倉知淳『壺中の天国』(角川書店)

 観光客とは全く無縁の静かな地方都市である稲岡市。そこで起きる連続通り魔殺人事件。女子高生、家事手伝い、主婦など、接点は何もない。そして殺人後に必ず届く犯人からの怪文書。大宇宙、電波などと訳の分からない文書に意味はあるのか。犯人は誰か。被害者たちを結ぶミッシング・リンクは何か。
 主人公はシングルマザーでクリーニング屋に勤める牧村知子。娘で10歳の実歩、そして知子の父の嘉臣の三人家族。父親がいないことを除けば、ごく普通の家庭である。稲岡市で連続殺人事件が起こるが、彼女の家族の周りで起こるわけではない。知子の家でかつて下宿していた水嶋則夫がたまたま事件の担当になったことから、嘉臣と犯人について色々と推理するが、結局は警察の情報という一歩進んだ部分があるだけで、普通の家庭での犯人当てと変わらないレベルの推理でしかない。しかし、身近で起これば当然自衛策を講じる。学校の集団登校、女性の夜の一人歩きの自粛、町内会有志による夜の見回りなど。実歩の算数塾通いも、そして絵画の教室通いも当然禁止。塾はともかく、絵画の方は楽しみにしていた実歩もふくれる始末。この事件、一体どういう結末を迎えるのか?

 ミッシング・リンクをテーマとしているが、家庭諧謔探偵小説と謳われているように、ユーモア小説なのである。どこの家庭でも連続殺人事件を新聞で読み、玉石混淆な情報がテレビや雑誌から垂れ流されると、無責任な犯人当てを行うであろう。たまたま警察の情報が手に入ってくるとはいえ、知子の家での嘉臣と水嶋の会話も、その程度のレベルなのである。だからこそ家庭諧謔探偵小説なのであろう。最後にこそ、推理、解決、犯人逮捕があるが、正直なことを言うと、「ワン・オブ・ゼム」な推理でしかない。確かに「意外な」共通点ではあるが、それを見破る人は皆無であろう。確かに推理する条件は書かれているものの、やはりアバウトすぎる。『星降り山荘の殺人』や「猫丸シリーズ」のようなミステリを期待していた人から見たら、かなりの肩すかしを食らった気分になるだろう。
 この作品は「探偵小説」の形を取った「家族小説」ではないのだろうかと思う。子供や父との交流。知り合いと晩酌をしながら今の政治、教育などについて苦言を言う夕食。子供同士の秘密の計画。どこの家庭でも見られるような場面である。そして倉知淳が書きたかったのはやはり「壺中の天」の故事であり、絵画教室という名の「壺中の天国」だったのではないだろうか。そして誰もが「壺中の天」を持っているということを。
 倉知らしいユーモア溢れる小説ではあるが、「探偵小説」という部分ではかなり低くなる。それを補うのが「家庭諧謔」の部分であろう。「家庭諧謔探偵小説」の名にふさわしい作品ではある。ただ、それが倉知淳の新作を待ち望んでいたファンにとって、受け入れられるかどうかといえば、やはり否定的にならざるを得ない。我々は倉知淳に対して一つの固定的なイメージを持ちすぎていたのかも知れない。それをぶち破ろうとして、この小説は書かれた。そんな気がしてならない。




山田正紀『ミステリ・オペラ―宿命城殺人事件』(早川書房)

 昭和13年の満州と平成元年の東京。50年の時空を隔てて、それぞれの時代で起きる奇怪な事件。本格推理の様々なガジェットを投入した壮大な構想の全体ミステリ。(粗筋紹介より引用)

 物語としては凄い構想力だと思うけれど、本格ミステリとしてみたら詰め込みすぎたドカ弁。本格部分はどこへ行ったと言いたくなるぐらい、物語の迫力にかき消されてしまっている。個人的な意見だが、現代の事件は不要。過去の事件だけで十分面白い本格ミステリに仕上がったと思う。




乙一『GOTH リストカット事件』(角川書店)

 GOTH……人間の暗黒面に惹かれる者たちのことを指す。“僕”がそうだし、クラスメイトの森野夜もそうだ。しかし、“僕”と森野は少し違う……。
 “僕”と森野が遭遇する、6つの事件。「暗黒系」「リストカット事件」「犬」「記憶」「土」「声」を収録。単行本の想定は秀逸。是非ともカバーを外してみてほしい。

