から述べた。高木裁判長は「いかなる理由でも3人の尊い命を奪ったことは容認できない」と指弾し、十数分間も首を絞め続けた行為は「冷酷かつ鬼気迫るものがある」と非難。特に内妻殺害は「巻き添えとなったもので、理不尽な凶行の犠牲者である」とした。そして、松原被告が早くからリーダー格の伊藤和史被告の相談相手になり、自らも手を下し、最後まで行動を共にしたと指摘。その上で「親子から不当に給与を天引きされるなど事情はある」と動機に一定の理解を示し、遺族への謝罪文をつづるなど「真摯な反省と謝罪、後悔は見て取れる」とも認めた。だが、親子殺害によって会社を辞めようとした松原被告の行為は「安易に自己利益を生命より優先しており、(被告の置かれていた状況を)過度に有利に配慮はできない」と断罪。弁護側の極刑回避意見に対しては、「いかに言い分があれ、3人の命を奪った結果の重大性は容認し難い」とし、「反省は見て取れるが、最大限考慮しても死刑をもって臨まざるを得ない」と述べた。

 2011年8月25日の控訴審第1回公判で、弁護側は「同居していた被害者親子から暴力を振るわれたり金銭を搾取されたりするなど、被害者にも落ち度があった」とし、裁判員裁判で審理された一審・長野地裁の死刑判決に対して量刑不当を主張。「父子から殺される可能性も感じており、逃げられないと思い詰めて犯行に及んだ」と述べた。検察側は控訴棄却を求めた。
 松原被告は、弁護側の被告人質問で被害者への気持ちを尋ねられ「自分の愚かさや弱さを感じ、申し訳なさでいっぱいだ」と答えた。また「死刑が確定すれば他の被告の道も決まってしまうと弁護人に説得され、控訴に同意した。私だけなら素直に刑に服している」と述べた。
 12月20日の第4回公判で、松原被告は共犯のI被告も死刑判決を受けたことについて、「私自身の死刑より納得がいかない。I(被告)との間に共謀はないし、Iも金をくれとは言っていない。死刑ありきの判決と思った」と述べた。首謀者とされる伊藤和史被告と犯行計画を相談したことについては、松原被告は「計画を綿密に練ろうという意思はなかった。伊藤(被告)から思いつきのように言われたことに答えたが、その後どうするか考えてなかった」と述べ、ずさんな計画だったと主張した。
 2012年1月24日の弁論で、弁護側は男性らの日常的な暴力などから逃れるのが犯行動機だとし、「殺害に主眼があり、金銭奪取への関心は極めて薄く、純粋な強盗殺人罪とはいえない。被害者側の落ち度を量刑に考慮するべきだ」と訴えた。計画的犯行と認定した一審判決について、計画は事件の主導者とされる伊藤和史被告が男性らからの暴力などに耐えかねて思い付いたずさんなもので、殺害場所や殺害行為の分担など事前の協議はなく、「計画性、周到性を欠いていた」と主張。一審判決で松原被告の関与について「早期の段階から犯行に関与し、遂行に重要な地位、役割を占めている」とした点には、凶器のロープ、睡眠導入剤などは伊藤被告が準備したとし、「計画への関与の度合いは極めて低い」と強調した。そして「被告は終始、従属的な立場であり、裁判員裁判の結論だからという理由で尊重してはならない。無期懲役を科して生きて償い、被害者の冥福を祈る人生を与えてほしい」と述べて死刑回避を訴えた。また、「裁判員裁判は国民に死刑判断への加担を強いており違憲」とも訴えた。
 判決で井上裁判長は、「裁判員制度は苦役に当たらず、死刑の判断を伴っていても違憲ではない」と弁護側の主張を退けた。そして、「殺害や遺体の処理方法に綿密な打ち合わせはなかった」とする一方、約1か月前から殺害計画を話し合い、事前に凶器のロープなどを用意したことを挙げ、「全体的に見れば一連の経緯は計画的」と認定。松原被告が現金の強奪を提案して殺害行為に加わり、実際に現金を奪った点を重視し、「冷酷、非情な犯行で、犯行の準備段階から関わるなど不可欠な役割を果たした。伊藤被告に従属的な立場だったことが刑事責任を減弱する理由にはならない」と指摘した。また、被害者親子からの束縛が事件につながった可能性に言及したが、「亡くなっても良い命などあるはずはなく、自己の利益を被害者の生命より優先させた短絡的な犯行だ」と非難。その上で、「3人の命を奪った結果の重大性は顕著で、原判決の量刑はやむを得ない。その一身をもって償うしかない」と結論づけた。

