死刑確定囚(2015年)



※2015年に確定した、もしくは最高裁判決があった死刑確定囚を載せている。
※一審、控訴審、上告審の日付は、いずれも判決日である。
※事実誤認等がある場合、ご指摘していただけると幸いである。
※事件概要では、死刑確定囚を「被告」表記、その他の人名は出さないことにした(一部共犯を除く)。
※事件当時年齢は、一部推定である。
※没年齢は、新聞に掲載されたものから引用している。

氏 名
加藤智大
事件当時年齢
 25歳
犯行日時
 2008年6月8日
罪 状
 殺人、殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反、公務執行妨害
事件名
 秋葉原無差別殺傷事件
事件概要
 本籍青森県の派遣社員加藤智大被告は、2007年11月から東京の派遣会社に登録。静岡県裾野市にある自動車メーカーの工場で働いていた。契約期間は2008年3月31日までだったが、1年間更新された。しかしその工場では6月末で派遣社員を200人から50人に減らす計画があった。加藤被告は対象ではないことを派遣会社から知らされていたが、いつ契約を打ち切られるか悩んでいた。
 2008年6月5日、加藤被告は始業直前の午前6時頃、作業着のつなぎがロッカーにないと騒ぎ、ハンガーを大量にまき散らして大声で叫んだ後、無断で退社。その後作業服は見つかり、工場側は連絡を入れたが、加藤被告はそのまま欠勤。続けて6日も欠勤した。
 6日、加藤被告は福井市にある刃物の量販店でダガーナイフやサバイバルナイフなど刃物6本と3段式の鉄製特殊警棒1本を購入した。
 7日、加藤被告は午前8時頃に裾野市を出発。在来線と新幹線を乗り継いで、午前10時頃、東京都千代田区の秋葉原へ到着。質店などでゲームソフトを売却し、午後1時半過ぎに帰宅した。
 この間の行動や心理状況について加藤被告は、携帯電話サイトの掲示板に書き込みをしていた。

 加藤智弘被告は6月8日午前7時頃、静岡県裾野市の自宅を出発。引越に使うと偽って、沼津駅前のレンタカー店で2tトラックを借りた。その後東名高速道路と国道を通り、午前11時45分頃、秋葉原駅付近に到着した。
 加藤被告は、携帯電話サイトの別の掲示板にて、犯行予告や、自宅から秋葉原に向かう様子を、午前5時21分から午後0時10分まで刻々と「実況中継」した。
 加藤智大被告は歩行者天国が始まった後の6月8日午後0時33分頃、2tトラックで赤信号を無視し、ジグザグ運転を続けながら猛スピードで交差点に突入。横断していた5人をはねた。そのうち、男子大学生(当時19)、男子大学生(当時19)、無職男性(当時74)が全身打撲や頭部骨折により死亡した。
 加藤被告は約70m離れた路上でトラックを止めると、ダガーナイフ(刃渡り約13cm)とペティナイフ(刃渡り約11cm)を手に運転席を飛び出し、すぐ近くにいた男性をダガーナイフで刺した。その後交差点を走って戻りながら(この途中、ペティナイフを落としている)、携帯電話で110番していた女子大学生(当時21)を刺し、続いて無職男性(当時47)をダガーナイフで刺して、ともに失血死させた。
 交差点東側では、歩行者天国で交通整理をしていた万世橋署の警部補(当時53)らや通りがかりの医者などが、はねられた5人の救助にあたっていた。加藤被告はその背後から警部補ら男性2人と女性1人をダガーナイフで一刺しし、重傷を負わせた。またはねられて死亡していた男子大学生も刺している。さらに交差点を左回りに走りながら男性2人と調理師の男性(当時33)、会社員の男性(当時31)を刺した。調理師の男性と会社員の男性は失血死により死亡した。その後、交差点のすぐ南側に移動して、男性と女性(当時24)を刺した。
 事故の衝撃音で万世橋署の交番を飛び出した男性巡査部長(当時41)が慌てて駆け出し、加藤被告を追跡。加藤被告は巡査部長の左胸2箇所、左脇腹1箇所をダガーナイフで刺すなど激しく抵抗したが、警棒で対峙した巡査部長によって路地に追い詰められた。さらに巡査部長が拳銃を向けたため、加藤被告はようやくナイフを捨てた。加藤被告は巡査部長や、後から駆けつけた万世橋署員、たまたま居合わせた蔵前署員に取り押さえられ、殺人未遂の現行犯で午後0時35分に逮捕された。巡査部長は金属製の板などが入った「耐刃防護衣」を着ていたため、怪我はなかった。