 混沌とした平成の時代が生み出した登場人物であり、かつ物語だろう。人の心にひたひたと忍び寄り、じわじわと恐怖を染み込ませる。不気味。登場人物の思考は、私には全く理解できないところがあるが、それでも行動に納得してしまうものがここにはある。作者の実力を存分に見せた一冊だろう。若き天才作家の才能が花開いた一冊である。

 ただ、これをホラー、もしくはサスペンスと評価するのはわかるのだが、どうしてこれが本格ミステリにカテゴライズされるのだろう。
 主人公が罠を仕掛けたり、登場人物が予期せぬことに引っかかったりするところはあるが、謎を論理的に解き明かす物語にせいぜい当てはまるのは「記憶」ぐらいじゃないか。これを本格ミステリ対象に推薦した人、投票した人の本格ミステリ観を聞いてみたい。




笠井潔『オイディプス症候群』(光文社)

 とにかく疲れた。エンターテイメントのかけらもない。重大なところがフェアでない。いつ殺されるかわからない場所で哲学論議をするとは優雅なもんだ。構成そのものがシンプルなのに、なんでこんなにページが必要なんだろう。ニコライ・イリイチって、とても薄っぺらい悪役にしか見えてこないぞ。矢吹駆ってただの解説者じゃないか。
 文句しか出てこないミステリでした。これが本格ミステリ大賞の候補に挙がっら本気で怒るぞ、私は。ミステリに哲学など求めておらん。笠井潔の、ただの自己満足じゃないか。
 だけど第3回本格ミステリ大賞を取っちゃったんだよね。溜息。←2003年5月付記。



笠井潔『探偵小説序説』(光文社)

 探偵小説の構造を10項目の構成要素に分解して論じ、「高度に形式化した探偵小説のパターン」の意味を解明する。また、19世紀的な文学主義者やポストモダニズム批評家らの皮相極まりない探偵小説批判を土台から覆す。(「MARC」データベースより引用)
 『EQ』1993年1月号〜1995年7月号に連載された「探偵小説の構造」と、『シコウシテ』(白地社)、『オルガン』(現代書館)に掲載された評論を「付論 現象学的小説論へ」改題して収録。2002年3月、刊行。

 作者が言うには、「探偵小説の構造」は原理的な考察であり、『探偵小説論』に先行する位置にあるそうだ。探偵小説の構造を「世界」「役柄」「群衆」「動機」「探偵」「推理」「物語」「読者」「象徴」「叙述」に分けて論じることにより、「高度に形式化した探偵小説のパターン」の意味を解明したのが本書である。
 つまらない「大量死論」に囚われた『探偵小説論』と比べると、探偵小説というものに対する笠井潔の考え方がストレートに伝わってきて、読むことができる評論には仕上がっている。笠井の理論が正しいかどうかは別問題としてだが。
 「序説」とは銘打たれているが、『探偵小説論』とは関連がありながらも別個のものとして捉えた方がよさそうだ。




歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』(文藝春秋 本格ミステリ・マスターズ)

 ある時はガードマン、ある時はパソコン教室の講師、たまにはテレビドラマのエキストラ。自称「何でもやってやろう屋」の成瀬将虎は、フィットネスクラブの会員同士である久高愛子より依頼を受けた。「おじいさんは轢き殺された」。今は隠居の身である久高隆一郎は、霊感商法をやっている蓬莱倶楽部に引っかかり、健康食品や羽根布団、黄金の観音像などに五千万円はつぎ込んでいた。しかも車にひき逃げされて死んだあと、複数の保険会社から妙な電話がかかってきた。聞いたことのない会社を受取人にした死亡保険金が掛けられていると。しかもその会社は架空の会社だった。隆一郎は蓬莱倶楽部に殺されたにちがいないが、警察は動いていないし、そのことを警察に話すのは躊躇われる。そのため、成瀬に蓬莱倶楽部を調査してほしいとのことだった。探偵会社に半年ほど働いていた経験のある成瀬は、その依頼を受けることにした。駅で自殺しようとしていた麻宮さくらとの付き合いを深めながらも、蓬莱倶楽部の実態を探り出そうとするが。

