平石貴樹『笑ってジグソー、殺してパズル』(創元推理文庫)

 三興グループの実質的オーナーである興津華子が、自室で死体となって見つかった。国際ジグソーパズル協会日本支部長を務める華子を飾るかのように、ナイフで血だらけになった死体の周りには、ジグソーパズルのピースがばらまかれていた。白昼、それも財閥オーナーの自宅での殺害ということで家人に嫌疑が掛かるが、家人からの協力が得られず、捜査は難航する。それでも多額の遺産や系列会社のデータねつ造問題、愛人問題などの背後関係が浮かび上がる中、華子の夫であり、三興商事社長の栄太郎が同じ部屋で殺害され、さらに第三の惨劇が。いずれの事件でも巻かれていたジグソーパズルの意味は。帰国子女で弱冠21歳の法務省特別捜査官、更級丹希、通称ニッキが謎を解く。
 1984年集英社刊行。どちらかといえば、本格ミステリの数が少なかった時代である。1997年頃から創元で出版の噂があった作品、ようやく日の目を見る。

 冒頭で「動機ばかり捜してちゃダメですよ」とニッキが宣うように、動機無視、証拠・証言から論理的思考により犯人を導き出す純粋本格ミステリ。本格ミステリをパズルと捉えて書かれた作品のため、人間心理にはほとんど触れられていないし、人物造形も類型的。風景描写などもほとんど書かれていない。
 純粋に“本格”パズルを楽しめばいい作品なんだろうけれど、当然のことながら、本格ミステリを求めている人間から見たら物足りない。読書のリズムを断ち切るような節の区切り方ではあるが、文章そのものは読みやすく、読者にもわかりやすい構成にはなっているから、最低限の小説のルールは心得ている。それを勘違いしている作家も最近はいるようだが。
 ただ、パズルならパズルなりの面白さを求める方法は別にあると思う。坂口安吾『不連続殺人事件』は本格ミステリ=ゲームと捉えて書かれたミステリだが、エキセントリックな登場人物、事件を配することで派手な装飾を施し、単調になりやすいゲームの流れに変化を付けていた。残念ながら、そういう配慮がこの作品にはない。【命題】と【論証】と【解】しか存在しない本格ミステリになっている。いくら「読者への挑戦状」が付されていても、ニッキの言葉を借りれば、「何だかちっともゾクゾクしない」のである。
 読了後、釈然としないものが多く残った。一番大きな疑問は、第一の事件の解決にある。いくら論理的思考を駆使したとしても、あの解決を導き出すのは不可能としか思えない。少なくとも普通の読者が、こんな医学的知識を持っているとは思えないし、ましてや想像することもないだろう。特にこのような論理パズル作品において、前提条件を無視するような解決が存在することに首をひねってしまうのである。練習の経緯など、他にもおかしいと思う部分がある。動機を無視しているが、犯行に至るまでの内面も無視しているのではないだろうか。
 待望の作品だったかもしれないが、私の感想は「期待外れ」の一言に尽きる。まあ、これが新人の作品だったら、もうちょっと感想が違ったとは思うんだが。

 この小説、確かに犯人を導き出すのに「動機」は不必要かもしれないが、だからといって小説の中で「動機」を軽視するのは嫌なのである。『笑ってジグソー、殺してパズル』では最後に動機が語られるのだが、物語の流れを無視するかのように浮いた部分なのである。不必要じゃないかと思った自分が嫌になったのである。人を殺すのに理由が語られなくていいと思った自分に。




河口俊彦『新対局日誌 第六集 大山伝説』(河出書房新社)