 加藤被告はダガーナイフ、落としたペティナイフの他に、内ポケットに折りたたみ式の小型ナイフ(刃渡り約9cm)を持っていた。またトラックに置かれていたショルダーバッグにはサバイバルナイフ(刃渡り約12cm)、ペティナイフ(刃渡り約10cm)、特殊警棒1本が入っていた。
 加藤被告は取り調べに対し、生き甲斐を見いだせず、周囲からの孤立感を募らせていた。唯一の捌け口だった携帯電話サイトの掲示板への書き込みを無視されたことで不満を爆発させ、実行に及んだと供述している。また宮城県のアーケードでの暴走を参考にトラックを使用した、ナイフは茨城県土浦市の無差別殺傷事件を意識したと語っている。
 加藤被告は事件当日、重傷の女性(当時24)1人に対する殺人未遂容疑で現行犯逮捕、10日に送検された。6月20日、7人を殺害した殺人容疑で再逮捕。9月30日、9人に重軽傷を負わせた殺人未遂容疑で追送検された。10月9日、男性巡査部長をダガーナイフで斬りつけたとして、殺人未遂と公務執行妨害容疑で追送検された。
 東京地検は2008年10月10日、加藤被告を起訴した。約3ヶ月間実施した精神鑑定結果から、総合失調症などの精神疾患や人格障害はなかったと判断。ナイフ購入やトラック予約など準備が計画的であること、事件前後の状況説明に矛盾がないことから、心神喪失や心神耗弱でなかったと結論づけた。
 加藤被告は初公判前、取り押さえる際に負傷した警察官を含む計18人の被害者や遺族らに謝罪の手紙を送った。1人が受け取りを拒否。また一部の被害者とは直接やり取りしない取り決めとなっており、検察に手紙が託された。
一 審
 2011年3月24日 東京地裁 村山浩昭裁判長 死刑判決
控訴審
 2012年9月12日 東京高裁 飯田喜信裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2015年2月2日 最高裁第一小法廷 桜井龍子裁判長 上告棄却 死刑確定
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 公判前整理手続きにより、争点は(1)事件当時の完全責任能力の有無(2)殺人未遂罪のうち、ナイフで刺した被害者1人に対する殺意の有無(3)警察官1人に対する公務執行妨害罪成立の可否-の3点に絞られた。検察側は事件を思い出さなければならない被害者の心理的負担を考え、供述調書の採用を求めた。だが、弁護側はほとんどについて採用に不同意としたため、負傷した10人のうち9人を含む計42人が法廷で証言せざるを得なくなった。ある男性被害者は事件後に外出できなくなって出廷もできず、検察側が調書の一部を撤回した。弁護側には被害者らの尋問で事実関係を直接確認する狙いがあるように見えたが、実際の尋問は数分で終わることが多く「弁護人の意図が分からない」と困惑する検察幹部もいた。
 2010年1月28日の初公判で、加藤被告は「まずはこの場を借りておわびさせてください。亡くなられた方、けがをされた方、ご遺族には大変申し訳ありません」と謝罪した。そして「起訴状については記憶がない部分もあるが、私が犯人であること、事件を起こしたことは間違いありません」と起訴内容を認め「取り返しがつかないことをした。私にできるせめてもの償いはどうして今回の事件を起こしてしまったのかを明らかにすること。詳しい内容は後日説明します」と述べた。
 検察側は冒頭陳述で動機について「唯一の居場所だった携帯電話サイトの掲示板が荒らされて書き込みがほとんどなくなり、自分の悩みや苦しみが無視されたと怒りを深めた。派遣先工場からも必要とされていないと思い、自分の存在を認めさせ復讐したいと考えた」と指摘した。
 責任能力に関しては、捜査段階の精神鑑定で何らの精神障害も認められなかったことに加え、違法性の認識があったなどとして、完全責任能力が認められると主張した。
 弁護側は冒頭陳述で、「完全責任能力があったことには疑いがある」と主張。「加藤被告は極悪非道な人生を送ってきたわけではない。どのように育ち、どのような考え方を持ったのか。彼にとって携帯サイトの掲示板が何だったのか。この2点に着目したい」と訴えた。またナイフで負傷させたとされる被害者のうち1人に対する殺意を否認。取り押さえようとした警察官を刺したとされる起訴内容についても公務執行妨害罪の成立を争う姿勢を示した。
