蘇部健一『木乃伊男』(講談社ノベルス)

 心臓の悪い布部正男は、21の夏も信州山奥にある病院で静養に努めていた。ある日目を覚ますと、隣のベッドに顔中を包帯で巻いた男が眠っていた。ネームプレートには“木乃伊男”とあった。素封家である布部家には、古くから伝わる木乃伊男の恐ろしい伝説があった。しかもその伝説をさんざん吹き込んだ正男の兄は5年前、家の隣にあった「鏡の迷路」の中で不可解な死を遂げていた。密室状態だったため、自殺と結論づけられていたが。そして今、正男に襲いかかろうと木乃伊男が忍び寄ってくる。木乃伊男の正体は誰なのか。里中満智子のイラストが満載な密室本。

 木乃伊男の正体などをイラストに盛り込み、視覚的な効果も含めてスリル度を盛り上げたその趣向は買いたい。イラストに手掛かりがあるのは予想されたし、事実密室トリックはわかったんだが、それでも面白く読むことが出来た。元々面白いミステリを読ませようという意欲だけは充分にあったのだが、それに内容がようやく追いついてきた感じ。少なくともべたな親父ギャグと下ネタさえなければ、面白い作品が書けるはずなのだ。あとはイラストならでは、というトリックを産み出すことが出来るか。次作が勝負。




光原百合『十八の夏』(双葉社)

 第55回日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞した「十八の夏」、「ささやかな奇跡」「兄貴の純情」「イノセント・デイズ」。「小説推理」に2000から2001年に掲載された、花をモチーフにした短編集。

 うーん、ロマンチストというか、センチメンタルすぎるというか。甘ったるい。最後の「イノセント・デイズ」にこそ殺人事件が出てくるが、悪人らしい悪人はほとんど出てこない。この作者には悪人が書けないのではないかと疑ってしまいたくなる。人間性善説を信じているのかな。ストーリーを追っていると、お目目キラキラ昭和50年代の少女漫画を読まされている気分になる。
 作品で取り扱われている謎は、「日常の謎」というにしてもあまりにも小さいものも多い。本格ミステリが好きな作者なのだから、もっと凝った本格ミステリを書いたほしいものだが。




J・H・ウォーリス『飾窓の女』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 ゴサム大学英文学の助教授であるリチャード・ウォンレイは、バーガークラブからの帰り道、画廊の飾り窓に置いてあったブロンドの肖像画に惹かれた。絵に見とれていたウォンレイだったが、隣にブロンドの女性が立っていることに気付いた。しかもその女性は、肖像画の美女とそっくりだった。ウォンレイはいつの間にか、彼女の部屋の中にいた。彼女の名前は、アリス・リートといった。
 真夜中過ぎ、過ちを犯したことに後悔しながらも帰り支度を整えていたウォンレイとアリスの前に、一人の男が立ちはだかっていた。男はウォンレイにいきなり殴りかかり、倒れたところへのしかかり、喉を絞めてきた。殺されると思った瞬間、彼はアリスから手渡された鋏で男を突き刺していた。男はアリスのパトロンであり、しかも合衆国最大の事業家でもあるクロード・マザードだった。正当防衛である。しかし、この事を表沙汰にすることは、彼自身が許さなかった。死体さえ捨ててしまえば、ウォンレイとマザードの間には何も接点がないのだ。そしてウォンレイは死体を捨てるのだが……。

 早川書房創立50周年記念復刊で買った一冊。しかし、なぜ買ったのか全く記憶がない。特に乱歩が誉めているわけでもないのに(このあたりの翻訳を読む基準は、ほとんど乱歩だったりする)。うーむ、なぜだろう。
 いわゆる自滅型サスペンス。一つ一つの出来事が、全て自分に不利と感じてしまい、警察の手が自分に迫っていると勝手に思いこんでしまい、恐怖と苦悩を味わう。ウォンレイの心理描写が長く、ねちっこい。アメリカの作品なのだが、このあたりのリズムはむしろイギリスもののサスペンスという印象を与える。
 1942年の作品なので、古めかしいイメージが残るのはしょうがないか。一つ一つの出来事や会話に怯える姿を克明に書くスタイルは、今読んでも充分面白いが。現代のスピーディーな展開に慣れた読者から見ると、まどろっこしいかも知れない。




野口文雄『手塚治虫の奇妙な資料』(実業之日本社)

