薬丸岳『天使のナイフ』(講談社 第51回江戸川乱歩賞受賞作)

 生後五ヶ月の娘の目の前で惨殺された妻・祥子。夫・桧山貴志は耳を疑った。犯人は、十三歳の少年三人。四年後、犯人の少年の一人が殺され、桧山は疑惑の人となる。桧山は事件現場のすぐ近くにいたのだ。少年たちの事件後を追う桧山であったが、偶然近くにいた少年の一人が殺されかけ、残り一人も桧山と合うはずの場所で殺害される。事件の謎を追う桧山の前に突き付けられたのは、予想もしなかった過去の悲劇であった。
 選考委員大絶賛の、第51回江戸川乱歩賞受賞作。

 少年事件を題材に取り扱うのは結構難しい。少年に非難の目を向ける作品を作るのはそう難しいことではないかもしれないが、現実の世界でそういう事件が生じ、被害者遺族の話が世にあふれている現在では、虚構の世界で現実以上の説得力を持たせるのは容易でない。さらに一方の立場にばかり力を入れてしまい、周りのことが何も見えなくなる作品に仕上がりがちである。
 本書では少年事件の被害者である夫を主人公にし、事件の犯人やその家族、事件の弁護士、さらにはマスコミ、更正施設に関わる人たちと合わせることにより、少年事件における贖罪、更正、さらには少年事件と少年法の問題点など、抱えられている課題のいずれもを表面に浮き上がらせるという難題に成功している。しかもただそれぞれの立場を書き流すだけでなく、物語と関連づけているのだから大したもの。ベテランでもなかなかこううまくはいかないだろう。
 この社会派要素に加え、連続殺人事件の謎というミステリ要素も充実しているのだから大したもの。最後の犯人は割と早い段階で見当が付くが、それでも結末まで読者の目を離さない展開とサプライズは見事。細かい伏線の張り方もうまいし、人物の描写も新人らしからぬ巧さである。難をいえば、新人らしさがないところぐらいか。偶然に頼っている部分や、少年の心理描写に疑問を抱く向きもあるだろうが、それはほとんどのミステリに共通する弱点。処女作にして、すでにベテランの風格を漂わせた作品である。
 近年の乱歩賞では上位クラス。今年のベスト10候補だろう。




鏑木蓮『東京ダモイ』(講談社 第52回江戸川乱歩賞受賞作)

 2005年11月6日、舞鶴港の喜多埠頭で女性の水死体が上がった。遺体の身元は、ロシア国籍でイルクーツクからの観光客、マリア・アリョーヒナ(83)であった。そして身元保証人であり同行していた東京都世田谷区の内科医鴻山秀樹(35)が行方不明となる。そして新聞記事を見て駆け付けてきた老人、高津耕介(76)もまた行方不明になる。高津は元陸軍兵であり、戦後はシベリアへ強制連行され、過酷な労働を強いられてきた。そしてマリアは当時、唯一日本兵へ優しくしてくれた看護婦であった。
 事件前、高津の依頼で原稿を自費出版することになっていた薫風堂出版の槇野英治は、残された原稿を読んで高津のことに興味を持ち、事件の謎を追うとともにさらに原稿を読みすすめることにした。その原稿には、シベリアにおける日本兵の苦闘と悲劇が書かれていると同時に、そこで起きた不可解な殺人事件が記されていた。東京への帰還、東京ダモイを果たした男が訴えたかったことは何だったのか。
 第52回江戸川乱歩賞受賞作。

 帯に「風化する歴史の記憶を照射し、日本人の魂をゆさぶる感動作!」と書かれてあった時点で、大きな期待をするのはやめたのだが、読み終わってその直感が正しいことを知った。現在の殺人事件と過去の殺人事件が存在するという手法は、過去の乱歩賞ではお馴染みの構成。過去と未来をつなぐアイテムに、今自費出版されるはずだった句集を用いるという趣向は、過去と現実を乖離させることなくつなぐことができたという点において、それなりに成功している。ただ、シベリア抑留のシーンは参考文献以上のものが見出せなかったことは残念である。満州への一般人置き去りと同様、シベリア抑留という教科書では語られない政府の無策ぶりや軍部高官の非常さ・狡猾さなど闇に葬りたい歴史を扱ったことは、当時の悲惨な戦争が美化されつつあるこの時代にはなかなかタイムリーな話題であるが、もう一つシベリアという題材を扱った何かを事件に付加させることができれば、「読者の知らない知識を中核に盛り込んだミステリ」の枠を破ることができたのではないだろうか。まあ、過去に短編がいくつか掲載されたことがあるとはいえ、新人にそこまでのものを要求するのは少々酷か。
 主人公である槇野やその上司である朝倉晶子、そして勤めている出版社などはよく描けているのだが、もう一方の謎解き手である警察のほうの描写は描き分けができておらずお粗末。そのため、事件の捜査や謎解きが間延びしてしまっている。文章力が安定しているだけに、もう一歩の努力を求めたい。
 事件そのものは、トリックと動機に無理が見られるとだけいっておく。
 それなりの実力で、題材もまあまあだから、努力を続ければそれなりの作家にはなるだろう。努力次第ではベストセラー作家になれる、そんな資質を感じた。ただ、相当の努力が必要だろうが。




