有栖川有栖『まほろ市の殺人 冬 蜃気楼に手を振る』(祥伝社文庫)

真幌市名物、冬の蜃気楼の話を三つ子の兄史彰とともに立ち寄ったバーでママや手伝いの香月と話していた満彦は、酔い潰れた史彰を車に乗せて帰る途中、バイク事故で死んでいる男を発見した。警察に通報しようとしたとき、男のそばにあった手提げ鞄に3000万円が入っているのを見つけ、通報をやめ、猫ばばをして家に帰った。ところが酔いから醒めた史彰がそのことをなじり、おもわず絞め殺してしまった。我に返った満彦は、史彰を森の中に埋めてほとぼりを冷ますことにした。3000万円は、事故で死んだ男が資産家の家に強盗に入って得たものだった。史彰が失踪したことが判明し、満彦のもとにも警察が聴取しに来るが、満彦はとぼける。しかし、その頃から満彦は史彰の幽霊を目撃するようになった。

 ほとんどタブーとも思えるトリックを使用していることがわかった時点で興ざめ。こう書くのもネタバレかな。まあ、いいや。つまんなかったし。その前の展開もありきたりすぎて面白くなかったし。蜃気楼ネタに絡めようとして失敗したな。もっとファンタジーっぽい処理をしてもよかったと思うが。

 以上でまほろ市競作4作品を読み終わったのだが、競作というせっかくの趣向が生かされていない。あまりにも縛りが緩すぎる。握り詰めとまではいかないが、もっと共通題材を設定しておいた方がよかったのではないか。地名にミステリ関連の名前を散りばめるなど、それなりの舞台を用意してあるのに、つまらない結果である。まほろ市が舞台でなくても構わない我孫子、麻耶作品の方が面白いというのも皮肉。どちらかといえば執筆数の少ない倉知、我孫子、麻耶の作品が読めたのはよかったが、趣向倒れ。個人的に順位を付けるとしたら、麻耶、我孫子、倉知、有栖川の順だな。




麻耶雄嵩『まほろ市の殺人 秋 闇雲A子と憂鬱刑事』(祥伝社文庫)

ここ半年、真幌市ではほぼ半月おきに連続殺人事件が起きていた。被害者たちに共通点は何もないが、被害者の傍らに意味ありげな小物が置かれていることと、常に左の耳が燃やされていることだけ共通点があった。警察や市民自警団の厳重な警戒の中、今も犯人は捕まっていない。真幌市に在住する人気推理作家闇雲A子は、連続殺人事件の犯人“真幌キラー”を追っている途中で非番中の刑事天城憂と知り合い、彼を助手として指名。A子の訳の分からない推理に振り回されつつ捜査を続けるが、A子の姪もが殺害された。

 冬を読む限り、今回の競作は一年以内の出来事らしい。けれど春や夏には連続殺人事件なんて書かれていなかったと思うが……。ま、そういう細かい矛盾は置いておこう。競作といえども麻耶は麻耶。わけのわからない奇妙な雰囲気が漂う本格ミステリである。一応推理もあるものの、何なんだろうね、この奇妙な感覚は。得体の知れない不気味さが覆う本格ミステリ、というところか。特にこの刑事、いったい何者なんだ。読了後、淡々としている登場人物に背筋が寒くなってしまった。




生島治郎『総統奪取』(講談社文庫)

 日々厳しくなる日中戦争。中国が日本に勝つためには、内戦状態にある蒋介石の国民政府と、毛沢東率いる中国共産党(紅軍)が手を組むべきだった。しかし蒋介石はこの案に反対だった。何が何でも国共合作を実現したい東北軍張学良を中心とする合作派は、蒋介石奪取監禁を企んだ。そして合作派が用意した替え玉を西安に連れて行く役割には、紅真吾が選ばれた。

