免田栄 『死刑囚の告白』
(イースト・プレス)


発行:1994.7.1



 1948年12月30日午前3時半頃、熊本県人吉市で祈祷師一家が鉈でめった打ちにされ、現金が盗まれているのを、夜警見回りから帰ってきた次男が発見した。祈祷師夫婦(76、52)が死亡、長女(14)、次女(12)が重傷を負った。1949年1月13日午後9時過ぎ、免田栄さん(23)が球磨郡の知人宅から連行され、翌日別件の窃盗事件で緊急逮捕された。不眠不休、拷問といった執拗な取り調べの末、16日に強盗殺人で再逮捕。その翌日から自白調書が作られた。4月14日の第3回公判から全面無罪を訴えるも、1950年3月23日、熊本八代支部で一審死刑判決。1951年3月19日、福岡高裁で被告側控訴棄却。1952年1月5日、最高裁で上告が棄却、死刑が確定。
 1952年6月10日、福岡高裁へ初めての再審請求。1956年8月10日、第3次再審請求をした熊本地裁八代支部で再審開始決定(西辻決定)。しかし即時抗告により1959年4月15日、福岡高裁は決定を取り消し、再審請求を棄却した。
 1972年4月17日、熊本地裁八代支部に第6次再審請求。1976年4月30日、地裁は請求を棄却するも、1979年9月27日、福岡高裁は再審開始を決定。1980年12月11日、最高裁は検察側の特別抗告を棄却し、再審開始が確定した。
 1981年5月15日、熊本地裁八代支部で再審第1回公判。1983年7月15日、地裁は事件当日のアリバイを認定するとともに自白調書に信用性がないとしたことから、強盗殺人について無罪を言い渡した(別件の窃盗事件については懲役6ヶ月、執行猶予1年が言い渡されている)。免田死刑囚は34年ぶりに釈放された。検察側は控訴を断念し、無罪判決は確定した。死刑確定囚の再審無罪は初めて。

 いわゆる『免田事件』の免田栄氏が、事件の逮捕から再審無罪、そしてその後の誹謗中傷の数々などを赤裸々に語ったもの。戦後混乱時期における警察の取り調べの横暴さ(これは、現代でも変わらないところがあるというのが情けない)、金儲けだけの刑事弁護士、実際の死刑の恐怖、さらに再審無罪確定後の誹謗中傷。いかに人が弱者に対して厳しいかが分かる。さらに、あさましくも人の静止を金儲けにたくらもうとする人たちがいることも。
 実際に体験したからこそ書ける、貴重な手記。我々は、こういう人たちが居たことを、冤罪を訴えたまま死刑台に登ったものが居ることを、獄中で死んだものがいたことを、そしてまだ冤罪を訴えている人がいることを忘れてはいけない。
 他にも、『免田栄獄中記』(社会思想社)があるので、そちらも読まれることをお薦めしたい。

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