早瀬乱『三年坂 火の夢』(講談社 第52回江戸川乱歩賞受賞作)

 1899年8月の奈良県。18歳の内村実之はアルバイト先で、兄が怪我をしたから家に戻れとの速達を手にする。東京で帝国大学に通い、建築を勉強しているはずだった兄は、いつの間にか大学を辞めていた。しかも残り2年分の学資まで全て使い果たしていたのだ。さらには腹には刃物で刺された傷跡があったのだが、兄は何も語らず、そのまま死んでしまった。ただ一つ、兄は実之に謎の言葉を遺した。「三年坂で転んでね」と。東京にはいくつも三年坂があり、そこで転ぶと三年以内に死ぬという。さらに実之は新しい事実を知った。兄の学資は、別れた元士族の父親が10年前に持ってきたものであった。さらに彼は、実之が高等学校へ行くときにも必ず学資を持ってくると約束した。しかし、父親は未だ現れない。もしかしたら兄は東京で父親に会っていたのではないか。
 中学卒業後、実之は一高受験の予備校へ通うために、東京へ向かった。実之は受験勉強と同時に、兄の死の謎を追いかける。
 第52回江戸川乱歩賞受賞作。

 大火の街を走る人力車や、三年以内に死ぬという三年坂の謎など、題材はとてもいい。明治初期の描写も悪くない。兄の死の謎を追いかける、受験生の主人公という設定もなかなか魅力的だ。どことなく幻想的で、そして霧の中を歩いているようなぼやけた感覚の物語進行も、最初こそはとまどいがあったが、慣れてしまえばなかなか味がある。とまあ、面白くなるはずの要素はいっぱいあるはずなのだが、読んでいてそれほど面白さを感じられなかった原因は、題材の面白さに物語の面白さが負けてしまっているところと、情報の整理力が今ひとつなところだろう。選評でも「この作品の面白さは、あまりに題材自体の面白さでありすぎた」(井上夢人)と書かれているが、それがこの作品を一番的確に表したものである。近年の乱歩賞の傾向通りの作品といってしまっていいのではないか。ただ、近年の乱歩賞作品は、題材自体によりかかっているところが大きすぎるが、本作品はまだ物語の面白さを構築しようと努力しているところがみられる。それが、主人公の青春小説風な構成に見られる。いっそのこと、鍍金先生が謎を追いかけているパート(「火の夢」の章」を省いて書いた方が、すっきりとした仕上がりになったのではないだろうか。
 作品とは関係ないところで気になったのだが、当時の東京の地図を挿入するのなら、本の最後の方ではなく、冒頭に入れるべきではないか、講談社さん。
 作者は2004年に『レテの支流』が日本ホラー小説大賞長編賞佳作に選ばれ、出版されている。また2005年には『通過人の31』が江戸川乱歩賞最終候補となっている。
 選評を見ると、今年の乱歩賞はちょっと低調だったようだ。もっともここ十数年、よかった年より低調だった年の方が多いので、いつも通りと言ってしまってもいいのだろうが。本作品を強力に推した綾辻行人と、『東京ダモイ』を推した大沢在昌が、これといって推す作品が見当たらない他の三人を説得して、同時受賞という形にしたんだろうなあ、と裏舞台を想像してしまう。自分がどっちを選べといわれたら、まだ本作品を選ぶかな。乱歩賞をA〜Eに区分したら、本作品がC、『東京ダモイ』がD+といった程度の違いだが。




曽根圭介『沈底魚』(講談社 第53回江戸川乱歩賞受賞作)

 毎朝新聞に載っていたスクープ。二ヶ月前に米国へ亡命した中国人外交官が証言した。中国に機密情報を漏洩していた国会議員は、現職国会議員、しかも与党の閣僚経験者である、と。しかし、その情報は、中国が日本国内で行う非公然活動を監視する警視庁公安部外字二課には伝わっていなかった。当初、その情報はデマであると日米統一見解が出されたが、警察庁外事情報部から二課へ来た凸井美咲理事官の指揮の元、調査を始めることとなった。北京の謎の情報提供者、ホトトギスもまた、このスパイのことについて示唆してきたという。大物政治家が正体であるという大物の「沈底魚」、マクベスは実在するのか。それとも中国による偽装工作か。様々な思惑を秘めたまま、外事二課の公安刑事たちは動き出した。
 第53回江戸川乱歩賞受賞作。