 6月3日の第12回公判で検察側の立証がほぼ終了。計34人が出廷した。一部の証人は弁護側の手法を批判した。
 7月27日の第16回公判における被告人質問で加藤被告は、事件を起こした原因としてインターネット上の掲示板への嫌がらせ、言いたいことや伝えたいことを言葉ではなく行動で示して相手に分かってもらおうとする自分の考え方や、掲示板に依存していた生活のあり方を挙げた。また、そうした考え方になった理由を「小さいころの母の育て方が影響していると思う」と分析した。29日の第17回公判でも加藤被告はインターネットの掲示板を荒らされ「事件を起こさないと居場所がなくなる。やるしかないと思った」などと詳述。一方で事件前に「派遣切り」を宣告された点は「事件と関係ない。派遣先にも恨みはない」と述べ、検察側の主張を否定した。
 8月4日の第20回公判で村山浩昭裁判長は、加藤被告が犯行動機などについて述べた捜査段階の供述調書を証拠として採用することを決めた。
 9月14日の第21回公判では、捜査段階で検察側の依頼を受けて精神鑑定した医師が出廷した。鑑定医は加藤被告が「事件前後の記憶が一部途切れている」と述べたことについて「数分間の無我夢中の犯行で自然なこと。精神障害には当たらない」と証言した。
 10月5日の第22回公判で、村山浩昭裁判長は弁護側が請求した再度の精神鑑定について「必要性がない」と却下した。
 2011年1月25日の第28回公判で検察側は、「犯罪史上まれに見る凶悪事件で人間性のかけらもない悪魔の所業。命をもって罪を償わせることが正義だ」と死刑を求刑した。
 2月9日の第29回公判で弁護側は最終弁論で「再鑑定が却下され、責任能力の有無は解明されていない。仮に責任能力が認められても死刑を科すべきではない」と主張。▽携帯サイトの掲示板の嫌がらせを原因とする記憶の欠落や身体的変調があり、精神疾患をうかがわせる▽母親の虐待で人格の偏りが生じ、掲示板に依存した。現在は後悔しており、更生可能性がある――といった点を考慮すべきだと述べ、「責任の重大さを終生考え、苦しみ抜かせることがふさわしい」と死刑回避を求めた。加藤被告は最終陳述で「今は事件を起こすべきでなかったと後悔、反省している。ご遺族と被害者の方に申し訳なく思っています」と短く述べて謝罪し、結審した。
 判決で村山裁判長は犯行動機について「公判で述べた『携帯電話の掲示板サイトでの嫌がらせをやめてほしいと伝えたかった』との事情が主要なもの」と認定。背景に周囲への不満や、家族や友人、仕事を失った孤独感もあったが、「結果の大きさとの間に飛躍がある」と述べた。ただしその動機について、「個人的な事情で、これを理由に第三者に危害を加えることは許されない」と非難。弁護側が「犯行時は心神耗弱か心神喪失状態だった」とした主張も退けた。そのうえで「冷酷、執拗な犯行で動機は身勝手極まりない。危険な性格・行動の傾向は根深い。7人の尊い人命が奪われた結果は悲惨。通行人らをはね飛ばし、躊躇することなく目についた人をダガーナイフで刺すなど、人間性が感じられない」と指摘。「母親の不適切な養育による人格のゆがみが犯行の遠因。反省の姿勢を考慮すると、更生可能性が全くないとまでは言えないが、刑を大きく左右する事情とはいえない」と結論づけた。そして「白昼の大都会で起きた事件で日本全体が震撼した。一面識もない、無防備な通行人を次々に殺傷した刑事責任は最大級に重いことは明らか」と述べた。

 2012年6月4日の控訴審第1回公判で弁護側は、加藤被告には犯行時、完全責任能力があったと認めた一審判決は誤りだとして死刑回避を訴えた。さらに精神鑑定を新たに行うよう求めたが、高裁は鑑定の必要はないとして却下した。弁護側は、「責任は息子だけでなく、私たち親にもある。被害者や遺族の方々に心からおわびしたい」などとする加藤被告の両親らの陳述書を証拠提出した。検察側は控訴棄却を求めた。加藤被告は出廷しなかった。被告人質問も行われない。
 7月2日の第2回公判で、被害者と遺族が「死をもって償ってほしい」などと意見を陳述し、結審した。加藤被告は出廷しなかった。