 2014年7月15日の上告審弁論で、弁護側は「松原被告は犯行前、伊藤被告に助言したという意識もなく、凶器の準備など一方的に事後報告を受け、誘いは何度も断った」と計画性を否定。その上で「全て伊藤被告が命じるままに行動し、金銭を自分のものにする意図もなかった。I被告の立場と近く無期懲役にすべきだ」などと主張して死刑回避を求めた。また裁判員制度について「死刑と判断するのに全員一致の賛成を必要としないなどの裁判員裁判の運用は、適正な手続きを保障した憲法に違反する。裁判員の中には、裁判のあとの記者会見で、死刑が本当に正しかったのかという趣旨の発言をした人もいた」と主張した。検察側は「被告側の主張は、実質的に裁判員制度が憲法に違反するというものだが、すでに最高裁で『裁判員裁判は合憲』という判例が確立している」などと反論。そして「被告は積極的に関与していた」と述べ、上告棄却を求めた。
 大橋裁判長は判決で松原被告が被害者らから給料の不当な天引きなどをされており、経緯に酌むべき事情があるとしながらも、「他の解決策を試みておらず、安易かつ短絡的」と指摘。内妻を殺害したことについては、「犯行完遂の障害を排除するため行っている」とし、情状酌量の余地はないとした。また伊藤和史被告が「犯行を主導した」と認定。松原被告について「「準備段階から計画に加わり、2人の殺害に自ら手を下した。伊藤被告の相談相手となるなど、本件の遂行にあたって重要で必要不可欠な役割を果たした。計画性が認められる上、犯行は冷酷。3人の命を奪った結果は重大と指摘し、死刑とした一、二審判決を支持した。I被告は「犯行直前に呼び出された」と指摘し、二審と同様に松原被告より関与の程度が低かったと認定した。
備 考
 I被告は2011年12月6日、長野地裁(高木順子裁判長)で求刑通り一審死刑判決。2014年2月27日、東京高裁(村瀬均裁判長)で一審破棄、無期懲役判決。2015年2月9日、最高裁第三小法廷(大橋正春裁判長)で被告側上告棄却、確定。
 伊藤和史被告は2011年12月27日、長野地裁(高木順子裁判長)で求刑通り死刑判決。2014年2月20日、東京高裁(村瀬均裁判長)で被告側控訴棄却。2016年4月26日、最高裁第三小法廷(大橋正春裁判長)で被告側上告棄却、確定。
 S被告は2012年3月27日、長野地裁(高木順子裁判長)で懲役28年判決(求刑無期懲役)。2013年5月28日、東京高裁(村瀬均裁判長)で強盗殺人罪の共謀を認めた一審長野地裁の裁判員裁判判決を破棄、ほう助罪にとどまると判断して懲役18年判決(判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)。2013年9月30日、最高裁第一小法廷(山浦善樹裁判長)で被告側上告棄却、確定。

 本裁判は裁判員裁判で死刑が言い渡された事件として、初めての控訴審及び上告審判決となった。
その後
 2016年5月31日、長野地裁へ再審請求。新証拠として、松原死刑囚が事件当時、行動に実感が伴わない「離人症」と呼ばれる精神状態に陥り、正常な判断能力を欠いていたとする臨床心理士の心理鑑定書を提出した。同鑑定書は最高裁でも証拠提出したが、採用されなかった。
 2016年12月2日付で長野地裁は、請求を棄却した。伊東顕裁判長は決定で、松原死刑囚が衣服を持ち出して被害者が失踪したように工作したことなどを挙げ、「責任能力を有していたのは明らか」として退けた。弁護団は同月7日、決定を不服として東京高裁に即時抗告した。2017年8月、東京高裁で即時抗告棄却。9月11日付で最高裁は特別抗告を棄却した。
 2017年9月26日、長野地裁へ第二次再審請求。医師による精神鑑定の結果を証拠として提出する予定。
 2020年11月20日、長野地裁へ第三次再審請求。同居していた被害者から生活を管理され、長期的に精神的な負荷がかかったことによる複雑性心的外傷後ストレス障害(PTSD)の状態にあり、犯行時の責任能力に問題があったと主張している。精神科医の鑑定結果と会社関係者の陳述書を新証拠として提出する。