 今回の乱歩賞は、公安刑事もの。昔からある題材とはいえ、現在の社会情勢を踏まえて作り上げた設定は悪くないし、登場人物もそれぞれ個性的。主人公の不破よりも五味や若林といった脇役のほうに存在感があるのは、たぶん作者の計算だろう。特にマンボウが出てくるシーンは秀逸。描写や言葉を控えめにしつつ、それでいて必要な情報はしっかりと伝わるようにしてある筆運びも悪くない。ただ、面白かったかといわれたら、今ひとつというところか。悪くはないと思うが、物足りなさが残る。
 選評で綾辻行人が書いていたが、「後出しじゃんけん」的なところがどうもひっかかるのだ。引っかかる大きな原因は、特に主人公の素直さにある。一匹狼を気取る(五味のチームに入らないという点で)わりに、人を簡単に信用しているところが、公安刑事としては少々難があるのではないか。不破がもっとしっかりしていれば、事件は全く別の面を迎えていただろう。自分がイメージする公安刑事とのギャップが、都合よい展開も含めて、腹立たしくもある。
 たぶん作者は、書ける実力のある人だろう。題材の料理方法も悪くない。ただ、3割バッターになる実力はあるが、大ヒットを飛ばすタイプではない。その印象を覆すことができるか。




翔田寛『誘拐児』(講談社 第54回江戸川乱歩賞受賞作)

 終戦直後の昭和21年8月7日。実業家の5歳の息子が誘拐された。身代金の受け渡し場所は有楽町駅周辺の闇市。警察が見張っていたにもかかわらず、一斉手入れの混乱に紛れて犯人逮捕に失敗。身代金100万円が奪われ、子供は帰ってこなかった。
 昭和36年6月25日。運送会社で働く谷口良雄は、母を病気で失った。死ぬ前の母の言葉が忘れられない。「おまえは、ほんとうの息子じゃないよ。私が誘拐……」。隠されていた母の住所録から、今まで会ったこと記憶のない親戚や知り合いを訪ね歩くうちに、自分は15年前に誘拐され行方不明となった子供ではないかという疑いを抱く。恋人である杉村幸子は、良雄のことを思っていた母親が誘拐犯だなんて有り得ないと主張し、自らも調べることを決意した。
 昭和36年6月28日。未亡人で、総菜屋の店員や家政婦の仕事をしていた25歳の下条弥生が殺害された。地味で、人付き合いがほとんどなかった彼女が殺されたのはなぜか。弥生の家が家捜しされた理由は。弥生が数日前に仕事を辞めいたのはなぜか。刑事の輪島と井口は、残された写真の手掛かりから15年前に起きた時効直前の誘拐事件に関係があると推理する。弥生は15年前の犯人を恐喝しようとしたのか。しかし接点はどこに? 輪島たちとかつていざこざがあった刑事の神崎と遠藤も別方面から犯人を追いかける。
 2008年、第54回江戸川乱歩賞受賞作。

 翔田寛は2000年、「影踏み鬼」で第22回小説推理新人賞を受賞しデビュー。受賞後第一作「奈落闇恋乃道行」で第54回日本推理作家協会賞短編部門にノミネートされる。翌年発表した第一短編集『影踏み鬼』(双葉社)や2004年に発表された連作短編集『消えた山高帽子 チャールズ・ワーグマンの事件簿』(東京創元社 ミステリ・フロンティア)は一部識者から高い評価を受けた(個人的には、もっと評判になってもよかったと思っている)。
 他にも著書がある翔田寛がなぜ今さら乱歩賞に、というのが受賞時の第一印象である。江戸川乱歩賞は、過去に著作のある作家が受賞しているケースが意外に多いとはいえ、今ここで受賞させるのはよほどの出来だったと思ってしまうのが普通だろう。読んでみての第一印象は「地味」。別に「地味」でも面白ければよいのだが、面白さを通り越して「地味」なのはどうだろう。
 自分の過去を追う良雄の話と、殺人事件の捜査が交互に語られる。そして小説の終盤に、二つの話が一つに交わる。よくあるパターン。しかも自らが誘拐された男児ではないかと疑いを抱いて過去探しを始めるのは、これまたよくあるパターン。文章は手堅いし、視点の切替も良いタイミングだ。昭和36年という時代を感じることはなかったが、その当時ならではの描写はそれなりに生かされている。ぐいぐい読ませるというほどではないが、読者が飽きるということはないだろう。ただし、浪花節か時代劇のラストみたいな結末はどうにかならなかったものか。
 言ってしまえば、「大岡越前」や「江戸を斬る」みたいな、ワンパターンでも面白い時代劇を見ているような作品である。ただし、面白さのランクでいえば、かなり下の方になるか。意外性も驚きも何もなく、予定調和の世界で全てが終わってしまうので、新味は全くない。この作家独特の、叙情あふれる雰囲気が全く感じられなかったのは残念。作品の手堅さが玄人受けしたのかもしれないが、失点の少なさから乱歩賞を受賞できたという印象である。有り得ないかもしれないが、私が選考委員だったら、受賞はさせずに出版させていただろう。若竹七海の『閉ざされた夏』のように。
 見逃せない欠点としたら、脅迫状に使った新聞紙を残していた事かな。いくら物がない時代でも、そんな危険物を残しておくというのは、さすがに納得できない。それと、偶然率の高さも気になる。
 選考から想像すると、輪島と田口は投稿時では新聞記者だったのではないだろうか。昭和30年代の刑事にしてはどうも押しが弱すぎ、相手の対応も煮え切らないものがあると思っていたが、これが新聞記者だったら納得できる。この書き直しは、個人的にはあまり賛成できないのだが。
 作者名からは期待していたのだが、今一つの感があった作品。実力のある作家だから、次作はもう少し自分の持ち味を生かした作品を書いてほしい。




