死刑確定囚(2019年)



※2019年に確定した、もしくは最高裁判決があった死刑確定囚を載せている。
※一審、控訴審、上告審の日付は、いずれも判決日である。
※事実誤認等がある場合、ご指摘していただけると幸いである。
※事件概要では、死刑確定囚を「被告」表記、その他の人名は出さないことにした(一部共犯を除く)。
※事件当時年齢は、一部推定である。
※没年齢は、新聞に掲載されたものから引用している。

氏 名
西口宗宏
事件当時年齢
 50歳
犯行日時
 2011年11月5日/12月1日
罪 状
 強盗殺人、死体損壊・遺棄、窃盗、営利・生命身体加害略取、逮捕監禁、窃盗未遂、住居侵入
事件名
 堺市連続強盗殺人事件
事件概要
 西口宗宏被告は1999年ごろ、母親から現金や不動産など計約1億5,000万円相当の遺産を相続。浪費で使い果たし、2003年12月20日、「娘を高校まで卒業させるため金がほしかった」と保険金約3,600万円目当てに自宅などに放火。2004年4月20日に逮捕され、同年、懲役8年の実刑判決を受けて服役した。以前から交際していた女性が身元引受人となり、職探しを条件に2011年7月に仮釈放。女性と同居を始めた。1週間後、仕事探しのふりを始めた。9月下旬、女性に仕事が見つかった、10月末までに135万円入るなどと嘘をつき、追い詰められた。
 10月から堺市内で襲う相手を物色。11月5日夕、堺市南区ののショッピングセンター駐車場で、買い物帰りの歯科医師の妻(当時67)が車に乗り込むところを狙い、顔や手足に粘着テープを巻き付けるなどして現金約31万円やキャッシュカードを奪って拉致した。その後、河内長野市の山中に止めた車内で食品用ラップを顔に巻き付けて殺害。6日午後2時50分ごろ、銀行ATM(現金自動預払機)で、女性名義のキャッシュカードを使って、残高のほぼ全額にあたる現金5万円を引き出した。7~9日、河内長野市の山中で、発覚を免れるためドラム缶で遺体を焼いた。女性の車は堺市北区の銀行支店近くの商業施設駐車場で発見され、車内から女性の血痕が見つかったほか、同市南区の山中で、女性のカバンや靴なども見つかった。
 西口被告は、女性強盗殺人に伴う成果が少なかったことから、次の強盗殺人を決意。
 12月1日午前8時10分頃、堺市北区に住む象印マホービン元副社長の男性(当時84)方に、宅配便の配達員を装って訪問。玄関先で応対した男性にいきなり背後から襲いかかり、顔に粘着テープを貼り付けて両手足を結束バンドで縛り、現金約80万円や商品券、クレジットカード3枚などを強奪。さらに顔にラップを密着させて巻き付け、殺害した。西口被告は犯行後、男性宅近くの農協ATMで、奪ったカードで現金を引き出そうとしたが、他の客が後ろに並んだため諦めた。午前10時20分頃、遺体が見つかった。
 西口被告は2002年まで男性方の向かいに住み、家族ぐるみの付き合いをしていた。男性は自宅近くにマンションなどの不動産を複数所有する資産家であり、西口被告が奪った現金は前日に集金した家賃であった。
 大阪府警南堺署捜査本部は12月6日、女性の現金を引き出した窃盗容疑で西口被告を逮捕。弁護人を通じて同居女性から「正直に話しなさい」と伝言があり、自白を決意したした西口被告は12月14日、二人の殺人を自供。同日、大阪府警が自供場所である河内長野市の滝畑ダム周辺から骨片を発見した。2012年1月5日、女性への死体遺棄・損壊容疑で再逮捕。1月23日、強盗殺人や営利目的略取などの容疑で再逮捕。2月22日、男性への強盗殺人容疑で再逮捕。
一 審
 2014年3月10日 大阪地裁堺支部 森浩史裁判長 死刑判決
控訴審
 2016年9月14日 大阪高裁 後藤真理子裁判長 被告側控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2019年2月12日 最高裁第三小法廷 岡部喜代子裁判長 上告棄却 死刑確定
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
拘置先
 大阪拘置所
裁判焦点
 裁判員裁判。争点は量刑に絞られている。
 2014年2月12日の初公判で、西口被告は「事実に間違いありません」と起訴事実を認めた。
 検察側は冒頭陳述で、西口被告が別の罪で服役中、資産家を狙った強盗殺人計画を立てたことを明らかにした。動機については「仮出所後、保護観察官に無職であることを隠し、内妻に『金が入る』とうそをついていた。うそがばれると刑務所に戻るはめになると考えた」と述べた。そのうえで「被害者の顔に何回もラップを巻き付けた」と悪質性を指摘した。弁護側は「絞首刑は憲法に違反する残虐な刑罰にあたる。死刑は避け、刑務所で反省の日々を送らせるべきだ」と述べ、死刑回避を求めた。
 24日の第7回公判では、元刑務官で作家の坂本敏夫さんと立命館大教授(犯罪心理学)の岡本茂樹さんの証人尋問があった。弁護側は尋問に先立ち、刑場内部の写真をモニターで示して絞首刑の流れを説明し、「心停止まで平均15分かかる」などとした。無期懲役については、2011年に仮釈放を認めるか審理された28人の服役期間は全て30年以上で、許可されたのは6人とし、実質的に終身刑になっていると強調した。坂本さんは最近の死刑囚について「判決確定から執行までの年数がばらばらで、恐怖の毎日だと思う」と述べた。無期懲役囚と交流している岡本教授は「無期懲役は先の見えない恐怖があり、魂を殺す刑だ。仮釈放をもらうために懲罰を避けたいと考え、刑務官らに言われたことに従うだけ。自分の感情を抑制したロボットのような生活を送る。死刑と無期で雲泥の差があるとは思わない」と証言した。