 判決で飯田裁判長は一審同様、完全責任能力を認定。携帯電話サイトの掲示板での嫌がらせに対し「嫌がらせ行為が重大な結果をもたらすことを知らしめようとした」との動機に対し「被害者らを犠牲にし自己の意思を伝えようという発想自体、短絡的で独善的だ」と批判。「背景には積もった不満や深い孤独感があったと認められるが、第三者に危害を加えることが許されるものではない」と述べた。また「被告なりの反省の姿勢もうかがえ、立ち直りの可能性が全くないとは言えないが、死刑回避の十分な事情ではない」とし、死刑回避を求めた弁護側主張を退けた。そして「冷酷、残虐な犯行で、結果はあまりに重大。社会全体に与えた不安や衝撃も甚大だ。身勝手極まりない動機に同情の余地はない。計画的で強固な殺意に基づく冷酷・残虐な犯行。被害者らが被告の凶行の餌食となる理由はなく、無念は察するに余りある」と述べた。

 2014年12月18日の上告審弁論で弁護側は、加藤被告が利用していた携帯電話サイトの掲示板について「被告の偽物が現れ、家族同様だった掲示板の人間関係が壊されたと感じ、強いストレスを受けた。事件当時は急性ストレス障害だった可能性がある。死刑判決は破棄されるべきだ」と主張した。また、「事件後、被告は結果の重大さに向き合って後悔しており、更生できる」とも主張した。検察側は「完全な責任能力を認めた判断に誤りはない。全く落ち度がない被害者たちの命を奪い、社会に不安を与えた。極刑は当然だ」と上告棄却を求めて結審した。
 桜井龍子裁判長は判決で、犯行当時の被告について「派遣社員として職を転々とし、孤独感を深めていたなか、没頭していたインターネットの掲示板で嫌がらせを受け、派遣先の会社内でも嫌がらせを受けたと思い込み、強い怒りを覚えていた」と指摘。「嫌がらせをした者らに、その行為が重大な結果をもたらすことを知らしめるため」と犯行動機を認定した。そのうえで「動機や経緯に酌量の余地は見いだせない」とし、「社会に与えた衝撃は大きく、遺族らの処罰感情も峻烈だ。周到な準備、強固な殺意、残虐な態様で敢行された無差別事件で、結果は極めて重大」として死刑はやむを得ないと結論づけた。
備 考
 事件を受けて秋葉原の歩行者天国は中止となったが、2011年1月23日に再開された。
 東京地検は事件発生直後に、捜査から公判段階まで一貫して被害者を支援する担当検事1人を指名。遺族らを訪問し、捜査の進展状況を伝えたり、要望を聞いたり、鑑定結果の概要や刑事処分の方針、さらに起訴した事実を随時説明した。また東京地検は、2008年10月10日の加藤智弘容疑者起訴の発表会見に、事件を直接担当した特別公判部の主任検事を同席させた。裁判員制度導入を睨んだ初の試み。通常は決裁責任者が会見する。
 総務省はこの事件を受け、携帯電話やパソコンの掲示板に書き込まれた殺人予告などを自動的に検知し、110番する技術開発に乗り出した。2011年度までの完成と早期の実用化を目指している。また新技術は無料開放する方針としている。
 この事件を受け、銃砲刀剣類所持等取締法は、凶器となったダガーナイフなど、刃渡り5.5cm以上15cm未満の剣(他にブーツナイフ、ダイバーズナイフなど)についても新たに所持を禁じるよう改正され、2009年1月5日より施行された。また従来からの所持者は経過措置として、7月4日までに処分するよう義務づけられた。不法所持には3年以下の懲役または50万円以下の罰金が科せられる。
 また銃刀法改正前でも、18歳未満への青少年に対する販売禁止などの条例改正が各地で相次いだ。
 この事件以降、インターネット上の「犯行予告」が急増。ネット上の違法・有害情報の通報受付窓口、インターネット・ホットラインセンターによると、2006年6月~2008年5月まで毎月7~47件の殺害・爆破予告の情報が寄せられていたが、事件が発生した2008年6月には328件、7月には130件を数えた。ただし、2008年8月以降は2桁台前半で推移している。また警察庁によると、威力業務妨害や軽犯罪法違反などで検挙・補導した件数は2008年6月に書き込まれたものが45件、7月が16件、8月が8件を数えた。大半が10~30代で、中には9歳や11歳の小学生が含まれていた。以後は件数が激減している。
 加藤被告を取り押さえた荻野尚巡査部長は2010年6月30日、第80回「都民の警察官」(産経新聞社ほか主催)の5人に選ばれた。
その後
