樋口明雄『約束の地』(光文社)

 環境省のキャリア官僚である七倉航は、野生動物被害を調査し対応する公的機関「野生鳥獣保全管理センター」(WLP)の山梨県八ヶ岳支所長として出向した。そこで働くのは、元地元狩猟会に所属していた戸部と黒崎、ベアドック(熊を追い払う犬のこと)のハンドラー(犬のパートナー)である峰と新海、トレーナーとしてアメリカから来日しているクレイグ、猿の生態調査を行っている神永といずれも個性的なメンバーであった。腰掛け人事と見られながらも彼らとともに現場に出ていく七倉。
 しかし八ヶ岳の山は痩せ、熊などの「害獣」が里に下りてきて農家や作物を荒らすようになってきた。法律で縛られ、昔みたいに自由に銃を使うことができない地元猟師たち。獣が絶滅しようが、「害獣」の駆除を願う農家たち。そんな彼らを守ろうとする自治体。逆に獣たちへの一切の干渉を否定して抗議する動物愛護団体。WLPの活動は、まさに四面楚歌であった。そしてとうとう、山の獣が餌として人を襲うようになってきた。そんな状況の中、新海が墜落死した。
 2008年11月、単行本で書き下ろし刊行。同年、第27回日本冒険小説協会大賞受賞。2010年、第12回大藪春彦賞受賞。

 骨太の冒険小説を書き続けてきた作者がブレイクした一冊。最も私はルパン三世のゲームブックの印象の方が強いのだが。
 メインで取り扱われているのは野生動物被害問題である。環境省の出先機関、地元猟師、地元農家、動物愛護団体たちがそれぞれの立場で主張を続ける。さらに環境問題も重なり、市長を初めとする自治体と研究者も対立する。さらには親の利害関係も絡んだいじめ問題、父と娘の距離の問題なども重なる。人間側だけでも山ほどあるのに、獣側である巨大な熊の「稲妻」、さらに巨大なカガミジシ「三本足」も加わり、死闘を繰り広げる。しかも殺人事件の謎まで加わる。
 こうやって並べてみると、よくもまあこれだけ盛り込んだものだと感心してしまう。しかもそれらがバラバラにならず、密接に関わり合うのだから大したもの。ボリュームは相当なものだが、結末まで一気に読んでしまった。重いテーマを幾つも取り扱いつつ、エンターテインメント性を失わない筆致に感心した。特に終盤、人と獣との死闘を交えつつ、様々な問題と伏線が一気に収束されていくのはまさに圧巻である。
 七倉たち人とベアドックの交流、寡黙な老猟師の戸部の生きざまなど、見るべき所は他にも多い。あとは読んでのお楽しみと言うべきだろう。  第一級のエンターテインメントであり、骨太な冒険小説の傑作である。




道尾秀介『龍神の雨』(新潮文庫)

 添木田蓮と楓は事故で母を失い、継父と三人で暮らしている。溝田辰也と圭介の兄弟は、母に続いて父を亡くし、継母とささやかな生活を送る。蓮は継父の殺害計画を立てた。あの男は、妹を酷い目に遭わせたから。――そして、死は訪れた。降り続く雨が、四人の運命を浸してゆく。彼らのもとに暖かな光が射す日は到来するのか? あなたの胸に永劫に刻まれるミステリ。大藪春彦賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2009年5月、新潮社より刊行。2010年、第12回大藪春彦賞受賞作。2012年2月、文庫化。

 久しぶりに道尾作品に手を出してみた。とはいえ、大藪賞受賞作じゃなかったら読む気は起きなかった粗筋でもあった。女の子が酷い目に遭うとか、子供が酷い目に遭うとか、そういう作品は好みじゃない。本作品も、継父が殺され、遺体を捨てに行く蓮の感情を描いたところから、読む気がどんどん失せていった。まあ、道尾作品だから、最後の方で何らかの仕掛けがあるのだろうと思いながら読んでいったのも事実だが。
 人間を描くという点についてはそれなりに成功しているだろう。特に蓮と楓の兄妹、辰也と圭介の兄弟の描き方は上手いと思った。どっちの兄弟も、上より下の方がしっかりしているのはちょっと微笑ましかった。ただ、前半が少しごちゃごちゃして読みづらいところと、登場人物が少ないこともあり、ゴール地点が朧気にでも見えてしまうところは少々残念。読み返せば伏線なども綺麗に張っているのだろうと思うのだが、そこまで検証する気にはなれない。
 タイトル通り、龍と雨がキーワードになっているのだが、それに引きずられるような重い雰囲気は好きになれない。なんというか、テクニックは認めるのだが、小説としての面白さを感じない作品だった。あっ、橋本満輝の解説は面白かった。ここまで読み取ることができるのであれば、物語も面白く感じられるのだろうなあ、とも思い、少しうらやましくなった。むしろ、ネタバレ部分を除いて最初にこっちを読んだ方がよかったのかもしれない。自分みたいな人間にとっては。
 ところで、これがどうして大藪賞なのか、いまひとつわからない。大藪の作品とは似ても似つかないイメージなのだが。




