高裁係属中の死刑事件


氏 名
岩倉知広
事件当時年齢
 38歳
犯行日時
 2018年3月31日~4月6日
罪 状
 殺人、死体遺棄
事件名
 日置市男女5人殺害事件
事件概要
 鹿児島県日置市の無職、岩倉知広(ともひろ)被告は2018年3月31日夕方、テレビを見るために近くに住む祖母(当時89)宅を訪れたが口論となった。31日から4月1日にかけ、岩倉被告は祖母の首を絞めて殺害。家にいた父親(当時68)が気付き、もみ合いになった末、父親の首を絞めて殺害。父親の車で、約400m離れた山中の空き地まで2人の遺体を運び、埋めた。
 4日午前、父親がアルバイト先を無断欠勤したため、派遣元のシルバー人材センター職員が父親の携帯電話に連絡するも繋がらなかった。
 6日午前10時ごろ、センター職員が父親の携帯電話に連絡するもつながらず。勤務先にも問合せし、欠勤が続いていることが判明。午前11時頃、別のセンター職員が祖母宅を訪れ、岩倉被告は父が大分に行っていると説明。正午ごろ、センターが緊急連絡先になっている岩倉被告の伯父へ、「数日前から出勤をしていないと連絡。薩摩川内市に住む伯父は仕事で県外にいたため、午後0時半ごろ、自身の妻(伯母)に安否確認を依頼。伯母(当時69)と近くに住むその姉(当時72)が祖母宅に向かったが、岩倉被告は首を絞めて殺害。連絡が取れなくなったため、伯父は午後2時20分ごろ、日置市の知人男性(当時47)に安否確認を依頼し、知人男性が祖母宅を訪れるも、岩倉被告は知人男性の首を絞めて殺害した。
 伯父は午後2時49分ごろ、県警日置署に相談。午後3時45分ごろ、署員が祖母宅を訪れ、伯母と姉の遺体を発見。さらに別の部屋に倒れていた心肺停止状態の知人男性を発見。男性は搬送先の病院で死亡が確認された。
 県警は4月6日午後6時55分頃、日置市内を一人で歩いていた岩倉知広被告を警察官が見つけ、任意同行を求めて事情を聞いた。岩倉被告が犯行を認めたため、県警は7日午前、知人男性への殺人容疑で岩倉被告を逮捕。8日午後、岩倉被告の供述に基づいて、祖母と父親の遺体が山林で見つかった。
 岩倉被告は子供のころに両親が離婚し、隣町で母親、妹と同居。高校中退後は職業を転々とし、22歳で陸上自衛隊に所属するも1年で依願退職。その後、数か月働いては辞め、貯金が減ったら短期の仕事を探すという生活を繰り返していた。2005年ごろから同居する母親に暴力を振るうようになり、2014年、母親は暴力に耐えかね、家を出て妹宅に住み始めた。岩倉被告は独り暮らしをするも、"仕事もしない男が昼間からブラブラしていて怖い"と近隣から苦情が来て、父親が引き取り、短期間祖母宅で同居。1年ほど前から祖母の持つアパートで独り暮らしをしていた。2018年2月に無職となった後は、父親から小遣いをもらって生活し、時折祖母宅で食事をしていた。知人男性は同じアパートの住人で数年前から住み始め、2階建ての計6室アパートに住んでいるのは2人だけだった。
 4月28日、父親と祖母に対する殺人容疑で再逮捕。5月19日、伯母とその姉に対する殺人容疑で再逮捕。鹿児島地検は6月1日から岩倉被告の鑑定留置を行い、精神鑑定を実施。2度の延長により2019年1月中旬まで鑑定留置を行い、岩倉被告に完全責任能力があると判断。鹿児島地検は2019年1月23日に殺人と死体遺棄の容疑で起訴した。
一 審
 2020年12月11日 鹿児島地裁 岩田光生裁判長 死刑判決
裁判焦点
 裁判員裁判。
 2020年11月18日の初公判で、岩倉知広被告は伯母、姉、知人男性の3人の殺害について「間違いありません」と述べたが、父親については「包丁を持ち出したので、包丁を落とそうと組み合いになった」と主張。祖母についても「死亡原因が違う。殴って死なせてしまった」と述べた。
 冒頭陳述で検察側は「長年折り合いが悪かった祖母に一方的に暴力を振るったことが引き金となり、信頼していた父親にも裏切られたと感じ殺害した。それを機に、一方的に恨みを募らせていた伯父を殺害しようと考え、伯父の依頼を受けて安否確認に訪れた3人を立て続けに殺害した」と指摘した。
 弁護側は「10年以上前に妄想性障害を患い、犯行当時は病状が深刻な状態にあった。祖母や伯父を中心とする一派が迫害行為をしているとの妄想を前提とした反撃だった」などと主張。父親に対する行為も正当防衛が成立するとした。
 証人尋問には、5人の司法解剖に立ち会った法医学者が出廷。「いずれも首を強く圧迫したことによる窒息の所見がある」とし、祖母についても「亡くなってから首を絞めたとは考えられない」と証言した。
 19日の第2回公判で、証言台に立った伯父は、はっきりとした大きな声で被害者の人柄をそれぞれ語った。祖母については「優しく厳格な人だった」、父親のことは「15~20年前に足を骨折して引きずっていたが、仕事熱心な人だった」と振り返った。姉については「思いやりのある優しい人だった」と語り、妻(伯母)らの後に安否確認に来て殺害された近所の男性は「(仕事の)同僚で、人懐っこい人だった」と惜しんだ。また、妻のことを語った際は「一緒に旅行に行こうと話していたのに、もう会えない」などと話し声を詰まらせる場面もあった。事件当時について、伯父は、仕事で県外にいたため伯母と男性に祖母宅へ安否確認を頼んだのは自分だったと明かし「自分が行っていれば」と無念さをにじませた。そして、岩倉被告に対して「憎しみでいっぱい。極刑を望む」と述べた。弁護側は、岩倉被告が10年以上前から発症していた「妄想性障害」の影響で殺害した父親以外の4人が「自分を迫害する一派」だと思い込んでいたとし、出廷した伯父にも岩倉被告に対する嫌がらせ行為などの有無を確認したが、伯父は「想像もつかない。覚えがない」と話した。
 20日の第3回公判で、岩倉被告の母親が証人出廷し「私が(被告と)一緒にいれば(殺されるのが)最悪私一人ですんだのに」などと胸中を語った。
 24日の第4回公判で被告人質問が行われ、岩倉被告は弁護側の質問で自身が犯行に及んだ経緯を話した。岩倉被告によると、被告は2002年に自衛隊を辞めてしばらくした後、誰かが自分の悪口を言っている声が聞こえるようになったという。2014年に同居していた母親が被告の暴力に耐えかねて家を出て、同市のアパートで1人暮らしを始めた頃、伯父が悪口を言っている声が聞こえ、伯父が自分の悪評を周囲に広めようとしていると確信したとした。岩倉被告は、同級生を地元から転居させて孤立させようとしたり、自分の車を故障させたりなどの嫌がらせを受けたと主張した。岩倉被告は、伯父らの行動について「でたらめじゃない」と声を荒らげる場面もあった。そして、伯父の妻と妻の姉、近所の男性も伯父に協力する一派だと考え、祖母宅に数日間とどまったのは「執拗に嫌がらせなどをしてきた伯父に復讐するためだった」と強調した。岩倉被告は、祖母について、被告の母方の祖父母の悪口を言われたことについて腹を立て殴ったという。また、父殺害は左腕で首を絞め殺したことを認めたが、殺意を否定し「謝りたい」と話した。2人を山中に埋めた理由は「腐敗する姿を見たくなかった」と答えた。
 25日の第5回公判で起訴後に精神鑑定を行った鹿児島大学の赤崎安昭教授への証人尋問が行われた。赤崎教授は犯行時に岩倉被告は妄想性障害があったと診断。しかし、妄想性障害は極めて軽微だったとし怒りなどを発端とした人格特性が影響したと指摘した。弁護側が妄想性障害の程度が軽微だと判断した理由について質問すると、赤崎教授は重篤な妄想性障害であれば、嫌がらせなどに対しての抵抗を行うはずだが、岩倉被告は行動を起こしていないことから、軽微な妄想性障害だと診断したと話した。
 26日の第6回公判で起訴前に精神鑑定を行った県立姶良病院の山畑良蔵院長への証人尋問が行われた。山畑院長は弁護側の質問に答え、「犯行当時は生来の自閉スペクトラム症(ASD)に加え、重度の妄想性障害を抱えていた。深刻な精神状態にあった」と主張し、「親族らから水道水に毒物を入れられる」などの被告の妄想が行動に影響したと指摘した。山畑院長は、被告の生活の変化などから妄想性障害を発症した時期を2004年前後と推定。一時的に軽減することを繰り返し、長期的には悪化していたとした。病状の深刻さを踏まえ、統合失調症の可能性も示唆した。妄想性障害の悪化により、「思考・行動に異常があった」と指摘。弁護側から動機や行動選択への影響を問われ、山畑院長は「誤った考えに基づく病的感情は、当然行動に影響を与えている」と述べた。さらに岩倉被告が一昨年11月、精神鑑定のため入院していた病院で、同じ部屋の入院患者からも迫害されていると思い込み、首を絞める暴力をしていたとも証言した。
 27日の第7回公判で岩倉被告への質問が行われ、検察側は、父親が以前被告にうつ病に関する本を渡したことについて質問すると、被告は「自分は病気じゃないから読まなかった」と述べ「自分は病気だと思うか」との質問には「いいえ」と答えた。
 同日、遺族の意見陳述もあり、親族7人が法廷と書面で意見を述べた。父親の妹は法廷で「兄は口数は少ないが優しく、母は女手一つで私を育ててくれた。なぜ自首しなかったのか」と述べた。伯父の妻の娘は終始声を詰まらせながら「母たちがどれだけ痛くて怖い思いをしたか。人間がやることではない」などと話した。伯父の妻とその姉の弟は「姉2人を返せ!」と心情を訴えた。叔父夫婦の息子が岩倉被告に「遺族に何か思うことはないか」と問うと、被告は長い沈黙の後「逆に、なぜあんな陰湿なことをしてきたのか」と2回繰り返した。遺族はいずれも死刑を望むと話した。
 12月1日の論告で検察側は、「(親族に嫌がらせを受けているという)妄想は一部の動機形成の遠因となった程度で、軽微」と指摘。「犯行態様は極めて残虐かつ執拗で、むごたらしい」と指摘。いずれの犯行も被告の言動がそもそもの原因で「何の落ち度もない5人の尊い命が奪われた結果は極めて重大だ」とした。検察側は、最高裁が死刑適用に示した「永山基準」を説明して8項目それぞれに理由を述べ、「妄想性障害の影響などを最大限考慮したとしても、社会を震撼させた重大で凶悪な事案。死刑を回避すべき事情は存在しない」と結論付けた。
 同日の最終弁論で弁護側は六つの起訴事実のうち、父親の殺害は包丁を持ち出され心中を図ろうとしてきたことへの反撃行為で正当防衛が成立し、祖母の殺害は殴打行為によるもので殺人罪が成立しないと無罪を主張。2人の死体遺棄や他3人の殺害も「妄想性障害」の影響による心神耗弱で刑が減軽され、無期懲役が相当とした。また一審で死刑判決が出ても高裁で無期懲役となった過去の判例も示し、慎重な議論を求めた。
 岩倉被告は最終意見陳述で、「妄想の一言で全てを片付けられ、自分の発言をつぶされたのであれば納得いきません」と述べた。被告人質問と同様、迫害を妄想とする鑑定結果などへの不満を口にし、最後まで遺族に謝罪しなかった。
 判決で岩田裁判長は、焦点となった妄想性障害について、起訴後の鑑定が「妄想で嫌がらせを受けている親族に抗議をするなど、妄想が重ければしているはずの行動をしていない」として、信用できると判断。「被告は妄想に指示、支配される状況にはなく、抱いていた妄想も切迫したものではなかった」と退け、完全責任能力があったと認めた。そして「犯行には被告人の衝動的、攻撃的、他罰的な性格が影響したと見るのが合理的だ」とした。
 また岩田裁判長は、被告が首を絞め続けた行為などからいずれも殺意はあったとした。父親への正当防衛は、被告との年齢差や体格差などを踏まえて「被告が反撃行為に出ることが正当とされる状況ではない」として認めなかった。
 そして岩田裁判長は「妄想性障害の影響を考慮しても、5人の命を奪った事実は揺るがない。常軌を逸した凄惨な犯行だ。被害者らに落ち度はなく、人を殺害することへの抵抗感は感じられない。死刑を回避すべき特段の事情は見当たらない。生命をもって罪を償わせるほかない」と述べ、被告に極刑を言い渡した。
 死刑言い渡しの直後、弁護側に座っていた岩倉被告が検察側まで駆け込み、「お前のしていることは、許されんぞ」などと大声をあげ、被害者参加人として出廷していた親族にめがけて飛びかかろうとして取り押さえられた。