末浦広海『訣別の森』(講談社 第54回江戸川乱歩賞受賞作)

 北海道北見市街にある恵愛会北見若松総合病院に配置されているドクターヘリの機長、槇村博樹は、ミッション・キャンセルの帰り道、海別岳の南斜面三合目の付近に墜落した毎朝新聞社の報道ヘリを発見。搭乗者二人を救出した。墜落機のパイロットだったのは、自衛隊時代の部下であった武川一恵だった。三年前、槇村は丘珠に駐屯する北部方面ヘリコプター隊の班長であり、一恵は整備士だった。そして一恵が付き合っていた槇村の部下である目黒が覚醒剤中毒になった上、それを止めた槇村と殴り合いの末、飛び降り自殺。槇村は罷免、一恵も除隊し、それ以来二人は会っていなかった。
 北見若松総合病院院長の娘で、医者でもある小久保佐智子と付き合っていた槇村だったが、一恵の出現に動揺する。
 翌日は半年交代の輪番制度の契約最終日。早朝に一恵は怪我をした体のまま、病院から姿を消した。同日、ドクターヘリ運航スタッフの長であり運行司令室を担当する信田豊は交通事故で亡くした妻と子供を弔うために休暇を取っていたが、出かけたまま連絡が取れなくなった。
 槇村の周囲で次々と起きる事件。ヘリ墜落の事件は、警察だけでなく自衛隊まで出動した。何も知らないまま、事件の中心にいると感じた槇村は真相を追いかける。
 2008年、第54回江戸川乱歩賞受賞作。応募時のタイトルは『猛き咆哮の果て』。

 冒頭からドクターヘリが出てきて、予定外の墜落機搭乗員救出を行い、しかも機長と救出された方には過去の因縁があって、さらに機長と医者が恋人同士、とまあ、出だしは面白い。ドクターヘリについても必要以上の長ったらしい描写はなく簡潔にまとめられているし、自衛隊の過去についてもいかにもと思わせるもの。槇村が飼っている犬のカムイもいい味を出している。病院に勤める人々や、向かいの家に住みカムイの世話を手伝ってくれる津山夫妻や孫の綾香もいい人達ばかりで、一度会ってみたくなるような魅力がある。
 と、第一章を読み終わった時点ではかなり期待したのだが、第二章からやや話がおかしくなってくる。知床の環境問題を絡めたまではよかったのだが、覚醒剤絡みの人物達の描写や行動はかなりおざなり。さらに主要登場人物が次々と姿を現すに連れ、その行動動機に首を傾げたくなる。まともな人物は出てこないのかよと突っ込みたくなるのは、作者の書き込み不足だろう。日本の自衛隊が、別の意味で恐ろしくなってきた(苦笑)。
 形としては冒険小説だが、追いかけていくうちに終わっていましたという印象の方が強い。前半のいいムードが台無しになってしまったのは残念。都合よすぎる人物を登場させ、物語を簡単に終わらせてしまおうとしているのが特に勿体ない。設定そのものは悪くないので、もうちょっと構成の方を考えてほしかった。
 応募時のタイトルは『猛き咆哮の果て』だが、センスなさすぎ。こんなストレートすぎるタイトルを付けるようでは、あまり将来性が見込めない。7回目の応募で受賞とあるから、実力を少しずつ付けていたのだろうとは思うが、とりあえずはセンスと安定感を身につけることが大事かな。




遠藤武文『プリズン・トリック』(講談社 第55回江戸川乱歩賞受賞作)

 道路交通法違反で懲役刑を受けた者たちが収容される交通刑務所、市原刑務所の西解放寮で殺人事件が起きた。濃硫酸で顔と手を焼かれた遺体のパジャマには、無免許運転で懲役9月の判決を受けて5ヶ月前から収容されていた石塚満の名前が。そして酒気帯びでの交通死亡事故で収容されていた宮崎春雄が消えていた。残されていた模造紙には「石塚死すべし 宮崎」と書かれていた。刑務所の中とはいえ、単純な殺人事件と思われた。しかし警察の捜査で驚くべき事が次々と。
 2009年、第55回江戸川乱歩賞受賞作。投稿時タイトル『三十九条の過失』を改題、加筆。