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氏 名
奥本章寛
事件当時年齢
 22歳
犯行日時
 2010年3月1日
罪 状
 殺人、死体遺棄
事件名
 宮崎家族3人殺害事件
事件概要
 宮崎市の建設会社員奥本章寛(あきひろ)被告は2010年3月1日午前5時ごろ、自宅で長男(当時5ヶ月)の首を絞め風呂でおぼれさせて殺害、妻(当時24)の首を包丁(刃体約18.2cm)で1回刺し、頭部をハンマー(全長約29cm)で数回殴って死亡させた後、義母(当時50)の頭部をハンマーで数回殴って死亡させた。出社して午後2時ごろまで働いた後はパチンコ店で過ごし、午後9時ごろ、自宅から約800m離れた自身が勤める建設会社の資材置き場に、長男の死体を埋めた。
 奥本被告は出産費用、車のローンなどがあって生活が苦しく、生活費の一部は義母が出していた。出会い系サイトで知り合った女性とメールをするなど家庭を顧みない被告に対し、2月23日、妻が「いつでも離婚してあげる」とメール。義母からは「離婚するなら多額の慰謝料を求める」と言われたことが動機とされる。
 帰宅後、奥本被告は「自宅で妻と義母が倒れている」と通報。駆けつけた宮崎県警宮崎北署の署員が義母と妻の遺体を発見した。長男の行方を捜査する一方で奥本被告から事情を聞いていたが、説明があいまいだったため追求したところ、「長男を埋めた」と供述。自供に基づいて遺体が発見されたことから2日、死体遺棄容疑で緊急逮捕した。23日、長男殺人容疑で再逮捕、4月13日に妻と義母の殺人容疑で再逮捕した。
一 審
 2010年12月7日 宮崎地裁 高原正良裁判長 死刑判決
控訴審
 2012年3月22日 福岡高裁宮崎支部 榎本巧裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2014年10月16日 最高裁第一小法廷 山浦善樹裁判長 上告棄却 死刑確定
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
拘置先
 福岡拘置所
裁判焦点
 裁判員裁判。公判前整理手続きで焦点は量刑に絞られた。
 2010年11月17日の初公判で奥本章寛被告は起訴内容を認めた。
 冒頭陳述で検察側は、奥本被告は車のローンや育児費用などで生活が困窮し、義母からたびたび叱責を受けたことから憎悪の念を抱いて殺害を決意、妻や長男も疎ましく思い殺害したと指摘。「パチンコや出会い系サイトで知り合った女性と自由気ままに遊びたいという身勝手な動機から犯行に及んだ」と主張した。犯行後も、強盗犯による被害と見せ掛けて110番するなど偽装工作をしたとして「計画的で悪質。遺族の処罰感情は非常に厳しく、極刑を望んでいる」とも述べた。
 弁護側は「被告は明るくまじめな人だが、日ごろから義母に怒鳴られるなどして家に居場所がなかった」と説明。「離婚も考えたが、義母から高額な慰謝料を請求すると言われ、自由になるには3人を殺害しなければいけないと考えるようになった」などと訴えた。
 11月25日の論告で検察側は「自由な生活をしたいという自分中心の身勝手な動機から3人の命を奪おうと決意した」と指摘。「わが子の死体をごみ置き場近くに埋めており、被告の冷酷さを抜きには語れない犯行。家族間の事件の中で最も悪質な部類だ」と非難した。その上で、最高裁が示した死刑適用の永山基準や、山口県光市の母子殺害事件の最高裁判決が、年齢などは死刑回避の決定的理由にならないと判示したことを挙げ「殺意は強固で計画的。3人もの人間を殺害した結果や刑事責任は誠に重大で、懲役刑では罪に見合わない。遺族感情も峻烈で極刑を望んでいる」と述べた。