 弁護側は即日控訴した。
備 考
 
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氏 名
小松博文
事件当時年齢
 32歳
犯行日時
 2017年10月6日
罪 状
 殺人、非現住建造物等放火、有印公文書偽造・同行使、詐欺
事件名
 日立妻子6人殺害事件
事件概要
 茨城県日立市の会社員、小松博文被告は2017年10月6日午前4時40分ごろ、3階建て県営アパート1階の自宅和室で妻(当時33)、長女(当時11)、長男(当時7)、次男(当時5)、双子の三男(当時3)と四男(当時3)を包丁で刺した後、玄関付近にガソリンをまいて放火した。6人は一酸化炭素中毒や失血、心タンポナーデで死亡した。
 小松被告は午前5時ごろ、日立署に出頭。同署が出荷を確認して市消防本部に通報。午前5時48分に鎮火したが、妻、男児4人の遺体が見つかった。さらに長女が市内の病院に搬送されたが、死亡が確認された。同日、日立署は小松被告を長女の殺人容疑で緊急逮捕した。
 小松被告は日立市内の自動車関連会社に見習いとして勤務していたが、9月下旬に、妻の体調が悪く入院するため、しばらく会社を休むとメモ書きを残したまま出社していなかった。犯行の6日前に妻のスマホを見て浮気を知り、問い詰めたところ逆に別れ話を持ち出された、誰にも渡したくないと思ったのが動機だった。
 10月26日、長女を除く5人の殺人と現住建造物等放火容疑で小松被告を再逮捕。水戸地検は11月8日から2018年2月16日まで鑑定留置を実施。2月23日、殺人と非現住建造物等放火の罪で起訴した。地検は「小松被告は6人が既に亡くなったと思い込んで火をつけた」と判断した。
 他に小松被告は、2017年5月11日午前11時35分ごろ、日立市内の銀行で、氏名の部分を偽造した自身の運転免許証を提示した上、書類に偽名を書き込んで預金通帳を受け取った。さらに、同日、同市内の携帯電話販売店でその免許証と預金通帳を使って、携帯電話など3点(総額約13万円)をだまし取った。2018年7月17日、日立署は小松被告を有印公文書偽造・同行使と詐欺の疑いで逮捕した。
 小松被告は2018年11月26日、日立署での勾留中に突然倒れ、病院に緊急搬送された。持病の肺高血圧症によるもので、一時、心肺停止状態になった。手術で一命を取り留めたものの、約2カ月間入院。後遺症で記憶の一部が欠落した。
一 審
 2021年6月30日 水戸地裁 結城剛行裁判長 死刑判決
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
裁判焦点
 有印公文書偽造・同行使や詐欺罪については区分審理となった。
 2020年6月2日、区分審理の初公判で、小松博文被告は「覚えていないので、何とお答えすればいいのか分からない」と態度を明らかにしなかった。弁護側は、被告が勾留中の2018年11月26日に心肺停止状態となり、後遺症で事件当時の記憶が欠落していると主張。「法廷で防御の前提となる事実の記憶がなく、自ら反論することができない」とし、公判停止を求めた。結城剛行裁判長は精神鑑定の結果などから、被告の記憶障害は投薬などの治療をしても回復の見込みがないと判断。その上で「自分の名前を答えられるなど状況は判断できており、弁護人の援助や裁判所の後見的支援があれば、意思疎通は可能だ」と指摘し、心神喪失にも当たらないとして公判停止を認めなかった。検察側は冒頭陳述で、被告がだまし取った携帯電話をリサイクルショップに売却していたことを明らかにした。
 弁護側は公判で、小松被告の訴訟能力を鑑定するよう水戸地裁に求めたが、地裁は鑑定しない方針を示した。
 2021年3月25日、水戸地裁は記憶喪失については認めたうえで「被告人質問の状況からみても心神喪失には当たらず、訴訟能力を有することは明らか」だとして、有罪の部分判決を言い渡した。

