柄刀一『400年の遺言』角川書店

 400年の歴史を持つ浄土真宗妙見派の京都・龍遠寺。天空の星を写しとるとされる謎の庭園は、さまざまな解釈がなされている。この庭で、庭師が首を切られ死ぬ。4年前には同じ庭で、その息子が殺害されていた。そして、龍遠寺が借景とする山のお堂に放置された手首のない死体…。星座と風水思想を読み解いて、事件は解決の扉を開いていくが…。島田荘司、鮎川哲也、二階堂黎人、有栖川有栖、法月綸太郎氏より絶賛されてきた、今、最も注目される新鋭が放つ本格長編ミステリ。(粗筋紹介より引用)

 舞台といい、大がかりな仕掛けといい、よく考えられているとは思うんだけどね。一言で言えば無味無臭の本格。味付けも調味料もないから全てがバラバラ。舞台、トリック、動機などがポンと前に出されているだけの作品。この人に欠けているのはドキドキハラハラかな。小説の醍醐味は何かということを、もう一度考えてほしい。★★。




愛川晶『夜宴 美少女代理探偵の殺人ファイル』(幻冬舎ノベルス)。

 自動車専用道路を高速で崖下へ落ちた車。運転席には扼殺死体が。しかも崖下へ落ちる前に殺されていた。だれが車を運転していたのか。そして犯人はどうやって逃げたのか。しかも、その車以外に専用道路には一台もなかった。美少女代理探偵、根津愛が不可能犯罪に挑む。

 美少女代理探偵という設定のみが目立ちそうだが、謎は骨太の不可能犯罪。ただ、謎が骨太な分、解決がちょっと弱いのは欠点か。あり得ない解決ではないのだが、「なんだ、こんな事なの?」という終わり方をしている。袋とじまでしながらちょっと物足りない。あっと言わせる解決がほしかったというのは高望みだろうか。
 愛川晶は私にとって読みにくく、ここ数作は敬遠していたのだが、本作品は読みやすかった。いや、面白かった。30代後半の刑事と高校生の美少女代理探偵という設定も楽しい。ただ、ルーズソックスだけはやめてほしかったが(笑)。この設定は金脈だろう。あとはいかに上手に金を掘り当てるか。今後の愛川晶が楽しみである。




ジューン・トムスン『シャーロック・ホームズのドキュメント』(創元推理文庫)

 かの名探偵シャーロック・ホームズの語られざる事件簿に、イギリス・ミステリ界の名手が挑む。フランス外相の命を狙う暗殺者とホームズの対決「並木通りの暗殺者」、盗まれた法王庁の財宝奪還劇「ヴァチカンのカメオ」、銀行家の奇怪な死の謎を追う「赤い蛭」など七つの冒険譚に加えて、謎に包まれた依頼人"ボヘミア王"の正体を探る小論を付す。人気の贋作シリーズ第四弾。(粗筋紹介より引用)
「エインズワースの誘拐事件」「並木通りの暗殺者」「ウィンブルドンの惨劇」「フェラーズ文書事件」「ヴァチカンのカメオ」「女家庭教師の謎」「赤い蛭」を収録。

 ホームズもののパスティーシュとして良くできているとは思うけれども、その域止まり。ドイルを超えるぐらいの作品を書かないと、辛くなるだけだと思う。それに実際、ドイルを越えた作品を書くことができたとしても、結局はホームズという名前を使った亜流でしかない。それがパスティーシュの宿命。ホームズファンが雰囲気を楽しめれば、それで構わないのでしょう、きっと。★★。




尾崎諒馬『死者の微笑』(カドカワ・エンタテイメント)