 2016年5月10日付で東京地裁に再審請求。その後棄却。
 時期は不明だが、第二次再審請求。
執 行
 2022年7月26日執行、39歳没。第二次再審請求中の執行。
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氏 名
藤城康孝
事件当時年齢
 47歳
犯行日時
 2004年8月2日
罪 状
 殺人、殺人未遂、現住建造物等放火
事件名
 加古川7人殺人事件
事件概要
 兵庫県加古川市に住む無職藤城康孝被告は2004年8月2日午前3時半頃、自宅東隣に住むおば(当時80)宅を襲い、おばと次男(当時46)を牛刀で刺し、次男を殺害した。続いて自宅西隣にある親類の男性宅を襲撃。男性(当時64)、妻(当時64)、長男(当時27)、長女(当時26)を牛刀で殺害した。その後、もっとも恨んでいたおばにとどめを刺すためにおば宅へ戻り、まだ息があったおばにとどめを刺した。そこへおば宅の隣に住む長男(当時55)と妻(当時50)が駆けつけてきたため、牛刀で刺して長男を殺害、妻に重傷を負わせた。
 その後、藤城被告は自宅に戻り、用意していたガソリンをまいて放火し、自宅は全焼した。一緒に住んでいた母(当時73)は就寝中だったが、事件中に目を覚まして近くの交番に保護を求めたため、怪我はなかった。
 藤城被告は事件後、自家用車で逃走。同市内の弟宅に立ち寄り、犯行を打ち明けた後、ガソリンで焼身自殺しようとして止められた。そして現場から南に約1km離れた国道バイパスの交差点で停止中、後から来たパトカーに気づいて車を急発進させ、高架の橋脚に衝突して炎上。両腕に重度のやけどを負って神戸市内の病院に入院していた。救出された際、警察官に犯行を示唆したため、県警は殺人容疑で逮捕状を取り、事情を聴いていた。 回復後の8月31日に逮捕された。
 藤城被告は3年前から近所の人を包丁で追い回すトラブルを再三起こしていた。粗暴であったことから周囲より邪魔者のように扱われたため、20年以上も恨みを抱いていた。
一 審
 2009年5月29日 神戸地裁 岡田信裁判長 死刑判決
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控訴審
 2013年4月26日 大阪高裁 米山正明裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2015年5月25日 最高裁第二小法廷 千葉勝美裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 大阪拘置所
裁判焦点
 神戸地検は逮捕後の簡易精神鑑定で「刑事責任能力には問題ない」と判断し、起訴した。
 2005年1月28日の初公判で、藤城被告は「その通りです」と起訴事実を認めた。弁護側は「被告は犯行当時、心神耗弱か心神喪失の状態だった」と責任能力を争う姿勢を示し、被告の精神鑑定を申請する方針を明らかにした。
 検察側は冒頭陳述で「被告は幼少のころから自分たち家族が、おばから見下されていると感じ、反感を持つようになった」と指摘。「2000年夏、おば方の犬の鳴き声をめぐり抗議する際『見下した態度をとった場合には刺殺しよう』と思い、包丁を携帯した」などと殺害を決意した経緯を詳述した。
 弁護側の申請により精神鑑定が実施された。2006年10月の公判で、刑事責任能力の有無に言及していないものの、藤城被告を「妄想性障害のため、善悪を判断して行動する能力が著しく侵されていた」とする精神鑑定書が証拠採用された。検察側は鑑定書の信用性を争って再鑑定を請求し認められた。2008年12月18日、東京地裁での期日外尋問では「被告は情緒不安定性人格障害に、不安性人格障害の特徴を持っているに過ぎない。限定された範囲で責任能力が認められても不当ではない精神状態だった」との内容だった。
 2009年2月26日の論告求刑で検察側は「周囲から見下されていると憤まんを募らせ、殺害で一気に晴らそうとした。凶器を準備するなど計画的で残虐な犯行。まれに見る大量殺人事件だ」と述べた。商店となった責任能力については2度目の鑑定を基に「現実を離れてはいない」と指摘して、精神病ではなく完全責任能力が認められるとした。」と述べた。