 殺人と非現住建造物等放火については裁判員裁判となった。
 2021年5月31日の初公判で、小松博文被告は「倒れてしまってからは記憶がなくなってしまったので、分からないとしか言えない」などと態度を示さなかった。弁護側は罪状認否に先立ち、「事件当時の記憶を失い、真実を述べることができず、訴訟能力に欠ける」として公判を停止するよう求めたが、結城裁判長は「裁判所の支援や弁護人の援助があれば、意思疎通を図ることはでき、訴訟能力があることは明らか」などとして退けた。
 検察側は冒頭陳述で、小松被告が定職に就かず、妻から愛想を尽かされて、離婚を切り出されていたと指摘。「他人に妻子を取られるなら全員を殺そう」と考えたと動機について、説明した。そして弁護側の主張に対し、包丁、ガソリンを準備していたことを挙げ、「事件後、警察で殺害当時の状況を具体的に供述しており、被告自身が行い、行為の危険性を認識していたのは明らか」などと指摘し、事件当時に精神障害はなく、責任能力はあるとした。弁護側は、小松被告が離婚話で悩み、「当時は善悪の判断能力や行動を制御する能力が失われていたか、著しく低下した状態だった。凶器は自殺のために購入したもの」と強調した。
 6月4日の第4回公判で妻の友人女性が出廷。被告の日常生活について女性は「働かず、家にいるときは基本的にゴロゴロしながらテレビを見たり、スマホを触ったりしていた。子どもたちが『遊ぼう』と言っても応じていなかった」と証言。妻と小松被告がけんかをする場面にも遭遇したと話し「子どもたちの目の前で、物を投げたり妻に暴力を振るったりしていた」と説明した。また小松被告の雇い主だった男性は小松夫妻が「家賃を滞納している」と、15万円以上を前借りしにきたことがあったと説明。小松被告について「仕事はまじめだが、お金の面でいい評判は聞かなかった」と話した。また事件前、妻から、結婚したいと考えている相手がおり、小松被告との離婚について、相談を受けていたことも明かした。
 8日の第6回公判で妻の両親が出廷し、父親は「6人を殺すなんてむごすぎる。どうか最高の刑をお願いします」と極刑を求めた。母親は、小松被告の仕事が長続きせず、生活費を援助していたと証言。孫たちの足や娘にあざを見つけたこともあり、被告の暴力的な部分を目撃したと語った。被告に対しては「6人がされた以上につらい処罰を与えてほしい」と述べた。
 9日の第7回公判で、事件を担当した警察官3人が出廷。取り調べを担当した男性警察官は、小松被告が妻を殺害する際、まず首を狙ったと供述したことに触れ、その理由を「(妻に)声を出されて子どもたちが起き、犯行が邪魔されるのを防ぐため」と話したと証言した。さらに「妻については数十回ほど刺したと聞いた」と述べた。小松被告が日立署に出頭した際に対応した男性警察官は「動揺していたが、受け答えははっきりしていた」と振り返り、精神的な異常などは感じられなかったと話した。別の男性警察官は、逮捕直後の被告が犯行の様子を詳細に供述していたとして、「本当のことを話しているようだった」と説明した。
 10日の第8回公判で、小松被告が記憶障害を起こしたきっかけになった疾患を発症後、被告を精神鑑定した医師が検察側証人として出廷。医師は2019年11月から2020年3月まで、小松被告の精神鑑定に当たった。診断基準に照らし合わせ、面接や身体検査、捜査の証拠などを踏まえて複合的に判断した結果、「精神障害は認められなかった」と述べた。犯行前から不眠や食欲不振などの抑うつ的な症状はあったものの、うつ病とまでは言えず、「離婚を切り出されたことによって引き起こされた正常な反応」と説明した。
 15日の第10回公判で被告人質問が行われ、弁護側の「殺害をした記憶はあるか」との質問に、小松被告は「全くない」と答えた。結城裁判長が事件直後の状況について「自分の手から血が垂れていたり、足がやけどしていたりした記憶はあるのか」と尋ねたのに対しては、「映像として頭の中にうっすら残っている」と説明した。被告は事件前の出来事で最後に記憶していることとして、事件の4日前に妻と親しかったとされる男性の自宅に出向き、関係を尋ねたことだと述べた。裁判員から事件についてどう思っているのかを問われると、「自分がしたことだとしたら責任を取る」と述べた上で、殺害したとされる6人に対しては「とにかく『ごめんね』としか言えない」と語った。
 17日の公判で被害者参加制度で出廷した妻の父親は、「幸せな日々を奪った被告への憎しみは今も消えない。可能な限り一番厳しい刑罰を与えて」と述べた。
 同日の論告求刑で検察側は、小松被告が出頭後の調べに対し、殺害を迷っていたと供述した上で、殺害行為の一部や放火の経緯を具体的に説明したと主張。「完全な責任能力があった」と述べた。また、妻と子供5人の就寝中に襲いかかり、心臓などを狙って刺していたと説明。「危険性を認識しながら殺害したことは明白」とした。そして「6人の命が奪われた結果は重大。就寝中で無防備なところをためらいなく包丁で刺すなど、殺害方法は残虐極まりない」と指摘。妻から離婚を求められたので殺害を決意したという動機も身勝手で強い非難に値するとし、被告には責任能力があったと主張した。
 同日の最終弁論で弁護側は、小松被告は離婚を切り出されてほとんど眠れず、うつ病や抑うつ状態だったと主張。「善悪の判断能力や行動を制御する能力が失われていたか、著しく低下した状態だった」と述べ、心神喪失か心神耗弱の状態だったと指摘。改めて無罪か刑の減軽を求めた。このほか、勾留中の2018年11月に病気で心肺停止となり、「後遺症で事件の記憶を失った」と改めて訴えた。法廷で認否すらできず、訴訟能力がないとして、公訴棄却も求めた。
 最終意見陳述で小松被告は結城裁判長から「言っておきたいことはあるか」と問われ、「特にないです」と答えた。
 判決で結城剛行裁判長は、「小松被告が事件の数日前、妻の母らを訪ねた際に不自然な言動がなかった」「小松被告が離婚によって家族を他人に取られたくないとして殺害を計画し、犯行直前まで数日間にわたり思い悩んだ上で実行に及んだ。日立署に出頭し、犯行内容を相当程度具体的に供述している」と指摘。「犯行の違法性や重大性など、自らの行為を十分理解しており、心神喪失でなかったことは明らか。犯行時だけ意識解離状態になるというのは考えにくい」と指摘し、刑事責任能力はあると認定。小松被告が事件当時の記憶を失ったと認めたが、弁護側の援助などにより意思疎通は可能で、訴訟能力はあると判断した。量刑の検討にあたっては、柳刃包丁やガソリンをあらかじめ準備し、被害者を複数回刺したことなどから計画性や殺意があったと認定。6人が殺害されたことなどを踏まえて「犯行態様が危険かつ残忍で同種の事件と比べても悪質。妻や子を取られたくないために殺害するなど、動機は身勝手かつ自己中心的。被告が1年間定職に就かないことから離婚を切り出されたなど、強い殺意に基づく残虐かつ悪質な犯行で、死刑を回避すべき事情はない」とした。

 2023年1月27日の控訴審初公判で、小松被告の弁護側は、「勾留中の心不全の後遺症で事件当時の記憶がない」としたうえで、死刑判決を破棄して審理を地裁に差し戻し、記憶が戻るまで裁判を停止すべきなどと主張した。これに対し、検察側は「手続きに問題はない」と反論した。
 2月15日の第2回公判で行われた被告人質問で小松被告は、妻子6人を殺害した動機や方法の記憶があるかどうか弁護人に問われ、いずれも「ないです」と繰り返した。事件で使用したナイフやロープ、ガソリンを購入した記憶もないと語った。
 弁護側は「被告は、自らの記憶に基づき防御する機会を与えられるべきだ」と強調し、「被告は記憶を喪失し、訴訟能力が認められない」として一審判決を破棄して差し戻すよう求め、結審した。
備 考
 