 26日の公判で遺族3人が意見陳述し、「極刑を受け入れるのが最低限の償いだ」などと述べ、死刑を求めた。
 同日の論告で検察側は、「死刑は一定の凶悪な事件を起こした者に命をもって償わせる刑。ある程度の苦痛が伴うことは避けられない」と指摘。絞首刑の合憲性は最高裁判例でも認められており、「憲法に違反しないことは明らかだ」と述べた。その上で、内妻についた「仕事をしている」との嘘を隠すため、何の落ち度もない2人を殺害して金を奪ったり、遺体を焼いたりした犯行について、「あまりに非道で、鬼畜の所業と言わざるを得ない」などと指弾した。そして「自らの手を汚さないようラップで顔を巻く殺害方法は極めて残虐」と悪質さを強調。保険金目的で放火した事件の仮出所中だったことから「服役中に今回の犯行を考えており、法律を守る意識がない。極刑を望む遺族の思いを最大限考慮すべきだ」と述べた。
 同日の最終弁論で弁護側、母親の愛情を受けずに育ったことが事件に影響したとして「責任を被告一人に帰するのは酷だ」と反論。「無期懲役は実質的に終身刑で、反省を深めている被告に生涯謝罪させるのが妥当」と、死刑回避を求めた。
 西口被告は最終意見陳述で「尊い命を奪い本当に申し訳ありません。極刑が当然の報いです」と述べた。
 判決で森浩史裁判長は、絞首刑について「憲法に違反しない」と言及した。そして、食品用ラップを顔に巻いて窒息させる手口で、わずか1カ月間に2人を殺害したことについて「被害者の恐怖や絶望は想像を絶する。死者への畏敬の念はみじんもなく、非人間的だ」と厳しく批判した。さらに、西口被告が別の事件で服役中に強盗殺人の計画を練り、刑務官に分からないようノートにメモした点に触れ、「社会に復帰後、半年もたたないうちに計画を実行した。法律を守る意識が極めて希薄だ」と述べた。そして、「犯罪被害とは無縁の善良な市民が突然に狙われて犠牲になった。遺族らの深い悲しみや喪失感は筆舌に尽くしがたい」などと指摘。西口被告に反省の態度が見られるなどの事情を考えても、死刑を選択せざるを得ないと結論付けた。

 弁護側は即日控訴した。
 2015年9月30日の控訴審初公判で、弁護側は一審に続き起訴内容は争わず、「計画性は低かった」として量刑は無期懲役が相当と主張した。一審大阪地裁堺支部の死刑判決については「絞首刑は残虐で憲法違反に当たる」と訴えた。検察側は控訴棄却を求めた。
 2016年6月17日の最終弁論で弁護側は、「犯行の計画は具体的なものではなかった」などと強調。「被告は脳に障害があり、犯行時は心神耗弱状態だった可能性がある」として、「無期懲役が相当だ」と主張し、改めて死刑回避を訴えた。検察側は控訴棄却を求めた。
 判決で後藤裁判長は、計画性について「緻密さに欠けるが、強盗殺人の骨格部分の計画性は高く、犯行意思は強固だった。資産家を狙い、当初から殺害や遺体の処分まで予定しており、一審の評価は揺るがない」と述べた。動機は、別事件で仮釈放中の西口被告が「仕事でまとまった金が手に入る」と内妻についたうそを取り繕うためだったと指摘した。当時の精神状況については「事件に影響する脳機能障害はなかった」と指摘し、完全責任能力を認定した。絞首刑が違憲かどうかについては、合憲とした最高裁判例を理由に改めて退けた。そして後藤裁判長は、「落ち度のない被害者の命を二度にわたって奪っており、遺族も峻烈な処罰感情を抱いている」と述べた。

 被告側は即日上告した。
 2019年1月22日の上告審弁論で、弁護側は「完全責任能力があったかどうか、立証されていない。犯行時間帯は人通りが多く、計画性は低い。反省も深めている」として、無期懲役への減刑が相当だと主張。また、「絞首刑は首が切断される可能性もあり、残虐で違憲だ」とも主張した。検察側は「約1か月で2人を殺害し、人命軽視の姿勢は顕著だ。犯行に使う道具を準備しており、計画性の高い犯行だ。極刑のほかない」と述べ、上告棄却を求めた。
 判決で岡部裁判長は、「犯行は強固な殺意に基づく計画的なもので、殺害方法も冷酷というほかない。被害者に全く落ち度はなく、遺族らは厳しい処罰感情を抱いている。動機も身勝手で酌量の余地はない」と指摘した。死刑が違憲であるとの弁護側主張に対しては、死刑制度が憲法の規定に違反しないことは過去の判例からも明らかとの判断を示した。
備 考
 
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氏 名
保見光成
事件当時年齢
 63歳
犯行日時
 2013年7月21日~22日
罪 状
 殺人、非現住建造物等放火
事件名
 周南市連続殺人放火事件
事件概要