 長野広生『西安事変』をヒントに、西安事変を日本人新聞記者がスクープしたという事実から、日本が何らかの形でこの蒋介石拉致事件に絡んでいるのではないかと考えた生島治郎は、紅真吾を西安事変の影の立役者に配することを決めた。しかしこのアイディア、とんでもない大失敗。紅真吾、自分では全く動いていない。他人の計画に乗っかり動くだけ。一度受けた約束は守るという信条は変わっていないが、それ以外の部分はただのロボットでしかない。紅が自分の意志で立ち回るシーンはほとんどない。これじゃただの雇われ人。『黄土の奔流』『夢なきものの掟』の紅真吾はどこへ行ったと嘆く冒険小説ファンの心情はよくわかる。こりゃたしかに断罪もの。過去の名作すら暴落してしまうよ、これは。




曽野綾子『天上の青』上下(新潮文庫)

 ある夏の朝、同じく独身である妹と二人で住む波多雪子は朝顔の手入れをしていた。そこへ30を越した一人の男が庭先を通りかかり、朝顔が綺麗だと声を掛けてきた。この朝顔は“天上の青”という意味を持つ「ヘヴンリー・ブルー」であると説明すると、男は種を分けてほしいと言った。宇野富士男というその男は、それからも時折雪子の元へ訪れて、話をするようになった。しかし富士男には別の顔があった。ろくに仕事もせず、給料という名の小遣いを両親からもらい、新車を繰り出してガールハントに明け暮れていた。女性を誘い続け関係を持ち、時には犯した。そしてとうとう殺人を犯して、死体を埋めた。その暴力的衝動はとどまるところを知らず、人妻、女子高生、デパートの店員と手当たり次第に襲い続けていった。さらには車にランドセルをぶつけながら謝らなかった小学生の男の子にまで手を掛けてしまう。やがて富士男は警察に捕まり、社会を大きく揺るがすのだが、雪子は富士男のために弁護士を雇った。

 宇野富士男のモデルは、女性八人連続殺人事件の大久保清であることは容易に想像が付く。もちろん、雪子という女性はオリジナルだろう。
 富士男を拒絶しない雪子の姿が本作品の主題だろう。富士男に同情するわけではなく、それでいて富士男を理解し、受け入れようとする雪子の行動。犯罪者を受け入れるというのは凄く難しいことだと思う。ましてや自分の知り合いに被害者がいるのだから。となると、これは慈悲の物語か? そんなことはない。あくまで犯罪小説である。……なんだろうなあ、きっと。
 駄目。理解できないや、この小説。冷酷無比な犯罪者でも人助けをする一面がある人間だということを書きたかったのだろうか。犯罪者を理解できる人がいるということを書きたかったのだろかうか。キリスト教の主題とも違う気がするしね。読んでいる途中はとても面白いんだけど、主題がとうとうつかめなかった。誰か、教えてください。




我孫子武丸『まほろ市の殺人 夏 夏に散る花』(祥伝社文庫)

 今回の400円文庫の目玉、真幌市競作シリーズの夏編。君村義一は真幌市に住む作家である。作家といっても、某ミステリ賞落選作品を本にしてもらっただけではあり、二作目はさっぱり書けない状況だった。そんなときに初めて届いた一通のファンレター。しかも同じ真幌市に住む女性だった。四方田みずきとはメールでやり取りを続けるようになり、とうとう合う約束を取り付けた。清楚なお嬢様風のみずきに一目惚れする君村。一度は連絡が取り合えなくなったが、君村の友人小山田にハッパをかけられ、みずきの家を探し出す。再会し、みずきと付き合うようになった君村であったが、そんなとき、小山田が殺された。

 我孫子武丸もミステリは久しぶりではないか。本格ミステリらしい仕掛けは一応あるものの、この人の資質はホラー寄りだということを再確認してしまった。そういう観点で読む分には面白かった。この人、仕立てのうまさは抜群である。最後はやりすぎとも思うが、あそこまで書くのがこの物語のラストにふさわしいのかも知れない。考え方が短絡すぎる気もするが。
 ただ、これで“本格ミステリ”と売り出されたら怒るなあ。推理できる情報をほとんど与えられていないから。




倉知淳『まほろ市の殺人 春 無節操な死人』(祥伝社文庫)

