河口俊彦『新対局日誌第8集 七冠狂騒曲(上)』(河出書房新社)

 1992年7月に「将棋マガジン」誌上での連載が終了した「対局日誌」。2年以上の間を開け、「将棋世界」1995年1月号より再開されることとなった。このたった2年ちょっとの間に、将棋界は大きく変わった。
 タイトルにもあるとおり、この頃の大きな話題は、羽生善治が将棋界のタイトルすべてである七冠を制すかどうか、であった。羽生は六つのタイトルを制し、最後のタイトルである王将戦を戦う。王将のタイトルを持つのは、谷川浩司。羽生世代が憧れ、目標となった棋士である。谷川は阪神大震災で被害を被りながらも、4勝3敗で羽生を破り、王将位を死守した。
 この頃の羽生ブームは凄かった。一般紙、スポーツ新聞だけでなく週刊誌やテレビ局までもが羽生を追いかけていた。その重圧に負けることなく、勝ち続ける羽生は凄かった。そして七冠を期待するムードの中で、羽生を破った谷川も凄かった。谷川も羽生も、やはり歴史に残る棋士なのである。それは、こういう場に立ち会うことができるかどうか、という巡り合わせにもある。
 たった2年間で、将棋界は大きく代わり、指し方も変わった。対局日誌に登場する棋士も、いつのまにか入れ替わっていた。優等生な棋士ばかりになり、面白いエピソードを残してくれる棋士がいなくなった。
 それにしても、この2年間で、将棋界は大きく変わっていた。米長が悲願の名人位を奪取した。その前後の米長と中原を、河口がどう書くか見てみたかった。




蘇部健一『ふつうの学校−稲妻先生颯爽登場!!の巻−』(講談社青い鳥文庫)

 外池明は小学四年生。明日の始業式には小学五年生になる。クラス替えでは学年でいちばん可愛いと評判の女の子と同じクラスになりたいなんて考える、普通の小学生だ。できれば担任は、美人のルイ先生だったらいいな。そんなことを考えていたが、新しく担任になったのは別の学校から転任してきたおじさん。そのおじさんは昨日レンタルビデオ屋でHビデオのパッケージと中身の女性が違うと怒っていた人だった。しかも今日は一緒に遅刻しそうになり、しかもボートで転覆しそうになったし。その稲妻先生(本名)、女生徒の前でいきなり濡れたズボンを脱ぎ出すわ、授業は最初から自習だわと呆れるばかり。おまけに生徒と賭けドンジャラをやる始末。なんか、とんでもない一年になりそう……。

 蘇部健一と青い鳥文庫なんてミスマッチだと思っていたが、読んでみると意外に面白い。乱暴で型破りな教師というパターンはわりとありがちだが、ここまで書いちゃうのもなかなかないのではないか。どちらかといえば素っ気ない書き方の文章が、破天荒で下品な先生の行動をうまく捉えている。あとがきでは自虐的すぎるくらい情けないコメントばかりであるが、実は結構受けるのではないだろうか。どう考えてもシリーズ化を前提とした人物配置だし。
 ミステリとしては消失トリックがちょっと面白いくらいで、後は謎といえるほどの謎はないのだが、そんなことは関係ないだろう。無理にミステリにこだわらない方が面白く仕上がるにちがいない。
 それにしてもタイトルはもうちょっと何とかならなかったのだろうか。




河口俊彦『新対局日誌第8集 七冠狂騒曲(下)』(河出書房新社)

 棋士たちのすごみと真実をまざまざと書き出したシリーズ第8集は、羽生善治がついに七冠を達成する平成7年度分である。前人未踏の七冠を達成する目前で、谷川浩司王将に破れ夢は潰えたかに見えた羽生。このとき、誰もがまさかもう一度七冠フィーバーが巻き起こるとは思っていなかっただろう。しかし、羽生だけは違っていた。羽生は一歩ずつタイトルを防衛していき、そして王将戦に再び挑戦者として登場したのだ。
 このときのフィーバーぶりは異常だったといえよう。将棋というジャンルがここまでマスコミに取り上げられたことはなかったと思う(別の意味だったら林葉直子騒動があるのだが)。そんな羽生フィーバーに右往左往する棋士たち。そして虎視眈々と羽生を狙う棋士たち。色々な棋士の真実を、河口俊彦は書きつづっている。