 山口県周南市金峰に住む無職、保見光成(ほみこうせい)被告は2013年7月21日18時半ごろ~20時50分ごろ、集落内に住むS夫妻(夫当時71、妻当時72)を木の棒で殴って殺害、放火して夫妻の家を全焼させた。さらに同日20時59分ごろまでの間、集落に住む女性Yさん(当時79)を木の棒で殴って殺害し、家に火を放ち全焼させた。そして同日21時5分ごろまでの間に、集落に住む男性Iさん(当時80)を木の棒で殴って殺害(Iさんの妻は入院中で不在)。翌22日1時半ごろ~6時ごろ、集落に住む女性Kさん(当時73)を木の棒で殴って殺害した(Kさんの夫は旅行中で不在)。
 殺害された5人の自宅はいずれも集落を縦断する道沿いにあり、S夫妻方の約60m北東にYさん方、保見被告の自宅を挟んで約300m先にIさん方、その約200m先にKさん方があった。
 午後8時59分ごろ、集落内の女性からS夫妻の家の方が真っ赤に燃えていると119番、さらに21時15分には同じ女性がYさんの家も燃えていると消防に連絡をした。21時23分ごろ、消防隊が到着し、消火活動開始。約50分後に火は消し止められた。S夫妻宅から夫妻の遺体が発見されたため、22時40分ごろ、県警は連続放火容疑で緊急配備した(3時間後に解除)。23時15分ごろ、Yさんの遺体が発見。さらに翌日午前11時半ごろ、親類がKさんの遺体を発見。12時ごろ、聞き込みに来た捜査員がIさんの遺体を発見。12時25分ごろ、県警は一帯に緊急配備。12時55分ごろ、県警はYさん宅の北林に住む保見被告宅を家宅捜査。自宅窓ガラスの内側には「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」の貼り紙があった(これは2004年ごろに貼ったと後に供述している)。県警は保見被告を緊急手配した。
 保見被告は集落近くの山中に逃亡。25日には山中で携帯電話と保見被告の上着、ズボンなどが見つかった。26日9時5分ごろ、山口県警は集落の北約1kmの山中で保見被告を見つけ身柄を確保し任意同行、13時35分にYさんに対する殺人他容疑で逮捕した。8月15日、S夫妻への殺人他容疑で再逮捕。9月5日、Iさん、Kさん殺人容疑で再逮捕。
 保見被告は同じ集落の出身で、中学卒業後に地元を出て、関東地方で左官をしていた。1996年5月、父親の介護で帰郷。技術を磨いた腕をふるい、自宅を建築。地元のテレビ番組で取り上げられ、集落でも大きな反響を呼んだ。しかし地元になじむことができず、2002年12月に母、2004年6月に父が他界すると孤立を深め奇行が目立つようになり、飼い犬などをめぐる住民とのトラブルが目立ち始めた。2003年には今回殺害された被害者の一人が酒席で保見被告を刃物で刺したこともあった。2011年の正月には県警周南署に「孤立している」と相談したこともあった。帰郷してからは約1,000万円の貯金を取り崩しながら生活をしていたが、仕事や援助もなく、2013年以降は家財道具を売却するなどして生計を立てていた。
 9月17日から12月20日まで鑑定留置され、山口地検は刑事責任能力があったとして12月27日に保見被告を起訴した。
 公判前整理手続き中の2014年7月10日に山口地検が、8月20日に弁護団が山口地裁へ精神鑑定を申請。同日、山口地裁は実施の方針を決めた。10月中旬から2015年2月27日まで実施された。
一 審
 2015年7月28日 山口地裁 大寄淳裁判長 死刑判決
控訴審
 2016年9月13日 広島高裁 多和田隆史裁判長 被告側控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2019年7月11日 最高裁第一小法廷 山口厚裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 広島拘置所
裁判焦点
 裁判員裁判。精神鑑定は山口地検が起訴前、山口地裁が起訴後に実施。1回目の医師は、被告を思い込みやすい性格を持つ「被害念慮」と判断したが、2回目の医師は精神障害の「妄想性障害」と診断した。
 2015年6月25日の初公判で、保見光成被告は「火をつけていない。頭をたたいてもいない。無実だと思っている」と全起訴内容を否認し、無罪を主張した。
 検察側は冒頭陳述で、法医学者の証言などから、(1)凶器は木の棒で、事件後に被告が逃げ込んだ山中で棒が発見されたこと、(2)棒にビニールテープが巻かれ、血液反応があり被告の指紋が付着していた、(3)1人の被害者宅から被告のDNA型が採取されたことなどから、保見被告が犯人であると説明。そして動機については、孤立を深めた保見被告が「住民にうわさを立てられ、挑発を受けたなどと思い込み、トラブルを起こした」と主張。仕事がなく、生活費が残り「5,873円程度」になり自殺を決意した上で「どうせ死ぬなら住民に報復してやろう」と考えたと説明した。また事件後に被告が発見された山中では、自殺を図ろうとした遺書やICレコーダーの音声があったことを明らかにした。公判前に2度にわたって実施された精神鑑定で妄想性障害があったとの結果が出ていた点に関しては「妄想性障害があっても責任能力がなかったり著しく低下したりしていたとはいえず、犯行に与えた影響は少ない」と主張した。