 4月9日の最終弁論で弁護側は「被告は周囲に攻撃されるかもしれないとの妄想が病的に発展した妄想性障害で、犯行当時心神喪失もしくは心神耗弱だった」として無罪または減刑を求めた。
 判決で岡田裁判長は、藤城被告が幼少期のころから、本家にあたるおばらから「分家」として見下されていたことや、親類男性一家とは、車の駐車方法をめぐって争いとなるなど、長年にわたって確執やトラブルがあったことを認定した。
 責任能力について、弁護側は「妄想性障害」による心神喪失、耗弱状態で無罪や減刑を主張したが、岡田裁判長は過去のトラブルなどを挙げ「被告が殺意を抱いたことは、通常あり得ることで、現実と遠い考えではない。情緒不安定の人格障害はあったが、完全責任能力があった」として退けた。
 また岡田裁判長は、藤城被告が犯行前から凶器を準備していたことや、7人を殺害後、古い自宅をマスコミに撮影されたくないとの理由で放火、その後自殺を図るという計画を実行したと指摘。「強固な殺意に基づく冷酷で残忍な犯行。7人もの生命を奪った責任は重大。藤城被告の家族が親せきから長年、嫌がらせやいじめを受けた事実などを考慮しても、結果の重大性などから見て被告人の罪責はあまりに重大。犯行後の自己を正当化する態度が見られ、極刑に処するしかない」と結論付けた。

 2010年2月26日の控訴審初公判で弁護側は、事件当時は妄想性障害による「心神耗弱」で限定的な責任能力しかなかったと主張し、完全責任能力を認めた一審判決の破棄を求めた。弁護側は、限定責任能力だったとする精神鑑定書を証拠申請したが、古川裁判長は却下した。検察側は控訴棄却を求めて即日結審した。
 裁判官が被告人質問を行い、事件を起こした理由や死刑に対する考えなどを尋ねたが、藤城被告は一審公判同様、すべての問いに「答えたくありません」と拒否した。
 4月23日に判決が予定されていたが、4月19日付で大阪高裁(古川博裁判長)は判決期日を職権で取り消し、弁論再開を決定した。
 8月9日の第2回公判で古川博裁判長は、検察側と弁護側双方が一審で提出した精神鑑定結果について、新たに鑑定人を採用し尋問を行うことを決めた。
 2012年7月13日の公判で、被告の精神鑑定を担当した精神科医が証人出廷。藤城被告について「近隣住民に対し『監視し、追い出そうとしている』との被害妄想を抱き、攻撃的で衝動的な性格を強めた」と説明。犯行時の被告は妄想性障害だったとしたうえで、「精神障害がなければここまで(の事件)には至らなかったのではないか」との見解を示した。
 12月26日の最終弁論で弁護側は「精神鑑定の結果から被告は当時、妄想の影響を受け責任能力は限定的だった」と主張した。検察側は「妄想による犯行ではなく完全責任能力がある」と控訴棄却を求めた。
 判決で米山裁判長は、精神鑑定に基づき、藤城被告が犯行当時、妄想性障害にかかっていたことは認めた。しかし、被告と被害者の間に長期間にわたる深刻な確執があったとし、「被告の性格を考慮すれば、見下されていたと感じて殺意を抱いたことは了解できる。妄想でしか説明が困難とは言えない」と指摘。妄想性障害が犯行に著しい影響を及ぼしたことを否定し、完全責任能力があると結論付けた。

 2015年3月27日の上告審弁論で、弁護側は「親族間や近隣でのいじめやトラブルから過剰反応した妄想性障害にかかり、犯行時は心神耗弱状態だった」と死刑回避を主張。検察側は「包丁を自宅玄関に隠すなど犯行は計画的で、完全責任能力を認めた二審に不合理な点はない」と上告棄却を求めた。
 判決で千葉勝美裁判長は二審で行われた精神鑑定の結果に基づき、被害者らに陰口を言われたり、監視されたりしていると感じる「妄想性障害」だったと認定。しかし、「行動は首尾一貫している。妄想性障害のために恨みを強くしたとはいえるが、判断能力の減退を認めるのは相当とはいえない」と指摘し、完全責任能力を認めた。その上で「被害者の命乞いも一顧だにしない、冷酷な犯行。被害者に殺害されるような落ち度はなく、7人を殺害した刑事責任は極めて重大だ。死刑を是認せざるを得ない」と述べた。
備 考
 加古川署は藤城被告の行動やトラブルについて相談を受けていた。県警の前田瑞穂生活安全部長は2004年8月16日の県議会警察常任委員会で、「後難を恐れる相談者の協力が得られない中、パトロールを強化するなど的確に対応していた」と説明した。
