半村良『魔境殺神事件』(新潮文庫)

 インド亜大陸の最北部にあり、カシミールとパキスタンとアフガニスタンに接する位置にある細長い地帯、ジャンミスタン。ここは米・中・ソの三大勢力を始め、様々な国の利害が複雑に絡み合っている。この地域は、人種や宗教の異なる民族がそれぞれ村を形成していたが、どの村でも超能力者が多く存在していた。そして超能力が最も強いものが“神”として村を統治していた。このパキスタン最奥の地で“神”が殺された。地上80mの空中に浮いているロープに首をくくられ、吊り下げられていた。
 超能力者松田は、パリのサイコトロニクス学会に参加するため、飛行機で旅行中、奇妙な幻を見せられ、警告を受ける。天候が悪くなったため、飛行機はカラチに着いた。そこのホテルに泊まった松田は、軍の将校に強制的に連れられた。行き先はジャンミスタン。殺神事件を解く探偵として調査を依頼された松田に、次々と不思議な事件がふりかかる。

 松田という人物の紹介。超能力が普通に存在する世界。ジャンミスタンへの連行から殺神事件の調査に乗り出す冒険活劇的展開。“神”が存在する世界。地上80mの空中に浮いているロープと首吊り死体。性格設定、舞台設定から物語が動き出すまでがスムーズで、かつ読者を飽きさせない。何ページでも費やしてもおかしくないところを、さらっと流し、それでいて読者に疑問を抱かせない書き方は、熟練の技と言える。謎の設定も強烈だし、ミステリとしては文句なし。謎が少しずつ解けていくのに、さらに大きな謎が立ちはだかる所も、当然とはいえ巧い展開である。結末まで、一気読み。
 これで結末がよかったら、と思うところは確かにある。この作品のミスは、謎の主題が途中から入れ替わっているところにある。それはそれで面白いのだが、説明が不十分のようにも思える。そしてエピローグの曖昧さ。探偵役がこれでは、読者も拍子抜けするだろう。
 ところが落ち着いて考えてみると、謎の主題が入れ替わるのも、エピローグの曖昧さも、物語の展開から考えてみれば、必然の結果なのである。そしてエピローグの最後。してやられた。ここへつながるとは、夢にも思わなかった。全ては、半村良の計算のうちなのであった。読者は、半村良の手の上で、踊らされていたのだ。
 伝奇SFミステリの佳作。見方によっては評価が異なると思うが、少なくとも私は面白かった。一度、手にとって見ていただきたい一冊。




菊村到『けものの眠り』(徳間文庫)

 植木順平は、三流食品会社の香港支店長であった。彼は55歳の停年を迎え、香港から帰国してきた。娘での啓子は、順平の口利きで会社に入った香川保彦と一緒に順平を出迎えるが、順平の様子がちょっと変であった。それは日が経つにつれ、はっきりとしてきた。全く落ち着きがなく、いらだってばかりである。退職後の再就職先が見つからないからだけではなさそうだ。順平に、何か異様なものがとりついているかのようであった。そしてある日、順平は会社で退職金を受け取ったまま、姿を消した。啓子は、女子大のクラスメイトの兄で、新聞記者の笠井に相談する。笠井は、啓子や香川と一緒に順平の足取りを追いかけるうちに、ラブホテルの情死事件と遭遇する。足取りを追う笠井は、群馬県の四万温泉まで足を延ばすが、そこで手掛かりは切れる。ところが、順平は植木家に帰ってきた。しかも再就職先が決まったと言って。納得のいかない笠井は、さらに調査を進める内に、事件に遭遇する。
 1957年、「硫黄島」で第37回芥川賞を受賞。その後、江戸川乱歩の誘いでミステリを書き始めた作者の、長編第一作。

 昭和30年代のサスペンスものとして知られている作品だが、読んでみると意外にまどろっこしい。事件はでてくるものの、推理があるわけではなく、歩いて調べている内に結末がわかってしまった、という類である。順平の足取りを追いかけたり、殺人事件と遭遇したるする部分は、確かに推理小説の手法なのだが、物語の中盤過ぎで順平がひょこっと帰ってくるなど、盛り上がるはずのサスペンス度が一気に落ちる。笠井、香川、啓子の三角関係っぽいやり取りは、物語の盛り上げには役立っているが。
「私は推理小説というものにたいしては全くの門外漢であるが、それでもそれなりに推理小説というもののイメージを持っているつもりである。そのイメージにできるだけ、作品を近づけようとつとめたのだが、その努力の仕方が、うまくいったとおもうのである」と作者が言っているように、あくまで推理小説に“近づけた”作品と位置付けた方がぴったり来る。植木順平一家に降りかかった悲劇の物語であり、メロドラマ的要素が漂う作品。そういう目で見る分には面白いが、ミステリの面白さとは外れている。
 昭和30,40年代の作品をあまり読んでいないので、補完計画を始めているのだが、これはちょっと期待外れであった。“期待外れ”というより“予想外れ”と言った方が正しいか。作者は、推理小説の目で見てくれとは欠片も思っていなかっただろうから。