 今回の400円文庫の目玉、真幌市競作シリーズの春編。真幌市名物の浦戸颪が吹き荒れた次の日、大学生の美波はいつもの喫茶店で彼氏の新一に、昨日のカラオケの帰り道、幽霊に痴漢されたことを話していた。そこへ友人カノコから携帯電話が。カラオケから帰った後、マンション7Fにあるカノコの自室をベランダから覗いていた男が居たので突き飛ばしてしまった。しかし、下には落ちた形跡がなかったというのだ。その後、川原でバラバラ死体が発見された。死体になった男は、カノコの部屋を覗いていた男だった。ただ、死亡したのはカノコや美波たちがカラオケで歌っていた時刻、すなわち部屋を覗く前のことだった。

 「自分が人を殺したかもしれない」と怯えながらも、その当人を含む周囲の人物のまったり感。倉知淳らしい、緊張感のなさである。ただ、肝心の謎がご都合主義丸出しの展開なので、最後はあっけなさしか残らない。
 人が死んでいなければ、「風が吹けば桶屋が儲かる」的笑い話ですむ。しかしこれは殺人事件なんだから、話の全体にもうちょっと緊張感があった方がいいと思う。




歌野晶午『館という名の楽園で』(祥伝社文庫)

 小田切丈史、岩井信、平塚孝和、水城比呂志はN大学探偵小説研究会のメンバーだった冬木統一郎・聡美夫妻から「三星館」へ招待される。冬木夫妻は、探偵小説愛好家の夢である“館”の主となったのだ。リムジンによる送迎、執事とメイドの挨拶、そして夫妻の登場となった。この“館”は大広間を中心に三つの館がベンツのマークのように等角度で放射状に伸びていた。19世紀半ば、イングランドにあった建物を移築したものであり、しかも彷徨い消える鎧武者の亡霊という言い伝えがあった。いや、19世紀、現実に鍵のかかった部屋からま消えた鎧武者もいたらしい……という設定すら冬木夫妻は作っていた。夕食後、冬木夫妻の計画した余興が始まる。すなわち、彼ら6人で推理劇を演じ、犯人を捜すというものだった。他の4人はとまどいながらも劇に参加し、次第にかつての熱を取り戻して推理を繰り広げる。

 昔、新本格の作品を読んで「そんな奇妙な館なんて現実にはあり得ないのだから、いつまでも絵空事みたいなミステリを書くな」とけなした書評が多かった。そういう書評を見るたびに、「もしそういう館を作ったら現実にあるぞ。おまえらの評は的はずれだ」などと憤慨したことを思い出す。探偵小説愛好家にとって、館の建設は“夢”だと思う。本作はそんな夢を叶えた夫婦の物語である。トリックもそうだが、物語の進行、結末もミステリファンなら大体想像が付くところだろう。あえて予定調和を狙った作品だと思う。それと面白さが結びつくかどうかは別問題なのが残念なのだが。淡々と進みすぎ、あっけなさしか残らない。




殊能将之『樒(しきみ)/榁(むろ)』(講談社ノベルス)

 まずは「樒」パート。名探偵水城優臣シリーズで有名な作家の鮎井郁介が遺した中編が見つかった。題して「天狗の斧」。1985年、とある事件の関係者から旅館に招待された名探偵水城優臣と押し掛け助手鮎井郁介は、香川県飯七温泉に来た。そこは崇徳院にゆかりの地であり、二人も旅館に入る前に史跡を見学することに。そこで天狗が目撃されたとの噂を耳にする。偶然であったアルバイトの平山に教えられ、高見旅館に到着した二人。その旅館には、ゴルフ場建設を計画している不動産会社の若社長と専務、さらに天狗のことを調べている若者の三人しか宿泊していなかった。水城たちが帰ろうとしたある日、若社長が閂のかかった部屋の中で死亡していた。凶器は先日神社から盗まれた“天狗の斧”だった。
 続いて16年後になる「榁」パート。16年前に飯七温泉に滞在していた石動戯作は、かつての友人平山を訪ねた。昔は鄙びた温泉街だったが、今は遺跡と「天狗原人」で盛り上がる観光地であり、高見旅館も別館を建てるほど繁盛していた。しかし本館は昔のままだった。かつて若社長が死んだ部屋で、またも閂が掛けられていた。

