佐々木嘉信『刑事一代―平塚八兵衛の昭和事件史』 (新潮文庫)


発行:2004.12.1



 捜査は、ホシとデカの命がけのぶつかり合いだ――警視庁捜査一課勤務30年の名刑事・平塚八兵衛が、昭和史に残る大事件の捜査現場を語る。地を這うような徹底捜査で誘拐犯・小原保を自供へ追い込んだ吉展ちゃん事件から、帝銀事件、下山事件、そして未解決に終わった三億円事件まで、貴重な証言が満載。事件捜査の最前線に立ちつづけた男の言葉からは、熱すぎるほどの刑事魂が迸る。(粗筋紹介より引用)

【目次】
吉展ちゃん事件
帝銀事件
小平事件
スチュワーデス事件
下山事件
カクタホテル殺人事件
三億円事件(佐々木嘉信・北井良彦共同執筆)

 現場第一主義を掲げ、徹底捜査で犯人を洗い出してきた平塚が様々な事件を語っている。平塚が掲げたのは徹底した現場主義。自らの足で事件が起きた現場や容疑者の周辺などをとことんまで捜査する姿は、今の警察からは感じられない執念とプロ意識、そして刑事魂が見えてくる。特に吉展ちゃん誘拐殺人事件における地道な捜査によって見つけ出した証言の矛盾追求から自供に追い込むまでの下り、そしてカクタホテル事件における刑事としての勘を大事にした犯人捜査の下りは、まさに名刑事と言ってふさわしい活躍ぶりである。
 ただし、刑事としての勘や見込みを重視するあまり、無実の人間を有罪まで追い込んでしまったのでは、という疑念も生じてきた。帝銀事件で犯人逮捕に至る唯一の物証ともいえる名刺を元に、平沢貞道を逮捕まで追い込んだのは平塚である。とはいえ、平塚も物証を大事にする刑事のようだったから、そこまで無茶なことはしなかったと思いたい。
 平塚八兵衛は1943年に警視庁捜査一課勤務を命じられて以来32年間、捜査一課の刑事一筋に勤め上げ、巡査から巡査部長、警部補、警部、警視と無試験で昇進。帝銀事件解決で警察功労賞を、吉展ちゃん事件解決で警察功績賞を受賞。在職中に両賞を受けたのは、警察史上平塚のみであった。
 平塚は三億円事件の捜査本部キャップを最後に1975年3月で引退。手がけた事件は殺人事件だけで124件にのぼる。「落としの八兵衛」「ケンカ八兵衛」「オニの八兵衛」との異名をとった。退職から4年後の1979年10月30日、膵臓ガンのために死亡。66歳没。

 本書はサンケイ新聞に連載され、1975年に日新報道出版部より刊行された『刑事一代』に、同年産経新聞紙上で連載された「三億円事件 平塚八兵衛聞き書き」を加えて再編集、文庫化したものである。作者の佐々木嘉信は産経新聞の記者である。

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