篠田真由美『祝福の園の殺人』(東京創元社 クライム・クラブ)

 十七世紀のイタリアを舞台にふたりの麗人と死せる者たちを巻き込んで展開する古風な惨劇。亡き女主人が丹精込めて造りあげた庭園―その呪われた庭を起点に開始される死の舞踏。『琥珀の城の殺人』で世の読者を瞠目させた著者が満を持して問う長編推理第二弾。(粗筋紹介より引用)

 17世紀イタリア、亡き女主人が作った庭園がある侯爵家別宅にて起きる連続殺人事件もの。うーん、未読本ダンボールに入っていたのを引っ張り出したのだが、やっぱり読了済みだった。ま、面白かったからいいけれどね。この手の、ノンシリーズ幻想建築本格ミステリ(どういう分類じゃ?)をまた書いてもらえないだろうか。建築探偵シリーズより、こっちの方が本領を発揮できると思う。




鈴木光司『バースデイ』(角川書店)

 リングの事件発生からさかのぼること三十年あまり。小劇団・飛翔の新人女優として不思議な美しさを放つひとりの女がいた。山村貞子―。貞子を溺愛する劇団員の遠山は、彼女のこころを掴んだかにみえたが、そこには大きな落とし穴があった…リング事件ファイル0ともいうべき「レモンハート」、シリーズ中最も清楚な女性・高野舞の秘密を描いた「空に浮かぶ棺」、『ループ』以降の礼子の意外な姿を追う「ハッピー・バースデイ」。"誕生"をモチーフに三部作以上の恐怖と感動を凝縮した、シリーズを結ぶ完結編。(粗筋紹介より引用)
 「空に浮かぶ棺」「レモンハート」「ハッピー・バースデイ」を収録。

 新刊で買いながら、今頃読む私。こんなにすんなり読めるのなら、買ったときに読むんだった。『リング』『らせん』『ループ』を読んでいない読者には、ちんぷんかんぷんの短編集。




岡田鯱彦『薫大将と匂の宮』(扶桑社文庫 昭和ミステリ秘宝)

 体から、えもいわれぬ芳香を発する薫大将と、御香を人心掌握に利用する、香を焚く天才・匂の宮。この二人の若者が引き起こす恋の鞘当て。その果てに起った殺人事件の驚くべき真相とは? 未完に終った『源氏物語』の幻の続篇は、紫式部と清少納言が推理合戦をくりひろげる世界最古の探偵小説だった。その他、十一短篇を同時収録。(粗筋紹介より引用)
 「薫大将と匂の宮」「妖奇の鯉魚」「菊花の約」「吉備津の釜」「浅茅が宿」「青頭巾」「竹取物語」「変身術」「異説浅草寺縁起」「艶説清少納言」「コイの味」「「六条の御息所」誕生」を収録。

 何回読んでも、いいものはいい。「源氏物語」そのものは読んだことがないけれど(おいおい)、粗筋は大体知っているし、それに「源氏物語」を扱った作品は大好きなのだ。日本最大の小説である「源氏物語」を扱ったミステリはそれなりにあるが、やはり本作にはどれも敵わないだろう。取り扱った題材もさることながら、薫大将が発する芳香の如く、気品漂う香りがこの作品からは発せられるのだ。




大阪圭吉『銀座幽霊』(創元推理文庫)

 大阪圭吉本格短編集、待望のコレクション2巻の1冊。「三狂人」「銀座幽霊」「寒の夜晴れ」「燈台鬼」「動かぬ鯨群」「花束の虫」「闖入者」「白妖」「大百貨注文者」「人間燈台」「幽霊妻」の11編を収録。アンソロジーに収録されることの多い「三狂人」、ラストが悲しいクリスマスものの佳作「寒の夜晴れ」、謎の奇抜さでは随一「燈台鬼」、初めて読んだがなぜ収録されなかったのが不思議な「人間燈台」あたりがお薦め。「大百貨注文者」「花束の虫」あたりのユーモア溢れる本格作品も捨てがたい。
 巻末の作品リストは圧巻。大阪圭吉は、作品数が少ない作家だと思っていたが、それは本格作品だけのことだった。ほとんど知られることがなかったユーモア小説、捕物帳も、ぜひとも文庫にしてほしいものである。




大阪圭吉『とむらい機関車』(創元推理文庫)