 読み始めたときから、どうも奇妙な違和感があって、物語そのものは面白いが今ひとつのれなかった。そうしたら途中で探偵時代の描写が古くさいことと、年齢に関する記述が全然ないことに気付いたので、もしかしたらと思ったらやはりそうだった。
 だけどね、自分のことなのに「妻用」とか言うかな。それに主人公も相手のことを名前で呼んでいるのに、わざわざ「奥さん」なんて一箇所だけとってつけたようには言うのはおかしい。アンフェアではないけれど、細かいところで矛盾が生じているんだよね。だけど拍手喝采してもいいと思うよ、テクニックだけは。タイトルの付け方はとてもうまいと思った。
 仕掛けが見えても楽しい作品だけど、傑作とはとても思えない。テクニックは抜群だけど、そこ止まり。最後で騙されたと思っても、そんなに驚愕するほどではないんだよね。結局ふーんという程度で終わってしまう。力を入れて書いたほどの効果は得られなかった作品である。




千街晶之『水面の星座 水底の宝石』(光文社)

「本書では、理性と論理が白昼の陽光のように支配権を握っている(と思われている)ミステリというジャンルに内在する、夜闇のような<歪み>の要素を、思いつくままに掬いあげて指摘し、そこから逆にミステリの隠れた魅力を再確認してみようと思う。
 まえがきにあるこの言葉が、この一冊の全てである。ただ付け加えるとしたら、ここで語っている“ミステリ”の多くは、“本格ミステリ”を指しているものと思われるが、本書で取り上げられている作品にはサスペンスなども含まれているのでなんとも難しい。ただここでいう“ミステリ”の中に、冒険小説、ホラーなどは含まれていないだろう。この文章では、私もそれに倣うことにする。
 名探偵や語り手などの登場人物、密室などのトリック、見立て殺人などの趣向。ミステリに登場する様々な要素の深化を辿ることにより、ミステリという論理的な世界に潜む歪みの変容、変質を浮かび上がらせている。各章で数多くの作品の真相・解決などを書いている。全ての作品を読んでいる人は滅多にいないだろうと思うので、ネタばらしが気に掛かる人は難しいかもしれないが、ぜひとも読んでもらいたいと思う。これだけの作品数を並べられると、かえって忘れてしまうものである。
 作者がまえがきに書いているように、「謎が解かれることで逆に恐怖が生じ、論理を徹底させることでかえって幻想が生まれるような、胡散臭くも逆説的な世界」というのがほんとうのミステリの貌だろう。ミステリの魅力は、数学の公式のような論理だけではない。だからこそ、ミステリの中に<歪み>が生じているのだろうし、それが読者を惑わせ、虜にさせるのだろう。そういう視点で捉えた一冊として、貴重な一冊ともいえる。
 さて、これはどういう風にジャンル分けをすればよいのだろう。作者自身が書いているとおり、評論とするには少々首を傾げる。乱歩がトリックを包括的に語ってきたのに対し、本書は一トリック、もしくは一仕掛けを深化させながら語っている。徒然なるままに書いている気もするし、だけど狙い通りに書いていると思う。ただ一ついえるのは、これはとても面白いミステリエッセイであるし、刺激的なミステリ論(ああ、書いてしまった)集である。ある意味タブーともいえるネタばらしを数多く並べることによって、かえって面白い一冊が仕上がるのだから、皮肉といえば皮肉かもしれない。2003年11月出版だけど、2004年度の収穫。




法月綸太郎『生首に聞いてみろ』(角川書店)

 著名な彫刻家・川島伊作が病死した。彼が倒れる直前に完成させた、娘の江知佳をモデルにした石膏像の首が切り取られ、持ち去られてしまう。悪質ないたずらなのか、それとも江知佳への殺人予告か。三転四転する謎に迫る名探偵・法月綸太郎の推理の行方は――!? 幾重にも絡んだ悲劇の幕が、いま、開く!!(帯より引用)
 構想15年、前作長編より10年。待望の新作長編。