『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『火の鳥』などの有名作品から、『ふしぎ旅行記』『スーパー太平記』などの初・中期作品まで、雑誌連載と単行本の違いを徹底追及し、深く鋭い考察を加えた、ファン待望の手塚研究書。

 1979年に奇想天外社から出る予定だった研究書、二十二年目にしてようやく刊行。まずは雑誌に当たるだけでも一苦労(国会図書館でも入手不可能な雑誌もある)なのに、細かい書き込みの隅々までチェックを入れてくれるだけで脱帽。手塚全集では読めないカットされたエピソードに感動。さらに深い推察まであるのだから、これを読まずして手塚治虫は語れない。手塚治虫という漫画家を研究する上で、書かせない一冊になるに違いない。研究書と書いているが堅苦しい本ではなく、手塚治虫を読んだことがある人なら誰でも楽しめるはず。




高野和明『グレイヴディッガー』(講談社)

 詐欺などの悪事を重ねてきた八神俊彦は、翌日の九時までに六郷総合病院に入る予定があった。彼と骨髄の型が一致した白血病患者に骨髄を移植するためだった。金を借りるため、四ヶ月前に知り合い、名義を交換して部屋を借りていた悪党仲間の島中圭二の部屋へ行った。ところが島中は風呂の中で殺害されていた。左右の手の親指が、それぞれ反対側の足の親指と革紐で結びつけられており、遺体には十字の形をした切り傷があった。部屋から出ようとしたとき、外にいた三人組の男たちが彼をつかまえようとした。命からがら逃げ出したが、島中が殺された部屋の持ち主であった八神は重要参考人として警察に手配されていた。骨髄ドナーとして約束の時刻に病院に入るために、警察や謎の追っ手から逃げる八神。一方、島中と同じ格好にされた被害者が立て続けに発見された。それは魔女狩り全盛の頃、イングランドで異端審問官が立て続けに虐殺された格好と同じであった。拷問で殺された後、墓から蘇り復讐を続けた死者、「グレイヴディッガー」。今回の事件は、グレイブディッガーの生まれ変わりなのか。警察の必死の捜査で、徐々に事件の手がかりが集まってくるのだが。八神は約束の時刻までに病院に入り、患者を救うことが出来るのか。

 『13階段』の著者の第二作。第一作で評判がいいとこけるケースが多いけれど、この作家は本物だった。
 よくよく考えてみると首を捻りたくなる部分はいっぱいあるのだが、読書中はそんなことを考える暇すら与えられなかった。圧倒的なパワーとスピード感。いいから読めという作者の言葉が行間から聞こえてきそうだ。八神の逃走シーンなどは一つ間違えば馬鹿馬鹿しいだけのシーンなのだが、逆にそのはちゃめちゃさが物語にスピード感を与えているのだからよく出来ている。緩急の付け方もうまい。圧倒的な情報量に振り回されることなく、適所に配置された未知の情報が、読者に一息を付かせるアクセントになっている。登場人物の書き方に血が通っているせいか、何気ない一つ一つの台詞や行動が読者の心に染みてくる。
 物語の書き方ばかり誉めてきたのだが、内容そのものも面白い。グレイブディッガーの正体や、事件の背景など、よく考えられている。意外な展開に、読者もあっと言うに違いない。
 先にも書いたとおり、細かい部分での矛盾は結構目立つのだが、読んでいる間は気にならないからいいだろう。読書中のワクワク感。面白い小説を読んだという満足感。それが一番大事なことである。そう、ミステリはエンタテイメントなんだから、楽しく読めなきゃ、つまらない。面白い小説を読みたい方にお薦め。




楠原崇司『看守殺人事件 詰将棋作家(プロブレミスト)詰め上がり図(メイトポジション)を崩さない』(非売品)

 楠原タカシは学生ながら若手詰将棋作家として注目を浴びている。夢はミステリ作家になること。タカシは自分の書いた『看寿殺人事件』を、詰将棋の師匠であり、通っているK大学の教授でもある河島教授に目を通してもらっていた。そこへ駆け込んできたのが、同じく詰将棋作家の女子高生筒井ひろみ。ひろみは重大なニュースを持ってきた。彼らと同じ詰将棋研究会の仲間であるベテラン詰将棋作家八木沢透が殺害され、容疑者としてこれも仲間の馬場一郎が捕まったというのだ。八木沢は「馬」を手に握っており、警察はそこから馬場が犯人であると考えたようだった。現場には他に、将棋盤と駒が残されていた。盤面は、伊藤看寿の傑作「煙詰」の詰め上がり図。もしかしたらダイイングメッセージが隠されているのではないか。河島教授の名推理は。