 戦前で数少ない本格派として将来を期待されていたが、戦争という時代のためにユーモア小説、スパイ小説などに転向せざるを得なくなる。出征後、終戦直前にルソン島で病死。まさに悲運の本格ミステリ作家である。収録作品は次。「とむらい機関車」「デパートの絞刑吏」「カンカン虫殺人事件」「白鮫号の殺人事件」「気狂い機関車」「石塀幽霊」「あやつり裁判」「雪解」「坑鬼」に、エッセイ9本を収録。初出誌の挿絵付き。

 国書刊行会<探偵クラブ>で半数は読んでいるから、10年ぶりの再読ということになるだろうか。戦前の作品にも関わらず、全く古びていないところが驚き。生まれてきた時代が悪かったとしか、言い様がない。もし彼が生きていたら、戦後の本格長編ブームに乗り遅れることなく、いや、戦後のミステリ界を引っ張る存在になっていただろうと思うと、本当に惜しい。
 本巻に収録されている「坑鬼」は傑作。戦前本格中編では屈指の作品だろう。「とむらい機関車」は、涙無くしては読めない作品。他に「あやつり裁判」「雪解」もお薦め。「デパートの絞刑吏」「カンカン虫殺人事件」「白鮫号の殺人事件」「気狂い機関車」あたりの青山喬介ものは、探偵役の青山がいきなり捜査を始め、ホームズのように神の如き推理を始めるので、私にはちょっと抵抗感があるのだが、それは好みというもの。このスタイルの方が、本格を楽しめるのかも知れない。

 大阪圭吉が書いた唯一の本格長編は、戦時下で失われてしまったという。読んでみたかった。今発表されたら、お宝としての価値はかなり高いだろう。
 となると、これをネタにしたミステリを誰か書かないかな、などと考えるわけです。




荒木一郎『シャワールームの女』(徳間文庫)

 刑事あがりの私立探偵・一条精四郎の許へ奇妙な秘書志願が舞い込んだ。妹が財閥の次男坊と結婚することになったので、恋人と縁を切らせたい、費用は給料相殺で―というのだ。しかし、奇妙なことに、派手な男関係は明るみに出たものの、肝心の"恋人"は影さえも浮んでこず、やがて妹は新婚直後の密室のシャワールームで死体となって…。孤独な女の復讐を描くハード・ボイルド・ミステリー。(粗筋紹介より引用)
 1982年11月、大和書房より刊行。「空に星があるように」で大ヒットを飛ばした歌手荒木一郎の小説デビュー作。

 再読なんだけど、いつ読んだのかが思い出せない。記憶力の衰えが早すぎる。
 日本のハードボイルド史を書くとしたら、欠かすことの出来ない一冊だと思うのだが、そう思っているのは私だけだろうか。スタンダードで洒脱な私立探偵物の佳作。なぜか密室トリックが入っていて、しかも作品の流れをぶち壊していないところがうまい。
 作者の生き方、そのままなんだろうね、この主人公は。格好つけない格好良さ。




霧舎巧『マリオネット園(ランド)―「あかずの扉」研究会首吊塔へ』(講談社ノベルス)

 前作『ラグナロク洞―「あかずの扉」研究会影郎沼へ』から約1年ぶりの新作、シリーズ第4作。
 閉鎖されたテーマパーク、マリオネットランドにそびえ立つ斜塔、首吊塔。経済界の黒幕ともいわれた大物の私有物であるその塔に、「あかずの扉」研究会の後動悟は閉じこめられていた。一方、「あかずの扉」研究会のワトソン役(いじめられ役)二本松翔が、ペンネーム霧舎巧でデビューすることになった。タイトルは『ドッペルゲンガー宮』。流氷館で遭遇した事件をそのまま書き記したものであった。美人編集者と一緒に大学の研究会に顔を出したが、そこに現れたのは、順徳女学院の女生徒。彼女が持っていた手紙には、流氷館で殺害された生徒の名前が書かれてあった。その手紙の謎、そこに秘められた意志を探るため、研究会のメンバーの4人と編集者、生徒は動き回る。
 首吊塔の中で発見された首吊り死体。それはいつの間にか、等身大のマリオネットに入れ替えられていた。塔の外にもあった首吊り死体。研究会の面々は、謎の手紙を解き明かしていくうちに、首吊塔に着き、死体を発見する。この塔に秘められた謎は何か。そして首吊り死体の謎は。