 江戸川乱歩賞は全て読む。ということで、評判があまりよくないにもかかわらず読んだけれど、これは何とも形容しがたい作品。下手な粗筋は書かない方がいいかな、話が二転三転するから。交通事故の被害者、加害者を取扱い、交通刑務所の描写もそれなりに書かれている。他にも報道被害など複数の社会問題を取り込んでいる。そういう意味では社会派という言葉に間違いはない。それでいて、確かに密室殺人などのトリックも使われている。選評で恩田陸、天童荒太、東野圭吾が声をそろえた「志の高さ」って、そういう風に様々な要素を盛り込み、ハードルを高く設定して挑んだところなんだろうか。別に「志の高さ」を評価するのはいいけれど、そのハードルに出来が全く届かない作品を選ぶのはどうかと思う。
 帯には東野圭吾による「乱歩賞史上最高のトリックだ」との惹句が書かれているが、選評ではそのようなことは一言も書かれていない。授賞式でそのようなことでも(サービスで)言ったのか、編集部による独断か。「あなたは絶対に鉄壁のトリックを見破れない」とか書いているけれど、密室トリックそのものについては、うーん、どうだろう。見破れないかもしれないけれど、それは穴が大きすぎるから誰もこんな推理をしない、というのが本当のところじゃないかな。僥倖に頼りすぎだよ、あのトリックは。強引すぎるし。
 それでもあのトリックだけならまだ許せたかもしれないが、問題は他にあり。とにかく登場人物が多すぎ、視点の切り替えが多すぎ、話の核がぶれすぎ。いったい誰が主人公? この事件の真相って結局何だったの? この登場人物は結局なぜ殺されたの? この人物は最後どうなるの? 刑務所で殺す理由ってあったの? うーん、一応書いているんだろうが、説明不足なところ多し。他にも色々あったような気がするが、何でもかんでも詰め込んで結局消化不良を起こしている。登場人物は、半分に減らすことができたんじゃないかな。
 文章も読みづらいし、人物描写もさっぱりで描き分けができていない。今どの場面なのかもわかりにくい。もっとも題材だけ、というわけじゃなくプロットは悪くないから、あとは小説を書く力が延びれば結構化けるかも。
 どうでもいいが選考委員の大沢在昌よ。「近年の乱歩賞では珍しい、本格推理の力作」なんて書いてしまうと、3年前の『東京ダモイ』が可哀想だろ。




横関大『再会』(講談社 第56回江戸川乱歩賞受賞作)

 息子の万引でスーパーの店主である佐久間秀之から30万円を強請られた岩本万季子は、別れた夫である清原圭介に相談する。圭介が秀之に金を渡したが、秀之はさらに金と万季子の身体を要求する。約束の時間、待ち合わせ場所で圭介が見たのは、秀之の射殺死体だった。そしてその拳銃は、23年前、圭介の父親である和男巡査が殉職したとき紛失したものであった。動揺する飛名淳一刑事。その拳銃は、秀之の腹違いの弟である佐久間直人、そして万季子、圭介、淳一という仲の良かった幼なじみ4人が23年前、校庭に埋めたはずのものだった。
 2010年、第56回江戸川乱歩賞受賞作。投稿時タイトル『再会のタイムカプセル』を改題、加筆修正。

 作者は8年連続で乱歩賞に応募、さらに過去3回最終選考に残ったという。東野圭吾は選評で「背伸びすることをやめ、「乱歩賞の傾向と対策」のようなものから解放されたのが勝因」と語っているが、確かに過去のお勉強ミステリと比較すると、等身大の作品といえる。その分物足りなさ、地味さを感じる人がいるかも知れないが、ストーリー自体はそれなりに練られているので、読んでいて退屈さを感じることはない。
 4人の視点が次々に切り替わりながら物語が進むのだが、全員何かを隠しているような語り口であるため、読んでいて歯がゆさを感じる。それが苛立ちに変わる前に物語が進むため、怒りを感じることはなかったが。
 トリック云々よりも、幼なじみ4人の交錯する感情と運命を中心に描いた作品といえるだろうが、最後の突拍子もない展開には驚かされた。トリックとして実際に可能かどうかはちょっと疑問なのだが、着眼点自体は悪くないと思える。残念なのは、選評で指摘された点が直っていなかったところか。結末近くの偶然のあざとさや、子供の万引そのものが唐突でフォローもないというのは、減点としか言い様がない。
 個人的には悪くない作品だと思うのだが、文章にしろストーリー展開にしろ手慣れた感が透けて見え、新人らしいフレッシュさに欠けている点があるのは否めない。逆に言うと、60点の作品は量産できそうなタイプだ。少なくとも、過去に応募した作品を書き直せば、当分は食っていけるんじゃないか。ホームランを飛ばすことができるかどうかは、本人次第だろう。




玖村まゆみ『完盗オンサイト』(講談社)

 パートナーで恋人だった伊藤葉月と別れ、帰国した21歳のフリークライマー水沢浹(とおる)。空腹のところを助けられた住職岩代辿紹に助けられ、そのまま居候することに。ところが一緒に働いた工事現場でクライミングをしていたところを、発注者である不動産会社社長國生環に見つかってクビに。ところがそれは、環の兄である会長肇による命令だった。肇は浹に報酬1億円で皇居へ侵入し、徳川家光が愛でたという樹齢550年の盆栽「三大将軍」を盗み出せと言う。悩む浹だったが、葉月がスポンサーとの契約違反で3000万円の損害賠償を請求されていることを知ったため、結局引き受けることに。
 2011年、第57回江戸川乱歩賞受賞作。