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氏 名
野村悟
事件当時年齢
 67歳(2014年9月11日逮捕時)
犯行日時
 1998年2月18日~2014年5月26日
罪 状
 殺人、銃刀法違反、組織犯罪処罰法違反(組織的な殺人未遂)
事件名
 工藤会市民襲撃4事件
事件概要
 特定危険指定暴力団工藤会トップで総裁の野村悟被告と、ナンバー2で会長の田上不美夫(たのうえ・ふみお)被告は他の被告と共謀して以下の事件を起こした。
  1. <元漁協組合長射殺事件>1998年2月18日午後7時頃、北九州市小倉北区の高級クラブ前路上で、北九州市最大の脇之浦漁協(現・北九州市漁協)組合長だった男性(当時70)を銃撃し殺害した。(殺人、銃刀法違反)
  2. <元警部銃撃事件>2012年4月19日午前7時5分頃、北九州市小倉南区の路上で、県警元警部の男性(当時61)がバイクの男に銃撃され、足などに重傷を負った。男性は暴力団捜査に約30年間従事しており、工藤会専従の「北九州地区暴力団犯罪捜査課」で特捜班長も務めた。事件の前年に県警を定年退職していたが、退職後、自宅周辺で不審な車が目撃されていたことから県警の「保護対象者」になっていた。当日は、再就職していた市内の病院への通勤途中だった。(組織犯罪処罰法違反(組織的な殺人未遂)、銃刀法違反)
  3. <看護師刺傷事件>2013年1月28日午後7時頃、福岡市博多区の歩道で、北九州市小倉北区の美容整形医院から帰宅中だった看護師の女性(当時45)が、後方から来た黒いニット帽にサングラスをかけた男に刃物で切りつけられ、頭などに重傷を負った。被害者が勤務していた美容整形医院で下腹部の手術を受けた野村被告が、術後の経過や被害者の対応に不満や怒りを抱いての犯行。(組織犯罪処罰法違反(組織的な殺人未遂))
  4. <歯科医師刺傷事件>2014年5月26日午前8時30分頃、北九州市小倉北区の駐車場で、車から降りた歯科医師の男性(当時29)が刃物で胸などを刺されて重傷を負った。男性は(1)の事件で殺害された男性の孫で、漁協幹部の息子だった。男性は事件後、関わりたくないとリハビリ医師から診療を断られることもあり、雇ってくれる歯科医院もなかったことから、福岡を離れることになった。(組織犯罪処罰法違反(組織的な殺人未遂))

 (1)では2002年6月26日、工藤会系組長NK受刑者、同組幹部NT元被告が殺人容疑で逮捕された。28日、同系組長F受刑者、同系組長で田中組のナンバー2であった田上不美夫被告が殺人容疑で逮捕された(F受刑者と田上被告は恐喝罪などで服役中)。7月、福岡地検小倉支部は3人を起訴するも、田上被告は「共謀関係を立証する証拠が足りない」として処分保留で釈放し、後に不起訴とした。野村被告は若頭で2次団体である工藤会系田中組の組長だったが、逮捕すらされなかった。

 2014年9月11日、福岡県警は(1)における殺人容疑で野村悟被告を逮捕、田上不美夫被告を公開手配した。樋口真人県警本部長が記者会見し、県警職員の3割超に当たる約3,800人を特別捜査本部に投入すると発表し、工藤会の壊滅に向けた「頂上作戦」に乗り出した。福岡地検は9月以降、公判部に工藤会専従班を編成。公判担当の経験が豊富な中堅の検事を集めた。13日、同じく殺人容疑で田上被告を逮捕。10月2日に起訴。
 10月1日、(3)における組織犯罪処罰法違反(組織的な殺人未遂)容疑で野村、田上両被告を再逮捕、他にナンバー3で工藤会理事長、田中組組長のKK被告など組幹部ら13人を同容疑で逮捕。逃亡中の1名を指名手配し、2日に逮捕した。10月22日、地検は14人を起訴し、2人を不起訴とした。
 2015年2月15日、(4)における組織犯罪処罰法違反(組織的殺人未遂)容疑でら3人を逮捕。16日、同組幹部のNM被告ら6人を再逮捕。3月9日、同組幹部のNM被告、同組幹部のMK被告、同組幹部のNY被告、同組組員のWK被告の4人を起訴。5人は処分保留。
 5月22日、(4)における組織犯罪処罰法違反(組織的殺人未遂)容疑で野村被告、田上被告、KK被告ら4人を逮捕。6月12日、野村被告、田上被告、KK被告を起訴。1人は処分保留で釈放し、後に不起訴とした。
 2015年7月6日、(2)に絡んで野村被告、田上被告、KK被告らを組織犯罪処罰法違反(組織的な殺人未遂)容疑などで逮捕。計18名が逮捕された。7月27日、福岡地検は地検は11人を起訴した。7人は処分保留で釈放し、後に不起訴とした。


 工藤会は福岡県警によると、結成は1946年ごろ。北九州市で対立していた草野一家と工藤会が1987年に合併し、現在の工藤会となった。福岡、山口、長崎3県に勢力を持ち、構成員約560人、準構成員約390人(2013年末)で、構成員の人数は当時全国7番目。北九州に進出を図った指定暴力団山口組と1963年と2000年に抗争するなど武闘派として知られる。
 2000年1月、野村悟被告が4代目会長に就任。2008年7月、溝下秀男前会長が死亡。2011年7月、野村被告が総裁に、田上不美夫被告が5代目会長に就任。
 工藤会は2000~2009年、一般人を対象にした報復目的の殺人未遂や放火事件を5件起こしたとして、2012年12月に全国の暴力団で唯一、改正暴力団対策法に基づき福岡、山口両県公安委員会によって「特定危険指定暴力団」に指定された。
 福岡県暴力団排除条例が施行された2010年以降、同県内で切り付けや放火、手投げ弾の投てきなど30件以上の襲撃事件が発生し、一般人2人が死亡している。
 米財務省は2014年7月、同会と野村、田上両被告について、米国内の資産を凍結する金融制裁の対象に指定した。
 東京都や千葉県にも事務所を置いて活動しているとして、警視庁は2014年10月、専従捜査班による対策室を設けた。