 やっぱりタイトルは「密室」に木偏をつけたものだろう。なぜ木偏を付けたかはわからないが。
 それはさておき、密室トリックの小ネタ2本で構成された本作品、作者が殊能将之ということを考えると、物足りない印象を与える。はっきり言ってしまえば、水城、石動というキャラクターが既に出来上がっているからこそ読める作品であり、これが全く見知らぬ人間を配されていたらつまらないの一言で切られていたに違いない。一本のネタを昼の部と夜の部で演じようとして、両方とも見る客が多いから落ちを変えてみたという感じである。今まで他人の作品を翻案化し、アイロニーな視点で料理し、独特の味付けを保ってきた殊能であった。本作品は、使用済みの自分のネタをリサイクルして出来た印象しかない。それでも料理の腕はあるから、読むことが出来る作品に仕上がってはいるが、この程度の作品で満足して欲しくないと思う。




生島治郎『夢なきものの掟』(講談社文庫)

 ともに暮らしていた葉宗明が居なくなった。阿片密売人になって上海にいるという噂を聞いた紅真吾も上海に飛ぶ。アメリカ人の友人が経営するキャバレーを拠点とし、葉の行方を追ううちに、秘密結社青幇や日本軍の阿片密売の利権に一役噛むようになるのだが。

 日本冒険小説の祖であり、名作中の名作『黄土の奔流』の続編。昭和50年代後半になってから冒険小説ブームが始まるが、それまでの日本の冒険小説といえば生島治郎ぐらいしか居なかったんだな、と改めて思う次第。自分の流儀をかたくなに守り、国に縛られず自由に生きる紅真吾の魅力満載。『黄土の奔流』が波瀾万丈の面白さとすれば、本作は静かなブルースのみが流れてくる無声映画の味わいだろうか。もちろん活劇シーンもあるのだが、メインとなるのは男たちが生きる流儀のぶつかり合いである。男たちの生き様を、決意を見る。それも冒険小説である。
 ただ、前作より劣る部分とすれば、紅真吾がヒーローになっているところか。前作『黄土の奔流』では紅真吾は男であった。ヒーローに昇格している分、我々よりも遠い存在になっていることが、残念である。
 次は『総統奪取』なんだけど、シンポ教授が断罪していた作品だから心配だなあ。

 1920年~40年代の中国って、冒険小説が似合う舞台だね。




石崎幸二『袋綴じ事件』(講談社ノベルス)

 櫻藍女子学院高校ミステリィ研究会特別顧問、石崎幸二は、いつものように研究会に行くところを、会員御薗ミリアと相川ユリに連れ去られる。同乗しているミリアとユリの友人深月仁美とともに、仁美の父である新堂博士の研究所がある八丈島に行くことになった。仁美の母の秘書瀬尾孝美とともにホテルから研究所へ行ったはいいが、台風が来てしかも崖崩れで道はふさがり、お約束のような「嵐の山荘」状態。そして夜中に起きる暴行事件。新堂博士が研究室で殴られ、しかも部屋が荒らされていたのだ。いったい研究室で何があったのか。犯人は誰か。鍵は石崎が持ってきていた袋綴じ本にある? 密室本。

 処女作で「面白い」と言っておきながらその後は全然買っていなかったな。ミステリネタの漫才を繰り広げながら事件を解決していくパターンは変わっていない。しかも自虐ネタが増えている。電車の中で読んでいたけれど、思わず笑ってしまった。それでも本格の骨格はきっちりと出来ているところに好感が持てる。難を言えば、石崎が持ってきた袋綴じ本は全く意味がないし、最後の展開は少々強引。それでも最後のミリアで全てが帳消しか。あそこは思わず唸ってしまった。普段がお笑いばかりなので、ああいうシーンは強烈な印象を与えている。
 やっぱりこの人、面白いね。買っていなかった他の2作も読んでみようかな。




小説トリッパー編集部編『ミステリーがわかる。(1995-2001)』(朝日文庫)

 笠井潔と島田荘司の対談や、笠井潔、巽良昭、千街晶之の評論を収録。
 “ミステリーがわかる”なんて書いたって、1995年から2001年に小説トリッパーを中心に掲載された論文をまとめただけじゃないか、1995~2001年は本格しかなかったのか、といったツッコミは当然最初に入れるべきだが、悪いのはそんな無粋なタイトルを付けた編集部であり、中身は充実した評論が収録されている。
 個々の評論に一つ一つ感想を加えていくのは難しいので省略するが、いずれ自分なりに本格ミステリの周辺というものを纏めてみたいものだ。特に、今の状況を「第三の波」と呼ぶのにはどうしても違和感がある。笠井がいう時代から見ると「本格ミステリー 第三の波」じゃなくて、「名探偵 第三の波」の方が正しいような気がするが。