平山夢明『ダイナー』(ポプラ文庫)

 ほんの出来心から携帯闇サイトのバイトに手を出したオオバカナコは、凄惨な拷問に遭遇したあげく、会員制のダイナーに使い捨てのウェイトレスとして売られてしまう。そこは、プロの殺し屋たちが束の間の憩いを求めて集う食堂だった――ある日突然落ちた、奈落でのお話。(粗筋紹介より引用)
 ウェブマガジン『ポプラビーチ』連載。加筆修正後、2009年10月、ポプラ社より単行本刊行。2009年、第28回日本冒険小説協会大賞受賞。2011年、第13回大藪春彦賞受賞。2012年10月、文庫化。

 プロの殺し屋たちが集う会員制ダイナーで、ウェイトレスとなったオオバカナコが遭遇する事件の数々。ボンベロが作る料理はうまそうなのだが、目の前で展開される殺人シーンなどは惨たらしい。確かに奈落と呼ぶのに相応しい場所である。というか、食事と暴力シーンばかりじゃないか、これ。正直、殺し屋たちの背景がよくわからないし、作品世界のルールもよくわからない。ただ妙な迫力はあるし、底なし沼にはまったような抜け出せられない妖しさがある。何が何だかわからないが、読んでいて目が離せない。
 読者を選びそうだなとは思うが、大藪春彦賞にはふさわしいという魅力がある。ただ作者が投げかけてくる言葉に従って読み進めればよい、考えるだけ無駄だ、というような作品であった。




沼田まほかる『ユリゴコロ』(双葉文庫)

 ある一家で見つかった「ユリゴコロ」と題された4冊のノート。それは殺人に取り憑かれた人間の生々しい告白文だった。この一家の過去にいったい何があったのか――。絶望的な暗黒の世界から一転、深い愛へと辿り着くラストまで、ページを繰る手が止まらない衝撃の恋愛ミステリー! 各誌ミステリーランキングの上位に輝き、第14回大藪春彦賞を受賞した超話題作!(粗筋紹介より引用)
 2011年3月、双葉社より単行本刊行。2012年、第14回大藪春彦賞受賞。2014年1月、文庫化。

 2011年になぜか沼田まほかるブームが起きた。過去3冊の文庫本がいきなり売れ出した。正直言ってわからなかった。2005年のデビュー作である『九月が永遠に続けば』を私は大して評価していなかったからだ。それがなぜ売れるようになったのか。解説で本書の単行本が圧倒的に面白かったからだと書かれている。だからというわけではないが、それなりに期待して読んでみたのだが……うーん、微妙だった。
 手記の内容はまあまあ面白かったのだが、これを簡単に信じるかなあ。一方の現実では、父は末期癌だし、経営する喫茶店が不調だし、婚約者は姿を消すし。普通だったら現実の世界の方に気を取られるんじゃないかな。なんかそんな違和感がずっと続いたまま読んでいたたため、あまり作品に没頭できなかった。
 ちなみに手記の方だが、描かれている中身は結構残虐なのに、筆のせいか妙にほのぼのとしたところがあるのが不思議。しかしこんな殺人鬼に共感はできないな。しかも普通に暮らしているし。
 うーん、読み終わってみても、どこが面白いのかさっぱりわからなかった。




柚月裕子『検事の本懐』(宝島社文庫)