一 審
 2021年8月24日 福岡地裁 足立勉裁判長 死刑判決
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裁判焦点
 福岡地裁は2019年6月、裁判員への危害の恐れを理由に、裁判員裁判の対象から除外する決定を出した。
 2019年10月23日の初公判で、野村被告は起訴内容について「私は四つの事件すべてにつき無罪です」と述べた。田上被告も「全く関与していません」と無罪を主張した。
 検察側は冒頭陳述で、(1)について、元組合長やその親族が北九州市の港湾事業を巡り同会側の利権介入を拒んだことが背景にあると主張。(4)の被害者は元組合長の孫で漁協幹部の息子に当たり、「利権介入を拒む漁協幹部を屈服させるため、被害者の襲撃を考えた」などと述べた。(2)に関しては、工藤会捜査に長年携わった元警部が会を離脱した組員に接触した際、野村被告を批判する内容を話したことへの報復だったと説明。(3)では、野村被告が受けた下腹部手術に関し、看護師の術後対応への怒りが背景だとした。そして四つの事件すべてについて、両被告が直接的または間接的に配下組員に指示したことを指摘した。
 一方、弁護側は冒頭陳述で、両被告は実行役らの行為をそもそも知らず、関与していないと否定。特に、(1)については、田上被告が2002年に殺人容疑などで逮捕されたが、不起訴処分になった点などを踏まえて「公訴権の乱用」と主張した。
 29日の第3回公判で、別の事件で無期懲役判決が確定し服役中の工藤会ナンバー5で理事長代行だったKH受刑者が検察側の証人として出廷。総裁を「隠居」、会長を「象徴」と表現し、野村、田上両被告は会の運営を配下の幹部でつくる「執行部」に任せ、「相談も口を出すこともなかった」と述べた。
 12月11日の第11回公判で、(1)の事件で殺害された男性の甥が検察側証人として出廷。同じ漁協に所属していた父親や自分の身にも脅迫めいた事件があったと証言した。父親は2013年12月20日に射殺されたが、容疑者は逮捕されていない。弁護側は「解明されていない事件で両被告には無関係。立証趣旨と違う」と異議を述べ、検察側は「背景を立証するために必要」と反論した。足立勉裁判長は異議について、一部を「意見は承る」としたが、おおむね棄却した。
 2020年1月30日の第21回公判で、検察側証人として2007年末から4年間、上納金の集計担当をしていた元組員が出廷。上納金は毎月2千万円ほどで(1)野村被告宅の維持費(2)「貯金」(3)同会運営費-に分けていた。「貯金」は「総務委員長から渡された名簿に載っている組員のために毎月10~20万円を積み立てていた」と説明。名簿には組名、名前、積立額が書かれ、対象組員は「組織のために事件を起こして服役している人」とした。元漁協組合長射殺事件の実行犯と見届け役の2人は、20万円ずつ積み立てられていたという。弁護側が「貯金の対象者から組織のために事件を起こしたと聞いたり、会合などで正式な説明があったりしたか」と質問したのに対し、元組員は「ない」と答えた。
 7月30日の公判における被告人質問で、田上被告は(1)の事件について「一切関与しておりません」と改めて無罪を主張した。元組合長の長男が両被告が元組合長らと会食したと証言したことについても、否定した。田上被告は「組全体でシノギ(資金獲得活動)をすることはない」とし、漁協利権が絡む同市の大型港湾工事も関心はなかったと説明。殺害された元組合長について「北九州市の漁協で絶大な力を持っていると組員から聞いた」としたが、長男が証言した元組合長らとの会食などを否定し「元組合長と面識はない」と話した。検察側は、田上被告が多額の確定申告をしていたことなどを引き出し、被告自身の稼ぎ方について問い詰めたが「言いたくありません」と明言を避けた。野村被告をどう思うか聞かれた田上被告は「好きですね。人間として。尊敬もしています」と話した。
 31日の公判における被告人質問で、野村被告は(1)の事件について指示や承諾などをしたか問われ「ありません」と答え、改めて関与を強く否定した。元組合長の長男が両被告が元組合長らと会食したと証言したことについても、否定した。また、序列が上の人間が、下に襲撃などを指示できるのかという質問に「事件は指示できない」と返答。組員が何らかの事件を起こす前に報告を受けることはないとし「共謀性が生まれるため」と説明した。
 8月4日の公判で(2)に関する野村被告への被告人質問があり、指示や承諾について全面的に関与を否定した。動機となるような元警部とのトラブルや恨みも「ありません」と話した。事件当時はすでに総裁の立場にあり「権限はなく、会の運営に口出しもしない隠居の身」と重ねて関与を否定した。総裁就任後、組員との接触は「ほとんどない」と述べたが、検察側は携帯電話の通話記録を基に有力組長らに多数、連絡していたことを指摘。通話内容をただされた野村被告は「特に用事はない」などと繰り返した。
 8月20日の公判で(2)に関する田上被告への被告人質問があり、「元警部とはずっと良い関係だった」と述べ、事件への関与を否定した。「(公判での証言は)うそばかりで、今まで良い関係だったのによく言えるなと思った」と述べた。銃撃事件を巡っては、実行犯など工藤会系組幹部らの実刑判決が確定。田上被告は「元警部を襲撃すれば、警察は工藤会をたたいてくる。それを許すほど私は愚かではない」として、自身や野村被告による指示を否定した。一方、弁護側から事件を指示した人物をどう思うか問われると「思慮が浅いとしか言いようがない」と話した。
 8月21日の公判で(3)に関する野村被告への被告人質問があり、レーザー照射による脱毛施術を担当した看護師に一時不満があったことを初めて明かしたが、事件への関与は否定した。一方、痛かった部分はやけどをして痛みが続いたといい、脱衣所などで処置をしている際に組員の前で怒った口調で看護師への愚痴を言ったことも明かした。事件のきっかけを聞かれると、野村被告は「私の愚痴が組員に伝わり、変なふうになったのかな」と話した。
 27日の公判で(3)に関する田上被告への被告人質問があり、事件について野村被告から指示されたり、自らが指示したりしたことを否定。逮捕されるまで組員の関与や野村被告が受けた施術などを知らず「何で俺が逮捕されないかんのかと思った」と述べた。検察側は、野村被告がクリニックを訪れた日や事件当日などに、野村被告や配下の幹部と田上被告が通話した記録があると指摘。内容について問うと「わかりません」と述べた。
 28日の公判で(4)に関する田上被告への被告人質問があり、4事件に組員が関与したことを問われた田上被告は、会長の立場として「被害者にすいませんという気持ちはあります」と謝罪。一方、工藤会の解散については「代々譲られたもの。私一人でそんな大事なことは決められない」と述べるにとどめた。これまでの公判で歯科医師の親族男性が、14年2月に田上被告から「(歯科医師の父は)まだ分からんのか。これは会の方針やけの」などと言われたと証言したが、田上被告はこの発言を「真っ赤なうそ」と反論。男性について「歯科医師の事件などで警察から重大な関心を持たれていた人物。それを自分からそらすためにでたらめを言ったんだと思う」と話した。
 9月3日の第59回公判で(4)に関する野村被告への被告人質問があり、野村被告は襲撃について指示や命令を出したり、承諾したりしたことなどの関与は「ありません」と答え、歯科医師との面識も否定。2013年12月に市漁協組合長だった男性(当時70)が殺害された事件で知っていることがないかどうかも問われたが「一切ありません」と述べた。検察側から工藤会を解散する意向がないか問われると「私にはそういう権限はありません」と語り、田上被告に意見を述べるつもりもないとした。配下の組員が一般市民を襲撃したことについては「(被害者が)気の毒に思いますね」と述べた。
 2021年1月14日の論告で検察側は、工藤会には上意下達の厳格な組織性があると強調した。4事件は計画的、組織的に行われており「最上位者である野村被告の意思決定が工藤会の意思決定だった」と言及。田上被告については「野村被告とともに工藤会の首領を担い、相互に意思疎通して重要事項を決定していた」と位置付けた。
 元組合長事件は、北九州市の大型公共事業を巡って、元組合長らが工藤会の利権介入を拒んだことが背景にあり、「犯行は被害者一族を屈服させ、意のままにすることにあった」と説明。歯科医師は元組合長の孫で、漁協幹部の息子だったことから「見せしめとして襲撃した」と述べた。元警部事件では、長年の工藤会捜査に対する強い不満があったと主張。看護師事件では、野村被告が受けた下腹部手術に関する看護師の術後対応への怒りが原因だと示した。
 いずれの事件も両被告の出身母体である工藤会の2次団体「田中組」が組織的に関与し、トップに立つ野村被告が4事件の首謀者で「各犯行の際立った悪質性の元凶」と非難した。そのうえで、検察側は4事件の死者は1人ではあるが、被害者が一般市民であり「長きにわたり工藤会を率いて、危険性のある犯行を計画的、組織的に繰り返しており、人命軽視の姿勢は顕著」と指摘。「継続的かつ莫大な利益獲得をもくろんだ犯行である元組合長事件だけでも、首謀者として極刑の選択が相当」と説明。「反社会的な性格が強固で、反省、悔悟の情は一切見て取ることができない」と更生の可能性がない点も挙げ、他の3事件も踏まえ「極刑をもって臨まなければ社会正義を実現できない」と述べた。
 田上被告に対しても検察側は「野村被告と共に工藤会を統率する立場で、刑事責任は野村被告に次いで重い」と主張。元漁協組合長射殺事件と3事件との間に確定判決があるため、元漁協組合長射殺事件で無期懲役、他の3事件で無期懲役と罰金2千万円を別々に求刑した。
 3月11日の弁論で弁護側は、「(審理対象の市民襲撃)4事件とも直接証拠はなく、間接証拠から両被告の関与を推認できるかどうかが問題となる」と述べた。そして検察側の手法を「間接事実を強引に結びつけ、独善的な『推認』に終始している」と批判。(1)で検察側が立証の柱としたのは、元組合長の長男の「新証言」。事件前後、工藤会側から利権を求める圧力があったなどとする内容について弁護側は、事件から約半年後の取り調べで長男が同様の内容を話していないことに触れ、「新証言は後日に作られた虚構であるか、歪曲されている可能性も大きい」と主張。福岡県警による「壊滅作戦」の第1弾となった事件を「壊滅に追い込もうとする刑事政策的な判断で、強引に起訴した」と批判した。(4)でも、親族の男性が公判で田上被告が事件を示唆する発言をしていたなどと話したことが「検察側が、野村被告らの関与と共謀を証明できるとする唯一の証拠だ」と位置付けた上で「客観的な裏付けもなく、信用できない」と全否定した。そして両事件で検察側は背景に漁協利権があると主張するが、弁護側は合理的根拠を示していないなどと指摘し「利権に興味を抱いたことはない」と反論した。
 また弁護側は、総裁は名誉職で野村被告に権限はないと強調。(2)は両被告に動機につながるような「恨み」はなく、両被告は被害者と良好な関係にあり、信頼を壊す出来事もなかったとして「襲撃する動機がない」と述べた。(3)では、野村被告が抱いた不満は一時的なもので、野村被告が事件後に「あの人は刺されても仕方ない」と語った同僚の証言には矛盾点があり、信用できないと訴え「野村被告の愚痴を聞いた組員が、勝手に事件を考えた可能性がある」とした。
 同日の最終意見陳述で野村被告は「どの事件にも一切関わりはないし、指示も承諾もしてません」、田上被告も関与を否定した上で「裁判所にはまっすぐな目で、証拠に照らして的確な判断をお願いしたい」と述べた。
 11日で結審したが、検察側の弁論再開の申し立てを受け、3月31日に公判が開かれた。地裁は、所得税法違反罪での野村被告の実刑判決の確定記録を証拠採用し、改めて結審した。
 判決で足立裁判長はまず(1)について検討。両被告は、被害者らが持っていた利権に重大な関心を抱いていたと指摘。組織の上位者だった点も踏まえ、「(事件を)配下の組員が独断で行うことができるとは考えがたい。両被告の関与がなかったとは到底考えられない」として共謀を認めた。
 両被告の工藤会の立場において、対外的にも組織内においても、総裁の野村被告が最上位の扱いを受け、会長の田上被告がこれに続く序列が厳格に定められていたとした。そして重要な意思決定は、両被告が相互に意思疎通しながら、最終的には野村被告により行われていたとした。
 (2)については、工藤会にとって重大なリスクがあることは容易に想定できるので、組員が両被告に無断で起こすとは到底考えがたいとした。
 (3)については、野村被告以外に工藤会内で犯行動機がある者はいないことから、他の人物が野村被告に無断で犯行を実行した可能性はないとした。
 (4)については、田上被告は被害者の父親に対して工藤会との利権交際に応じるよう執拗に要求したが断られていたことから、田上被告が組員に犯行を実行させたと推認できるとした。そしてかねてから野村被告が関心を持っていた被害者一族の利権に関し、田上被告が野村被告の関与なしに実行の指示をするとは考えがたいとした。
 野村被告の量刑について、元漁協組合長を殺害した事件は極めて悪質と断じ、目的のために手段を選ばない卑劣で反社会的な発想に基づき、地域住民や社会一般に与えた衝撃は計り知れないと述べた。またその他の3事件も組織的・計画的な犯行で、人命軽視の姿勢は著しく、被告はいずれも首謀者として関与しており、極刑はやむを得ないとした。
 田上被告の量刑について、利欲的な動機で元漁協組合長射殺事件に関与し、刑事責任は野村被告にこそ及ばないものの、無期懲役となった実行役を下回らず、無期懲役刑が相当とした。その他の3事件においても野村被告と相通じて意思決定に関わり、不可欠で重要な役割を果たしたており、有期の懲役刑では軽過ぎるとした。しかし、検察官は元警部銃撃事件で経済的利益獲得に資するという目的も併せ持っていたという罰金刑もの主張については、飛躍があり、科すことはしないとした。
 閉廷が告げられるや、野村被告は足立裁判長に向かって「公正な判断をお願いしたんだけどねえ。東京の裁判官になったんだって?」と言い、田上被告が「ひどいなあんた、足立さん」と続ける場面があった。そして最後に野村被告が「生涯後悔するぞ」と言った。
 野村被告の弁護人は8月26日、報道陣の取材に応じ、野村被告が「脅しや報復の意図ではない。言葉が切り取られている」と説明していることを明らかにした。接見した弁護人によると、野村被告は発言の報道内容に驚き、「公正な裁判を要望していたのに、こんな判決を書くようじゃ、裁判長として職務上、『生涯、後悔するよ』という意味で言った」と話した。「私は無実です」と改めて訴えたという。