遠藤周作『闇のよぶ声』(角川文庫)

 神経科医の会沢を訪れた稲川圭子の婚約者の樹生は最近、いい知れぬ不安にとりつかれている。三人いる従兄が皆幸福な家庭を捨て失踪しているのだ。結婚生活に自信のもてない樹生は圭子に婚約解消を申し出た。――会沢が事件を解いていくうちに浮かんだ戦争の傷あとと怨念とは? 心理的探偵方を用いた作者結い一の長編推理小説。(粗筋紹介より引用)

 10年ぶりぐらいの再読である。映画版の装丁ではなくてイラスト版だったから購入……したわけではなくて、某コーナー用に購入しておきながら放っておいたものを引っ張り出しただけのことである。当時読んだときも傑作だと思ったが、今読み返してもその感想は変わらなかった。人が背負う罪と罰と、ミステリの謎解きの面白さをミックスさせた心理サスペンスものの傑作であり、もっと語られてもいい作品である。




積木鏡介『芙路魅』(講談社ノベルス)

 幼児の腹を切り裂く連続殺人犯が19年ぶりに蘇った。警察は犯人が入った屋敷を包囲するも、犯人は姿を消していた。犯人はいかにして屋敷から消えることができたのか。犯人の正体は。様々な事件の中心にいた少女芙路魅が犯人なのか。

 うーむ、どこが「本格ミステリ」なのだろう。スプラッタ系ホラーじゃないか。久しぶりに読む積木だが、昔ほどの癖はなく、思ったよりスムーズに読むことができる。逆をいえば、トンデモ系だった積木の良さ(私は嫌いだが)が薄れている。読みやすいがその他大勢の中に埋もれてしまう一冊。もう少し何かが欲しいところである。




ポール・アルテ『第四の扉』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 オックスフォード近郊の小村に建つダーンリー家の屋敷には、奇妙な噂があった。数年前に密室状態の屋根裏部屋で、全身を切り刻まれて死んだダーンリー夫人の幽霊が出るというのだ。その屋敷に霊能力を持つと称するラティマー夫妻が越してくると、さらに不思議な事件が続発する。隣人の作家アーサーが襲われると同時に、その息子ヘンリーが失踪。しかもヘンリーは数日後、同時刻に別々の場所で目撃される。そして、呪われた屋根裏部屋での交霊実験のさなか、またもや密室殺人が……。犯罪学者アラン・ツイスト博士が、奇怪な事件の真相を暴く!(粗筋紹介より引用)
 1987年、本作でコニャック・ミステリ大賞を受賞し、フランスのマスク叢書からデビュー。2002年5月、邦訳刊行。

 巷で噂の「フランスのカー」アルテの処女作。アラン・ツイスト博士シリーズの第一作。作中設定は1979年のイギリス。最初はちょっとかったるかったんだけど、読み進めるうちにどんどん引き込まれていった。幽霊屋敷、美貌の霊媒(と夫)、ドッペルゲンガー失踪と帰還、降霊会、封印された部屋での殺人、雪の密室、失踪した夫婦。オカルティックなネタのフルコースをたった200ページに収め、しかも名探偵による論理的な解決まで示してくれたんだから、脱帽するしかないない。トリックそのものは「陳腐」と「単純だがうまい仕掛け」の境目といったところだが、華麗とすら表現したい装飾とストーリーのうまさが、この作品を傑作に押し上げている。
 予想外の結末部分は、日本の「新本格」に通じる部分があるところも面白い。綾辻行人が『十角館の殺人』でデビューして「新本格」の夜明けを告げた1987年、フランスではアルテがデビューしていたという偶然の符合にも驚きである。
 今年の話題となりそうな一冊。海外で、しかもサスペンスとノワール中心のフランスで、このような本格ミステリが生まれていたことに感謝しよう。



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