執 行
 2021年12月21日執行、65歳没。
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氏 名
新井竜太
事件当時年齢
 38歳
犯行日時
 2008年3月13日/2009年8月7日
罪 状
 殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、詐欺
事件名
 横浜・深谷親族殺害事件
事件概要
 横浜市に住む内装工の新井竜太被告は、いとこで埼玉県富士見市に住む無職T受刑者と共謀。2008年3月13日午前10時ごろ、新井被告の実家の内装会社で、T受刑者の養親である住み込み従業員の女性(当時46)に睡眠薬を飲ませ、浴槽に沈めて殺害。通報を聞いて駆けつけた警察官に新井被告は、女性が前日深夜まで大量に飲酒していたこと、アルコール依存症的なところがあったと説明。警察官は事故として処理した。新井被告は保険会社に「事故による溺死」とうその申告をして、同年7月、預金口座に死亡保険金約3,600万円を振り込ませた。新井被告が2,800万円を、T受刑者が800万円を手にした。2人は消費者金融や車ローンなどの借金を抱えていた。
 T受刑者は、2006年11月8日頃に携帯電話のサイトで女性と知り合った。2人は別の男性2人を養父、女性を養子として相次いで縁組。さらに2007年1月、T受刑者を養子、女性を養母とする縁組を行った後も、別の男性1人を女性の養子とする縁組を行った。いずれも借金目的である。2007年6月頃、女性は詐欺容疑で逮捕、起訴され、9月25日に保護観察付執行猶予の有罪判決を受けた。2007年10月、死亡時に保険金が支払われる特約付きの傷害保険に女性を加入させていた。
 両被告は深谷市に住む両被告のおじ(当時64)と金銭トラブルが生じ、2009年8月7日午前5時50分頃、家で酒を飲んで眠り込んだおじの胸を、T受刑者が柳葉包丁で刺して殺害した。新井被告は2月ごろから叔父の家をリフォームしていたが、それにかこつけて金をむしり取っていた。
 8月9日午後、洗濯物が干されたままになっているのを不審に思った友人が通報し、警察官が室内で刃物が胸から背中にかけて貫通している遺体を見つけた。2010年6月25日、埼玉県警は交通保険金をだまし取った詐欺事件で逮捕されていた2人をおじ殺害容疑で再逮捕。T受刑者は別の銃刀法違反事件で懲役3年の実刑判決が確定し、服役中だった。11月4日、女性殺害容疑で2人を再逮捕した。
一 審
 2012年2月24日 さいたま地裁 田村真裁判長 死刑判決
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控訴審
 2013年6月27日 東京高裁 井上弘通裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2015年12月4日 最高裁第二小法廷 鬼丸かおる裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 裁判員裁判。
 2012年1月17日の初公判で新井竜太被告は、T受刑者の養母殺害について「事故で亡くなったと思っていた」と否認。死亡保険金3,600万円の詐取については「事故で亡くなったので詐欺ではない」と主張した。おじの殺害についても「殺していません」と否認した。
 検察側は保険金殺人事件の冒頭陳述で、借金を踏み倒すために養母に養子縁組を繰り返させたり、売春させるなど金づるにしていたことを明らかにした。その上で「思ったより稼げなくなったとT受刑者に相談され保険金殺人を提案した」と指摘。養母が売春について新井被告の母親に告げ口したことに憤りを感じ「睡眠薬を飲ませ浴槽に沈め、事故に見せかけて殺すようにT受刑者に指示した」と主張した。
 弁護側は遺体が司法解剖されていないことから「睡眠薬を飲まされて殺された客観証拠はない」と主張。「仮にT受刑者が殺害していたとしても、1人でやったこと」とし、新井被告の指示を否定。「一連の事件で被告人は何もしていない。(2人に)絶対的服従関係はなかった」と訴えた。
 その後の公判でも、新井被告の弁護側は、養母は事故死かT受刑者が1人で殺害した、おじはT受刑者が1人で殺害した--などとして無罪を主張した。