 久しぶりの法月作品だが、待っただけの甲斐はあったといえる。元々法月綸太郎が持っていたハードボイルドの資質を存分に発揮した一作といえる。もちろん、本格ミステリとしての完成度も高い。なぜ石膏像の首が切り取られたのかという所から始まる謎への推理は、注意深く張り巡らされた伏線に驚嘆しながら、すれっからしのファンをも満足させるだろう。
 ただ、完成度が高い分物足りなさを覚えたのも事実である。法月綸太郎の初期長編の魅力といえば、暴走する推理にあったと思う。その推理と、ハードボイルド的家族間の悲劇と痛みが、そして探偵法月が時には感情的に空回りしながらも走り続けていくその姿こそが、作者の面白さだっただろう。本作は完成度が高いが、あまりにもソツがないと言い換えることができる作品かもしれない。ハードボイルド慣れした読者なら、犯人が分かった時点(それも早い時点)で、エピローグまで容易に想像つくだろう。そのせいか、本来伝わるべき登場人物の痛みが、どうも空々しく感じてしまう。
 完成度は高いのだが、個人的には不満の残る作品といえる。作者に求めているものとはちょっと違った、もどかしさが残るというか。十年以上も待って、出来上がったものが期待とは別のものだったという一点が、こんな思いにさせるのかも知れない。

 どうでもいいが、作中の法月綸太郎に“名探偵”という代名詞は似合わないな。ハードボイルドの探偵たちに名探偵という言葉が似合わないように、法月にもその言葉は似合わない。短編と長編の法月像にギャップがあるのは少々問題ではないだろうか。




天城一/日下三蔵編『天城一の密室犯罪学教程』(日本評論社)

 1947年、雑誌「宝石」に短編「不思議の国の犯罪」でデビュー。アンソロジーや私家版でしか読むことのできなかった作家、天城一初の作品集。摩耶正シリーズ全短編や島崎警部補シリーズを収録。収録作品は以下。
PART1 密室犯罪学教程 実践編
「星の時間の殺人」「村のUFO」「夏炎」「遠雷」「火の島の花」「朝凪の悲歌」「怨みが浦」「むだ騒ぎ」「影の影」「夏の時代の犯罪」
PART2 密室犯罪学教程 理論編
「献詞」「序説」「第1講 抜け穴密室」「第2講 機械密室」「第3講 事故/自殺/密室」「第4講 内出血密室」「第5講 時間差密室(+)」「第6講 時間差密室(−)」「第7講 逆密室(+)」「第8講 逆密室(−)」「第9講 超純密室」「終講 むすび」
PART3 毒草/摩耶の場合
「不思議の国の犯罪」「鬼面の犯罪」「奇蹟の犯罪」「高天原の犯罪」「夢の中の犯罪」「明日のための犯罪」「盗まれた手紙」「ポツダム犯罪」「黒幕・十時に死す」「冬の時代の犯罪」

 昨今の復刻ブームというか、戦前・戦後の忘れられた作家を纏めるブームがあったからこそ、この作品集も出版されたのだろう。それともう一つ、インターネットがここまで普及しなければ、この作品集が出ることはなかったに違いない。インターネットの普及は、様々な情報を瞬く間に伝播することを可能にした。天城一というマイナー作家の初作品集が日本評論社というミステリを取り扱っていない出版社から出るという話など、インターネットがなかったらここまで広がらず、売れることはなかっただろう。いや、インターネットがなかったら出版すらなかったかもしれない。
 各種ランキングで上位に入っている本作品集だが、ご祝儀票という意味合いが強いように思われる。確かに純粋本格ミステリといえる作品の数々だが、エンターテイメントの要素は全くといっていいほどない。削り取ることのできる文章は徹底的に削り取っている。削り取りすぎて、何を言いたいのかわからない作品が多いくらいだ。論理パズルとして楽しもうにも、問題そのものすらわけがわからない。そんな作品でも出版物として世に出ることができ、ランキングで取り上げられているのだから、ミステリ読者が持ち合わせているキャパシティは昔と比べて格段に広くなっているのだろう。
 私にはさっぱり理解できない作品が多い。ミステリは、というより小説という商業出版物そのものがエンタテイメントだと思っているので、この手の作品は受け付けないといった方が正しいかもしれない。それでも出版されたこと自体は歓迎するし、密室犯罪学教程が読めただけでもよかったと思う。




東野圭吾『容疑者Xの献身』(文藝春秋)