 一世を風靡していた老作家の目黒秀明は、登場人物が次々に惨殺される自分の小説のことで孫娘が友だちからいじめられていたのを知り心を痛め、十数年前に絶筆した。だが、医師から癌だと宣告を受けたいま、いまだに冷めない小説への情熱が甦り、目黒は再び愛用の万年筆を執る。病院を出てホスピスに移り、執筆に専念するも、次第に目黒は万年筆さえ握れなくなり、小説を書き上げることなくこの世を去ってしまった。だが―。原稿が届けられていた出版社の編集部には、何故が全国各地から目黒の死後も彼の筆跡の原稿が送られ続け、物語は完成する。生前、目黒は幽体離脱できると話してはいたが、魂の状態で原稿を書き続け、全国各地から原稿をポストに投函していたのか?同じ病院に入院していた鹿野信吾と名探偵の尾崎凌駕が事件の真相に迫るが、そこには意外な真相が!!渾身の880枚。(粗筋紹介より引用)

 いわば善意の本格ミステリ。帯の“大トリック”はやや大げさだが、トリックそのものの出来は悪くない。小説としてはテンポが遅く、無駄な部分が多くてまどろっこしい。しかし、読了後の幸福感が全てを消し払ってくれる。やや甘いが★★★★。




船戸与一『龍神町龍神十三番地』(徳間書店)

 かつて、無抵抗の誘拐犯を拳銃で殺害し、5年6ヶ月の臭い飯を食べ、今は飲んだくれに墜ちた元刑事梅沢。そんな梅沢の元に、かつての同級生尾崎が現れた。今は五島列島にある小島、龍ノ島の龍神町町長となっている。梅沢は尾崎に手伝ってほしいと誘われ、酒を断ち、龍神町に向かった。そこでは、僻地ならではの人間関係のしがらみ、怨念が渦巻いていた。梅沢はまず、二ヶ月前に一人の若い男が崖から転落した事件を調べることになった。派出所は自殺と処理したが、尾崎は他殺とにらんでいる。しかし、その尾崎が鈍器で殴られて殺された。そして次々に島の有力者が殺される。しかも吸血コウモリ、狂犬病などの不可解な事件が続く。梅沢は長崎県警のはみ出し刑事、郡家とコンビを組み、真相を追う。

 久々に船戸を読んだが、相変わらずの圧倒的パワー。力任せに引っ張るストーリーで、この展開はちょっと無理だよと思いながらも、読み始めたら止まらない。さすが、船戸と言いたい。しかし読了後、ものすごい不快感が残った。
 このような怨念漂う小島みたいな設定が通用するのは、せいぜい昭和30年頃までではないだろうか。地方の小島なら、このようなどろどろした設定を出したって構わないという差別意識が見え隠れするのは私だけだろうか。後に読んだ『美濃牛』で、いかにもありそうな素朴な村が書かれているのと比較すると、あまりにも乱暴すぎる設定としか言い様がない。
 それを抜きにしても、設定、そして解決といい、強引としか言い様がない。何から何まで、剛腕で振り回すことによって成り立った小説。




石沢英太郎『視線』(講談社文庫)