 一方弁護側は、「被害者の家に行き、5人のうち4人の足や腰を木の棒で殴ったのは間違いないが、頭は殴っていない。もう1人はたたいた記憶もない」と主張。「頭を殴った証拠が無く、有罪にできない」と訴えた。DNA鑑定などについても直接犯行を裏付けるものではないと反論した。さらに、起訴後に地裁が行った精神鑑定で、空想などを基に疑念や嫉妬を膨らませる「妄想性障害」と診断が出ていることにも言及。「刑事責任能力に影響はない」とする検察側に対し、「刑を軽くすべき心神耗弱か、無罪を言い渡すべき心神喪失だった」とした。
 29日の第3回公判で検察側は、保見被告が逃げ込んだ山中で見つかったICレコーダーを再生し、自殺をほのめかす内容が録音されていたことを明らかにした。また検察側の証人として出廷した諏訪東京理科大の須川修身教授(火災科学)は、火災の検証結果について自然発火は考えにくいと証言した。
 30日の第4回公判で3人の遺体を解剖した男性教授は、、凶器について「(検察側が凶器と主張する)山中で発見された手製の木の棒でも矛盾はない」と証言。3人とも頭部などに致命傷を受ける前に足や顔面を打撃された痕跡があるとし、「目的を持って殺害した可能性が高い」と述べた。残る2人を担当した女性准教授は、一部の外傷は木の棒以外のとがったものが使われた可能性があると指摘。「傷の状況から(遺体付近で見つかった)金づちが使われたとしても矛盾しない」と証言した。
 7月2日の第5回公判で検察側は取り調べの様子を録音録画したDVDを提出し、証拠として採用された。約15分間再生され、被告は死亡したYさんについて「下(足)から上に向けて殴っていった。首の後ろをたたいた」と述べていた。被害者宅の全焼については「布巾をコンロの近くに置いた。(被害者の)運が良かったら助かる」とも語っていた。DVDのやり取りについて保見被告は「警察官がやってみろと言うから、自分だったらこうやるだろうと想像でやった。当時はパニックでまともじゃなかった」と供述。「運試し」については「記憶はあるが、趣旨はわからない」と明言を避けた。Yさんの殺害については、映像では自身の後頭部付近をたたきながら犯行を認めた様子が示されたが、検察側が追及すると「覚えていない」「わからない」を繰り返した。また検察側は県警が逮捕直前に行った事情聴取にて、被告が5人の被害者全員の殺害と放火を認めたことを語った。一方、弁護側の被告人質問で、死亡した5人のうち4人について「頭をたたいたか」「火を付けたか」と問われ、被告は「していません」と起訴内容を改めて否認した。足腰を棒でたたいた理由は「昔からいろんなことをされたから、足ぐらいたたいてもいいだろうと思った」と述べた。
 3日の第6回公判で検察側は保見被告の責任能力について「(被告に)集落の住民にうわさや挑発をされているとの妄想はあったが、報復は複数の選択肢の中から自分の意思で決意した」として「完全責任能力があった」と主張した。一方、弁護側は「実際には存在しない嫌がらせを妄想し、『罪のない人への暴力』という正しい事実認識ができなかった」として、妄想性障害による心神喪失で無罪を言い渡すべきだと主張した。弁護側による2回目の被告人質問もあり、被告は「(事件当時)財布の中に98,000円が入っていた。(事件のあった年の)お盆には金峰を出て、5年たったら帰ってこようと思った」などと話した。また保見被告が自宅に残した「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」という貼り紙について真意を説明。「火のないところに煙は立たぬ」という言葉から、「田舎の人たちが自分のうわさをして喜ぶという意味だった」とし、「貼り紙に気づいた誰かから、うわさの内容を聞き出せると思った」と話した。
 6日の第7回公判で、被害者参加制度に基づいて遺族が直接保見被告に質問した。謝罪の意思があるかという問いに、被告は「私がやられたことの方が多い」と述べて拒否した。
 7日の第8回公判で、起訴前に精神鑑定を行った医師への尋問が行われた。起訴前後で鑑定結果が異なることについて、「鑑定の時期が違い、被告の話す内容も変わっている」と説明。そのうえで「妄想性障害という診断も妥当。思い込みのとらえ方は全く一緒」と述べた。また起訴後に鑑定を行った医師の尋問が行われ、被告の刑事責任能力を巡り、起訴後の精神鑑定で妄想性障害と診断した医師への尋問があり、「妄想に基づき住民に報復したいという気持ちが高まり、犯行の意思が形成された」と証言した。医師は、自分の考えにとらわれやすい被告の元来の性格と、集落になじめなかった環境面などを要因に挙げ、「住民がうわさをしているという強固な思い込みをしていた」と解説。供述が変遷している点については「うそをつこうとしているのではなく、今の思い込みで話している」とした。報復の手段については「複数あった。方法は病気の影響ではなく、本人の価値観で決めた」と指摘した。
 8日の第9回公判で、遺族7人が証言や意見陳述をし、極刑を求めた。弁護側は争点の一つの絞首刑による死刑の違憲性について冒頭陳述を行い、「残虐な刑罰を禁じる憲法36条に違反する」と述べた。
