無実の「死刑囚」連絡会議編 『無実を叫ぶ死刑囚たち』(三一書房)


発行:1979.2.28



 すべての抵抗運動の中で、もっとも苦難にみちたものは死刑確定囚の救援運動である。明治以来の歴史をたどってみても、死刑確定囚を再審で救出した例はただの一度もない。わずかに私たちが血みどろになってから得た西郷法務大臣言明の恩赦適用による占領下の死刑囚が恩赦になった例が三件あるだけである。
 これでさえも、外に出られたのは、わずかに拘禁精神病の山本宏子だけで、山崎小太郎は高齢と病気ということで、再三、私が国会を通して要求して猛運動をくり返したが、獄死してしまった。
 石井健次郎は、昭和五十年に刑一等を減じられたが、あと十年たたなければ仮釈放の申請ができないという壁があるために、いまだに獄中にいる。
 この三人をのぞいては、強盗殺人の死刑囚の立場を変更させた者は過去に一件もない。ということは、彼らは毎日いつ絞首台にのぼらなければならないかわからないという極限状態の連続の中に立っており、法律的には、全くこれをおさえる道はないということである。
 元来、再審にも、恩赦請求にも、死刑執行をおさえる法律的力は存在しない。ただ、慣例として再審・恩赦請求を出している間は、人道的立場から死刑執行をしないようにするという方針があるだけである。現実には、藤本松夫の場合のように、再審棄却前に、大臣が執行の印をおし、再審棄却後ただちに、死刑を強行したという例さえある。
 李少年の場合には、恩赦の請願が出されていたが、関係者は李少年に、再審請求をすすめ、李少年もその気になっていたという。その先手を打つように大臣の秘書官が恩赦の審議をしている中央更生保護審査会へかけこんで、「李少年をやる事になったので、恩赦の請願は棄却してくれ」と伝えてきたという。これは当時委員になったばかりの作家尾崎士郎氏から直接聞いた話である。
 尾崎さんは「人道も何もありはしない。まったくひどいもんだなあ」と語っていた。
 死刑執行にも人種的な差別と政治的圧力がかかるのである。
(中略)
 人権運動を行う者一人ひとりが、真剣に取組んでいるかぎり、人権を阻む傷害のいくつかは取り除くことができる。いやそのための道筋はつけられる。その意味で一人ひとりが血に染った足で歩き続けるべき道である。輝かしいゴールは決して約束されてはいない。しかし、棘の道であるからこそ、傷つきながら自分の身をいけにえにして先に進まなければならないのだ。権力悪の厚い壁はやがてわれわれの体当りの前に亀裂を生じる、そのはてに真の人間解放の展望を開くであろう。すでに三人の死刑囚が恩赦になった。この壁から、さらに多くの罪なき死刑囚が、解放される日を迎えるであろう。決して絶望の道ではないのだ。
 志ある者が力を合わせて一つの目標に向かってつき進むという行為の中に歴史は書きかえられて行く。その意味で、各救援運動者が力を合わせて書いたこの書が発刊される事は、大変意義深いものがある。
 この書こそ未来の歴史に人権の道を開く扉ともなり、門ともなるであろう。

(「序」森川哲郎より)



【目 次】
第一部 無実の死刑囚と事件―帝銀・牟礼・島田・波崎事件―
 ■帝銀事件――――――――平沢貞道氏を救う会
 ■牟礼事件――――――――東京牟礼事件佐藤さんを守る会
 ■島田事件――――――――島田事件対策協議会
 ■波崎事件――――――――民権人権確立委員会
第二部 無実の死刑囚と冤罪
 ■その他の死刑囚事件―――高杉晋吾
   (松山事件、財田川事件、名張毒ぶどう酒事件、免田事件)
 ■冤罪の構造―――――――水戸巌
 ■人権の闘い―――――――檜山義介



 無実の死刑囚たち及び事件を紹介した一冊。1978年発行であり、今ではすでに無罪となった死刑囚もいるので、今読んでも特に得られるものはない。それでも事件の概要と問題点、冤罪を叫んで支援した人々の苦労を知るにはそれなりに価値があるかもしれない。
 まだ死刑囚と無実という言葉が結びつかなかった時代に出版された一冊ということで、覚えておいてもいい本ではある。
 事件はいずれも有名なものばかりなので、概要は別のコーナーを参照してもらいたいし、検索してもほとんどがひっかかるだろう。
 なお、帝銀事件、牟礼事件、波崎事件は再審が開かれることなく獄死したこと、島田事件、松山事件、財田川事件、免田事件は再審無罪が確定したこと、そして名張毒ぶどう酒事件は再審を開始する決定が2005年に出されたが、2006年12月に取り消され、現在は特別抗告中であることは付記しておくべき事であろう。

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