貫井徳郎『被害者は誰?』(講談社ノベルス)

 容姿端麗、頭脳明晰。スタイルはモデルのようで、顔はアイドルも真っ青の美形。態度ももちろんでかい。出す作品全てがベストセラーのミステリー作家。しかも名探偵。それが吉祥院慶彦(ペンネーム)。大学時代のサークルの後輩で、「ちびで短小」の桂島刑事が持ち込んだ謎をあっという間に解いてしまう。現代の安楽椅子探偵の名推理を楽しむ短編集。
 豪邸の庭から出てきた白骨死体が誰かを、押収した手記から推理する「被害者は誰?」。
 人妻との浮気を目撃された男性の元へ届いた脅迫状での要求額は2万円。同じ社宅で明かりがついていた、3つの部屋の住人の誰かが目撃者にちがいない。一方桂島は、大学時代の友人から相談を受ける。同じ社宅にすむ3人に2万円の旅行券が送られてきた。送り人の住所はでたらめ。いったい目的は何か。「目撃者は誰?」
 〆切に困った吉祥院は、学生時代に解いた事件を短編に仕上げた。桂島はモニターをさせられる。ただし、条件があった。設定や名前を変えてあるその登場人物で、誰が探偵なのかを当てろと。豪華な昼飯をかけ、桂島は自信満々にその小説を読み始める。「探偵は誰?」
 ぼくは車に轢かれた先輩を見舞いに病院に訪れた。そこに登場したのは加害者である可愛い女性。ところがこの女性、先輩を見舞うばかりでなく、別室に向かっていたのだが。書き下ろしのボーナストラック、「名探偵は誰?」

 『プリズム』は『毒入りチョコレート事件』を下敷きにしているが、今回の短編集はタイトルもそのまま、パット・マガーの長編を下敷きにしている。『プリズム』はマニアックもいいところの長編だったが、今回は作者が折り返しに書いているほどマニアックではない。むしろ探偵当て、被害者当てなど、いわゆる犯人以外を当てる趣向の初級編と言っていいような作品である。言い換えると、普通に読みやすいが、ミステリマニアには物足りない短編集である。
 「被害者は誰?」「探偵は誰?」はこの手のトリックに慣れた人なら、すぐに真相が分かるだろう。逆に「目撃者は誰?」は解決までの手掛かりが少なすぎるので、真相を聞かされてもふーんとうなずくだけである。「名探偵は誰?」はページ埋め程度の掌編である。
 先にも書いたが、小説としては読みやすい。読んでいる途中は結構楽しかった。作者の読ませる力は相当なものだと思うが、今回もその実力を遺憾なく発揮しているといえよう。スマートな作品という言い方がピッタリ来るかも知れない。逆に言えば、小説の力がなかったらつまらない作品だとけなしているようなものだが。せっかくの名探偵の設定も、態度がでかい部分が物語のアクセントになっているところを除けば今ひとつ有効に使われていないのが勿体ない。残念ながら、読者が喝采を上げるというところまでには達していないようだ。
 他にも突っ込みたいところはあるんだけどね。「探偵は誰?」の作中作なんだけど、死んでいるのを確認するために顔を見るんじゃないのか?とか。
 作者が持つテクニックだけで書かれた作品。そんなイメージしか持てなかった。




西澤保彦『聯愁殺』(原書房 ミステリー・リーグ)