 10日の論告で検察側は、殺人について「被告は逮捕当初、頭をたたいたことを認めただけでなく、動作も交えて説明していた。事件後逃走し自殺を図った。隠れていた山中からは被告の指紋がついた凶器とみられる木の棒も発見された」と証拠を列挙した。放火についても「自然発火を疑わせる跡はない」と述べて、証拠が十分であるとの見解を示した。そのうえで「周囲からうわさを立てられ挑発されていると思い込み、被害者らとトラブルを抱えていた」と動機につながる背景に言及した。さらに遺体の状況から「足を骨折するほどたたき、防御しようとする手や腕も骨折するほどたたき、木の棒を口の中に押し込んで強く圧迫した」と指摘。「なぶり殺しとも言うべき凄惨な手口。荒唐無稽な弁解に終始し、謝罪もしておらず、更生の余地はない。5人もの尊い命が奪われた結果は極めて重大だ」と死刑が相当であるとする理由を述べた。責任能力については、「障害はあるが重くない。善悪の判断ができ、完全責任能力が認められる」と述べた。
 被害者参加制度を利用して遺族の意見陳述も行われ、代理人弁護士が保見被告の厳罰を求める遺族の思いを訴えた。
 同日の最終弁論で弁護側は、「木の棒に付いていた血が、だれのものか特定されていない」などと反論。さらに、起訴後の精神鑑定で被告が空想などをもとに疑念や嫉妬を膨らませる「妄想性障害」と診断されたことに触れ、「事件当時は判断能力がほとんどないに等しい状態だった」としてあらためて無罪判決や刑の軽減による死刑回避を求めた。
 最終意見陳述で保見被告は「私は無実です」と述べた。
 大寄淳裁判長は判決で、被告が事件を実行したかどうかを検討。「凶器とみられる木の棒に被告の指紋がついていた。現場は農山村地域で、被告がたたいた直後に、第三者が殺害する可能性は考えられない。死亡後に出火しており、失火の可能性もない」と指摘した。そのうえで、捜査段階の検察官調書について「『後頭部に近い部位をたたいた』と動作を交えて説明しており信用性がある」と評価して、「被告が殺害、放火したと認められる」と結論づけた。続いて、当時の刑事責任能力の有無を判断した。両親が他界した2004年ごろから、近隣住民がうわさや挑発、嫌がらせをしていると思い込み、こうした誤った妄想が一定期間以上続く「妄想性障害」を発症しているとの鑑定結果を採用。「この妄想が動機を形成する過程に影響はしたが、殺人や放火を選択したのは被告の性格によるもので、妄想の影響ではない」として完全責任能力を認めた。最後に「被害者の口の中に木の棒を入れて圧迫するなど、凄惨さ、執拗さが際立っている」と厳しく批判。「どの被害者にも殺害されるような落ち度がなく、被告に前科がないことなどを考慮しても被告の罪責はあまりに重大で、極刑は免れない」とした。

 弁護側は即日控訴した。
 2016年7月25日の控訴審初公判で、弁護側は一審同様、殺人罪について「客観的証拠がない」として無罪を主張。一定期間以上思い込みが続く「妄想性障害」との精神科医の診断を示し、仮に保見被告が犯人であった場合でも、「刑を軽くすべき心神耗弱か、無罪とすべき心神喪失状態にあり、刑事上の完全責任能力はない」とした。弁護側は「1人の命を奪う死刑判決が、十分な事実調べもないままに下されるべきではない」として追加の立証を求めたが、多和田裁判長は「必要ない」と判断。精神鑑定の申請も却下した。検察側は「被告の犯行と責任能力は既に証明されている」などと反論し、死刑を言い渡した一審判決に問題はないとして控訴棄却を求め、即日結審した。
 判決で多和田裁判長は、「妄想は動機に影響したが、被告には完全責任能力があった」とした一審の判断を踏襲し、「妄想が犯行に一定の影響を与えたことを考慮しても、被害者が5人に上るなど刑事責任は誠に重大。死刑はやむを得ず、重すぎて不当とは言えない」と述べた。

 2019年6月17日の上告審弁論で弁護側は、「一審で精神鑑定を行った医師は、保見被告の『妄想性障害』を『思い込み』と説明し、裁判員裁判で正確な理解を欠いた」と主張。また「二審の広島高裁も提出された新たな証拠を調べず、正義に反する」とこれまでの判決を批判した。そのうえで一審は全員一致で言い渡された死刑判決ではないとして、取り消しを求めるとともに、「(事件当時の被告は)妄想性障害の影響があり、心神耗弱状態だった」と減軽を求めた。弁護側は上告審で、被告が犯人かどうかについての主張はしなかった。検察側は「犯行は被告人の発想で妄想性障害によるものではない」として改めて死刑を求め、裁判は結審した。
 判決で山口裁判長は、「妄想は犯行動機の形成に影響したが、被告は自らの価値観で犯行を選択しており、妄想が犯行に与えた影響は大きくない」と指摘。「強固な殺意に基づく執拗で残忍な犯行というほかなく、5名の生命が奪われた結果は重大だ」と述べた。
備 考
 「光成」の名前は帰郷後に戸籍名を改めたものである。
現 在
 2019年11月12日、山口地裁へ再審請求。弁護団によると、新たな証拠として、刑事責任能力に関する精神科医の意見書など約30点を提出したという。弁護団の井上明彦弁護士は「心神喪失か心神耗弱の状態であり、完全な刑事責任能力はなかったと考えるべきだ」と話した。
 2021年3月22日付で山口地裁(小松本卓裁判長)は請求を棄却。弁護団は25日付で即時抗告。2022年11月、広島高裁は即時抗告を棄却。12月、特別抗告。
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氏 名