 骨太の人間ドラマと巧緻なミステリー的興趣が見事に融合した連作短編集。県警上層部に渦巻く男の嫉妬が、連続放火事件に隠された真相を歪める「樹を見る」。東京地検特捜部を舞台に"検察の正義"と"己の信義"の狭間でもがく「拳を握る」。横領弁護士の汚名を着てまで、恩義を守り抜いて死んだ男の真情を描く「本懐を知る」など、全五話。第25回山本周五郎賞ノミネート作品、待望の文庫化。(粗筋紹介より引用)
 『別冊宝島』掲載の2作品に書下ろしを加え、2011年11月、宝島社より単行本刊行。2012年11月、文庫化。2013年、第15回大藪春彦賞受賞。

 佐方貞人シリーズの第2作目。第1作目の『最後の証人』がひどかったので読む気は無かったのだが、本作品が大藪賞受賞ということで仕方なく手に取った。思っていたほどひどくはない。
 米崎東警察署長の南場は、1年近く発生した連続放火事件の容疑者として、新井を別件でようやく捕まえる。しかし同期で南場のことをよく思っていない県警本部刑事部長の佐野が、今回の別件逮捕に不満を覚えており、横槍を入れる可能性は高い。米崎地検刑事部副部長の筒井は、南場の相談を受け、三年目の佐方定人を担当とする。ガサ入れで証拠が見つかり、新井も犯行を自供するも、使者が出た1件だけ否認した。「第一話 機を見る」。連続事件の1件だけを否定するというのは、昔からあるネタ。結末も見えており、面白さはない。
 筒井が3年前に窃盗と住居侵入で起訴した小野辰二郎が再び送致された。出所当日、ディスカウントショップの貴金属売り場で腕時計を盗んだ罪で逮捕されたのだ。小野を見て怒りがこみ上げた筒井だったが、2年目の佐方に取り調べを任せた。自供、目撃証言、盗んだ腕時計を持っていたこと。簡単な事件かと思われたが、佐方は拘留期限まで小野を拘置し、不起訴にすると宣言した。「第二話 罪を押す」。これも既視感のある題材といえる。まあそれでも、人間を見る、という佐方の特徴をピックアップさせるには、お手頃の題材であった。
 佐方の勤める検察庁に、高校時代の同級生である天根弥生から電話が入った。12年ぶりに再会した弥生は佐方に相談する。弥生はもうすぐ結婚するのだが、昔撮られたビデオのことで呉原西署の生活安全課に勤務する現職警官の勝野から100万円を強請られていた。佐方は12年前の約束を果たすため、弥生を助ける。「第三話 恩を返す」。佐方の過去の一端を見せた作品。佐方にもここまでの熱い感情があったのかと思わせる。まあ、人情ものとして読んだ方がいいだろう。
 与党の大臣や参議院議員が絡む中経事業団疑獄で、東京地検特捜部から各地検に応援要請が出た。山口地検の加東は先輩の先崎とともに選ばれる。加東は押収物を分析する物読みを担当するが、証拠は見つからず、捜査の方も進展せず膠着状態となった。そのうち、逃亡中である経理事務の葛巻の行方を探すため、加東は葛巻の伯父の取り調べを担当することとなった。相棒は佐方だった。「第四話 拳を握る」。上の言う言葉は白でも黒と言わなければならない検察社会で、事実のみを指摘しようとする佐方の本領を書いた短編。佐方退場後がずるずると長いのは難点。もう少し書きようがあったかと思う。
 ネタに困っていた週刊誌専属ライターの兼先は、10年以上も前に広島で弁護士が業務上横領で実刑になった事件を思い出す。金を返せば示談、悪くても執行猶予になったのに、なぜ横領した事実以外は黙秘したのか。ネタになると思った兼先は、亡くなった弁護士の息子である佐方を尋ねた。「第五話 本懐を知る」。佐方の過去、そして父親の過去が語られる短編。人情ものとしては、よくできているかな。本短編集のベスト。
 佐方という存在を映し出すにはよくできている短編集だが、既視感のある題材が多く、佐方というキャラクターで物語を作り出している感は否めない。キャラクターではなく、事件の方でもう少し新味を出してほしい。正直言って、これがなぜ大藪賞なのかわからなかった。




梓崎優『リバーサイド・チルドレン』(東京創元社 ミステリ・フロンティア)