 かつてはホステス、今は弁当屋の店員をしている靖子は、中学生の娘・美里と二人で静かに暮らしていた。そこへ訪れたかつての夫で疫病神、富樫慎二。家まで押し掛けてきての態度に怯えた美里は花瓶で富樫の頭を殴りつける。逆上した富樫は美里に襲いかかり、危険を感じた靖子は炬燵のコードで富樫の首を絞めて殺してしまう。我に返ったところで現れたのは、隣に住む高校数学教師の石神。靖子に好意を持っていた石神は、彼女たちを救うため、策を立てる。
 数日後、顔と指紋を焼かれた死体が見つかった。身元判明までに時間がかかるかと思われたが、燃やしきれなかった衣服などから死体は富樫とわかり、警察は元妻である靖子のところへ訪れた。美里と映画、カラオケに行っていたとアリバイを答える靖子。捜査陣は靖子が犯人ではないかと疑うが、決め手は見つからない。
 捜査に加わっていた刑事の草薙から、大学の同期である石岡の存在を知った湯川は石岡の元を訪れ、50年に1人の逸材を呼ばれた彼の頭脳がいささかも衰えていなかったことを知る。
 石神がもくろんだ完全犯罪に、探偵ガリレオと呼ばれた物理学者湯川が挑む。
 「オール讀物」2003年6月号〜2005年1月号に掲載。

 数ヶ月前に読了していたのだが、例の騒動が起きたので読み返しているうちに、何となく感想を書く時期を逸していた。今更ではあるが、簡単に感想を。
 倒叙形式を用いた、本格ミステリの傑作。伏線もしっかり張ってあるし、手がかりも読者の目の前に表示されている。無理な飛躍をすることなく、提示されたデータで犯人のトリックまでたどり着くことも可能。これだけ書かれてあって、本格ミステリでないと書く方が不思議だ。
 シンプルなトリックでも、見せ方によってはまだまだ驚きを与えてくれるいい見本。難解なトリックを用いるのも本格ミステリの魅力だが、見せ方が悪ければ退屈になる。見せ方さえよければ、昔のトリックでも驚愕の結末を与えることは可能であるし、面白い作品に仕上がる。
 主人公の示す恋愛の形というのも、まあ有りかな。
 色々と絶賛されたり、非難されていたりするから、今更書いてもという気がするので、これ以上はパス。




北村薫『ニッポン硬貨の謎 エラリー・クイーン最後の事件』(創元推理文庫)

 一九七七年、ミステリ作家にして名探偵エラリー・クイーンが出版社の招きで来日、公式日程をこなすかたわら、東京に発生していた幼児連続殺害事件に関心を持つ。同じ頃アルバイト先の書店で五十円玉二十枚を「千円札に両替してくれ」と頼む男に遭遇していた小町奈々子は、ファンの集いで『シャム双子の謎』論を披露、クイーン氏の知遇を得て都内観光のガイドをすることになった。出かけた動物園で幼児誘拐の現場に行き合わせるや、エラリーは先の事件との関連を指摘し……。敬愛してやまない本格の巨匠クイーンの遺稿を翻訳したという体裁で書かれる、華麗なるパスティーシュの世界。(粗筋紹介より引用)
 『ミステリーズ!』2003〜2005年、連載。2005年6月、単行本化。2006年、第6回本格ミステリ大賞評論・研究部門受賞。2009年4月、文庫化。

 クイーン来日時(これは事実)に遭遇した事件を書いた、クイーンの未発表原稿「ニッポン硬貨の謎」を北村薫が訳した、という形のパスティーシュ。若竹七海が実際に遭遇したという「五十円玉二十枚の謎」の真相も合わせ、さらにクイーン論も含めた、という見所満載の作品。
 本格ミステリ大賞の小説部門ではなく評論・研究部門を受賞した、というあたりで察せられるが、作中で小町奈々子(若竹七海を模した人物)がクイーンに語る、『シャム双子の謎』からのクイーン論が秀逸、らしい。らしい、と書いたのは、私がクイーンに思い入れが全くないから。クイーンの国名シリーズが好きな人なら驚きの声を上げるところだろうが、興味がない人から見たら、ただつまらないだけ。もう少し物語に溶け込んでいればまだしも、単に議論を交わす、というだけじゃあ、物語のテンポを削いでいるとしか言いようがない。本格ミステリファンでも、クイーンの国名シリーズや後期作品を読んでいる人でないと受け入れられないだろうなあ。
 クイーン論だけでなく、文体もクイーン風、しかも前期と後期を織り交ぜると言った、北村薫ならではの凝ったパスティーシュではあるが、多すぎる脚注ははっきり言って読みづらい。これも物語のテンポを乱している。
 幼児連続殺害事件や、五十円玉二十枚の両替の謎についてはまあまあ面白かったが、長編を支える題材としてはちょっと厳しい。まあ、これ単独で長編を仕上げようとするなら、もっと色々肉付けしただろうとは思うが。
 クイーン好きならこれでいいだろうけれど、クイーンに思い入れがない人には読むのがやや厳しい。クイーン論、はっきり言って退屈でした。評論にするなら評論で書けばいいし、パスティーシュをやりたいのなら余計なクイーン論なんか入れなければよかった。中途半端に終わった勿体ない作品。