 一礼比梢絵は会社からの帰宅時、部屋の前で若い見ず知らずの男に殺されそうになる。何とか助かった梢絵だったが、なぜ自分が襲われたのか全く見当が付かない。わかったのは、襲撃犯が高校生だったこと、そして彼が落とした生徒手帳には四ヶ月前から起きた無差別連続殺人事件の被害者の名前と住所と、そして犯行を示すような文章が載っていた。警察は彼を殺人及び殺人未遂容疑で全国に手配したが、その消息はプッツリと消えた。
 それから4年後、梢絵は当時から接してくれている刑事の双侶澄樹に誘われ、会合<恋謎会>に調査を依頼した。なぜ犯人が自分を襲ったかを知るために。警察OBやミステリ作家たちが集まった<恋謎会>がその謎に挑む。

 第3回本格ミステリ大賞小説部門最終候補作であり、「インターネットで選ぶ本格ミステリ大賞2003」大賞受賞作でもある。
 一言でいってしまうと、西澤保彦版『毒入りチョコレート事件』。しかしひねったプロットとロジックにこだわりを持つ作者のこと、簡単に趣向を移植するだけでは収まらず、ひねりを加えて読者をあっと言わせるラストまで導いてくれる。西澤保彦が隠し持っているダークな部分を全開にしたとも言える。
 よく読むと、細部まできっちりと考えられた作りをしている。『毒入りチョコレート事件』と同様、作中のほとんどは議論ばかりなのだが、その中にきっちりと事件解決の手掛かりが読者に与えられているのはさすがだ。それもほとんどの人は見過ごすだろう。読み終わって初めて、あれが伏線だったんだと思い当たるのである。テクニシャン西澤保彦、会心の一打だろう。この人の作品は、奇抜な道具立てが多いが中身はしっかりとしたロジックに支えられていることを、改めて思い知らされた。
 もう一つうまいなあと思ったのは、被害者を前にして推理合戦を繰り広げた部分である。被害者である梢絵の感情の起伏が細かく書かれているので、推理合戦というものがいかに被害者を無視した残酷な行為であるかということを読者に伝えている。安易に推理なんかするものではない、被害者の前では。探偵が被害者や被害者の関係者をどれだけ傷つけているか。実は結構興味深いテーマなのかも知れない。
 ただ、この作品のほとんどを占めている推理合戦。これが実にくどい。だらだらしている。推理合戦という点に絞って比較してみると、『毒入りチョコレート事件』の方が数段面白い。前の人の意見を簡単に借用するところなどは大幅な減点材料。警察が得たデータは全部与えているなどといいながら、与えていないデータで推理がひっくり返るところも減点だろう。それらは結末のためにわざと書いたのかも知れないが、読者がだれてしまうという展開はいかがなものか。もしここがシャキッとしていたら、手放しでこの作品を誉めていただろう。惜しい部分である。
 最後のエピソードは明らかに蛇足だろう。ロジックにこだわったはずの物語が、最後は安っぽいサスペンスに落ちてしまった。
 物語としては中盤が確かにだれているが、本格ミステリの本格要素部分だけを取り出してみる分には、高い評価を与えられてもいい作品だと思う。




小山正・日下三蔵監修『越境する本格ミステリ』(扶桑社)

(前略)
 本格ミステリの面白さを持つ作品は、何も小説だけに限らないことに気づく。「本格テイスト」とでもいうべきものは、本格ミステリの文法に則って作られたすべての作品に含まれるわけで、そのメディアは別に小説でなくても構わないからである。
 そこで我々は、小説「以外」のメディアで発表された優れた本格作品のガイドブックが出来ないものかと考えた。対象とするジャンルは、映画、TVドラマ、アニメ、漫画、ゲームなどである。本格ミステリが好きで、なおかつそれぞれのジャンルにも詳しいという人たちに声をかけ、現時点では最高の布陣を揃えられたと自負している。(後略)
(巻頭の辞より引用)