 カンボジアの地を彷徨う日本人少年は、現地のストリートチルドレンに拾われた。「迷惑はな、かけるものなんだよ」過酷な環境下でも、そこには仲間がいて、笑いがあり、信頼があった。しかし、あまりにもささやかな安息は、ある朝突然破られる――。彼らを襲う、動機不明の連続殺人。少年が苦難の果てに辿り着いた、胸を抉る真相とは? 激賞を浴びた『叫びと祈り』から三年、俊英がカンボジアを舞台に贈る鎮魂と再生の書。(粗筋紹介より引用)
 2013年9月、書下ろし刊行。2014年、第16回大藪春彦賞受賞。

 『叫びと祈り』が評判になった作者の初長編。カンボジアが舞台で、主人公はストリートチルドレンに拾われた日本人少年。警察機構などあってないような場所で、どのようなミステリを描くのだろうと気になりつつ、今頃手に取ってみる。
 実際のカンボジアを知らないから正しいかどうかわからないが、舞台はよく描けていると思う。登場するチルドレンたちもそれぞれに特徴があってわかりやすい。ゴミ山からの廃品回収や食事の確保など苦労はしているものの、子供だけの世界を築きつつ、自由に生きようというパワーも感じ取られた。当時のカンボジアの社会情勢も、巧みに取り込まれている。雨乞いの爺さんというのがどういう人物なのかよくわからなかったのだが、視点が日本人少年なんだから、どこかで説明があってもいいのにとは思った。
 ただ結末まで読んでも、連続殺人に必然性が感じ取れなかった。読んでも理解できなかった。その前に、なぜ旅人が主人公の声を聴こうとしているのか。主人公の拙い説明から論理的な推理を導く展開になるのか。それがさっぱりわからなかった。わからないことだらけで、物語に浸っているところを台無しにされた気分になった。ただの理解不足と言われれば、それまでだが。
 せっかくのこれだけの舞台と登場人物を用意しながら、なぜ謎解きの範囲に物語を狭めてしまったのだろう。折角の広大な物語を無理矢理袋に詰めてシェイクして、結末で袋を解放したら元に戻ってしまった、そんな感じを受けた。うーん、なんだったんだろう。勿体ない。




西村健『ヤマの疾風』(徳間文庫)

 昭和四十四年、高度経済成長の只中。華やかな世相を横目に筑豊の主要産業である炭鉱(ヤマ)は衰退の一途。しかし荒くれ者たちの意気は盛んだった。全域に威を振るうのは海衆商会。その賭場で現金強奪事件が起きる。主犯はチンピラの菱谷松次だ。面目を潰された若頭・中場杜夫は怒りに震える。二人の激しい衝突はやがて筑豊ヤクザ抗争の根底を揺さぶることに――。感動の第十六回大藪春彦賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2013年9月、徳間書店より単行本刊行。2014年、第16回大藪春彦賞受賞。2015年2月、文庫化。

 猛牛というあだ名を持つ父を炭鉱事故で亡くした飛車松こと菱谷松次、在日韓国人三世のマッコリこと金永浩、病的なほど女好きなゼゲンこと俊堂忠虎、ゼゲンの彼女で部落出身の江原京子。自由気ままに生きているチンピラ三人組+1人。筑豊を舞台にしたチンピラたちの青春アクションドラマといった作品。まあ、はっきり言っちゃうと厄介者でしかないのだが、それでも読んでいるうちに彼らに引き込まれてしまうから不思議だ。ヤクザやチンピラ、さらにそれを取り巻く人々も、善玉は気持ちのいい人で、悪玉は性根の腐った悪いやつ。ここまで徹底してわかりやすく書かれると、どうしても感情移入してしまうよね。ただのチンピラが暴れまわるだけかと思ったら、徐々に落ちぶれていく炭鉱の歴史や問題点なども所々に織り込まれ、いつしか筑豊のヤクザ抗争につながっていくという、スケールの大きな話になっていくのだが、テンポもよくユーモアが漂っているせいか、深刻さがなく、警戒に読むことができ、さらに読後感がいい。タイトル通り、あっという間に駆け抜けていった風のような男が飛車松であった。
 これは楽しく読んだ。この明るさは大藪春彦にはないものだが、その点を除けばアクションたっぷりの本作が受賞するのもうなずけるだろう。




月村了衛『コルトM1851残月』(文春文庫)