 判決は最高裁が1983年に示した死刑選択の基準「永山基準」に基づき死刑が許されるかを検討した。動機については「義母から説教を受けたことや家族を養う負担から、家族生活全般に鬱憤やストレスを募らせた。すべてから逃れて自由になりたいと考えて全員殺害を決意した」と認定。「極めて自己中心的で人命を軽視した。厳しい非難に値する」と指摘した。殺害状況は「強固な殺意が認められる」と判断。首を絞め、浴槽に沈めた長男の殺害状況や、土中に埋めた証拠隠滅について「生後5カ月のわが子への情愛は感じられない。無慈悲で悪質」と述べた。反省についても「表面的な言葉にとどまり、内省の深まりは乏しい」と言及した。そして「更生の可能性は否定できない」と一定程度は認めたが、「強い自己中心性や人命軽視の態度に照らせば、量刑で過大に評価できない」と退けた。義母とのトラブルや年齢など被告に有利なすべての事情について「動機や結果の重大性などと比較すると考慮すべき一事情にとどまる」と指摘し、「自己中心的、残虐な犯行で、3人の命が奪われた結果は重大。極刑を回避すべき決定的な事情とは認められない」と結論付けた。

 2011年5月19日の控訴審初公判で、弁護側は控訴趣意書で一審同様「更生の可能性が十分にあり、無期懲役が相当」と主張。検察側は意見陳述書で「3人の命が奪われた結果の重大性や、証拠隠滅行為など対応の悪質性、遺族の厳しい処罰感情から極刑は免れない」と控訴棄却を求めた。
 被告人質問もあり、奥本被告は動機について「一方的に文句を言う義母から逃れたかった」と語り、現在の心境を「取り返しのつかないことをした。今でも家族4人で笑っている光景を思い出す」などと述べた。
 7月14日の第2回公判で結審する予定だったが、7月8日に弁護側は専門家に心理鑑定を依頼したことを明らかにした。福岡高裁宮崎支部は弁護側からの要請を受け、第2回公判の期日を11月10日に延期した。心理鑑定を依頼したことについて、弁護側は「動機に関する被告の供述はあいまい。精神的に追い詰められていたことを証明したい」と説明している。
 臨床心理士2人による心理鑑定は7月から10月まで11回計33時間にわたり面接で行われ、結果は証拠として提出された。
 11月10日の控訴審第2回公判では、被告の心理鑑定を行った臨床心理士が「追い込まれて意識や視野が狭まり、思考判断が衰えるようになった」などとする鑑定結果を明らかにした。奥本被告の犯行動機について臨床心理士は、義母の叱責に加えて、借金などの経済的問題や、管理された生活による睡眠不足に伴う疲労感の3点を、犯行の引き金として挙げた。さらに「追い込まれたことで、意識や視野が狭まり、思考判断が衰えるようになった。自分の身を守るため、殺すしかないという偏った選択肢に飛びつくしかなくなった」と述べた。殺害の矛先が義母だけでなく、母子にまで向けられた心理状態について、「義母と妻は一体で、母親のいない息子は考えられない。3人は一体と考えるようになり、追い込まれた末の行動だった」とした。弁護側が被告の性格や家庭環境、更生の可能性について尋ねると、臨床心理士は「気持ちが抑圧されても、小出しに感情を出すことが出来ず、積もり重なって爆発することがある。結婚後、子どもがすぐに生まれ、生活環境が急変し、湧き起こる問題にどこから対処していいのか分からなくなった。人格形成上も未成熟さが残り、犯行時の精神状態に大きな影響を及ぼした。反省は深まり、更生の可能性は高い」と主張した。同支部は鑑定結果を証拠採用した。
 2012年1月19日の弁論で弁護側は、第2回公判で証拠採用された犯罪心理鑑定の結果を基に「原判決の犯行動機の認定は誤っている。自由のために邪魔だったからではなく、精神的に疲弊し、自己の存在を脅かされる状況から逃れるためだった。死刑を破棄しなければ著しく正義に反する」と主張。「反省が深まっており、更生可能性が十分にある」として、改めて死刑回避を求めた。検察側は「反省の深化はなく、更生可能性が極めて乏しい。3人の無抵抗な被害者の尊い命を無慈悲に奪った結果の重大性、遺族の峻烈な処罰感情などから、死刑をもって臨むほかないことは明白。一審判決に誤りはなく、死刑判決は維持されるべきである」として、控訴棄却を求めた。
 判決は犯行の動機について、榎本裁判長は鑑定結果を踏まえ「義母から叱責を受けるなどして広い視野で物事を考えることができない状態になり、強い恐怖感から逃れようとした側面もあった」と認めたものの「自分一人が自由を手に入れようとした極めて身勝手で自己中心的な側面もある。妻や長男に落ち度はなく、理由なき殺人に匹敵するほどだ」と指摘して、弁護側の主張を退けた。そのうえで「義母の言動に殺される契機となる落ち度はなく、長男や妻の殺害は理由なき殺人にも匹敵する」と非難。「動機は身勝手で自己中心的。冷酷かつ残虐で刑事責任は極めて重大。被告の反省の深まりなどを考慮しても、一審判決の量刑を左右するほどの不合理な点はない」と断じた。