 本作品はタイトルやカバーイラストが、時代遅れの編集者が携わったような青春小説みたいなイメージがあったのだが、読み終わってみると本当に青春小説だったので驚いた。人格崩壊者の登場やDVなど重いテーマも扱っているから、単純に明るいだけの作品ではないのだが、主人公の軽さが作品全体を覆っていて、深刻さが伝わってこないことは事実。逆に言うと、人格が崩壊している瀬尾貴弘などという人物を出さず、主人公の水沢浹を中心としたストーリーだけでまとめてもよかったのではないか。浹と岩代がアルバイトをしている現場の孫請けの話などは中途半端で切れている点が残念だし、大山スミレという特異なキャラクターはもっと動かせたはずだ。
 選考委員の内田康夫が書いているとおり、「皇居内の盆栽」「ロッククライマー」「三人の病人」の三題噺を取りまとめたような作品。國生肇が自分で動くこともできない肥満体(言葉を濁しているが300kgぐらいか)であるところなどは漫画チックかもしれないが、現代読者がこの程度のことでリアリティがないと言って切り捨てるとも思えない。問題は読者が納得するだけの世界観が書けているかどうか。その点についてはクリアできていると思う。
 主人公と同様、ストーリーに妙なパワーを感じさせる作品である。読んでいて面白いし、読後感そのものも悪くない。三題噺を結びつけた手腕もなかなかのもの。問題は前半が冗長で後半は駆け足になったことと、視点の切り替えが下手なこと。クライマックスとなるべきクライミング部分が、ほんの僅かしか書かれなかったのは、非常に勿体ない。それに視点の切り替えが、前半部分をわかりづらいものにしている。岩代の視点を無くせばもう少し整理できたのではないか。
 また、寺に預けられていた子供の斑鳩と浹の心の触れ合いも見所の一つなのだが、それだけに最後のシーンはちょっと納得がいかない。桐野夏生が語った不満は、私も同意見である。
 正直に言えば欠点の多い作品だろう。選考委員の意見を受けて書き直してはいるのだろうが、それでも不満の残る点は多い。しかしこの熱気は、読者を引きつけるものがある。うまく育てば化けるかも知れない。作品の方向性は違うが、福井晴敏のときと同じような印象を抱いた。あとは編集者がきちんと面倒をみることができるかどうかである。
 なおオンサイトとは、フリークライミングにおいて、目標のルートについて情報をもたないまま最初のトライで完登することで、完登スタイルの中でもっとも価値の高いものとのこと。作中で環が「今回は完全に盗む方の完盗か」などと話しているが、これはセンスが古い。応募時のタイトル「クライミングハイ」もセンスはないが、もう少し味のあるタイトルを付けることはできなかったのか。




川瀬七緒『よろずのことに気をつけよ』(講談社)

 心臓を潰され、肋骨も皮膚もずたずたの状態で殺害された老人、佐倉健一郎の孫娘佐倉真由が、呪術研究専門家の仲澤大輔のところを尋ねてきた。縁の下に埋められていたものは、布にくるまれた竹筒。その中にあったものは、50〜60年ほど前に造られた呪術符。その和紙には人骨と髪の毛が漉き込まれており、墨は酒と血で磨ってある。中学校の教師を辞めた後は、他人との接触すらほとんど断っていた老人に、どのような呪いがかけられていたのか。真由とともに賢一郎の過去と呪術符の謎を追う仲澤。捜査を担当しているは森居警部補と菊田刑事は、真由の父が新興宗教に填っていることに殺人の動機があるのではないかと疑っていたが、知り合いの占い師である湯山信二、さらにホームレスの鳥博士野呂英明より情報を得た仲澤は、真由とともに高知、更に山形へ犯人の手掛かりを求める。
 2011年、第57回江戸川乱歩賞受賞作。

 一言をもって評すれば達者。それがこの作品を読み終わった後に浮かんだ言葉である。呪いをキーワードにした事件の真相、一つの謎が解かれると次の謎が現れるという古典的ながら読者を飽きさせない展開、主人公から脇役にいたるまでの人物描写の巧みさ、会話文を主体としたテンポのよい文章と、これが本当に新人かと思わせるほどの作品である。前作が最終選考に残ったとはいえ、これが本当に二回目の応募作とは思えないぐらい巧い。ただしその巧さは、ベテランが読者を飽きさせないで読ませるという巧さであり、完成度は高いものの、評価とすれば平均点止まりだろう。似たような傾向がある京極夏彦、三津田信三に比べると、パワーを抑えて小さくまとまってしまった感がある。まあ、その分読みやすくて読者に配慮しているとも言えるのだが。
 主人公が謎を追いかけるうちに、いつの間にか事件の真相に辿り着くという展開であるため、謎解きという点ではやや物足りないことが残念だが、後半からクライマックスに至るまでの緊迫感はなかなかのもの。結末を意外な形で落ち着かせた手腕も悪くない。ただ、会話文が主体となっているため、専門的な内容も会話による説明が主となり、やや散漫な印象を与える結果となったのは残念。場面に応じて、要約を纏めるという形を取ってもよかったのではないだろうか。
 選評で京極夏彦が「作品の根幹に無理解と誤謬がある」と書いているのだが、いったいどこが問題なのかはさっぱりわからず。気になるところだが、既に修正されているのだろうか。「学者によって見解が別れる」程度の内容だったら問題はないと思う。それと東野圭吾が「学者と警察が手を組む」云々をいっているが、普通の警察だったら、いくら学者の言葉とはいえ、呪いをまともに取り上げることはないと思われる。今回の作品における警察の関与はむしろ好意的な方であり、それほど違和感はなかった。
 作者の経歴を見ると、呪術の方面は専門外のように思われるが、少なくとも素人の読者を納得させるだけには充分咀嚼されていると感じた。今度は違う題材の作品を読んでみたい。本作品の出来を見る限り、社会派推理小説を書いた方がその資質を生かせるのではないかと思わせるのだが。