道尾秀介『シャドウ』(東京創元社 ミステリ・フロンティア)

 人間は、死んだらどうなるの?―――いなくなるのよ―――いなくなって、どうなるの?―――いなくなって、それだけなの―――。その会話から三年後、鳳介の母はこの世を去った。父の洋一郎と二人だけの暮らしが始まって数日後、幼馴染みの亜紀の母親が自殺を遂げる。夫の職場である医科大学の研究棟の屋上から飛び降りたのだ。そして亜紀が交通事故に遭い、洋一郎までもが……。父とのささやかな幸せを願う小学五年生の少年が、苦悩の果てに辿り着いた驚愕の事実とは?(粗筋紹介より引用)

 意外と速いペースで書いていますね、作者は。一作毎に作品のトーンを変えながらも、どれも面白いというのは大したもの。『シャドウ』は小学五年生の少年を主人公としている。母親の死から始まった不可解な事件の謎を追いかけていく内に、衝撃の真相に辿り着く。これだけだったらよくある筋と言ってお終いになるところだが、その真相に辿り着くまでにミステリ的仕掛けを様々なところに、そしてサスペンスを損なうことなく織り交ぜるその巧さに脱帽する。少年の成長ものとして読んでも、全く違和感のない仕上がりになっているところも見事。サスペンス小説として、少年小説として、そしてミステリとして。いずれのジャンルに区分しても違和感がない、しかも上位に配置できる作品。この作者の引き出しの多さが恐ろしい。
 ただ好みだけで言えば、前作『骸の爪』の方が好き。これはもう、好みだからどうしようもない。いずれにしても、今年一番注目されたミステリ作家、そう言ってしまっていいだろう。ヒット級の作品は多かったが、ホームラン級の作品が少なかった2006年。MVPを選ぶとしたら、この人でいいんじゃないだろうか。




有栖川有栖『女王国の城』(東京創元社 創元クライム・クラブ)

 舞台は、急成長の途上にある宗教団体<人類協会>の聖地、神倉。大学に顔を見せない部長を案じて、推理小説研究会の後輩アリスは江神二郎の下宿を訪れる。室内には神倉へ向かったと思しき痕跡。様子を見に行こうと考えたアリスにマリアが、そして就職活動中の望月、織田も同調、四人はレンタカーを駆って木曽路をひた走る。<城>と呼ばれる総本部で江神の安否は確認したものの、思いがけず殺人事件に直面。外界との接触を阻まれ囚われの身となった一行は、決死の脱出と真相究明を試みるが、その間にも事件は続発し……。(粗筋紹介より引用)
 15年ぶりの学生アリスシリーズ、第4作。書き下ろし。