 2014年9月8日の最高裁弁論で、弁護側は「家族内の事件で、極刑を望まない遺族もいる」と死刑回避を主張。そして「被告は裁判員裁判で動機をうまく説明できておらず、解明は十分ではない」と審理差し戻しを求めた。検察側は「就寝中に襲う計画的な犯行で、家族への哀れみの情もない」と上告棄却を求めて結審した。
 山浦裁判長は判決で、「説教や叱責を繰り返す義母との同居生活から逃れたいと思い悩んだ末に家族3人の殺害を決意した」と指摘。「あまりに短絡的で身勝手。長男の首を両手で絞めて瀕死の状態にした上で、浴槽の水中に沈めて窒息死させるなど、強固な殺意に基づく残虐な犯行だ。相当に計画的な犯行で、結果は誠に重大」とし、死刑とした一・二審判決を支持した。弁護側は「遺族の一人が死刑を望んでいない」と主張したが、小法廷は「結果は重大で、別の遺族が厳しい処罰感情を示している」と指摘した。
備 考
 被害者の遺族の一人である20代男性が「まだ死刑と決めないでほしい」との趣旨の上申書を2014年8月30日までに最高裁に提出した。男性は一審の裁判員裁判では死刑を求める意見陳述をしていた。判例上、証拠採用は認められておらず判決には直接影響しない。
現 在
 2015年12月21日、恩赦出願。
 2017年3月24日、宮崎地裁へ再審請求提出。裁判のやり直しを求める遺族男性の上申書を新証拠として提出し、減刑を求めた。
 9月1日付で宮崎地裁(岡崎忠之裁判長)は、再審請求を棄却した。岡崎裁判長は「(再審理由となるのは)確定判決が認めた罪より法定刑の軽い罪が認められる場合で、量刑に関する情状を基準とすべきでない」と述べた。奥本死刑囚は福岡高裁宮崎支部に即時抗告した。2018年3月15日付で福岡高裁宮崎支部(根本渉裁判長)は、即時抗告を棄却した。根本裁判長は「(再審理由となるのは)確定判決が認めた罪より法定刑の軽い罪が認められる場合で、量刑に関する情状を標準とするべきでない」とした地裁決定を相当と判断した。弁護側は22日、特別抗告した。
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氏 名
桑田一也
事件当時年齢
 39歳
犯行日時
 2005年10月26日/2010年2月23日
罪 状
 強盗殺人、殺人、死体遺棄、詐欺、窃盗、有印私文書偽造・同行使
事件名
 交際女性・妻殺人事件
事件概要
 静岡県清水町のリフォーム業桑田一也被告は2005年10月26日、飲食店で働く不倫相手の女性(当時22)から借金約990万円を返済するように迫られたため、沼津市内の当時の自宅寝室で馬乗りになって首を絞めて殺害。翌日、御殿場市のATMで女性名義のキャッシュカードから現金355万2,000円を引き出した。さらに女性の委任状を偽造して、11月7日から2006年2月1日にわたり、女性の口座合計2,358万円をだまし取った。遺体はシートにくるんで台所に放置し、1月ごろ、ドラム缶に遺体を入れ、友人が所有する市内の空き地に遺棄した。
 女性の母親は2006年4月頃に連絡が途絶えたことから同年8月に捜索願を出していたが、手掛かりは全くつかめなかった。
 桑田被告は2010年2月23日、清水町の自宅アパートで、前妻に無断で離婚届を出し、入籍していた妻(当時25)の首を絞めて殺害した。3月2日、妻の遺体を、御殿場市にあり前妻が住む自宅の物置に遺棄した。御殿場市の自宅には桑田被告の前妻と子供が住んでいた。3月上旬に桑田被告は妻との離婚届けを提出、19日には妻の母親らと一緒に町役場で妻と子供(妻の連れ子)の転生届を提出した。
 妻の行方が知れなかったことから、妻の母親が3月26日に家出人捜索願を提出。桑田被告は4月12日、別の詐欺容疑(備考参照)で逮捕された。御殿場市の家が競売で落札されたことから、前妻らが4月に転居。5月5日、物置を清掃していた作業員が妻の遺体を発見し、桑田被告は5月8日に死体遺棄容疑で逮捕された。その後29日に殺人容疑で再逮捕され起訴された。