 久しぶりの霧舎巧、本作は意外と読みやすい。過去3作から見たら、無駄な記述が大幅に少なくなっている。ミステリマニアしか喜ばないようなくすぐりは相変わらずだが、展開が緊迫しているため、今回は鼻につかない。また、探偵役が二人いるというやや疑問な設定も、本作に限っていえば、うまく生かされている。キャラクター小説にあり勝ちの、登場人物紹介手抜きは相変わらずだが。
 翔側の、手紙に振り回される部分の展開は、うまく処理しているなと思っていたら、最後にびっくり。これはよくぞ思い付いたものだ。思わず拍手。マリオネットの利用や、死体人形入れ替えなどのトリックてんこ盛りも、今回は小説部分とうまく咬み合っている。消去法で簡単に犯人が分かってしまうので、帯にあるようなフーダニットの面白みはないが、どのように事件を演出し、収束させるだろうという興味は充分に満たされる。特に、本格ミステリによくある展開をトリックに仕立て上げた腕には感心した。
 ただ、首吊塔の説明はもう一つ。舞台設定そのものの強引さは見逃せるが、文章で書けない部分を、イラストでごまかそうとしたところがあるのは減点。このあたりをもう少し整理出来れば、新本格ルネッサンスの旗頭といわれるようになるだろう。
 小説の出来とは全然関係ない疑問点を一つ。私はその方面の仕事もやっているのでよく扱うのだが、“タイガーロープ”という名前は初めて聞いた。販売カタログを見ても、どこにもそんな言葉は載っていない。普通、“トラロープ”と言う。“タイガーロープ”というのは、どこの出典なのだろうか。




島朗『純粋なるもの トップ棋士、その戦いと素顔』(新潮文庫)

 大山時代、中原時代と受け継がれていた将棋界の伝統は、谷川時代が訪れることなく、高橋・南・中村といった55年組の登場で崩れていく。旧世代と新世代が入り乱れ、混沌とした将棋界に登場したのは、羽生善治と初めとした羽生世代であった。
 羽生善治、佐藤康光、森内俊之を率いた伝説の「島研」。55年組最後の一流棋士、島朗が、羽生・佐藤・森内に加え、森下卓、先崎学、郷田真隆などの羽生世代の将棋と生活について書き記し、新しい将棋界を率いる彼らを分析したのが本書である。
 河出書房新社から出版されていた単行本に、加筆されたもの。将棋を知らなくても、将棋の神髄に迫れる本かも知れない。河口俊彦が年をとった今、将棋界とプロ棋士をプロの視点から世間にわかりやすく伝えることのできる第一人者が、島であろう。河口と違うところは、彼が元竜王というタイトルホルダーであり、A級棋士であるということだ。




宝生茜『闇迷路』(河出書房新社)

 作者は覆面作家。過去に多数の著書があるらしいが、ミステリは初めてとのこと。(→掲示板で教えていただきました。コバルトなどで活躍していた赤羽建美が正体。なるほどねえ)
 1993年、いじめを受けていた中学一年生の少年が消えた。いじめた相手の三人を、犯罪者とならない完璧な方法で消すという書き置きを残して。
 7年後の2000年。物語は主に5人の主人公を中心に進んでゆく。
   厳格で、生徒の信頼も厚い女子校の教師、入倉。しかし彼は、女性という女性を憎み、殺人を繰り返していた。そんな入倉がストーカーのようにつきまとっているのは、二十歳の売春婦、朱美。朱美は突然消えた恋人、健治を捜していた。その健治は記憶喪失になって、街を彷徨っていた。彷徨っていた健治を拾ったのは二十歳のフリーター、薫。そして痴呆症で入院している老女、絹代。別々の人生を歩んでいた彼らだったが、周りで不思議な現象が次々と起き、彼らの道は交わり合う。彼らの頭の中に響く少年の声は何か。5人が入り込んだ迷路の出口はどこか。

 長い。とにかく長い。よけいなエピソードが多すぎる。そう思ったのは読み終わってから。途中までは結構面白く読めた。5人の主人公の周りで起きる事件の数々。それらのエピソードは、どこかからの引用という感じもあるが、現代社会のひずみをうまく物語に生かしていると思う。ただ、一つ一つのエピソードは面白いものの、主軸となる事件が存在しないために、散漫な印象が残ってしまう。だが、この印象は最後に払拭されると思っていた。うまく着地すれば、傑作だと。ところが、結末に唖然としてしまう。
 いくらホラーでも、これはないでしょう。そう言いたくなるぐらい、つまらない手法を最後に使った。最初の“完璧な方法”もつまらないし、5人の迷路の終点も強引、というよりほとんどこじつけ。少年の声にしたって、この手では陳腐。5人の選ばれ方も脈絡がない。2/3まで面白いのに、これでは物語が台無しである。エピローグも今更。
 最近、着地点で失敗する作品が多いけれど、これもその一つ。勿体ない。着地点が良かったら、充分傑作の部類に入っただろう。

 この作品、出てすぐに買ったもの。見た瞬間、琴線に触れたんだけどなあ。途中までは当たっていたんだけど……。ここ2,3年、勘がうまく働いていない。



【元に戻る】