 副題にもある「映画・TV・漫画・ゲームに潜む本格を探せ!」の答えが揃っているのがこの一冊。ミステリ映画やミステリTV番組などは語られることが多いが、本格ミステリに限定して纏められたのは間違いなく初めてだろう。名作といわれている作品から日本未公開のもの、マイナーなものまで、よくぞこれだけ揃えたと感嘆してしまう。まさに労作である。本格ミステリ映画、TV、コミック、ゲームの優れたガイドブックとして、長く愛用されるにちがいない。
 当然のことながら、何でこれが載っていないんだというのはどうしても出てくるだろう。映画やTV方面は苦手なので例を挙げることが出来ないが、漫画だったら、魔夜峰央の名前が挙がらないのはなぜだ、当時としては数少ない本格ミステリ少女漫画だった森次矢尋はどうするなどと簡単に名前が浮かぶ。18禁ゲームには、本格ミステリ風のトリックが用いられたり犯人当てをやったりする作品も多い(タイトルがすぐに浮かばないのが情けないんだけど)。ページ数の関係もあるから、それは仕方がない。そういう作品はどんどん挙げていくべきだ。それを監修者に伝えることによって、この本の第二弾が出来上がる。ぜひとも作ってほしい。
 本格ミステリという方向から見ると、今までは愚作、駄作、失敗作と言われていた作品が、実は面白い傑作だったという風に評価が変わってしまうというのは非常に興味深い。もっとも本当に面白ければ、どんな方面から見ても面白いんじゃないかと思う部分もあるのは事実なんだけど。
 最後に個人的希望を書いておこう。戦後に創刊された「探偵王」という雑誌について調べてほしい。藤子や横山も描いているこの雑誌、タイトルからして期待できそうなのだ。




大崎善生『編集者T君の謎』(講談社)

 『聖の青春』で第13回新潮学芸賞、『将棋の子』で第23回講談社ノンフィクション賞、『パイロットフィルム』で第23回吉川英治文学新人賞を受賞した作者が、1982年から2001年まで日本将棋連盟で勤めていた頃に交流した棋士たちの愉快なエピソードを集めたエッセイ集。羽生善治、谷川浩司、米長邦雄、中原誠などの超一流棋士から、高橋和、中倉姉妹などの女流棋士まで、数々の人気、名物棋士が登場する。
 将棋棋士のエピソードが書かれた著作は結構な数になるが、将棋そのものがほとんど出てこない著作は珍しいと思う。「週刊現代」に連載されたこともあり、とにかく将棋を知らない一般の人にでも、棋士という人たちの素の姿がわかる書き方になっている。それも揶揄するのではなく、あくまでも温かい視線を向けながらである。将棋界にどっぷりと浸かっていると、これが結構難しいのではないか。どうしても将棋という難攻不落のゲームに挑む姿を書かなくてはならない。そんな縛りに囚われていると思えてくる。
 将棋は囲碁とともにコンピュータが未だ太刀打ちできないゲームであり、かつ世界で唯一、先後の有利が発見できていないゲームなのである。しかし世間の大多数は、そんなことを知らない。もしかしたら、将棋を指す(打つという人もいまだにいる)ことで1億、2億を稼ぐ人がいるということも知らないかも知れない。しかし、そんなことを知らない人にとっても、この本は面白い。棋士という人たちが以下に摩訶不思議で、そして普通の人たちであるかということを教えてくれる一冊である。例え将棋を知らなくても、棋士という職業の人たちを好きになるにちがいない。
 数々の棋士を差し置いて本のタイトルにまでなった編集者T君とは、日本将棋連盟が発行する月刊誌「将棋世界」の編集者、田名後健吾氏である。今まで読んだことがある小説は『人間失格』だけ。自分に勝ってしまうコンピュータ将棋はプロ棋士よりも強いと思いこんでしまう。将棋雑誌とはいえ、これで本当に編集者をやっていけるのだろうか。毎月、何かしら面白いエピソードを提供してくれてる「将棋世界」を、ぜひとも読んでほしい。



【元に戻る】