 報道で桑田被告のことを知った女性の母親は、娘が交際していたことを県警に相談したことから桑田被告を捜査。8月12日、沼津市の空き地で、ドラム缶に入った女性の遺体が見つかり、翌日に殺人容疑で再逮捕。強盗殺人容疑他で起訴された。死体遺棄については時効が成立している。
一 審
 2011年6月21日 静岡地裁沼津支部 片山隆夫裁判長 死刑判決
控訴審
 2012年7月10日 東京高裁 山崎学裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2014年12月2日 最高裁第三小法廷 大谷剛彦裁判長 上告棄却 死刑確定
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 裁判員裁判。起訴内容に争いはなく、強盗殺人事件の犯行意図などの情状面が争点となった。
 2011年6月13日の初公判で、桑田一也被告は起訴事実を認めた。
 検察側は冒頭陳述で、沼津市内のアパートで同居していた交際相手の女性から、勝手に引き出した現金990万円の返済を迫られた桑田被告が、「女性を殺せば警察に行くこともなく、返済も迫られない」と考え犯行に及んだと指摘女性の母親から送られてくるメールに返事を送るなどして生きているように装ったと悪質性を主張した。一方弁護側は、殺人の動機について、「(女性を)警察に行かせたくない」と強く思ったと説明。その後に得た金も「殺して手にしようと思っていたわけではない」と主張した。
 14日の公判で検察側は、桑田被告が妻と生活費などをめぐって口論になり、妻が御殿場市に住む桑田被告の元妻に金を出してもらうと言い出したことから、桑田被告が別れ話を切り出したと指摘。「桑田被告は『妻がいなければ、元妻宅の家族を傷つけなくて済む』と考えた」と主張した。弁護側は、桑田被告が妻と結婚し、求めに応じて連れ子と養子縁組したが、桑田被告が要求に応じないと、妻が桑田被告の元妻宅に無言電話をかけるなどの嫌がらせをしたため、追いつめられた末の犯行だったと主張した。
 15日の論告で検察側は、桑田被告が交際相手の女性の貯金約990万円を勝手に引き出した上、返済を免れようと殺害し、さらに女性の口座から約2,358万円をだまし取ったと指摘。「被害者に多額の貯金があることを知った翌日に犯行に及ぶなど、動機は非人間的で身勝手。犯行は強固な殺意に基づき、冷酷かつ残虐だ。遺族も極刑を望んでいる」と述べた。弁護側は最終弁論で、桑田被告が借金を返さなかったため、女性に「警察に行って話す」と言われたことが動機だったとするなど、計画性を否定した。そして「いずれの殺害も家族を思いやり、追いつめられ犯行に及んだ。犯行に計画性がなく、殺害方法はことさら悪質ではない。生涯をかけて罪を償い、反省させるべきだ」と主張し、無期懲役にするよう求めた。
 桑田被告は最終意見陳述で「どういう処罰で償ったことになるのか分からないが、死ぬことでそれがかなうなら、それが自分にふさわしいと思う」と述べ、傍聴席の遺族に向かい「本当に申し訳ありませんでした」と頭を下げた。
 判決で片山裁判長は、弁護側が殺害動機について桑田被告が「御殿場に住む(元妻ら)家族を守るため」と主張したことについて、「いずれにしても身勝手極まりなく、経緯、動機に酌量の余地はない」と切り捨てた。桑田被告が殺害後に貯金を奪い取っていることや、生きているように偽装したメールを家族に送っていたことなどについて「良心の呵責は伺えず、生命軽視の態度には根深いものがある」とした。また「計画性は認められないが、馬乗りになって一定の時間にわたり首を絞める態様であることなどに照らすと、突発的であることを強調するのは相当ではない。被告の刑事責任に鑑(かんが)みると格別有利な事情とは言い難い」とした。そのうえで、最高裁が示した死刑選択基準(永山基準)に照らし、〈1〉殺害態様が残虐〈2〉犯行の罪質、結果が重大〈3〉動機が身勝手〈4〉殺害後の情状が非人道的〈5〉遺族の処罰感情がしゅん烈――などとし、「被告人に有利な一切の事情を考慮しても、量刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも、極刑をもって望むほかない」と断罪、「被告人を死刑に処する」と述べた。