堀慶末
事件当時年齢
 23歳
犯行日時
 1998年6月28日
罪 状
 強盗殺人、住居侵入、強盗殺人未遂
事件名
 碧南市夫婦強殺事件
事件概要
 名古屋市守山区の無職堀慶末(よしとも)被告は仕事仲間だった守山区の無職の佐藤浩被告、鹿児島県枕崎市出身で守山区の建築作業員の葉山輝雄被告と共謀。1998年6月28日午後4時半ごろ、愛知県碧南市に住むパチンコ店運営会社営業部長で、店の責任者である男性(当時45)宅に押し入った。家にいた妻(当時36)を脅して家に居座り、ビールやつまみを出させた。家にいた長男(当時8)と次男(当時6)が就寝し、翌日午前1時ごろに夫が帰宅後に夫と妻を殺害、現金60,000円などを奪った。長男と次男にけがはなかった。
 3人は夫婦の遺体を男性の車に乗せ、愛知県高浜市で遺棄した後、葉山輝雄被告の車で同県尾張旭市のパチンコ店に行き、通用口から侵入しようとした。通用口には鍵のほかに防犯装置が設置されており、堀被告らは解除方法が分からず、最終的に侵入を断念した。
 7月4日、愛知県高浜市で路上に放置されていた車のトランクから、二人の遺体が見つかった。
 堀被告は当時塗装業など建築関係の仕事で生計を立てていた。営業は順調にいかず、仕事の依頼がほとんど無かったため、約300万~400万円の借金があった。堀被告は当時の仕事仲間であった二人を誘い、事件を計画。堀被告は行きつけのパチンコ店の責任者だった男性らら店の鍵を奪うため、自ら尾行するなどして、男性は店の寮に住み込み、定休日の月曜に合わせて週に1度、寮から自宅に帰っていたことや、自宅の住所を割り出していた。
 他に堀被告は2006年7月20日午後0時20分ごろ、佐藤被告と共謀し、名古屋市守山区に住む無職女性(当時69)宅に侵入。堀被告はいきなり女性の首を絞め、粘着テープで縛った後、2人で室内を物色。貴金属(時価約39万円相当)や現金約25,000円などを奪った。さらに去り際に堀被告が女性の首を紐で絞めて殺害しようとし、約2か月の重傷を負わせた。紐などは堀被告が準備したものだった。奪った貴金属類は2人の知人を通じて質屋で現金化した。堀被告らは、女性宅のリフォームを請け負ったことがある実在の業者を装って訪問。高齢者の独居世帯という情報も事前に把握した上で狙いを定めていた。
 碧南事件の捜査は、指紋などの物証に乏しく、難航した。
 殺人罪の時効撤廃を受け2011年4月に発足した愛知県警捜査1課の未解決事件専従捜査班は夏、冷凍保存されていたつまみの食べ残しに付いた唾液から、当時の科学技術では困難だったDNA採取に不完全ながらも成功。警察庁のデータベースに照会し、堀被告のDNAと同一である可能性を突き止めた。特命係は堀被告の当時の交友関係を再度洗い直し、同じ建築関係の仕事仲間だった佐藤浩被告と葉山輝雄被告を特定。さらに、佐藤被告についても現場に残された唾液から酷似したDNAを検出した。県警は2012年8月3日、堀被告ら3人を逮捕した。佐藤浩被告は別の事件で懲役が確定し、服役中だった。24日、名古屋地検は3人を起訴した。
 2013年1月16日、守山事件で県警は堀、佐藤被告を再逮捕した。2月6日、名古屋地検は堀被告を強盗殺人未遂などの罪で起訴、佐藤被告は殺意が無かったとして強盗傷害罪で起訴した。
 碧南事件後、小学生の2人の息子は母方のおばに引き取られ、愛知県から関東地方に引っ越した。しかし2011年、未成年後見人だったおばが、兄弟に残された遺産数千万円を使い込んでいたことが発覚した。
一 審
 2015年12月15日 名古屋地裁 景山太郎裁判長 死刑判決
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控訴審
 2016年11月8日 名古屋高裁 山口裕之裁判長 被告側控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2019年7月19日 最高裁第二小法廷 山本庸幸裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 名古屋拘置所
裁判焦点
 裁判員裁判。
 2015年10月29日の初公判で、堀慶末被告は夫を死なせたことを認めたが、「殺意はなかった」とし、妻の殺害については「一切関与していない。共犯者との間で何かを話したこともない」と一部を否認した。
 検察側は冒頭陳述で、「消費者金融や車のローンを返済するため、堀被告が佐藤、葉山両被告にパチンコ店から現金を奪う計画を提案。店舗を下見し、帰宅した夫から店の鍵を奪う計画を立て、夫の帰宅時間を調べ、家で待ち伏せた」と指摘。事件当日は軍手とロープを持って無施錠の玄関から侵入。家にいた妻の口を塞いで静かにさせ、食事を取るなどして夫の帰宅を待ったと指摘。夫について、「背後からロープのようなもので首を絞め、共犯者も加わり、窒息死させた」とし、妻については「顔を覚えられていたため、佐藤被告に殺害を依頼した。殺害場面にいなかっただけで、共犯者に殺害を依頼しており、共謀が成り立つ」と主張した。一方、弁護側は、夫については「夫からパチンコ店の情報を聞き出すのが目的で殺意はなかった。堀被告が顔にバスタオルをかぶせたところ激しく抵抗され、その後、共犯者がタオルの片方を強く引いたため、死亡した」と述べ、強盗致死罪にとどまると主張。妻については「殺害を佐藤被告に頼む機会はなかった」と共謀を否定した。