 この頃は「対局日誌」を読むためだけに「将棋マガジン」を買っていた気がする。
 第六集は1991年。大山康晴、最後の順位戦を戦った年である。癌が再発しても順位戦に向かうその姿。しかも勝ってしまう勝負魂。この年、69歳にて名人戦挑戦者決定戦のプレーオフまで駒を進めるのである。特に最終局の谷川浩司戦は名作。▲6七金は大山でなければ指せない。いや、大山以外の人が指せば、多分悪手と言われるだろう。そこを絶妙手に変えるのが大山である。大山康晴こそ、史上最大の棋士だった。今後、羽生善治がどれだけ記録を塗り替えようとも、大山を超えることは出来ないだろう。大山は、伝説の棋士である。
 大山康晴にバトンを渡された十六世名人、中原誠は今年フリークラスに転向した。名人復帰への道を自ら絶ったわけである。中原誠は、とうとう大山を越すことは出来なかった。大山に将棋こそ勝つことが出来たが、大山という人間に追いつくことすら出来なかったのである。いずれ日本将棋連盟会長となって、将棋界を引っ張る立場になるだろうが、大山ほどの牽引力があるか疑問なのである。名人になるという原動力こそが、大山康晴のパワーの源だったのだ。
 はっきり言ってしまえば、中原は加藤一二三に名人を取られた時点で第二の大山への道を自ら閉ざしてしまったのだと思う。“将棋の神に選ばれたもの”が手に取るはずだった名人を、普通のタイトルと変わらなくしてしまったのは、中原誠最大の失敗だったのではないだろうか。中原誠のカリスマ性と神通力は、この時点で完全に失われたのである。




逢坂剛『ノスリの巣』(集英社)

 ノスリは狂に鳥と書きます。百舌シリーズ第5弾。公安シリーズだと第6弾。ああ、ややこしい。
 『よみがえる百舌』事件から1年。倉木美希は警視に昇進し、警察庁長官官房特別監査官室に在籍していた。夫倉木尚武や特別監察官だった津城俊輔とともに、数々の事件に関わってきた大杉良太とは既に体の関係が出来ていた。また、前回の事件のために東北へ飛ばされていた新聞記者残間龍之輔は、たった1年で本社に復帰していた。
 警察の不祥事が続くある日、美希は上司から州走かりほの事情聴取を命じられた。かりほは公安特務一家の調査第八係、略して調八と呼ばれる非公式の部署に在籍する、ノンキャリアの32歳になる警部だった。ノンキャリアでしかも男性社会の警察で警部に昇進し、非公式の部署に所属するのだから優秀ではあるが、その美貌からか<乱れた異性関係の噂>があり、注意を促すのが目的だった。美希はかりほを呼び出し“注意”をするが、逆にかりほの挑戦的な態度に圧倒される。
 大杉は元後輩からの紹介で、浮気調査の仕事を引き受けた。依頼主は、本郷署の刑事小野川裕三の妻通代からであった。最近夫が浮気をしているので、その証拠をつかんでほしい。それも小野川を尾行するのではなく、浮気相手の行動を逐一チェックし、リポートしてほしいとのことだった。不倫関係にあるばかりではなく、女性がどんな相手と付き合っているかも克明に調べてほしい。相手はどんな男とでも手当たり次第に寝る淫奔な女である事実を突きつけ、目を覚まさせるのが目的だった。その浮気相手というのが、州走かりほだった。
 そのころ小野川は、葛飾区にあるバー<シピオン>のホステス笹尾奈美江に言い寄っていた。奈美江の愛人だった坪井守は暴力団大東総業の幹部で、つい先日射殺されたばかりだった。しかも拳銃売買の取引の途中で相手に殺されたらしく、持参していた拳銃10丁以上が盗まれていた。坪井の部下だった田浦は奈美江と同い年で好意を抱いていたが、小野川は策略を用いて拳銃を田浦に持たせ、拳銃不法所持で追い払おうとする。しかし田浦は大東総業の上司である森山に相談し、逆に小野川をおびき寄せた。おびき寄せた場所は、坪井が殺された場所だった。小野川と森本は拳銃の相撃ちで死んでしまう。ただ、小野川の持っていた拳銃は、坪井が射殺された事件で盗まれた拳銃だった。
 州走かりほを巡る怪しい噂の正体は何か。美希、大杉が立ち向かう敵の正体は。ノスリとは何を指すのか。