 弁護人が即日控訴した。
 2012年3月13日の控訴審初公判で、弁護側は事実誤認などを理由に死刑回避を求める控訴趣意書を提出した。検察側は答弁書で控訴棄却を求めた。弁護側が減刑を主張する証拠として、一審で採用されなかった被告の供述調書の一部、判決後に遺族に宛てた手紙などが採用された。
 4月24日の第2回公判で、桑田被告は交際中だった女性の殺害について、「借金の返済を免れることが殺害理由ではない」と述べた。検察側から一審で強盗殺人の成立を認めていた点を指摘されると、「調書は警察から促されて作成された。一審判決前の妻と子どもとの面会をきっかけに、控訴審では真実を話そうと思った」と答えた。弁護側の被告の生い立ちや心理状態を調べる情状鑑定の請求は却下された。
 6月7日に開かれた最終弁論で弁護側は、交際中の女性殺害について「一審の被告の供述は捜査機関による誘導だった。借金返済に窮して殺害したのではなく、不倫関係などが家族に発覚することを恐れての突発的な犯行」と主張。強盗殺人罪ではなく、殺人罪の成立を改めて訴え、極刑の回避を求めた。検察側は「結果的に債務の返済を免れ、殺害後も女性の預貯金を無断で使用している」と指摘。「殺害理由の供述の変化に合理性はなく、信用できない」と反論し、控訴棄却を求めた。
 判決で山崎学裁判長は殺害動機について「警察に届け出ることを阻止するとともに、債務を免れる意思があった」と認定。「債務を免れる意思の方が劣っていても、強盗殺人罪の成立に支障を来さない」として、弁護側の主張を退けた。そして「好き勝手な女性関係を続け、都合が悪くなると邪魔者とみて殺害した」と指摘。「身勝手な動機で情け容赦なく2人の首を絞め続けており、冷酷、残虐な犯行だ。殺害後も女性の預貯金2千万円余りを引き出すなど強い非難に値する」と述べ、一審判決が重すぎるとは言えないと結論付けた。

 2014年10月21日の最高裁弁論で、弁護側は1件目の殺害について「交際相手の殺害は計画性のない衝動的に手をかけた突発的な犯行で、ただちに残虐とはいえない。借金の返済を免れるためでもなく、強盗殺人罪は成立しない」などと死刑回避と無期懲役への減軽を主張。検察側は「突発的ではあるが、馬乗りになって首をしめるなど、強い殺意に基づく残虐な犯行で、被害者の無念さは筆舌に尽くしがたい。借金を巡る口論に端を発しており、返済を逃れようとしたのは明らかだ。金銭トラブルの末に殺害するなど冷酷かつ残虐」と上告棄却を求めて結審した。
 判決で大谷剛彦裁判長は「最初の犯行は被告が経済的な援助を受けていた交際相手を裏切って大金を使い込んだのが原因だ。その4年4か月後には妻を殺害しており、いずれも犯行の経緯や身勝手な動機に酌むべき点はない。強固な殺意に基づく残酷な犯行で、若い女性2人の生命が奪われた結果は重大だ。殺害は計画的でないことや反省している点など、被告に有利な事情を考慮しても、死刑とした一審判決を認めざるを得ない」と述べた。
備 考
 当初2011年3月14日に地裁初公判が決定していたが、11日に発生した東日本大震災に伴う計画停電の影響で延期された。
 桑田一也被告はほかに別の男と共謀して2010年3月5日、東京地検の職員を語り、沼津市内に住む女性(当時67)から保険料の名目で現金91万8,000円をだまし取った。他にもう1名の男性と共謀し、女性から新たに500万円を引き出そうとしたが、女性が親族に相談するなどしたため、未遂に終わった。2010年9月21日、静岡地裁沼津支部で懲役3年、執行猶予4年(求刑懲役3年)の判決。岡田龍太郎裁判官は「被告はこれまで被害者から繰り返し高額の借り入れをするなど多大の援助を受けてきたのに、信用を悪用した」と指摘したが、「被害額を超える額が被害者に支払われている」として執行猶予を付けた。共犯男性も9月7日に同じ判決を受けている。
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