 この日は証人尋問も行われ、現場近くの釣具店で働いていた女性が出廷。「事件当日の午後4時半ごろ、3人が夫宅に入っていくのを見た」と証言した。
 4日の公判で検察側証人として出廷した夫婦の長男は、大柄な体格の1人がピンク色のゴム手袋をしていたことや、男とテレビを見たり、食事をしたりしたと振り返った。午後9~10時ごろ、2階で就寝したが、「父の車が帰ってきて目が覚めた。父が起こしに来て『110番』という話が出て、父が1階に行き、僕がおりたと思う」と証言。その後、夫が3人組に羽交い締めにされ、馬乗りにされているのを目撃したという。公判では、事件直後の長男の供述調書も明らかになった。夫は午前1時ごろに帰宅し、長男に「お母さんが死んでるかも知れない。110番する」と伝えて階下へ行った。後ろをついて行った長男は妻が和室で倒れているのを目撃した。「男3人が後ろから押し倒してお父さんは壁で頭を打った。1人が乗りかかり、2人は手を持っていた。お父さんは『この野郎』と叫んでバタバタしていた」「死んじゃうと思って怖かった。上に乗っていた男が『寝ていいよ』と言うので2階へ戻った。朝起きると誰もいなかった」法廷で、長男は「記憶がはっきりしないところがある」と述べ、「当時の(調書の)方が正しいと思う」と語った。事件当時、長男は8歳で、夫宅に夕方、男3人組が訪れた際、妻と次男と一緒にいたという。
 5日の公判では共犯者の佐藤浩被告の証人尋問が行われ、佐藤被告は「堀被告に『車を取りに行く間に、奥さんを殺しておいてくれ』と頼まれた」などと証言した。堀被告の依頼を受け、佐藤被告は葉山被告に殺害を手伝ってくれるように頼んだと説明。和室の入り口で待ちかまえ、「(現れた)妻の後ろから首にロープを巻き付け、片方を葉山被告に渡して引っ張りあった」と語った。妻は「子供は殺さないで」と懇願したという。また事件の約1カ月前に堀被告から「強盗をやるから手伝って」と誘われたと述べた。
 9日の公判における被告人質問で、堀被告は妻殺害について「共犯者に殺害を依頼していない。依頼する機会もなかった」と述べ、改めて関与を否定した。堀被告は、いったん外出して夫宅に戻ったら妻が亡くなっていて驚いたと説明。「佐藤被告に『妻の様子が変わったから殺した』と言われ、驚いた」と話した。堀被告は、事件当時200万~300万円ほどあった借金返済のため強盗を思いついたと証言。夫の殺害については、口を塞ごうとバスタオルを頭にかぶせた際、2人で転倒し、もみ合っているうちに夫の首に引っかかったバスタオルを誰かと一緒に引っ張り、夫が動かなくなったと説明。「殺害すると、パチンコ店の金庫の開け方などが聞き出せなくなる」と述べ、殺意はなかったと主張した。
 11日の公判から守山事件の審理が行われ、堀慶末被告は強盗目的で民家に侵入したことは認めたが「佐藤被告が女性の首を絞めたので止めた」などとして一部無罪を主張した。検察側は冒頭陳述で、「堀被告は当時、無職で金に困っており、強盗を共犯者に持ちかけた」と指摘。「事件の発覚を防ごうと、殺害する目的で女性の首をロープ様のもので絞めて重傷を負わせた」と主張した。一方、弁護側は「首を絞めたのは共犯者で、堀被告は共犯者を止めた。強盗を持ちかけたのも共犯者だ」と述べ、強盗致傷罪にとどまると主張した。
 19日の事実認定を整理する中間論告で検察側は「妻殺害を依頼されたとする共犯者の供述は信用できる」と指摘。夫ともみ合い、窒息死させたとの堀被告の説明は「殺意がなかったと言いたいための責任逃れ」と断じた。そして検察側は「計画から夫妻の殺害まで堀被告が主導した」と指摘した。弁護側は、妻殺害について「堀被告が(共犯とされる男に)殺害を依頼する機会はなかった」と反論。「夫への殺意はなかった」と訴え、強盗殺人罪は成立しないと主張した。
 12月3日の公判で弁護側の証人として堀被告の母親が出廷し、「一生懸命償い、ご遺族の力になれることを考えてほしい」と話した。この日は被告人質問も行われ、検察側が堀被告に「夫婦殺害事件の後も自販機荒らしをしたり、名古屋市の民家に強盗に入ったりしている。もう犯罪をしないでおこうと考えなかったのか」と質問し、堀被告は「共犯者の誘いを断り切れなかった」などと答えた。
 12月4日午前、堀被告は、碧南事件で逮捕されてから現在に至るまでを振り返り、「人の命の重みを痛感した。(事件当時)犯罪の恐ろしさ、不条理さを理解し切れていなかったと思う」と述べた。
 12月4日、論告で検察側は「平穏な日曜の昼間に民家に侵入し、金品を奪う目的だけで、2人の子どもと平穏に暮らしていた関係のない夫婦の命を次々と奪った」と指摘。堀被告は妻殺害時、車を取りに夫婦宅を離れていたが「被告は事件の首謀者であり、妻殺害の役割を共犯に担わせただけ」とし、共謀が成立すると主張した。殺意の有無を争っている夫殺害についても「妻殺害はいずれ発覚し、夫だけ生かすわけにはいかないと考えた。殺害を計画したに等しい」と述べ、「確実に殺害する手段を取っており、強い殺意があった。安易に金品を得ようとした身勝手な犯行の首謀者で、結果は重大。自ら犯した罪に真摯に向き合っておらず更生の可能性は乏しい」と指摘し、「極刑は免れ得ない」と断じた。