 控訴後の2022年7月、野村悟被告と田上不美夫被告は弁護人約10人全員を解任した。控訴趣意書を提出する期限が7月下旬に迫っている。新たな弁護士を選任し、再設定された提出期限の12月20日、控訴趣意書を福岡高裁に提出した。
備 考
 田上不美夫被告は2021年8月24日、福岡地裁で無期懲役+無期懲役判決(求刑無期懲役+無期懲役・罰金2,000万円)。被告側控訴中。
 指定暴力団の現役トップに死刑判決が言い渡されたのは初めて。
別 件
 2015年6月16日、2010~2013年の上納金の一部を個人の所得にしながら別人名義の口座に隠して所得税を脱税したとして、所得税法違反(過少申告)容疑で、野村悟被告、工藤会幹部のYM被告、工藤会系組長、工藤会系組員を再逮捕した。7月6日、野村被告とYM被告を起訴。7月9日、2014年の所得における脱税で二人を再逮捕。
 福岡国税局は、2008年以降の7年分の税務調査を実施。過去7年分の所得税計約5億5,000万円を納めなかったとして、12月、重加算税を含む計約8億円を追徴課税し、野村被告の口座から約8億円を差し押さえた。
 野村悟被告は最終的に、2010年~2014年、建設業者などからの上納金のうち、約8億990万円を個人の所得にしながら別人名義の口座に隠し、所得税3億2,067万円を脱税した所得税法違反に問われた。2018年7月18日、福岡地裁(足立勉裁判長)は野村被告に懲役3年、罰金8千万円判決(求刑懲役4年、罰金1億円)、YM被告に懲役2年6月(求刑懲役3年6月)を言い渡した。2020年2月4日、福岡高裁(野島秀夫裁判長)は両被告の控訴を棄却した。2021年2月16日付で最高裁第三小法廷(宮崎裕子裁判長)は、両被告の上告を棄却した。一・二審判決が確定した。
その他
 野村悟被告と田上不美夫被告が起訴された事件に関与した被告について、当方で判明分のみ記す。

 (1)の事件で実行役として殺人他の罪で起訴されたNK元被告は2006年5月12日、福岡地裁小倉支部(野島秀夫裁判長)で求刑通り一審無期懲役判決。2007年10月5日、福岡高裁(仲家暢彦裁判長)で被告側控訴棄却。2008年8月20日、最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で被告側上告棄却、確定。
 (1)の事件で犯行用の車の調達役と見届け役として殺人他の罪で起訴されたF元被告は2006年5月12日、福岡地裁小倉支部(野島秀夫裁判長)で一審懲役20年判決(求刑無期懲役)。2007年10月5日、福岡高裁(仲家暢彦裁判長)で検察・被告側控訴棄却。2008年8月20日、最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で被告側上告棄却、確定。
 (1)の事件で実行役として殺人他の罪で起訴されたNT元被告は2006年5月12日、福岡地裁小倉支部(野島秀夫裁判長)で一審無罪判決(求刑無期懲役)。NT元被告を実行犯とする供述については「証拠能力」がないと指摘した。そのため、判決ではもう一人の実行役は氏名不詳者とされた。控訴せず確定。

 (2)と(3)で実行役をバイクで送迎した他、2012年8月14日に暴力団員の入店を禁じる標章を掲げた店が入る同市のビルを放火しエレベータ1基を焼損させた事件について、組織犯罪処罰法違反(組織的殺人未遂)などの罪で起訴された工藤会系組員WK被告は2017年3月22日、福岡地裁(松藤和博裁判長)で懲役18年8月判決(求刑懲役20年)。12月18日、福岡高裁(野島秀夫裁判長)で被告側控訴棄却。2018年2月1日付で上告取り下げ、確定。

 (2)の事件を含む3つの市民襲撃事件に関与した他、2011年11月26日夜、北九州市で建設会社会長(当時72)が射殺された事件で被害者の行動確認を指示するなどして殺人や銃刀法違反、組織犯罪処罰法違反(組織的な殺人未遂)などの罪に問われた工藤会系組員MH被告は2021年3月17日、福岡地裁(神原浩裁判長)で懲役21年判決(求刑懲役25年)。2022年3月24日、福岡高裁(市川太志裁判長)で被告側控訴棄却。上告したかどうか不明。

 (2)の事件で被害者の行動監視に関与した他、事件の半年前に他人名義の携帯電話をだまし取り、組織犯罪処罰法違反(組織的な殺人未遂)などの罪に問われた工藤会系組員NS被告は2017年11月29日、福岡地裁(足立勉裁判長)で懲役6年判決(求刑懲役8年)。控訴せず確定。

 (2)(4)で実行役、(3)で送迎役として関与し、組織犯罪処罰法違反(組織的な殺人未遂)他の罪で起訴された組幹部のNY被告は2017年12月15日、福岡地裁(丸田顕裁判長)で懲役30年判決(求刑無期懲役)。2018年7月4日、福岡高裁(野島秀夫裁判長)で被告側控訴棄却。2019年1月4日付で上告取り下げ、確定。