高野史緒『カラマーゾフの妹』(講談社)

 カラマーゾフ事件から十三年後。モスクワで内務省未解決事件課の特別捜査官として活躍するカラマーゾフ家の次男、イワンが、事件以来はじめて帰郷した。兄ドミートリーの無罪を証明し、事件の真相を確かめたい――ロシアでまだ誰も試みたことのない大胆な捜査方法を使い、再捜査を開始するイワンだったが、そこにまた新たな事件が起こり――。十三年前の真犯人は誰なのか。新たな事件は誰が、何のために起こしているのか、そして、謎解きの向こうに見えてくるものとは。息詰まる展開、そして驚愕の結末!(講談社HPより引用)
 2012年、第58回江戸川乱歩賞受賞。応募時タイトル「カラマーゾフの兄妹」。加筆改稿の上、同年8月、単行本刊行。

 フョードル・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の13年後という設定。元々この作品は二部によって構成されるものであり、13年後を舞台に第二部が書かれる予定であったが、ドストエフスキーが亡くなったため未刊に終わっている。作者はその第二部に挑戦した。しかも、ミステリとして。
 作者は1995年、第6回日本ファンタジーノベル大賞最終候補作『ムジカ・マキーナ』でデビュー。著書に『アイオーン』、『赤い星』などがある。選考時には作者名が隠されているため、プロであろうとアマであろうと横一線で評価されている。
 私は『カラマーゾフの兄弟』を読んだことがない。その前提で感想を言うと、つまらなかった。
 一応小説内で色々説明がなされているため、原典を読まずとも舞台はわかるようになっている。ロシア人の名前を覚えるのに閉口したが、舞台が舞台だから仕方がない。ただ、それを抜きにしても読みにくい。奇妙なぐらい文章が硬く感じられるのはなぜだろう。そのくせ、ドストエフスキーが持つ小難しさと堅苦しさ(『罪と罰』とか一応読んだけど、苦手なので)が無くなっており、妙な軽さしか残っていない。
 内容としてもどうだろう。ドストエフスキーの最後かつ最大の小説の続編に挑戦したという売りはあるものの、ミステリにする意味がほとんど感じられない。難しいトリックや美しいロジックがあるわけでもない。イワンが走り回っていたら、いつの間にか事件が終わっている。イワンが多重人格だという設定は、ファンなら怒り出すんじゃないだろうか。
 原典に登場しない「妹」が出てくるのもどうかと思ったが、当の人物が出てくるのは中盤以降であり、しかも物語と密接な関わりがあるわけでもないというのも問題。わざわざタイトルとするのなら、もう少し活躍させられなかったのか。皇帝暗殺計画は第二部で書かれる予定だったのでそれを踏襲したのだろうが、ロケットだの犬を載せた人工衛星だのが出てきた時点で興醒め。ドストエフスキーみたいにもっと写実主義を徹底させて書くべきであり、妙な劇画シーンを出す必要は無かった。
 イワンの知り合いである心理学者ミハイル・ユーリェヴィチ・トロヤノフスキーが、イギリスの探偵ホームズの通訳を務めたなどのお遊び部分も、作者の余裕ではなく、作品を軽くする蛇足部分に過ぎなかった。
 小説としても面白さは感じなかったが(ブラックジョークで書いたというのならまだしも)、これが乱歩賞受賞作というのは許せない。はっきり言って、二次創作に過ぎない。今野敏が最後まで受賞に反対したというのももっともである。




竹吉優輔『襲名犯』(講談社)

 14年前に栄馬市で起きた6人連続猟奇殺人事件。マスコミが付けたあだ名からブージャム事件と呼ばれたこの事件は、死体の一部を切り取るという手法と、犯人・新田秀哉の美貌と語り口から熱狂的な信奉者が生まれた。しかし新田は死刑判決が確定し、執行された。そして今、栄馬市で新たな殺人事件が発生する。小指を切り取られた女性の死体の側には、ブージャムの文字が血で書かれていた。ブージャム事件の最後の被害者であり、新田が逮捕されるきっかけとなった南條信の双子の弟、南條仁のもとへ「襲名犯」からのメッセージが届けられる。連続殺人事件の犯人は誰か。
 2013年、第59回江戸川乱歩賞受賞作。応募時タイトル「ブージャム狩り」。改題、加筆の上、同年8月、単行本刊行。