 ノスリを辞書で調べると、タカ目タカ科の鳥とある。全長約55センチメートル。全身褐色で下面は淡色。全国の山地で繁殖、冬期は平地にくだる。小形の哺乳類や昆虫・カエルなどを捕食する。ユーラシアとアフリカの一部に分布。クソトビ。百舌の次はノスリですか。
 なんといってもかりほというキャラクターが秀逸。なのに、かりほが動くシーンが少ない。そこが失敗。脇役ばかりが動いているのは、事件の性格上仕方がないのかもしれないが、面白味をそいでしまう結果になっている。設定ミスじゃないかな、これは。かりほというキャラクターが全面に出てくる事件にするべきだったと思う。そうすれば、美希や通代との対比が生きてくるんじゃないだろうか。男性作家だから、このレベルで留まってしまったと思うのは考えすぎだろうか。女性作家ならこのあたりの絡みや内面をもっとねちっこく書く気がする。そういう作品を読んでみたかったな。
 かりほというせっかくのキャラクターがいるのに、動機があまりにも陳腐。スケールが小さすぎる。まあ、津城も尚武もいないから、美希と大杉(と残間)だけで大きな敵と相手するのは難しいだろうから、この程度の動機・事件になったんだろうけれど、百舌ファンとしてはこのスケールダウンが残念である。
 読んでいる途中は読者を引きつけるんだけど、結末まで読むとがっくりしてしまう。これはやはり、逢坂剛にはどうしてもスケールの大きい作品を求めてしまうからだろうか。普通の作家が書いたと思えば、充分レベルが高い作品だとは思うのだが。となると、もうこのシリーズはやめにした方がいいと思う。それとも何かでかいネタを最後に持ってくるつもりなんだろうか。今のままだったら、百舌の残滓で読ませている気がする。




横溝正史著/新保博久編『横溝正史 自伝的随筆集』(角川書店)

 半分が既読とはいえ、未単行本化エッセイが読めるのは嬉しいこと。だが、『金田一耕助のモノローグ』みたいに文庫で出してほしかったと思う。単行本で読むには、軽すぎるものが多い。
 タイトルに嘘、偽りはないんだろうが、岡山時代の随筆がないのは残念。どうせだったら『横溝正史の世界』『真説 金田一耕助』『横溝正史読本』『金田一耕助のモノローグ』あたりを再版して並べるか、いっそのこと生まれてから晩年までの自伝的随筆を完全にまとめるとかしたほうがよかったのではないだろうか。生誕百年だから、それくらいの労作を読みたかった。




三浦弘行著/木屋太二構成『三浦流右四間の極意』(毎日コミュニケーションズ)

 前にも書いたけれど、私の得意戦法は右四間飛車である。他には筋違い角と風車。マイナー戦法ばかりだな。
 知っている定跡がほとんどだったけれど、知らない紛れもあったので勉強にはなった。先手からの手順しか書かれていないことが不満。特に、一手の違いが大きく左右する局面が多かったので、後手だったら成立しない仕掛けもあった。これは定跡書として片手落ちだと思う。
 この本のおかげで、右四間、指せなくなるじゃないか。右四間は、相手が定跡を知らないことにつけ込む戦法なんだから。




山村美紗『マラッカの海に消えた』(講談社文庫)

 石油会社のOLだったヒロインは上司との不倫関係を清算し、社内結婚をする。ところが夫は不倫の事実を知らず、結婚後に発覚。そのため、夫婦間は冷たい。夫はマレーシアのペナン島に2年間出張することになり、妻は日本に残ってマンションを借りることにした。ところがその部屋の前の持ち主がコールガールだったらしく、しょっちゅう間違い電話がかかってくる。小説を書こうと思っていた彼女はある日、その誘いに乗ってクラブへ出かけた。クラブで待っているときに見かけた人物は、ペナン島にいるはずの夫だった。翌日、テレビで元不倫相手の上司が殺害されていることを知り驚く。もしかしたら夫が殺害したのではないか。心配になった妻は、10日後にペナン島へ旅立つ。殺害当日、夫はたまたま交通事故を起こしていたことを知り、アリバイが成立したとほっとするのだったが。

 山村美紗単行本デビュー作。多分、山村美紗の長編を読むのは初めて。
 もともとトリック・メーカーと呼ばれていただけあって、アリバイトリックや意外な犯人像など興味どころ満載である。ペナン島の美しい風景と相まって、非常に綺麗な作品に仕上がっている。結末の付け方もうまい。うまい利用法だ。作者自身を彷彿させるヒロインの行動や心理状況なども面白い。夫を心配しながらも、夫に愛情を持てないところなどもよく考えられており、頷く場面も多い。力の入った作品といえる。
 ただ、犯行動機のひとつともいえる重要な手がかりが作品後半にならないと出てこないのは、フェアプレイ精神に欠けるところがあるかも。また、密室トリックはあまりにも単純。というより、この程度のことを気付かない警察が不思議である。
 乱歩賞最終候補に何度も選ばれながら、一度も受賞することがなかった山村美紗だが、本作品を読んだ限りでは受賞できなかった理由は不明である。面白い作品なのだが、突き抜けたところがないのも事実である。



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