 論告に先立つ遺族の意見陳述で、事件当時8歳だった長男(25)は「被告は言い訳をして逃げている。被告が死刑になることを強く強く願っている」と訴えた。また、「俺のお父さんとお母さんに心からの謝罪を強く願う」とする次男(24)の陳述を遺族側の弁護士が代読した。
 同日の最終弁論で弁護側は、「大ざっぱな強盗計画のもと、場当たり的に行動した結果だ。強盗殺人の発想はなかった」と殺意を否定。妻殺害については「現場にはいなかった。殺害を依頼する機会もなかった」と関与を否定した。そして無期懲役刑が妥当と訴えた。
 堀被告は最終陳述で「前途ある人々の人生を壊してしまった。残された時間を贖罪のために使いたい」と話し、検察官の隣に座っていた遺族に対し「申し訳ありませんでした」と頭を下げた。
 判決で影山裁判長は、「強盗を主導した被告の知らないうちに、共犯が殺害するとは考えにくい。夫婦宅を出るまでの間に、共犯と話し合うなどして殺害を了解していた」と共謀の成立を認定。殺意の有無を争っていた夫殺害についても「絞殺するには3分以上、首を強く絞め続ける必要があり、被告には殺意があった」と判断した。その上で「子どもらを案じながら、苦しみのうちに突然、人生を絶たれた2人の恐怖や絶望、無念の思いは察するに余りある」と指摘。「2人の生命を奪うという結果が極めて重大である上、殺害の計画性こそ認められないが、強盗遂行のため、冷徹な殺害行為を繰り返した。不合理な弁解で反省は深まっておらず、人命軽視の態度が甚だしく、死刑の選択をためらわせる事情はない」と断じた。

 2016年7月5日の控訴審初公判で、弁護側は一審判決には事実誤認があり死刑は不当と主張した。検察側は控訴棄却を求めた。
 9月1日の公判で行われた被告人質問で堀被告は、遺族に手紙や拘置所で得た作業報奨金を渡す意向を示した一方、「自分がどうやって償っていくのか、誠意を伝え続けていきたい。手紙を書き続けたい気持ちはあるが、刑務作業もあり、思うように時間がとれていない」と語った。
 10月13日の公判で、弁護側は一審同様「夫への殺意はなく、妻殺害には関与していない」として一審判決破棄を求め、結審した。
 判決で山口裁判長は、一審同様に夫への殺意と妻殺害への共謀を認定し、「強盗の計画、遂行に主導的な立場で、被告の関与なくしてこのような結果は生じ得なかった」と指摘した。そして、「2人が殺害された結果は重大で、反省の情は認められず、量刑は重過ぎて不当とはいえない」と述べ、一審判決を支持した。

 2019年6月14日の上告審弁論で、弁護側は「共犯者が妻を殺害した際、被告は現場から一時外出した」と共謀を改めて否定。「古い事件であり必ずしも被告の記憶も正確ではなく裁判所の事実認定も十分な証拠によるものではない」と二審判決には事実誤認があると主張した。検察側は「妻の死亡を知っても共犯者をとがめることなく物色に及んだ」とし、上告を棄却するよう求めた。
 判決で山本裁判長は、「犯行を主体的、積極的に関与し、強盗を遂行するために殺害行為に及んだ」と指弾し、「何ら落ち度のない2名の命が奪われ、2名の命が危険にさらされた結果は誠に重大だ。金銭目的の犯行を繰り返した被告の人命軽視の態度は顕著だ」と述べた。
備 考
 共犯の佐藤浩被告は2016年2月5日、名古屋地裁(景山太郎裁判長)の裁判員裁判で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。控訴せず確定。
 共犯の葉山輝雄被告は2016年3月25日、名古屋地裁(景山太郎裁判長)の裁判員裁判で求刑通り一審無期懲役判決。2016年12月19日、名古屋高裁(村山浩昭裁判長)で被告側控訴棄却。2018年6月20日、最高裁第一小法廷(小池裕裁判長)で被告側上告棄却、確定。
他事件について
 堀慶末被告は神田司元死刑囚、川岸健治受刑者と携帯電話の闇サイトで知り合い、2007年8月24日、名古屋市の帰宅途中の女性(当時31)を拉致して殺害。8月26日、逮捕された。2009年3月18日、名古屋地裁で神田元死刑囚と堀被告に求刑通り死刑判決、川岸元受刑者は自首が認められ求刑死刑に対し無期懲役判決。神田元死刑囚は4月13日に控訴を取り下げ、死刑が確定。2011年4月12日、名古屋高裁で堀被告の一審判決を破棄、無期懲役判決。同日、川岸受刑者は検察・被告側控訴棄却。検察及び川岸受刑者は上告せず、無期懲役判決が確定。2012年7月11日、最高裁第二小法廷で検察側上告棄却、堀被告の無期懲役判決が確定した。
 神田司元死刑囚は2015年6月25日、死刑執行。44歳没。
 憲法は「同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない」と定め、確定判決を再び審理して処罰する「二重処罰」を禁じているため、闇サイト殺人事件についての審理はできない。一方、過去の判例には「被告人の行動傾向や犯行動機、被告人の性格など、情状の一つとして考慮することは許される」とある。
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