 作者は1980年生まれ。第55回で一次通過、第57回で二次通過、第59回で見事受賞となった。
 著名な殺人犯に憧れ、模倣しようとする話は現実でもあるもので、それほど目新しい題材ではない。とはいえ、読んでみたくなる題材であることも事実。そういう意味では興味深く読み始めたのだが……読みにくい。独りよがりな部分が多く、読んでいて苛立ってくる。また無理に難しい単語を使おうとし、上滑りになっているのも腹が立つ。もっと自分の言葉でシンプルに書けばいいのにと思った。視点の切り替えも下手。各章の頭で出てくる独白は、はっきり言って不要だったな。結末近くでまとめてシンプルに書けばよかった。
 文章が悪くても中身が面白ければ許せるのだが、内容自体もすっきりしないところが多い。最大の問題点は、「ブージャム」こと新田秀哉に何の魅力もないこと。信奉者や「襲名犯」が出る要素がどこにもない。美貌と書けば信奉者が出ると作者が思い込んでいることが安易である。そのせいもあるが、犯人の動機も納得がいかない。「襲名」する必然性がさっぱりわからなかった。主人公の南條仁がうじうじしているのは仕方がないし、負の連鎖に陥ると思考がどんどんマイナスになるのはわかる。ただ、周囲が助けたくなるような魅力があること(ここでは子どもに優しいところか)などはもっと早めに出すべきだった。
 さらに犯人当て要素の部分があるのもマイナスポイント。警察捜査に首をひねる部分があるのはまだしも、登場人物が少なすぎて、かつ言動から読者には犯人が容易にわかってしまい、作品の面白さが減る原因の一つとなっている。それ以前に、警察がここまで無能とも思えないが。
 ただまあ、読めない作品ではない。読者に面白く読んでもらおうという筋立てになっているのは評価しても良い。司書の仕事について書かれているところは面白かった。最もこれは、作者が司書をしているという点を割り引くことが必要だろう。
 はっきり言って、受賞に達しているというレベルの作品とは思えない。まあ、過去にはこれより酷い作品があったことも事実だが。それにしても選評も酷評が多いね。受賞作に選ぶのだったらもう少し良いところを探し出したらどうなんだ、とは思ってしまう。というか、Aを付けた選考委員ゼロで受賞させるなよと言いたい。出版社が何とか1作は世に出したくて、消去法で選ばれたのだろう。
 ちなみに「ブージャム」とは、ルイス・キャロルの詩「スナーク狩り」に出てくる架空の生物スナークのうち、最も凶暴なものを指す、らしい。初めて聞いた言葉だった。多分知名度は低いだろう。これは改題して正解だった。




下村敦史『闇に香る嘘』(講談社)

 村上和久は孫に腎臓を移植しようとするが、検査の結果、適さないことが分かる。和久は兄の竜彦に移植を頼むが、検査さえも頑なに拒絶する兄の態度に違和感を覚える。中国残留孤児の兄が永住帰国をした際、既に失明していた和久は兄の顔を確認していない。竜彦は偽物なのではないか? 全盲の和久が、兄の正体に迫るべく真相を追う――。(帯より引用)
 2014年、第60回江戸川乱歩賞受賞作。応募時タイトル「無縁の常闇に嘘は香る」。2014年8月、単行本で刊行。

 宣伝の「絶対評価でA」(有栖川有栖)、「たった一行のくだりでほとんどの謎や違和感は解消してしまう」(京極夏彦)、「多くの布石があり、それをすべて拾っている」(今野敏)などと書かれていると、気になって仕方がない。久しぶりに乱歩賞を手に取ってみた。ところが「受賞の言葉」で第52回から毎年応募し、53、54、57、58回で最終候補に残っているということを知り、一気にテンションが落ちた。最初の2,3年ならまだしも、5年以上も投稿を続けていれば、見知らぬ読者からの批評がない状況では作家能力が向上するとは考えにくい。手元に58回の選評があったので読んでみたが、取材力や文章は合格点でも作品構成が今一つという印象を受けた。
 主人公は69歳の視覚障碍者。後天性の盲人ということもあって偏屈なところもあり、共感できる部分は少ない。1年半前から母と同居している中国残留孤児の兄が偽物ではないかと疑い出すのだが、その流れの単純過ぎることが気になった。帰国する「兄」は「弟」が盲人であることを知っているわけないだろうし、今頃になって母親を殺そうなんて考えるわけないだろうと思ってしまうと、もうダメ。設定に無理がありすぎるなあと思って読んでいると、後天性とはいえ目が見えない生活を27年もしている割に、視覚障碍者としての生き方がどうもぎこちない点が気になってくる。
 しかし、首をひねりながら読んでいくうちに、いつの間にか物語の筋に引き込まれている自分に驚いた。今頃中国残留孤児を扱うのかと思っていたが、今でも苦しんでいるものが多くいる現状がうまく描かれているし、主人公が少しずつ核心に近づくうちに別の事件に巻き込まれている点も悪くない。点字による暗号や透析に苦しむ孫もうまくからめ、最後のサスペンスな展開も入れて盛りだくさんながらも破綻せずにまとめている腕もお見事。京極夏彦の言う最後でほとんどの謎が解決してしまう見せ方もなかなかのものである。前半では考えられなかった後味の良さも気に入った。
 ここ2年、乱歩賞は読んでいないが、これだけの仕上がりなら乱歩賞に相応しいといっていいだろう。取材力と文章力に、構成力がうまくからみあがって一級の作品に仕上がった。おススメである。



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