 作者の正体は詰将棋作家K・Y。登場人物も、有名詰将棋作家の名前を変えたものである……だよね。全員はわからなかったけれど。河島教授はすぐにわかるね。K大教授で評論や翻訳で活躍し、詰将棋だけでなくチェスのプロブレムでも世界的に有名な人だから。今年の某大賞評論賞を受賞した人です。
 さて、肝心の中身はというと、これが結構できた短編。まあ、手がかりが全部出ているわけではないからフェアプレイに欠けた面があるけれど、最後の犯人を指摘するところなんかはうまくできている方だと思う。もうちょっと書き足せば、本格ミステリとして面白い短編になったんじゃないだろうか。
 途中で入っている小説「看寿殺人事件」も結構面白い展開。看寿が献上した詰将棋集『将棋図巧』の「裸玉」「煙詰」「寿」の見立て殺人という設定は使えるんじゃないかな。
 ただ、それなりに詰将棋を知っている将棋ファンじゃないと、本作品の面白さは半減すると思います。残念だけど。
 先の合宿で戸田さんから頂きました。有り難うございます。これから裏表紙の2局目を解きます。まあ詰め上がりはわかっているので、それなりに解けるでしょう、きっと。初手は銀打ちだし。




氷川透『追いし者 追われし者』(原書房 ミステリー・リーグ)

 おれは27歳の男で、中堅印刷会社の営業職。同じ職場の工場にいた香坂澄香を見た瞬間、あまりの色っぽさに勃起した。それからおれは、澄香のストーカーになった。彼女を追う者になった。以後、ローマ数字の章ではおれが彼女を追う様子が書かれる。交互に入っているアラビア数字の章では、最近常に誰かに見られているような気がする、追われている者であるわたしについて書かれている。そして殺人事件が。

 講談社ノベルスのシリーズでは、論理こそが本格ミステリの面白さであるとばかり論理をこねくり回しているが、今回はそんなつまらない論理のこねくり回しはまったくない。その分読みやすいが、小説そのものの技量のなさも浮かび上がらせる結果になっている。
 ローマ数字の章とアラビア数字の章が交互に語られるという、いかにもな構成。作者の狙いはわからないでもないが、それが面白いかどうかとなると別。作者の狙っている仕掛けを成立させるためだけに書かれた作文。仕掛けは成立しているかも知れないが、その仕掛けを成立させる理由も全く不明。しかも成立した仕掛けの方が、よりつまらない物語になっているというのには呆れてしまう。まあ、駄作である。仕掛けを浮かび上がらせるのも、結局は文章であり、小説であることを作者は認識すべきだ。古いミステリを読み返し、ミステリのどこが面白いのかを勉強し直してほしい。




西澤保彦『人形幻戯』(講談社ノベルス)

 「不測の死体」「墜落する思慕」「おもいでの行方」「彼女が輪廻を止める理由」「人形幻戯」「怨の駆動体」を収録した“チョーモンイン神麻嗣子”シリーズ短編集。

 作者は本格パズラーと書いているけれど、ちょっと違うね。本格ミステリが、色々な一つ一つの証拠や手がかりを集めて一枚の絵を仕上げるジグソーパズルのようなものだとしたら、本シリーズはいくつかの形があるブロックパズルを組み立てて何かを仕上げるようなもの。組み立てて、形になっていれば、ハイ拍手。お上手、といったところ。だから読者は、作者がどんな形を汲み上げるのかだけを楽しみにすればいいし、逆に自分がどう組み立てようとしても構わない。ブロックが余らなければ、それでいいのである。
 じゃあ、いったいどんなジャンルなんだと言われても困るわけだが。タックシリーズの短編でもそうだけど、純粋に論理だけで解決を導くことの出来る本格ミステリではないことは確か。まあ、結末はともかくその論理を楽しむということを主眼にした本格ミステリというべきか。まあ、別にそれはそれでいいと思う。普通に楽しめたし。
 このシリーズに限らず、西澤保彦の作品は毎回毎回人物紹介が長いのにうんざりしていたが、初めて読む読者にもわかりやすいようにという配慮なのかも知れない。何の説明もなしに話を進めることが多いシリーズものと比べると良心的かもしれない。ただ、「この件については別の話なので省略」という読者に設定を強引に納得させる技を頻繁に使うのは目障りになるので止めてほしい。



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