 『双頭の悪魔』以来の学生アリスシリーズ。15年以上も空いたことがあって、不安な部分はあった。もっとも綾辻行人の『暗黒館の殺人』みたいな失敗作そのものは出さないだろうとは思っていた。才能が枯渇しかかっている綾辻と違い、有栖川は平均点以上の本格ミステリを書き続けてきたからである。不安だったのは、小説世界と現代の世界のずれが大きくなっていたことと、有栖川が年を取りすぎて作品の登場人物とのギャップが大きくなっていないかということであった。読み終わってみると、それらの不安は杞憂であった。面白いミステリであった。ただ、当時の情景描写など少々くどいところがあり、それは年を取ったせいなのかな、とも思ってしまったが。
 過去3作と同様、論理的な推理で犯人を追いつめるところは変わらない。もっとも、有栖川有栖は論理的な推理と消去法によって犯人を追いつめる本格ミステリは学生アリスシリーズに限らず、ずっと書き続けている。近年の作品と比べてみると、本作品の推理は少々あっさりとしているぐらいである。特に11年前の密室の謎の解決の曖昧さや、拳銃に関するミステイクなど、近年の作品に比べれば少々切れ味が鈍っていると感じたくらいだ。
 本作の面白さは他にある。物語の面白さだ。アリスたち5人の会話のやり取りや、<城>から脱出できるかどうかと行った冒険小説的要素の方が生き生きと書かれており、青春小説としても十分に評価できる作品に仕上がっている。また、最後のサプライズはなかなかだった。警察が呼ばれなかった理由や、江神が神倉を訪れた理由など、最後できっちりと謎のすべてを解き明かすところは見事と言いたい。
 序盤はやや冗長かなと思うが、物語の面白さを押し進めながら伏線を張り巡らせ、中盤以降は冒険部分を全面的に押し出し、最後に謎を一気に解明するという、作者の実力を十分に満喫できる作品であった。江神シリーズの長編はあと1作で完結らしいが、次も15年待たされるなんてことがないようにしてもらいたいものだ。




牧薩次『完全恋愛』(マガジンハウス)

 昭和20年……アメリカ兵を刺し殺した凶器は忽然と消失した。昭和43年……ナイフは2300キロの時空を飛んで少女の胸を貫く。昭和62年……「彼」は同時に二ヶ所に出現した。平成19年……そして、最後に名探偵が登場する。推理作家協会賞受賞の「トリックの名手」T・Mがあえて別名義で書き下ろした究極の恋愛小説+本格ミステリ1000枚。(帯より引用)
 2008年1月、書き下ろし刊行。2009年、第9回本格ミステリ大賞受賞。

 牧薩次といえば初期作『仮題・中学殺人事件』から登場するスーパー&ポテトシリーズのポテトである。そして作者辻真先のアナグラムでもある。ということで、今更ながら話題になったこの作品を読む。
 「完全恋愛」とは作者の造語。「他者にその存在さえ知られない罪を完全犯罪と呼ぶ では他者にその存在さえ知られない恋は完全恋愛と呼ばれるべきか?」と冒頭にある通り、他者に知られなかった恋愛をテーマに取り扱っている。本書は事件を解決した牧薩次が、洋画界の巨匠・柳楽(なぎら)(ただす)こと本庄究に許可を取って書いた一代記という形式になっている。
 家族を空襲で亡くし、福島県の刀掛温泉郷の湯元である伯父に引き取られていた究は、疎開していた美術界の巨匠・小仏榊の娘、朋音に出会ったときから物語は始まる。
 第一の殺人は昭和22年、温泉に居た素行の悪い進駐軍の大尉が殺害される。しかし凶器はどこにもない。
 第二の殺人は昭和43年、朋音が嫁いだ成金の真刈夕馬の娘・火菜と、真刈が倒産させた浅沼興業の若社長・宏彦にナイフで殺害される。しかし火菜は西表島におり、宏彦は福島と山形の県境にある飯森山の山腹に居た。宏彦もまた雪崩をひき起こし、自殺する。
 第三の殺人は昭和62年、刀掛温泉を丸ごと買い取ろうとしていた真刈夕馬が磐梯山のゲストハウスの近くの沼で溺死する。夕馬と一緒にいた画家の野々山はゲストハウスで究と会ったと主張するも、究は東京の自宅におり、証人もいた。弟子として30年前から究を世話しており、火菜の娘・珠美と結婚した藤堂魅惑は究が犯人ではないかと疑うものの、アリバイを崩すことはできなかった。
 そして平成19年、牧薩次が残された謎を解く。