 (3)に実行役として関与し、組織犯罪処罰法違反(組織的殺人未遂)の罪に問われた同会系組幹部OK被告は2018年10月30日、福岡地裁(足立勉裁判長)で懲役15年判決(求刑懲役18年)。2019年3月27日、福岡高裁(野島秀夫裁判長)で被告側控訴棄却。上告したかどうかは不明だが、すでに確定しているものと思われる。

 (3)の事件でバイクを用意したほか、2010年3月の北九州市小倉南区の自治会長宅銃撃、2011年2月の同市小倉北区の清水建設従業員銃撃、同年11月の同区の建設会社会長射殺に関与し、殺人や殺人未遂などの罪に問われた組幹部のIK被告は、2019年2月26日、福岡地裁(中田幹人裁判長)で懲役18年判決(求刑懲役20年)。2020年1月28日、福岡高裁(野島秀夫裁判長)で被告側控訴棄却。上告したかどうかは不明だが、すでに確定している。

 (3)に行動確認、(4)に指示伝達役として関与した他、2012年8月に暴排標章店が入るビル放火事件で実行役、同年9月にスナック経営女性とタクシー運転手刺傷事件で犯行使用車両の受け取りをしたとして、組織犯罪処罰法違反(組織的な殺人未遂)、非現住建造物等放火の罪に問われた同会系組幹部MK被告は2019年3月28日、福岡地裁(足立勉裁判長)で懲役23年判決(求刑懲役25年)。2020年6月25日、福岡高裁(半田靖史裁判長)で被告側控訴棄却。上告したかどうかは不明だが、すでに確定しているものと思われる。

 (3)に行動監視役として参加したほか、2012年9月に北九州市でタクシーで帰宅途中だった、暴力団の入店を禁じる「標章」を掲げたスナック経営の女性(当時35)や男性運転手(当時40)を包丁で切り付けて大けがを負わせたとして計4事件に関与し、組織犯罪処罰法違反(組織的殺人未遂)などの罪で起訴された組幹部のST被告は2020年1月27日、福岡地裁(足立勉裁判長)で懲役26年判決(求刑懲役30年)。2020年12月22日、福岡高裁(半田靖史裁判長)で被告側控訴棄却。上告したかどうかは不明。

 (2)(3)(4)で野村悟被告らの指揮命令の下、組員に実行を指示した他、2011年の建設会社会長殺人事件の実行犯、2012年に暴力団排除の標章を掲示した飲食店のビルが放火されたり、経営者らが襲撃されたりなどした3事件で関与し、殺人、組織犯罪処罰法違反(組織的な殺人未遂)他で起訴されたに問われた組幹部の中西正雄被告は2022年9月28日、福岡地裁(神原浩裁判長)で求刑通り一審無期懲役判決。被告側控訴中。

 (2)(3)(4)で野村悟被告らの指揮命令の下、組員に実行を指示した他、2012年に暴力団排除の標章を掲示した飲食店のビルが放火されたり、経営者らが襲撃されたりなどした3事件で組員に犯行を指示し、組織犯罪処罰法違反(組織的な殺人未遂)他で起訴された工藤会ナンバー3で理事長、出身母体となる同会最大の2次団体「田中組」の組長である菊地敬吾被告は2023年1月26日、福岡地裁(伊藤寛樹裁判長)で求刑通り一審無期懲役判決。被告側控訴中。


 野村悟被告と田上不美夫被告の裁判に関与した被告について、当方で判明分のみ記す。

 2019年12月上旬から2020年4月下旬ごろ、福岡地裁で審理中の野村悟被告、田上不美夫被告の公判に証人として出廷した男性に、複数回にわたって面会や電話で接触。「嫌われるようなことをあんたが言わんでもいい」「全てが台無しになった」などと言って脅したとして、2020年8月28日、福岡県警は組織犯罪処罰法違反(組織犯罪証人威迫)の容疑で、工藤会系組長SH被告を逮捕した。9月18日、福岡地検は証人威迫罪で起訴。2021年1月20日、福岡地裁(神原浩裁判長)で懲役1年、執行猶予3年判決(求刑懲役1年)。控訴せず確定か。

 2021年1月18日、田上被告の論告求刑公判後、会社経営の50代男性に、検察側が求刑した罰金の援助金名目で現金を要求したが、男性が応じず未遂に終わった事件で、福岡県警は2月2日、工藤会傘下組織幹部のMN被告を恐喝未遂などの容疑で逮捕した。2021年5月13日、福岡地裁小倉支部(佐藤洋介裁判官)で懲役1年6月、執行猶予3年判決(求刑懲役1年6月)。控訴せず確定か。
追 記
 (2)の被害者である元福岡県警警部は2017年8月25日、野村悟被告ら6人に、総額2,968万円の損害賠償を求め、福岡地裁に提訴した。2019年4月23日、福岡地裁(鈴木博裁判長)は野村被告ら4人に1,620万円の支払いを命じた。12月13日、福岡高裁(西井和徒裁判長)は被告側の控訴を棄却。2020年9月15日付で最高裁第三小法廷(林道晴裁判長)は被告側の上告を退け、一・二審判決が確定した。

 (1)の被害者の遺族は2017年8月25日、「損害賠償命令制度」を利用し、野村被告ら2人に総額7,800万円の支払いを求める申し立てをした。

 (4)の被害者は2018年2月26日、野村悟被告、田上不美夫被告、菊地敬吾被告、実行役のNY被告の計4人を相手に、慰謝料など総額約8,365万円の損害賠償を求め、福岡地裁に提訴した。2019年4月23日、福岡地裁(鈴木博裁判長)は3人に4,820万円の支払いを命じた。2020年2月10日、福岡高裁(西井和徒裁判長)で、野村被告側が金銭を支払う条件で3人との和解が成立した。被害者側弁護団は金額を明らかにしていない。NY元被告は訴訟代理人がいないため、弁論が分離された。