 2月15日の論告で検察側は、新井被告が死亡保険金の入手や金銭トラブルから逃れるために2人の殺害を計画したと主張。新井被告がT受刑者に、2人の殺害方法を指示し実行させたと指摘。そして、「極めて計画的で残虐な犯行。だまし取った保険金の約8割が新井被告の分け前となったことなどから、被告が首謀者であることは明らか。2人の尊い命を金銭的利欲のために奪った犯行の悪質さ、遺族感情などに照らして極刑以外にない」と述べた。
 同日の最終弁論で弁護側は、T受刑者との関係について、「犯行はT受刑者が決断、実行したもの。責任を転嫁された」として改めて無罪を主張した。
 最終陳述で新井被告は、「女性がTから自立する手助けをした。男性は一番仲の良いおじだった。事実を伝えたい」と、便箋9枚にわたる文面を読み上げた。そして「事実と違う過去を押しつけられ、私は犯人に仕立て上げられた。どうか適切な判断をしてください」と述べた。
 判決で田村裁判長は、「T受刑者と交わしたメールと照らしても供述は不自然、不合理で信用できない」と新井被告側の無罪主張を退け、「終始主導的立場で高橋受刑者を意のままに動かした」と指弾した。そして、「保険金の7割を超える2,800万円を受け取っている。命を多額の金銭に換えた、利欲的でおぞましい動機に酌量の余地はない。遺族も極刑を望んでいる。反省や改悛の情もうかがえず、刑事責任は重い」と述べた。

 2012年7月31日の控訴審初公判で弁護側は「殺害はT受刑者の単独犯行で共謀はない」と無罪を主張。「共犯者との関係性は、原判決とは異なる」として、新井被告がいとこの男(無期懲役確定)と交わしたメールを高裁に証拠申請した。検察側は不要と主張し、高裁は留保した。
 2013年3月18日、結審した。
 判決で井上裁判長は、「横浜の事件では、被告が保険金を受け取る手続きをしているほか、埼玉の事件では犯行に加わったいとことのメールのやりとりなどから殺害を認めた一審に誤りはない。共犯者の証言は信用でき、被告が主導的立場だったと認められる」と、一審同様新井被告がT受刑者に殺害を指示したと認定。主導的立場で、責任はT受刑者より相当に重いとして死刑を選択した一審判決について、「判断に誤りはない」と述べた。そして「犯行はいずれも計画性が高く、冷酷で非道。身勝手な動機に酌量の余地はない」と述べた。

 2015年10月23日の最高裁弁論で、弁護側は「共犯であるT受刑者の供述には多くの変遷や不自然さがあり、信用できない」などと無罪を主張。検察側は上告棄却を求め、結審した。
 判決で鬼丸裁判長は、「T受刑者の証言は証拠から十分裏付けられて信用性が高い一方、被告の弁解は不合理だ」と被告の無罪主張を退けた。その上で、「共犯者が意のままになることを利用して冷酷、非道な犯行を発案、計画し、実行させた。利欲的で身勝手な動機による計画性の高い犯行で、2人の生命が奪われた結果は重大だ。責任は共犯者に比べ相当に重い」と指摘した。
備 考
 養母殺害について、当時、神奈川県警に事情を聞かれた2人は、「夜中から酒を飲み、泥酔状態だった」「自分たちが外食から戻ると、風呂でおぼれて死んでいた」などと説明。監察医による検案でも犯罪性は見当たらないとされた。しかし、遺体の血中アルコールはごく微量で、説明と食い違うのに、同県警は司法解剖をせず、「事故による水死」と判断していた。2010年11月5日、県警幹部は初動捜査のミスを認め、遺族や関係者に謝罪した。
 T被告は2011年7月20日、さいたま地裁(田村真裁判長)の裁判員裁判で求刑死刑に対し、一審無期懲役判決。判決で田村裁判長は、「強固な殺意に基づく冷酷非道なもので、新井被告に従っていれば分け前をもらえると犯行に至った。身勝手極まりない」と指弾した。死刑を回避した理由については、「新井被告の手足として行動し、従属的立場で、責任は新井被告に比べて相当程度低い。反省、悔悟の情が認められ、死刑を科すにはちゅうちょを覚えざるを得ない」とした。また、養母殺害では神奈川県警が司法解剖を行わず、殺人事件として捜査していなかったが、「T被告が自白したからこそ、事件が明らかになった」と指摘した。控訴せず、確定。
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