 個々の事件を見る限りではそこまで大それたトリックを使っているわけではなく、粗もある。特に三番目の事件のアリバイトリックは、反則だろうと言いたくなるぐらいの禁じ手である。それでも本書が傑作となったのは、本庄究という男の一代記を描き切ったこと、そして究にまつわる登場人物の想いを描き切ったところにあるだろう。人の心の謎が絡むことにより、各々の事件が連結され、そして一つの本格ミステリが完成されたと言える。一部の謎については想像しやすいものだろう。それでも物語の全体像をすべてつかみきることはできなかったはずださらにタイトルで書かれた謎が最後でようやく明らかにされる。ここまで書かれると、少々の矛盾などはどうでもよくなるから不思議だ。それと時代描写はさすがだ。
 言い方が悪いけれど、これだけのベテランがこれだけの仕掛けを持った作品を書き切ったことに驚嘆した。やはり傑作と言っていいだろう。




三津田信三『水魑の如き沈むもの』(講談社文庫)

 奈良の山奥、波美(はみ)地方の"水魑(みづち)様"を祀る四つの村で、数年ぶりに風変わりな雨乞いの儀式が行われる。儀式の日、この地を訪れていた刀城(とうじょう)言耶(げんや)の眼前で起こる不可能犯罪。今、神男(かみおとこ)連続殺人の幕が切って落とされた。ホラーとミステリの見事な融合。シリーズ集大成と言える第10回本格ミステリ大賞に輝く第五長編。(粗筋紹介より引用)
 2009年」12月、原書房より単行本書下ろし刊行。2010年、第10回本格ミステリ大賞受賞。2013年5月、講談社文庫化。

 刀城言耶シリーズ長編第5作。怪異譚を蒐集している刀城が怪しい話を聞いては自分で確認するためにそこへ行き、事件に巻き込まれて、色々推理をしては自分で打ち消し、ようやく最後に答えを出す。毎度のことであり、ワンパターンと言ってしまえばそれまで。横溝正史だと似たような話でも楽しむことができるのに、三津田信三だとああまたか、と思ってしまうのはなぜだろうか。これは別に偏見ではないと思う。
 ただ本作は、背景が今まで以上に書きこまれている分、楽しく読むことができた。もしかしたら、編集者の祖父江偲が本格参戦しているからかもしれない。事件や推理の部分は、特に語るほどのことは無い。推理を聞いても、ああ、そう来るんだとしか思えないのは、ホラーの部分に比べ推理が弱いからだろうか。それとも刀城の推理にカタルシスが何も感じられないからだろうか。
 展開は楽しめたけれど、たまには違うパターンで読んでみたい。




歌野晶午『密室殺人ゲーム2.0』(講談社ノベルス)

「頭狂人」「044APD」「aXe」「ザンギャ君」「伴道全教授」奇妙すぎるニックネームの5人が、日夜チャット上で「とびきりのトリック」を出題しあう推理合戦! ただし、このゲームが特殊なのは各々の参加者がトリックを披露するため、殺人を実行するということ。究極の推理ゲームが行き着く衝撃の結末とは。(粗筋紹介より引用)
「Q1 次は誰が殺しますか?」「Q2 密室などない」「Q3 切り裂きジャック三十分の孤独」「Q4 相当な悪魔」「Q5 三つの閂」「Q6 密室よ、さらば」「Q? そして扉が開かれた」を収録。『メフィスト』2007年9月号〜2009年1月号掲載。大幅加筆、訂正後の2009年8月、講談社ノベルスより刊行。2010年、第10回本格ミステリ大賞(小説部門)受賞。

『密室殺人ゲーム王手飛車取り』の続編、というかシリーズものの続き。別に前作を読んでいなくても普通に読むことができる。とはいえ、読んだ方がびっくりするとは言える。
 内容は推理クイズ合戦なのだが、「ありとあらゆる事を疑う」ことを前提とした本格ミステリとして考えれば、究極なトリックといえないこともない。現在の世の中でも、殺人のための殺人や快楽のための殺人があるのだから、思いついたトリックを実行するだけの殺人があったっておかしくない。とはいえ、これはただのゲームだよな……というがっかり感があることも否めない。このような稚気を楽しむことができなくなってしまったのは、ノンフィクション・ノベルの読み過ぎですかね……。
 本格ミステリとしてのテクニックも素晴らしいし、一つ一つの短編がよくできていてかつ長編ならではの仕掛けも有しているというところも素晴らしいのは認めるけれど、面白いとはいえなかった。これはもう、好みの問題。3部作で『マニアック』が出ているので、気が向いたら読んでみようとは思う。



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