 特定抗争指定暴力団山口組(神戸市)は2021年9月1日、傘下組織の構成員に対し、公共の場で銃器を使用しないよう口頭で指示を出した。

 福岡県は、税優遇措置がある宗教法人の設立などを定める宗教法人法の第22条の法人役員の欠格事由に「暴力団員等」を追加▽解散命令の要件に「暴力団員等がその事業活動を支配するもの」-といった暴排規定を同法に盛り込む措置を考案した。兵庫県や宮城県、沖縄県など8件も賛同。2018年から毎年、福岡県の先導で内閣府に追加の要望を出しているが、内閣府は「ここ10年、宗教法人に暴力団が関与したような事例は聞いていない。現時点で制度改正による実効性は薄い」として応じていない。
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氏 名
山田広志
事件当時年齢
 42歳
犯行日時
 2017年3月1日
罪 状
 強盗殺人
事件名
 名古屋高齢夫婦強盗殺人事件
事件概要
 名古屋市の無職松井(旧姓)広志被告は2017年3月1日、帰宅途中に、近所に住む夫婦の妻(当時80)から「仕事もしていないのに良いご身分ね」と声をかけられたことに腹を立て、午後8時ごろ、夫婦宅に侵入。夫(当時83)と妻(当時80)の首を包丁で刺すなどして殺害。その後、1,227円が入った財布を奪った。
 松井被告は生活保護を受けて暮らしていたがギャンブル好きで、近所のスナックや飲食店で支払いを巡ってトラブルが生じていた。事件当日は、支給された生活保護費約8万円のうち約6万円をパチンコで使い果たしていた。
 2日午前8時ごろ、近所に住む女性が夫婦宅を訪れ、発見。松井被告は4日午後6時45分頃、捜査本部のある県警南署に1人で出頭。供述に基づき県警が松井被告のアパートを捜索したところ、財布などが見つかったため、翌5日午前0時20分ごろに緊急逮捕した。
一 審
 2019年3月8日 名古屋地裁 吉井隆平裁判長 無期懲役判決
 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
控訴審
 2020年1月9日 名古屋高裁 堀内満裁判長 一審破棄、差し戻し
 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
上告審
 2020年9月14日 最高裁第二小法廷 三浦守裁判長 被告側上告棄却、差し戻し確定
差し戻し一審
 2020年12月11日 鹿児島地裁 岩田光生裁判長 死刑判決
裁判焦点
 裁判員裁判。
 2019年2月5日の初公判で松井広志被告は、起訴内容について聞かれると、「弁護人に任せます」と話した。
 冒頭陳述で検察側は、松井被告は預貯金が425円しかなく、借金や飲食店のツケの支払いに困窮し、自宅アパートの大家や知人への借金返済のため、金があると思っていた顔見知りの夫婦を襲うことを計画、2人が殺害された結果は重大と述べた。
 弁護側は、松井被告は事件当日に妻から嫌みを言われたことに腹を立て、殺害目的で犯行に及んだとし、財布を持ち出そうと考えたのは殺害後だったとして殺人罪と窃盗罪を適用すべきと主張。事件当時は軽度の知的障害と精神障害の影響で心神耗弱状態だったとし、自首したことも挙げ「死刑を選択すべきではない」と主張した。  15日、3人の遺族が意見陳述。息子は「突然人生を閉じることになった両親のことを思うと、悲しみで胸が張り裂けそうです」と、極刑を求めた。
 同日の論告で検察側は、被告はパチンコで借金を抱えて金に困っており、2人の殺害直後に室内や車内を物色した形跡があることなどから強盗殺人罪が成立すると主張し、「金品を得るためなら人の命を犠牲にすることも顧みない態度」と批判した。完全責任能力を認めた上で、「あらかじめ包丁を準備するなど強固な殺意が認められ、真摯な反省の態度も見られない。落ち度のない2人を殺害する残虐な犯行で、最大限の非難が与えられるべき。罪責は誠に重大で動機に情状酌量の余地はなく、自首や軽度の知的障害を考慮しても極刑はやむを得ない」となどと述べた。
 同日の最終弁論で弁護側は、「殺害前に金品を奪う目的があった事情が立証されていない」として殺人罪と窃盗罪の適用を主張した。当時は心神耗弱状態で、自首による捜査進展を考慮すべきだとして、無期懲役が妥当と訴えた。
 松井被告は最終意見陳述で「大切な2人の命を奪ってしまい、誠に申し訳ありません」と述べた。
 判決で吉井隆平裁判長は、「金品目的なら広範囲を物色するのが自然なのに、バッグを物色、財布を持ち去るだけにとどめたのは不自然だ」と指摘。以前にも同様の状況があったとして「殺害してまで金品を奪おうと考えるほど追い詰められていたかは疑問だ」と述べた。さらに物色の範囲から見て、殺害後に金品を盗もうと思い立った可能性を否定できないとして、強盗殺人罪の成立を認めず、殺人と窃盗の罪を適用した。その上で「強固な殺意に基づく残忍な犯行」と批判しつつ、完全責任能力はあるものの知的障害の影響が見られる▽計画性が低い▽自首が成立する――ことを挙げ「死刑の選択が真にやむを得ないとまでは認められない」と結論づけた。

 2019年9月11日の控訴審初公判で、検察側は一審判決について「強盗が認められないことは事実誤認がある」として一審と同様、死刑を求めた。一方、弁護側は「被告人は犯行当時心神耗弱状態で無期懲役は重い」と主張した。
 10月25日の第2回公判で被告人質問が予定されていたが、松井被告は黙秘権行使を事前に伝え出廷もしなかったため、裁判所は被告人質問を取り消した。また遺族の意見陳述を採用せず、検察側の10点の証拠も却下した。公判は結審した。
 判決で堀内裁判長は、「物色範囲は強盗目的の有無を推論する事情として合理性があるとは言いがたい」と指摘。松井被告が夫婦の車を物色していたことなどを理由に、殺害後にとっさに盗んだのではなく当初から強盗目的だったと判断した。一審判決は「金品のために夫婦を殺害するほど金銭的に追い詰められていなかった」としたが、「一審判決は複数の事情を考慮する視点を欠いており、不合理だ。強盗殺人罪の成立を認めなかった一審判決には事実誤認がある」と述べた。そして「強盗目的を前提に、改めて裁判員を含む審理・評議を尽くすべきだ」と結論付けた。

 2020年9月14日、最高裁第二小法廷(三浦守裁判長)は被告側の上告を棄却する決定を出した。差し戻しが確定した。

 裁判員裁判。
 2023年1月30日の差し戻し審初公判で山田広志被告は、起訴内容について聞かれると、「弁護士にすべてお任せしています」と話した。
 検察側は冒頭陳述で、被告が犯行当日に受け取った生活保護費の大半をパチンコで費消し、「借金やツケの支払いを気にしていた」と知人や友人らへの借金の返済に困っていたと指摘。2人を殺害後に血の付いた手でトートバッグなどを物色し、さらに被害者の家の車庫にあった車なども物色していたとし「強盗目的はあった」とした。そして強盗殺人が成立するとしたうえで犯行後の行動が合理的であることなどから、責任能力があったと指摘し、「死刑を科すべきだ」と主張した。
 一方の弁護側は、帰宅途中に妻から「仕事もしていないのに良い身分ね」と声を掛けられ、被告は腹を立てたと主張。「『逃走するなら金が必要』と考え、金額も確認せず衝動的に持っていった。強盗殺人ではなく殺人と窃盗だ」と述べるとともに、被告には軽度の知的障害があり「自分で自分を止められず、場当たり的な犯行で、計画性もなかった」と訴えた。また弁護側は公判で、被告が昨年、末期がんを患って余命が短いと医師に宣告されたことを明らかにした。
 2月13日の公判で、意見陳述で被害者夫婦の長男と次男が出廷し長男は「両親は孫やひ孫の成長を楽しみにしていた。何の罪もない両親を殺害した被告人を一生恨む」「被告からは罪を犯した反省の気持ちが伝わってきません。被告の病気とこの事件は関係がありません。社会に与えた影響、世論の声を踏まえ、死刑宣告してほしい」と述べた。
 同日の論告で、検察側は「松井被告には当時、借金やスナックでのツケがあり金に困っていた」などと説明したうえで、「殺害直後に財布を持ち去り、犯行からわずか2時間後にはツケの支払いを行っている。これらは短時間の一連の出来事で、殺害の前後を通じて金を得る目的に対して一貫した合理的な行動をしていたことから、当初から強盗目的があったと大いに認めることができる」と指摘。「責任能力に影響を与える精神障害はなく、犯行の動機や状況からも完全責任能力を有していたといえる」「包丁や小刀で繰り返し被害者2人を繰り返し刺しており、執拗で残虐だ。強固な殺意があり、人命軽視の態度が甚だしい」と非難し、改めて強盗殺人罪を適用しての死刑を求刑した。また、「犯行後の事情で、がんだから刑を軽くするという合理的な根拠もない」として、酌むべき事情に当たらないとした。
 14日の最終弁論で、弁護側は「軽度の知的障害で、計画性のない犯行に影響」と主張したうえで、「当時金に困っておらず、強盗目的での犯行には疑問が残る」として、「殺人」と「窃盗」にとどまるとして改めて無期懲役の判決を求めた。
 最終意見陳述で山田被告は、「もし、かなうのであれば事件当時、その前に戻りたいです。それだけです」と述べた。
 判決で森島聡裁判長は、被告は毎月知人らに借金をし、生活保護費で返済するなど経済的に困窮しており、殺害後直ちに夫婦宅を物色していた点を重視。「被害者の殺害直後に手に血が付いた状態で、金品を探すためにバッグを物色している。借金のことが念頭にあり、犯行後すぐに飲食店でツケを支払っている」などと指摘し、「殺害時点で強盗目的があった」として強盗殺人罪を適用した。また、「タクシー運転手などの職歴があり、完全責任能力がある。軽度知的障害の影響があるとしても限定的」と完全責任能力を認めた。 その上で被害者の首を何度も刺し、包丁が折れた後にはその場にあった小刀で攻撃を続けていることを認め、「殺害の態様は執拗かつ残虐で、強い殺意が表れている。落ち度のない2人の生命が奪われた結果は極めて重大だ。生活保護費の大半をパチンコに費消するなど自業自得で酌むべき事情はない」と非難した。2022年に診断された末期の膵臓がんについても「犯行後のことで刑を減軽する事情にならない」と判断。「死刑の選択はやむを得ない」と結論付けた。

 弁護側は即日控訴した。
備 考
 旧姓松井。2021年9月、水海浩二(旧姓山田)死刑囚の養子となった。
 松井被告は2022年2月下旬、すい臓がんと判明。がんは肝臓にも転移しており、医師からは「すい臓がんでステージ4の末期。手術や放射線治療は不可能。5年後の生存率は数%」と告げられたという。松井被告は1年以上前から、血液検査の悪化や体調不良を名古屋拘置所内の医官に訴えていたが「外部の医療機関での診察や精密検査を受けさせてもらえなかった」と訴えている。
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