 残月の郎次――昼は廻船問屋の番頭、夜は裏金融を牛耳る儀平一味の大幹部。組織の跡目と目された彼の運命は、ある殺しを機に暗転した。裏切られ、組織を追われた郎次は、屈辱の底で江戸の暗黒街に絶望的な戦いを挑む。その切り札は誰も存在すら知らぬ最新式のコルト六連発! 硝煙たちこめる大藪春彦賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2013年11月、講談社より刊行。2015年、第17回大藪春彦賞受賞。2016年4月、文春文庫化。

 月村了衛は初読。「機龍警察」シリーズなど前から気になっていたのだが、なかなか手に取る機会がなかった。ようやく読むことができたが、激しく後悔。なぜもっと早く読まなかったのだろう。
 舞台は嘉永六年(1853年)の江戸。主人公は廻船問屋・三多加屋の番頭、郎次。裏金融を牛耳る新規札差・祝屋儀平の子飼の配下であり、抜荷を取り仕切っている。裏では儀平に逆らう者たちを暗殺する殺し屋。儀平たちには、名前を明かさぬその筋の者たちを手配して暗殺していることになっているが、実際は自ら一人で殺しを請け負っている。手にするのは、かつて異人から譲り受けた六連発回転式のコルトM1851ネイビー。
 江戸時代を舞台としながらのハードボイルド。昼は真面目な顔、夜は抜け荷を扱いつつ、実は主人にも偽って自ら殺しに手を染めている。なんなんですか、この大藪春彦作品の主人公みたいな設定は。しかも、土産物を扱う店の父親が騙されて証文に判を押して店を乗っ取られ、一家心中で唯一生き残ったという過去を持っているという。もう設定だけでドキドキものである。
 しかも主人公の郎次が実にストイック。己の生き方に忠実で、目標に向かって一切の妥協を許さない。それでも世間に男ぶりを褒められて気分が良くなるなど、人間臭いところが残っているのも見逃せない。一つの過ちからどんどん転げ落ち、周囲に裏切られて逆襲する姿もドキドキする。その時点で、読者は郎次に感情移入する。実は裸の王様状態だった郎次に同情し、逆襲する郎次に喝采を上げる。
 次の抜け荷が来るまで、コルトの弾丸数がどんどん減っていく描写も、破滅までのカウントダウンを示しているようで、緊迫感を増す効果を上げている。最後の銃撃戦、そしてどんどん死んでいくカタストロフィが実にいい。最後の最後で明かされる謎もまた、悲劇を盛り上げる効果を産んでいる。
 大藪賞の選考では青山文平『鬼はもとより』が一つ図抜けていて、同時受賞には馳星周が強く推したとのこと。確かに馳なら本作品を強く推すだろう。ただそれを除いても、これほどの作品が大藪賞を取れないことがおかしい。これは時代小説ノワールの傑作。読んでいて本当に痺れた。




長浦京『リボルバー・リリー』(講談社文庫)

 小曾根百合(おぞねゆり)――幣原機関で訓練を受け、東アジアなどで三年間に五十人超の殺害に関与した冷徹非情な美しき謀報員。「リボルバー・リリー」と呼ばれた彼女は、消えた陸軍資金の鍵を握る少年・細見慎太と出会い、陸軍の精鋭から追われる。大震災後の東京を生き抜く逃避行の行方は? 息をもつかせぬ大藪春彦賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2016年4月、講談社より単行本刊行。2017年、第19回大藪春彦賞受賞。2019年3月、講談社文庫化。

 大藪賞受賞ということでずっと気になっていた作品。ようやく手に取りましたが、うーん。
 小曾根百合と細見慎太がひたすら逃げる物語。かつて息子を亡くした百合が心を取り戻したり、慎太が成長したりする部分はあるのだが、それでも逃げ回る部分が圧倒的に多い。現代が舞台だったら、読むのをやめていたかもしれない。
 この作品の面白いところは、関東大震災後の東京の描写である。復興への活力と、震災の傷跡の苦しみと、そして迫りくる軍人の時代の恐怖。それらが入り混じって丁寧に描かれているから、百合と慎太の逃避行が面白く読める。
 足の悪い少年連れで、隠密行動とはいえ陸軍からの追跡を逃れられるかという点については無視しよう。逃げ切れるかどうかというサスペンスの部分については、あまり面白みがない。百合が活躍する活劇ハードボイルドとして楽しむ一冊。



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