 梶原刑事が偶然見かけた結婚式の新郎は、6ヶ月前に梶原が逮捕した銀行強盗事件の時、最初に拳銃を突きつけられた銀行員有川だった。犯人は、有川の視線で同僚の高山が非常ベルを押したことを気付き、高山を殺害していた。何故有川は視線を走らせたのか。1977年、第30回日本推理作家協会賞短編賞受賞作「視線」。これは短編の名作だと思う。事件そのものだけでなく、姪と婚約している若い刑事の存在が、この物語に深みを与えている。特に最後の一行はうまい。
 隣の家の主人はリリーというマルチーズを可愛がっていた。しかし主人は一ヶ月前になくなり、残された妻はリリーを虐めるようになった。そういえば主人とは以前、「リリー」というスナックに一度行ったことがあった。これは偶然か。「その名はリリー」。勘違いものでありがちな作品。それぐらいか。
 55歳の男の飛び降り死体。鬱病によるノイローゼ、妻との離婚、定年退職、さらに新聞記事からの墜落死の調査メモ。牟田刑事官も梶原捜査一課長も自殺と直感したが、気になる点がいくつかあったため、捜査を続けることとした。「五十五歳の生理」。事件解決に重要な手がかりが結末直前で出てくるのは残念だが、作者が書きたかったのは定年を迎えた男の心理なのだろうと思う。
 元校長である鎌田が始めた「筑紫路の植物を探る会」はすでに3年続いていた。そして新しい会員は27,8歳くらいの若妻らしい美人女性だった。鎌田は妻からその女性が、土地成金の老人と結婚した女性だったことを知らされる。「アドニスの花」。まあ、こんな舞台がそろっていたらこの展開はもう公式だよな、と思わせる展開だが、鎌田の視線が救いとなる作品。
 地方に住む推理作家は地元紙から時々事件のコメントを求められることがあり、たまに予想した犯人像と一致する人物が捕まったこともあった。作家は市の民放テレビディレクターからテレビレポーターに心当たりがないかと聞かれ、偶然知り合った大学講師の妻を薦める。大学出であるその女性は評判となったが。「ガラスの家」。テレビやネットでの失言で周囲から攻撃を受けたりブログが炎上したりする現在だが、30年以上も前にこのような作品を書いたところに先見性を感じる。
 1年前まで会社でよく使っていた料亭の仲居が自殺した。部下が会社の電話を使わず、外でかつての上司に電話をしてその事実を伝えていたことを目撃した男は、自殺の原因を探ってみることにした。「一本の藁」。タイトルの意味が最後になって分かる秀逸な作品。巡り合わせって怖いね、本当に。
 部下には内緒で行われた銀行強盗の演習。しかも自分が考案した足踏み式非常ベルもうまく働き、演習は大成功。マスコミも好意的に報道した。ところがこの事件から別の犯罪が生まれようとしているとは、一人を除いて誰も思わなかった。「ある完全犯罪」。ミステリにありがちな正当防衛ネタと思わせて……というところがミソ。作者の手に掛かると、そんな単純な使い方をしない。
 六編を集めた短編集。1977年に単行本化、1981年文庫化。短編ならではの切れ味と、作者ならではの深い味わいを楽しむことが出きる短編集である。



藤原伊織『てのひらの闇』(文藝春秋)

 すでに希望退職に応じ、サラリーマン生活も残り2週間になった宣伝課長の堀江は、宣伝部長の真田と共に会長に呼ばれる。会長がたまたま撮影した人命救助のホームビデオを、会社の人気スポーツ飲料のCMに使えないかとの相談だ。極秘に検討を始めた堀江だが、そのビデオがCGで作られたものと気付き、会長に報告する。会長はその事実を認め、CM製作を中止するとともに、ホッとしたように呟く。「感謝する」と。そして会長は自殺する。なぜ自殺をしたのか。あのビデオの裏には何があったのか。堀江は謎を追うことを選んだ。

 なかなか読む機会がなかったのだが、読み始めると一気であった。これは中年男のためのハードボイルドであり、中年男のメルヘンである。とにかく登場人物がいい男達でばかりである。主人公の堀江みたいに、優秀でありながら無頼、会社に寄りかからない生き方をする男に、企業に使われるだけの男は憧れる。そして女性は惚れるだろう。もちろん、かっこいい女も出てくる。気のいいやつも出てくる。藤原伊織は本当に上手い。登場人物のほとんどに惚れる作品はそうそうない。
 惜しむらくは結末。結末までメルヘンにしなくてもよかったと思う。欠点はそこだけだろう。二年ぶりの長編だが、待った甲斐があるだけの作品。大人のためのハードボイルドである。




井上夢人『オルファクトグラム』(毎日新聞社)

 ぼく片桐稔は、ある日、姉の家で何者かに頭を殴られ、一ヶ月間意識不明に陥る。目覚めたぼくは、姉があの日殺されたと知らされ、そして、鼻から「匂い」を失った代わりに、とてつもない嗅覚を宿すことになったのだが…。(粗筋紹介より引用)

 早くも2000年のベスト候補登場。二段組で550ページはあるけれど、一気に読めてしまう。犬並になった嗅覚というネタを用いるだけでまず一本取られるのだが、その嗅覚への科学的アプローチ、そして連続殺人犯への捜査へと上手にミックスさせ、かつ、誰が読んでも面白い作品に仕上げるのは井上夢人ならでは。普通なら嗅覚というネタと犯人捜査だけで書いてしまうところ。とにかく、傑作です。



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